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竜の剣のはじまりの物語

11

 アセンを出てから五日が過ぎた。
 最近、クレイスが部屋に居ないことが多い。別にフリードの部屋に行っているというわけでもない。
 どうも、甲板に出たり船長と話したりしているようだった。
 天気があまりよくない。時化そうだった。
 船の揺れも今までよりも大きくなっていて、フリードはかなり具合が悪いとレナが言っていた。
 クレイスがリリーの部屋に来た。
「嵐が来そうだ。ちょっとヤバい状況になってる」
「?」
 リリーはクレイスに呼ばれて、船倉に行った。入るのは初めてだ。
「船員は全部で八人。船長も加えると九人だが、船に乗っている人族は全部で十人。予定通りに行けば、明日の夜には卵の島に着く。もちろん、卵の島での用事が終わったら、またこの船に乗ってアセンへ戻る。アセンまで予定通りに行って六日。追い風になるから多少早く着くらしいが」
 クレイスが説明をしているが、何を意図しているのか分からない。
「目の前の箱に乾パンが入っていて、あっちの樽に飲料水が入っている」
「何が言いたいの?」
「この目の前の食料で、あと最低でも七日、持つと思うか」
 言われて、目の前の箱に目を通す。結構量が残っていて、よくわからなかった。
「わからない。わたし、こういうの専門じゃないし。あの、一体どういうこと?」
「足りないんだ。まだ食事の係りの船員数名と、船長とわたししか知らない。出発前にアセンで二十日分積み込んだはずなんだが、今確認したら、残り四日分しか無いそうだ。わたしやフリード、船長は食べなくても大丈夫だから、それを差し引いても四日分」
 盗まれた。
 船員の顔ぶれがクーボワを出た時と違っていた。何人か入れ替わっているのだ。その入れ替わった数名が、食料と水の樽をアセンで持ち出して逃げた。
「給料先払いするんじゃなかった」
 クレイスが言う。先払いされた給金だけ持って逃げたのなら、それほど怒りもしないだろう。しかし、食料を持っていかれた。
 もっと早くに気づいていれば、アセンに引き返せた。確認があまりにも遅れた。船長は大変責任を感じているそうだ。
「水は、嵐が来るなら雨を集めれば大丈夫だけど、食べ物が無いのね。魚を釣れないかしら」
「餌がない」
「ああ、そうね。ねえ、このこと、いつまで船員に黙っているつもりなの?」
 リリーは船倉を見渡した。がらんとしていて、壁際に網が畳んで置いてあるのが見える。
「言うかどうかは、船長に任せている」
「黙っていたって、いつか分かっちゃうのよ。早目に知らせて、皆に協力してもらった方が良いわ」
 リリーは船倉から甲板に上がった。
 大きく息を吸い込む。
「みんな、聞いて欲しいの」
 作業をしていた船員達の手が止まった。
「この中で、漁師をしたことがある人は居ませんか?」
「趣味で釣りくらいならしたことがあるが、漁師ってほど本格的にはやったことがないなぁ」
 近くに居た男が答える。
「わたしは、川でならやったことがあります。網で魚を捕まえたいのですが、わたし一人では無理なので、みなさんに手伝っていただきたいのです」
「へぇ。おもしろそうだな。それって素人でもできるかい?」
 やってもらわなきゃ困ります。
 心の中で思って、笑顔で
「みんなでやれば、何でもできると思います」
 と答える。
「でもどうも天気がよくない。雨が降り出すまでだぞ。お嬢ちゃんと一緒に遊べるのは」
 マストの下に立っていた男が言った。
 できるだけのことはしなければならない。時間が短いからといって今やらなければ、もう次は来ないかもしれないのだ。
 クレイスを通して、船長に船を止めてもらうよう頼む。
 網の状態の検査からはじめたので、網を投げ込むまでに時間が掛かってしまった。
 そのまま、時間が過ぎるのを待つ。川の漁とは違うだろうが、リリーにはよく分からない。誰か詳しい人が居ればよかったのだが、そう都合よくは居ないようだった。
 暫くして、さすがに天気が崩れ始めたので、網を引き上げることになった。
「おおっ。結構掛かってるな」
 嬉しそうに、髭面の男が言う。
 リリーもほっとした。水面近くまで上がってきた魚を、柄のついた網ですくって甲板に上げる。
 あとは、これを料理が得意な船員に頼んで保存食に加工してもらえば、帰りの分まで持つだろう。
 なぜこんなことを突然しようとするのか、リリーに直接尋ねてきた船員達に、リリーは事情を説明した。全員に話したわけではないが、人から人へと話が伝わり、もう大体の人が事情を知ったようだった。
 網の片付けや魚の処理は、船員達が手分けして行うことになった。雨水を溜めるのも、船員がやっておくと約束してくれた。
 リリーはくたくたに疲れて、部屋に戻った。
 クレイスが部屋に入ってくる。
「もう。クレイスどこに行ってたの? わたし疲れた」
「船長が引き篭もってしまって、出てこないのだ。船員に説明するのは船長の義務だと言ったのだが」
「もう良いわよ。わたしが説明しちゃった。それも船長さんに伝えておいてよ」
 寝台に転がる。
 川で漁をしたことがあると言っても、小さい頃に、義姉の真似をして遊びでやってみただけだった。
 色々やっておくものね。
 天井を見つめて、リリーは思う。船は卵の島を目指して進んでいるが、嵐が来るらしいので、どうせ今日の夜中あたりは一歩も進めないだろう。
 クレイスが部屋から出て行った。船長に話をするのだろう。
「リリーお嬢さん」
 部屋の外でごつい男の声がした。
 声と顔を一致させて、最初にリリーに声を掛けてきた男だと思う。
「新鮮な魚を料理したから、食べてくれよ。今しか食べられないぜ」
 リリーは扉を開けて顔を出した。
 しかし、男の姿が見えない。キョロキョロと見回すと、廊下の角に居た。
「なんでそんなとこに」
「いや、俺たち船員は、客室には近付いちゃいけねえって言われてるんでさあ。ま、食ってみろ。新鮮な海の幸は旨いぞ」
 そう言って、男は手を振って廊下から見えなくなった。足音がいくつもするから、喋っていた男以外にも来ていたようだ。
 リリーは部屋の外に置いてある皿を部屋に持ち込んだ。
 船員が作ってくれた刺身を食べていると、クレイスが戻ってきた。
「何食べてるんだ? 魚?」
「クレイスも食べる?」
「いや、わたしは生ものはちょっと……」
 エルフ族は鼻も利くので、生魚は臭くて食べられないのだそうだ。
 船長の様子を尋ねてみる。
 リリーの行動を説明して、もう食料の心配をしなくて良い事を伝えたら、船長は元気になったそうだ。
 外は随分風も強くなっていて、波と風の音でうるさい。
「フリードはさすがに、寝込んだかな」
 クレイスがリリーを見ながら言う。
「何?」
 食べ終わった食器は忘れないようにと、扉の横に置いてある。
「これだけ外がうるさかったら、聞こえないって」
「何が?」
 クレイスがリリーを抱きしめる。
「クレイス様っ」
 部屋の扉が勢いよく開いて、レナが飛び込んできた。
 驚いて、リリーはクレイスから飛びのいた。
「フリード様が倒れてしまいました」
「え、ああ、うん。予定通りだから」
 抱きしめるものがなくなった両手が中途半端に差し出されているのを、クレイスは仕方なく引っ込めた。
「予定通りだから、いちいち報告しなくていいから」
「あ、はい。申し訳ございませんでした」
 レナが一礼して、部屋から出て行く。
 前にも、似たようなことがあったような気がする。リリーは笑った。
「ごめん、クレイス。わたし本当に疲れてるから、もう寝るわ」
「えっ?」
 本当に驚いているクレイスを横目に、リリーは寝台に寝転がってシーツに包まった。睡魔はすぐに訪れた。
 翌朝目が覚めると、嵐はすっかり過ぎ去っていて、船も進んでいた。
 寝台にもたれかかってクレイスが寝ている。
 なんで部屋に戻ってないのかしら。
 不思議に思ったが、とりあえず肩を揺らしてクレイスを起こす。クレイスが目を開けたところで、リリーは気がついた。
 クレイスはほとんど眠らないはずだ。だから、今眠っていたということは、ついさっきまで起きていたということだ。
「あ、ごめん。起こしちゃった」
「おはよう、リリー」
 クレイスが言って、リリーに口付けする。
「別にいいよ。もう起きてる時間だし。昨日、リリーが目覚まさないかなぁってずっと見てたんだけど、完璧に眠ってたね」
 そりゃそうだ。慣れない力仕事をしたから疲れ切っていて、ぐっすり眠っていたのだ。腕や足が痛い。
「あと、リリーが眠った後に、船長が一度来てた。お礼を言いたいって」
「ふぅん」
 起きたばかりで目覚めきっていない頭を必死に回転させる。
「あとなんか、部屋の前に食べ物とか服とか、贈り物とかいっぱい」
 クレイスがおもしろくなさそうに言う。
「船員もみんな、そんなに豊かな生活してるわけじゃないんだろうに。リリーの気を引くために一生懸命だ」
「やきもち?」
「わたしが一番リリーを愛してる」
 クレイスがリリーに口付けた。一旦唇を離すと、寝台に座っていたリリーをゆっくりと倒した。
「疲れているのは知っているが、わたしも随分待ったんだ」
「え、ちょっと待って」
 外は明るく、風の音も波の音も静かなものだ。
「声、聞かれ……」
 言い掛けたリリーの唇を、クレイスの唇が塞いだ。優しく愛撫される。
「声くらい、聞かせてやれ。リリーはわたしのものだと、皆に知れるように」
 クレイスの無茶な言い分に、リリーは逃げ出そうとした。クレイスの尖った爪が、リリーの腕を傷つける。
「痛っ」
 それほど痛くもなかったが、勢いでそう言ってしまう。
 クレイスが、リリーを傷つけた爪を舐めた。
「悪かったな。なんでエルフ族は爪尖ってるんだろうな」
 言いながら、またリリーを引き寄せる。
 そんなこと知らない。そんなことよりも、この声をフリードやレナに聞かれたらと思うと、恥ずかしくてこれより先に進む気になれない。
 リリーの意思を無視して、クレイスはリリーの衣服を脱がせてしまった。
「ごめん、リリー。もうこんなことしないから。今だけ」
 なんで、そんな顔をしているの?
 クレイスの大きな瞳が、泣いているように見えた。
 抱かれているうちに、恥ずかしいという感情があったことは忘れてしまった。ただ温かで優しいクレイスに身を任せている自分こそ、偽りのない自分だと思った。
「明日の午前中には、卵の島に着く。船員やレナたちには、船に残ってもらうつもりだ。丸一日経っても戻らない場合は先に帰るように指示するつもりだ」
「ふぅん」
 何気なく相槌を打っておいてから、リリーは気がつく。
 竜に挑んで、無事に帰れる保証は無いのだ。

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