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3.道程

 翌日、仕事を早く上がらせてくれとサルムに相談したが、つい先日も同じように頼んだばかりで、聞き入れて貰えなかった。
 掃除と飼葉の交換が主な仕事で、それを終えさえすれば上がれるのかというとそうではない。それが終われば午前の組と一緒に馬屋の見張りをしなければならないのだ。先日は、サルムがひとりで残ったというわけだ。
「まあ、あと一回廻ったらルカだけ上がればいいさ」
 サルムが言い、先日に比べれば遅い時間だったが、少しだけ早く帰ることができた。
 急いで畑に向かう。いつもは歩いて行くのだが今日は走った。
「お姫さん」
 休耕地で走り回っている影に向かって、ルカは声を掛けた。
 いつもなら子どもの誰かがルカに気づくまで特に声は掛けないから、驚いた顔でイーメルがルカを見た。
「もう少し遊んでおれ。わらわはルカと話してくる」
 イーメルが近くに居た子どもに言って、ルカの方へ歩いてきた。
 先日から明らかに不機嫌なのだが、元々の態度が愛想良いわけでもなかったので、その差はルカには気づかれていなかった。
 子ども達は気づいているようで、ルカがイーメルを呼んだ瞬間怯えた顔をしていた。それで硬くなりかけていた表情を和らげてみたものの、ルカに近づくにつれ、また表情は硬くなった。
「どうしたのじゃ」
 目を合わせようともせずにイーメルが言う。
「お姫さん、これに見覚えないか?」
 首に掛けずに手に持ってきた、曇った金色のナイフをイーメルに見せた。
 イーメルが怪訝な顔で、それを覗き込む。
「なんじゃ、これは」
 ルカはナイフをイーメルに渡した。
 小さなナイフではあるが、自分が武器を持っていては、イーメルも良い気持ちはしないと思ったからだ。
 ナイフを受け取った手を見ると、左手には複数の指輪がそれぞれの指にしてあった。大きくて彩の良い透明の石が入っていたり、金細工を施していたりする。だが右手には中指にひとつだけ、銀色の指輪が入っているだけだ。
 利き手だからか?
 なんとなく気になって、視線でその指輪を追う。
「お姫さん、ちょっと良いか?」
 ルカはイーメルの右手を掴んで、軽く引き寄せようとした。
「何を……」
 イーメルが右手を戻そうとする力を感じたが、ルカは気にせずに指輪をしている中指に触れた。
 イーメルの左手に残っていたナイフが地面に落ちる。
 ナイフは大切な親の形見だが、今はイーメルが姉かどうかを確認する方が大事だった。
 指の内側は、ただの銀色の面だった。幅の広い指輪だ。
 手のひらを内側に向けさせて、外側の面を見る。
「これだ」
 鳥の模様。
 ルカのナイフの柄頭とは左右逆を向いている。
 イーメルは困惑した表情でルカを見ていた。地面に落ちた鞘に入ったままのナイフ。見たことがあるかと問われたが、見たことはなかった。だが、その柄頭の鳥の模様は、確かに自分の指輪と同じ模様だ。
 でも、それが一体……。
 ルカの手が熱い。ルカは一体何をしたいのだろう。
 ルカの視線が、イーメルの指から顔へ移った。
「俺、姉ちゃん探してるって言ったよな」
 確かに、ルカはそう言っていた。
 イーメルが頷く。
 ルカは地面に落ちていたナイフを拾い上げた。
「このナイフは親父の形見だ。ここんとこ、あんたの指輪と同じ柄だよな」
 柄頭を指差して言う。
 ルカの手が自分の手から離れて、イーメルは右手の指輪を見つめた。最初に見たときにも思ったが、ちゃんと見比べてもやはり同じ。左右は逆だが、あまり整っていない形や目の位置が少し上にあっておかしいと思っていたのも同じ。
 イーメルはまた頷いた。
 ルカが真剣な顔で短く息を吐き、それから息を吸い込んだ。
「お姫さんが、俺の姉ちゃんのユディトだ」
 ルカの言葉が頭の中に響く。
 この男は、なんて莫迦なことを、何でこんなに真剣に言ってるんだろう。
「無礼者!」
 イーメルはルカの頬を平手で叩いた。
「えぇっ?」
「そなたは人族ではないか! なぜ人族とわらわが姉弟であるなどと考え付くのじゃ。わらわはイーメル。カザートの王女であるぞ」
 イーメルの大声に、遊んでいた子ども達も立ち止まって二人の方を注目した。
 居心地が悪くなって、ルカは言った。
「悪かったよ。きっと何かの手違いだ」
 自分が実はハーフエルフだと白状したところで、イーメルの剣幕が収まるとは思えない。もしイーメルが力を使ってルカを吹き飛ばしでもしたら、せっかくイーメルと仲良くしている子ども達が、イーメルを恐れるようになってしまうだろう。
 先ほどまで、イーメルがユディトだと思い込んで行動していたルカも、イーメルの剣幕で少し落ち着いて考えられるようになっていた。
 指輪のことも、テリグラン−テリを襲ったイレイヤ公がユディトから奪ってイーメルに与えたのかもしれない。
 そう考える方が自然だ。
 だが、すごいお宝ならともかく、金物屋の父が趣味で作った指輪だ。細工は、息子であるルカが言うのもなんだが、正直言ってかわいくもなければ綺麗でもない。色は確かに銀色をしているがおそらくは合金であり、銀の含有量は少量と思われた。そんなものをわざわざ他人から奪って娘に与えるだろうか。
 そしてそんなものを、今やカザートの王女となったイーメルが大切に身に着けたりするのだろうか。
「みんな、今日はこれで解散。ルカに家まで送ってもらえ」
 イーメルがルカの側を離れて、子ども達に言っている。
「お姫さん」
 呼ぼうとしたが、その前に子ども達が走ってきて囲まれてしまい、イーメルに近づくことができなかった。
 子ども達が口々にイーメルに別れの挨拶をして、イーメルも子ども達に向かって手を振っていた。
「よし、じゃあ暗くなる前に帰ろう」
 こうなってしまっては、今更イーメルを呼び止めることもできない。子ども達を放っておくわけにはいかないのだ。
 いつものように、ルカは子ども達を引き連れて人族の集落を目指した。


 家に帰ってから、ルカはずっと考えていた。
 イーメル本人は、自分はユディトではないと言っていた。だが彼女には二十年近くの失われた記憶があり、その間ユディトとして生活していたがそれを忘れてしまっているという可能性は大いにある。
 カザートの公式記録には、イーメルがいつ頃からテリグラン−テリに居たのかまでは書いていない。しかし、テリグラン−テリが反乱を起こしてイーメルを攫ったのであれば、イーメルは反乱と同時期にテリグラン−テリに来たと考えるのが妥当だろう。
 あくまでも、カザートの公式記録を鵜呑みにして、テリグラン−テリが反乱を起こしたのを事実と仮定すれば、の話だ。
 だが、おそらく反乱は事実ではない。いくらルカが当時幼かったと言え、国の代表の娘を攫ってまで起こそうとした反乱が実際に起こっていたなら、少しくらいは印象に残っているはずだ。しかし、ルカにはそんな記憶は無い。記憶にあるのは、ごく普通に暮らしていた町が、何の前触れもなしにイレイヤ公の軍隊によって壊滅させられた、ということ。
 反乱は事実ではないが、イーメルが居たのは事実だろう。
 幼いルカに、町を襲ったのがイレイヤ公だと教えてくれたのは、イーメルだったのだろう。最初は曖昧だった記憶も、今でははっきりしてきた。あの時、自分の側に居たのはイーメルで間違いない。
 そして、自分はずっと、それを教えてくれたひとを姉だと思っていたのも間違いないのだ。
 記憶違いの可能性もまだ捨てきれないけど、今の所は、イーメルがユディトだったとして、それで辻褄が合うか考えてみよう。
 ルカは思う。
 ルカはハーフエルフだが、イーメルは純エルフである。ルカの母が妖精族だったのだから、イーメルの母親がイレイヤ公と別れて、ルカの父と結婚したと考えられる。
 でも、そうなるとイーメルの母親が二十五年前に死んだってのと合わないんだよな。
 公式の記録では、イレイヤの妻つまりイーメルの母は二十五年前に亡くなっている。ルカが二十五歳以上なら計算も合うが、残念ながら二十二歳だ。
 いや、二十五年前に死んだってのがイーメルの実母じゃなければ辻褄は合うのか。
 イーメルの母はイレイヤ公と別れて父と結婚した。イレイヤ公は新たな妻を娶ったが、その妻は二十五年前に亡くなった。それならば何の問題もない。
 イーメルがユディトではない可能性は、もちろんある。イーメルの態度を見る限りでは、むしろその可能性の方が高いかもしれない。
 だが、その可能性について考える気にはなれなかった。
 イレイヤ公は娘を取り戻すことを口実にテリグラン−テリに攻め入ったのだから、イーメルさえ居なければ町は滅ぼされずに済んだ、ということになる。逆に言えば、イーメルが居たせいで、町は滅んだということだ。
 それでは困るのだ。仇討ちの相手として、ヴォルテス王の他にイーメルも加えなければならなくなる。仇討ちは崇高な物だ。自分の感情次第で、仇がころころ変わる物ではないはずだ。
 だが姉ならば、大目に見ることもできる。血の繋がり。家族の絆。理由はどうでも、誰もが納得するようにつけられる。
 あの指輪は姉ちゃんの物で間違いない。
 銀色の指輪をはめたイーメルの手を思い出す。
 あんなに細いのに、柔らかくてすべすべしてた。
 指輪のことを考えようとしていたのに、指の方を思い出してしまった。
 手を取った瞬間の、イーメルの表情もはっきりと思い出せる。あれは、弟と手を繋ぐ時の姉の表情ではないだろう。困惑で眉根をわずかに寄せ、その瞳はルカの顔を映していた。もちろん、イーメルはルカを弟などとは欠片も思っていない。
 あれ? だったら俺、イーメルに何て思われてるんだ?
 人族なのに、妖精族を姉だと言う。
 唯の奴隷の一人か、もしかして変人だと思われてる?
 奴隷はともかく、変人だと思われるのだけは勘弁して欲しい。明日会ったらもう少し話そう、そう思いながらルカは眠りについた。

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