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4.恐れ

 やけに広い屋敷で、ルカは二階に上がる階段を探すのに手間取った。それなのに誰ともすれ違っていない。
 どんだけ手薄なんだよ、この建物は。
 怒鳴りたくなるが、がまんして進む。
 明かりが扉の隙間から漏れている部屋を見つけたときは、かなり時間が経っていた。
 ものすごい後悔と、焦り、それから僅かな希望。
 扉の前に誰もいないということは、オーヴィアが気付いて助けに入った可能性があるということ。
 とにかく扉を開ける。
 なんだ、これは。
 ルカが考えていたのとは全く違う風景が、そこに展開されていた。
 真っ白だった絨毯はほとんどが赤く染まっている。壁にも飛び散った血の跡。まだ乾いておらず下へ向かって流れている。
 部屋の中には、イーメルがひとり、白い背中をルカに向けて絨毯の上に座っていた。
 男達の姿が見えず、ルカは部屋の中を凝視した。
 いや、居た。血まみれで、頭だけがそこに転がっていた。よく見ると、手や足、胴体がバラバラにそこら辺に散らばっている。数を合わせようという気にはなれなかった。
「お姫さん」
 声を掛けると、イーメルがゆっくりと顔をルカの方へ向けた。
 汚れの無い背中と違い、その顔は血にまみれていた。
 ルカは部屋に入って、イーメルの正面に回った。イーメルの視線も、ルカを追って正面に向き直る。
 露になった素肌は赤い血で染め上げられ、その血は肘や顎といった場所から滴り落ちて絨毯の上に血溜りを作っていた。
 人にできることじゃない。
 それだけは分かる。
 じゃあ、これをやったのは、イーメルか?
 嫌な予想だ。動悸が激しくなる。
「お姫さん、大丈夫か? 俺が分かるか?」
 イーメルの前に座って、イーメルに話しかけた。
 大きな目がルカの顔を見た。
 突然イーメルが立ち上がった。
「何じゃ! そなたもわらわを辱めに来たのか!」
 言って、もつれる足で銅鑼を鳴らす為の撥を取りに行った。
「待て待て。今呼ばれたら困る。俺が悪者になっちまう」
 イーメルの腕を掴んで、撥を取り上げて遠くへ投げる。
 イーメルがその場に座り込んだ。
 もう一度ルカの顔を見て、ほっとしたように溜息を吐いた。
「そなた、妖精族か」
 そう言えば、人族の目を隠し、妖精族の目を見せていたのだった。
「いや、お姫さん。俺は妖精族じゃなくて」
 イーメルが目を見開いた。
「『お姫さん』? その言い方は、まさか……ルカ? でもそなた妖精族であろう?」
 ルカは眼帯を外した。
 隠してあった人族の目が見える。右目に残った妖精族の目。手術で変えた人族の左目。
「ああ、俺がルカだ」
 イーメルにはいずれ教えるつもりだった。自分がハーフエルフであること。探している姉がイーメルかもしれないこと。イレイヤ公に殺された父や母、町の人のこと。全部話すつもりだった。
 そのつもりでここに来たのに、なんで。
「俺はハーフエルフだ」
「そんなことどうでもいい!」
 イーメルが叫ぶ。
 『どうでもいい』
 それを平時に言ってくれれば、どんなに嬉しかっただろう。
「それより、わらわは一体どうしたのじゃ? この者達はなぜ血を流しておる。死んでおるのか? なぜ?」
 イーメルがルカに縋り付く。
 ルカの白い外套が、イーメルに付いた血で赤く染まった。
 俺のせいだ。最初に気付いた時に、止めに入ってればよかったんだ。
「見てみろ」
 床に散らばった人族の頭に、イーメルの視線を向けさせる。
「誰がやったんだ? お姫さんがやったのか? それとも、ここに他に誰かいたのか?」
 責めたくなかった。悪いのはこの男達で、止めようとしなかったルカだ。けれど、ルカも何が起こったのか全てを見たわけではない。知っているのはイーメルだけなのだ。
「おお、そうじゃ。わらわがやった。この者たちが、わらわに乱暴しようとするから」
 言って、イーメルが咳き込む。
 何かを吐こうとしたようだったが、何も吐く物はなかった。ただ、血が混ざった唾が絨毯に落ちる。
 イーメルの手の爪に、肉片が入っている。男を引っ掻いたのだろう。いくら妖精族の爪が鋭いとは言っても、それだけで体を引き千切ったりはできない。
 あの力だ。物を吹き飛ばすだけではない。動きを封じたり、器用にやれば操ったりもできる。力が強ければ、引き千切ることもできるのだ。
「この者たちが悪いのじゃ。わらわは、ただ……怖くて……」
「お姫さんの力なら、ここまでしなくても男たちを懲らしめることができただろ。何もこんな……酷いことをしなくても」
 吹き飛ばすだけで良かったはずだ。それから応援を呼べばいい。
 殴られて、気付いたら見知らぬ男に囲まれていた。
 普通の女性ならそれは怖いことだろう。だがイーメルは妖精族で、相手は人族だ。
「酷いこと……? でも、それはこやつらが」
「だからと言って、お姫さんがこいつらの命を取って良いってことにはならないだろ」
 この男達がやろうとしていたことは罪だ。例え未遂であったとしても許せることではない。だが、裁きを下すのがイーメルである必要はないし、殺してしまったら裁きにかけることもできないではないか。
 イーメルがルカを見上げた。
「わらわは……なんてことを」
 両の目から涙が流れ出す。死んだ男達を哀れんでの物か、自分の境遇を嘆いているのか、それとも別の理由があるのか、ルカには分からない。
「わらわは怖かったのじゃ。ここまでするつもりは無かった。でも、何をされるか分からなくて、怖くて……」
 涙を流すイーメルを、ルカは静かに抱きしめた。
「もう良い。反省したなら良いんだ。責めるようなことばっか言って悪かった」
 まだ乾き切っていない髪の毛を撫でる。
 子どものようにしゃくり上げるイーメルを、ルカは長い間抱き締めていた。 

Illustration: 西山 那々

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「さて、じゃあお姫さんはもう一回風呂に入ってきな」
 イーメルが落ち着いて来たので、ルカは言った。
 イーメルが頷いて、ルカの側から離れた。
 どうしたもんかな。
 イーメルが隣の部屋へ行った後で、ルカは部屋を見回した。白い絨毯も壁も血で汚れている。掃除をして、何も無かったことにするのは無理だ。イーメルが人族を殺したとしても罪に問われる可能性は低い。相手は奴隷だからだ。だが、殺された人族にも家族は居るだろう。家族からはもちろん、その友人たちや、下手をすればカザートの人族全てがイーメルを恨むようになるかもしれない。
 泥棒に入った人族の男達に強姦されそうになった、と真実を言えば人族を敵に回すことはないだろうが、イーメルがそれをどうどうと言うとは思えない。『されそうになった』は『された』と同義に捉えられてしまうものだ。
 実際にどうだったのかは、イーメルの言葉を信じるしかない。
 だから、これをやったのがイーメルではないことにしなければならない。
 仲間割れ? いや無理だ。殺し合ったんじゃここまでバラバラにはならない。誰か逃げたことにして……。それも無理だ。奴隷は全員国に登録されてる。数が足りなければすぐ分かる。
 ルカが考えているうちに、イーメルが風呂から出てきた。
 風呂から上がったばかりだというのに、イーメルの顔は青ざめていた。
「ルカ、……わらわは、どうすれば良い?」
 これ以上イーメルを責めたくなかった。
「お姫さんは、王族の象徴みたいなもんだ」
 ルカは言う。
 形見のナイフは変形していたが、無理に引っ掻けば傷を付けることくらいはできる。
 ルカはナイフを自分の手のひらに当てて、傷を付けた。
 その手で、壁のまだ白い部分に手形を付けて行く。
「だから、証拠にちょっとくらい違和感あっても、きっと俺が犯人ってことで落ち着く。いいか、お姫さん。これは人族同士の争いだったんだ。んで、俺がこいつらをここまで追い詰めて、殺して、それから俺は窓から逃げた。そういうことにするんだ」
「そんな。そなたがわらわの罪を被る必要はない」
 イーメルが言う。
 ルカは自分の手のひらを見て、それからイーメルに言った。
「でももう、手形付けちまったもん」
 ルカが笑って見せると、イーメルも固い表情のまま笑おうとした。
「じゃあな、お姫さん。あ、そうだ。一応俺の弁護頼むわ。まだ死にたくはない」
 窓枠に手を掛けて、飛び降りる。
 三人殺したことになれば、下手すれば死刑だ。もうイーメルとも会えないかもしれない。
 それでも構わなかった。
 自分が居なくなった後で、イーメルが彼女の思う通りの世界を作り上げれば良い。妖精族の女性が、誰の目も気にせず人族の子どもと遊んでいられるような、そんな世界を。
 白い外套が血で赤く染まっていることを思い出して、途中でルカはターバンと外套を取って手に持って帰った。
 家に帰るとセイロンとマギーが台所に居たが、挨拶するより先に、手に持っていた外套とターバンを火にくべた。
「おかえり、ルカ」
 自分の背中に向かって、セイロンが言った。
 白い外套に移った火が次第に大きくなり、やがて元が何であったかも分からなく程に黒く焦げていった。
 ルカは火掻き棒でそれを突付いて、塊が残らないように崩し、元からあった燃えカスや灰に混ぜた。
 こっちはこれで大丈夫だ。
 それから、手の中に握ってきたナイフを水で洗い、ついでに自分の顔や手も洗った。
「ルカ?」
 セイロンが尋ねた。
「ああ、ただいま」
 寝室に入り、ナイフを枕の下に隠す。セイロンには全て見られているわけだが、それで良かった。少しすれば妖精族がルカを捕らえに来るはずで、その時にルカが証拠を隠滅しようとしていたことをセイロンが証言してくれれば都合が良いのだ。
「ルカ、マギーが話したいことがあるって」
「え、ああ」
 頷いて、ルカは台所に戻った。
 思い出した。
 出かける前、ルカはマギーに酷いことを言ったのではなかっただろうか。急いでいたし、何を話したのかはっきりとは思い出せないが、それでマギーが怒っているのだろう。
 テーブルを挟んでマギーの向かい側に座ったルカは、マギーが顔を上げた瞬間に言った。
「すまなかった、マギー」
「ごめんなさい」
 同時に、マギーがルカに謝る。
「わたし、なんだかよく分からないけどおじさんに迷惑掛けて。さっきセイロンにも、分からないからって何しても良いってことじゃないって……言われて。ごめんなさい」
 両手を膝の上で握り締めて、マギーが必死な表情で言う。
 ルカは後ろに居るセイロンに目を遣った。
 なんでマギーが謝るんだ?
 声に出していないのだから、セイロンからその答えが聞けるわけがない。セイロンは憮然とした顔でルカを見ただけだった。
 セイロンに助けを求めるのは諦めて、ルカはマギーに向き直った。
「いや、悪いのはこっちだ。色々焦ってて、その、何の話してたかもあんま思い出せないだけど、マギーが悲しくなるようなこと言ったんだよな。ごめんな」
 マギーが悲しそうな顔のまま、少し口を開きかけた。
 だがその口を閉じ、一度唾を飲み込んでからもう一度口を開いた。
「ううん。やっぱり、悪いのはわたしだと思うし、次から気を付けるね」
 そう言って、微笑んだ。
 笑ってる顔が一番だ。
 ルカは思う。
 マギーを難しい顔にさせたのは自分だ。お陰でセイロンも難しい顔になっている。彼らを困らせることがルカの目的ではないのに。
「じゃあ、わたし帰る」
 マギーが満足したように言った。
「ひとりで行くのは危ないから、ルカが送って行ってあげて」
 セイロンが言った。
 俺、妖精族が捕まえに来るの待たないといけないんだけどな……。
 思うが、仕方が無い。確かにマギーをこの時刻にひとりで羊飼いの村まで帰らせるわけにはいかない。
「わかった。マギー、家の近くまで送るよ。行こう」
 ランプを手に取り、家を出る。
 いつも子どもを送り届ける時と同じように、ルカはマギーと手を繋ごうと手を伸ばしたが、マギーは恥ずかしいのかルカの手を取らなかった。
 もう子どもじゃないか。
 ルカの肩の高さより大分身長の低いマギーと並んで歩きながら、ルカは笑う。
「何がおかしいの? わたしを見て急に笑うなんて、失礼よ」
 マギーが大人びた台詞を言う。
「ごめんごめん。別にマギーの顔が面白かったとかじゃないから、気にしないで」
 向こうに見える人族の集落がまだ明るい。王の結婚式だったから、まだお祭り状態なのかもしれない。
「今日は一緒に行けなくて悪かったな。また今度誘ってくれよ」
 ルカが言うと、マギーが満面の笑みで頷いた。
 今度があれば。
 今はルカを追って来た妖精族がセイロンの家に着いた頃だろうか。せめてマギーを家まで送るくらいの時間は残っていて欲しかった。

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