国交正常化30周年記念セミナーにおける報告

(日本国際貿易促進協会、中国国際貿易促進協会、国務院発展研究センター主催、於長富宮飯店芙蓉庁、2002年4月16日9〜10時)

東アジア芳隣関係を求めて

1.東アジアの平和構想

「善隣」や「親善」という漢語はよい言葉だが、東アジア近代史においては、たとえば李大サ(1889〜1927)が指摘したように、帝国主義の「注射針」と「植民地の人々の皮膚」との「善隣」「親善」であった。台湾出身の歴史家戴國W(1931〜2001)は、この二語を「芳隣」で置き換えることを提起した(戴國W『新しいアジアの構図—芳隣関係創出を求めて』(東京、現代教養文庫、1977年)。

夏目漱石の小説『三四郎』には、日露戦争以後のある日、「これからは日本も段々発展するでしょう」と述べた三四郎の見方を否定し、「亡びるね」と喝破した広田先生の見識が紹介されている。戦勝気分に酔う日本で「亡びるね」と予言したのは漱石自身の見識であった。

比較法制史学者朝河貫一(1873〜1948)は、日露戦争を『日本の禍機』と認識して、戦後の日本外交を批判した。朝河は『日露衝突』で日露戦争開戦の前夜にこう述べている。「韓国が列国の手に落ちるのを許さないために日本が韓国を占領すべきだとする意見に与することはできない。韓国が自分の足で立つことができないならば、その解決策は領有することではなく、資源を開発し、国家制度を強化することによって韓国の独立を本物にすることだ」「日本は韓国を日本帝国の一部として武装し統治するのではなく、韓国の完全な自治を求めて訓練を行うことを目指すべし。韓国を独立国として強化してのみ、日本の立場は強化される」(矢吹晋編訳『ポーツマスから消された男』2002年)。朝河の主張・韓国独立論は第2次大戦後には世界の常識となり、実現された。

東西冷戦期――石橋湛山の構想

 漱石が予言したように、1945年に日本は亡びた。しかし、敗戦後の日本は、東西冷戦の体制下に組み込まれ、東アジア世界は、引き裂かれた。病のために政権を投げ出すことを余儀なくされた石橋湛山[1884〜1973]は、1959年6月、周恩来宛てに書簡を書いた。「私が日本の総理大臣として内閣を組織した時の念願の一つは,貴国との提携を計り,その力をテコとして世界の平和を実現したいということであつた」「一、中華人民共和国と日本との両国は、あたかも一国の如く一致団結し,東洋の平和を護り,併せて世界全体の平和を促進するよう一切の政策を指導すること。二、両国は右の目的を達するため,経済において,政治において,文化において,できる限り国境の障碍を撤去し,お互い交流を自由にすること。その具体的方法に就いては実際に即して両国が協議決定すること。三、両国がソ連,北米合衆国その他と結びたる従来の関係は両国互に尊重して(にわか)に変更を求めざること。但しできる限りこれら関係を前記の目的の実現に有用に活用することに努めること」(1959年06月04日付、『石橋湛山全集』第14巻,424−8頁所収)。これが冷戦下に平和を求めた石橋構想であった。中ソ同盟条約と日米安保を是認しつつ、東西交流を模索する石橋構想は、LT貿易、覚書貿易(MT)協定に結実した。[下落合に石橋湛山老を訪問した矢吹、1965年10月6日、撮影=田舎厳雄氏]


 
1980年代末から90年代初頭にかけて、旧ソ連が解体し、東欧圏も市場経済への道を歩み、ポスト冷戦期を迎えた。これによって、100年前の朝河貫一の理想や40年前の石橋湛山の構想は、実現のための条件を用意できる段階に至った。

折しも経済のグローバル化は、急速に進展し、同時に地域的統合の動きも活発化した。矢吹の勤務する横浜市立大学では2000年10月に「ヨーロッパ統合と日本」と題した国際シンポジウムを行った(『横浜市立大学論叢』第52巻第2号、2001年2月)。フランス、ドイツ、ベルギーなどから招いた各分野の専門家の報告を聞いて私は目から鱗が落ちた印象を抱いた。それはEU統合の原動力が歴史的、地理的、文化的類似性にあるというよりは、むしろ、「戦争はもうこりごりだ」「第3次大戦は絶対に避けなければならない」という「平和の希求、平和への意志」こそが統合の推進力であったと見る見解であった。

これまでは、「まとまりのよいヨーロッパ」と「バラバラなアジア」を対比して、両者の違いを強調する意見が多かった。言い換えれば、EUの備えるいくつかの条件を基準として、アジアにはその条件が欠けていることを強調する意見が多かったと思われる。しかし、EU統合の原点は「炭鉄共同体」であり、戦争を支える戦略物資の共同管理であった事実から明らかなように、その本質が「平和への意志」にあるとすれば、この一点は、東アジア世界も同じ条件を備えていると見るべきであろう。しかも「バラバラなアジア」は、海で結ばれている事実に着目すべきである。

2.東アジアコミュニティの構想

2-1.森嶋通夫「東アジア共同体」論

EU世界と東アジア世界との違いを明確に自覚しつつ、最も具体的な「東アジア共同体」East Asian Communityを提起した一人は、ロンドン大学の森嶋通夫教授[1923〜]であり、その主張は1997年に中国の南開大学における連続講義で行われた(その英文講義録はMichio Morishima, Collaborative Development in Northeast Asia, Macmillan, London, 2000である。これは森嶋瑶子によって日本語に訳され、『日本にできることは何か—東アジア共同体を提案する』岩波書店、2001年10月として出版された)。

森嶋提案は、多岐にわたる包括的な内容をもつが、その精神は次の3カ条であろう。(1)東アジア世界の歴史を顧みて「運命共同体」であることを認識する。(2) 東アジア共同体は、発展途上地域をかかえるのでまず「建設共同体」から出発し、その後「市場共同体」に移行する。(3)東アジア共同体は議会をもち、政治統合を目指す。

  森嶋構想は、ほとんど実現不可能なユートピアに思われるかもしれない。しかしEU統合もそのビジョンが初めて語られたとき、夢想家の言と見られたことを想起したい。しかしEU世界の政治経済的条件がいわばビジョンに近づいてきて、実現されたのであった。森嶋構想の個々の内容について議論は、今後数十年単位の射程で行われるのが望ましい。私がこの構想を評価する核心は、「外から見た日本歴史の研究」のプロジェクトから、この構想が発想されたことである。「これからの各国史は国内から見たものと外から見たものとが整合的であるようなものでなければならない」(森嶋序)。この言葉は入江昭教授(ハーバード大学、歴史学)のものだが、森嶋教授はこの原点から東アジア共同体を考えようとしている点が重要である。

ふたたび朝河貫一に戻れば、彼は「国際的悲喜劇の根本的原因」を次のように分析している。「諸国民のお互いの側の言葉と行動が、相手にとって手に負えないほどの制約をさらけだしており、これこそが人類史を通じた国家的、国際的悲喜劇の根本的原因である。私の歴史研究はすべて、諸国民の社会意識の形成過程とその歴史的な現れという問題に集約される」(『朝河貫一書簡集』)。各国の国民性や愛国心を冷静に分析し、ウラオモテのない各国史を編纂しなければならない。そこから諸国民の相互理解と共生への努力が始まるべきである。

2-2.グローバル経済の二つの原理---「上からの自由化」(WTO、IMF)と「下からの自由化」(FTA)

WTOIMFは、普遍的ルールや制度を強い形で押しつけるものであり、グローバルな自由化、「上からの自由化」を図る国際機関である。これに対して、自由貿易協定(Free Trade Agreement, FTA)は、みずからの国益を追求して拡大市場を作ろうとするもので、いわば一国市場の拡大によってリージョナルな市場を作るものである。「下からの自由化」を図る枠組みといえよう。両者はアプローチの方法が正反対だが、相互補完的である。国民経済はグローバル経済に直結するのではなく、リージョナルな経済を通してグローバルな経済に連なる。この意味で、東アジア世界に求められているのは、「開かれたリージョナリズム」である。

(1) ASEANの歩み

1967年8月、ASEAN6誕生。1975年、経済担当閣僚会議で地域内の経済統合を深める方向が提起された。1992年、ASEAN内自由貿易協定(AFTA)を成立させ、地域内産業協力AICOと、ASEAN投資地域AIAの形成を図り、拡大市場圏を目指す。近年はベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアを加盟させ、「すべての主権国家をメンバーとする連合体」ASEAN10になる。「ASEAN共同体」「東南アジア共同体」の呼称さえ用いている。

(2) ASEAN自由貿易協定(AFTA)

1992年1月に合意した。域内の水平分業体制を強化し、市場規模を拡大してスケールメリットを確保し、国際競争力を高める。共通有効特恵関税制度CEPTを決定し、2008年までに15年かけて輸入関税を5%以下にする目標を提起した。その後、目標年次を5年繰り上げて2003年とすること、農産物とサービスも自由化の対象とすることで合意。さらに1998年12月の首脳会議で2002年繰り上げを決定。2018年までに非関税障壁撤廃を決定(ベトナムなど4カ国は2006年を目標とする)。96年11月には産業協力スキームAICOを導入した。30%以上の現地資本をもつ企業が原材料や部品、完成品を域内から輸入する場合は、5%以下の優遇関税を適用する(AICOの適用例は2000年末現在、自動車関連59件、電子電気機械5件、食品5件など70件が認可されている。大半は日系企業)。

1997年通貨危機以後、保護主義が台頭し、2000年のチェンマイ会議で、関税引下げの一時停止が合意された。1990年12月、マハティール首相が東アジア経済協議体(EAEC)を、ASEAN10カ国と日中韓、台湾、香港で結成しようと呼びかけたが、米国が強く反対、日本も態度を明確にしなかったため、構想倒れに終わった。しかしアジア通貨危機後は米国の警戒感も消え、ASEANと日中韓の会議(ASEAN+3)が事実上EAECと同じ構成で定例化した。2000年11月に行われた(ASEAN+3日中韓)首脳会議で、日本、中国、韓国とASEANによるFTA構想が提案され、「東アジア・スタディ・グループ」において、その可能性も含め、検討されることとなった。

(3) ASEAN中国の自由貿易協定

2001年11月6日、朱鎔基首相とASEANの首脳会議が、ブルネイで行われ、中国とASEANは、「自由貿易協定(FTA)の10年以内締結」で正式合意し、事務レベルの交渉を立ち上げることで合意した。

(4) 日本シンガポールの「包括的経済連携協定」

小泉首相は2002年1月13日、日本-シンガポール間の「包括的経済連携協定」に署名するとともに、ASEANおよび日中韓、そしてオーストラリア、ニュージーランドをも含めて「東アジア拡大コミュニティ」の構築を提起した。ここで「包括的」とは、単に貿易、投資のみならず、科学技術、人材養成、観光なども含め幅広い分野での経済連携の意である。

(5) 東アジア・コミュニティの地理的範囲

以上の素描から明らかなように、東アジアにおける地域協力は、まずASEANからスタートし、ついでASEANプラス「日中韓3カ国」に発展してきた経緯がある。この経緯を反映して、日本では、ASEANとの協力を優先させる考え方と、より身近な日中韓を優先させる考え方とが対立的にとらえられることが多い。

森嶋「東アジア共同体」論は、日中韓(北朝鮮と台湾を含む)こそが東アジア共同体の核心であるべきことを明言した点で画期的である。日中韓の協力に始まり、これをASEANに拡大するのが素直な考え方であろう。むろんテーマによって同時並行があってよいし、あるいはASEAN先行があっても差し支えない。小泉首相は、さらにオーストラリア、ニュージーランドを加えた「拡大東アジアコミュニティ」構想を提起したが、これは(1)やり易いところから出発する。(2)開かれたリージョナリズムを目指す。この2点を意識したものと解釈されるが、範囲がここまで拡大されると、「東アジア」というよりは、「アジア太平洋」の呼称がふさわしい。

3.展望と提案

3-1.[信頼醸成]日中韓3カ国の相互不信は根深い面があるが、他方、各分野で積み上げられてきた信頼醸成の成果も広がり深まりつつある。たとえばワールドサッカーを通じた日韓の相互理解は恰好の一例であろう。酸性雨や黄砂を減少させるための環境協力も有効と考えられる。この種の「共同プロジェクト」を一つ一つ積み上げていくことが肝要である。

3-2.[共通の利益・経済発展と安全保障]理想は高く掲げつつも、共通の、現実的利益を得られるものからスタートするのが有効と思われる。東アジアの経済協力は日々進展しつつあり、域内の輸出依存度は50%に近づきつつある。他方、ポスト冷戦期の東アジア世界は、印パ対立の南アジアとともに、軍事費の伸び率が際立っている。経済の繁栄は安全保障なしには得られない。そこで「経済発展」と「安全保障」を車の両輪と位置づけることができよう。相互に経済的利益となる日中韓経済プロジェクトは何か。たとえば陸上における新幹線網や情報ハイウェイの整備によってインフラを拡充することは、共同プロジェクトの一例となろう。電子政府や電子商取引のための協議は喫緊の課題である。経済発展にはエネルギーの安定供給が不可欠である。このため共同のエネルギー資源開発やその備蓄基地も必要であろう。災害に備えた食糧や医療の共同備蓄も安心感、一体感を強めるであろう。安全保障協議体の焦点は、北朝鮮をいかに国際社会に導くかであろう。共同のテロ対策、海賊対策なども有効であろう。

3-3.[日中FTA研究会]具体的な提案を一つ。民間レベルで日中FTAの可能性と問題点を検討する常設の研究チームを日中両国貿促に設けてはどうか。東アジアにはさまざまなFTAがありうるが、日中両国のそれが核心にならなければ、ゆるぎのない土台を構築することは不可能である。

[参考]小稿では言及しなかったが、このテーマを考えるうえで有用な5冊を以下に掲げておく。1. H・ケルブレ『ひとつのヨーロッパへの道』日本経済評論社、1997年5月。

2. 大沼保昭編『東亜の構想』筑摩書房、2000年4月。

3. 増田祐司編『21世紀の北東アジアと世界』国際書院、2001年3月。

4. 総合研究開発機構東アジアチーム『東アジア回廊の形成』日本経済評論社、2001年9月。

5. 姜尚中『東北アジア共同の家をめざして』平凡社、2001年11月。

1. アジア太平洋の主な経済圏構想(『外交フォーラム』2001年5月号)

2. 東アジアの域内輸出依存度(資料:IMF, Direction of Tradeをもとに経済産業省作成