ベトナムに根強い対中不信感、李鵬訪越時にみた中越関係

『外交フォーラム』93年2月号、28〜33ページ

ベトナムにとって中国の影はとてつもなく大きく、

中越関係は歴史的な陰影に富んでいる。

両国の友好を示すべく李鵬中国首相が訪越したとき、

ベトナムを訪れていた筆者がみた中越関係の現状とは

旧臘日本国際フォーラムから派遣され、初めてベトナムを訪れた。同行者はベトナム問題専門家の同僚白石昌也教授、受入れ窓口は、外務省付属国際関係研究所であった。

一二月一日、ハノイ空港に着いたとき、滑走路には李鵬専用機が駐機し、ベトナム国旗と中国国旗が並んで掲げられていた。偶然だが、われわれの旅行は李鵬訪越(一一月三〇日〜一二月四日、「中越聯合公報」一〇カ条は『人民日報』五日付)と重なった。

ベトナムにとって中国の影は、由来とてつもなく大きいのだが、今回は否応なしに中越関係の一端を垣間見ることになった。空港からハノイ市内への入口でまずソンコイ河(紅河)にかかる大きな橋を渡る。出迎えた同研究所の所長代理氏がさりげなく言う。「昇竜橋です。李鵬首相も渡りました。元来は中国援助で作り始めたものですが、中国が援助を中止したので、ロシアから援助を受けて完成しました」。李鵬を迎えるベトナム側の態度は、あくまでもクールであり、中国の意図に警戒しつつ、表向き歓迎といった態度であった。李鵬のホーチミン市訪問の目的は元来は、中国総領事館開設(ベトナム側は広州を予定)のためであったが、ベトナム側の警戒心のゆえに、相互開設が先送りされたことは今回の李鵬訪越の限界を何よりも雄弁に物語っている。

一日の夕刻、ドンロイ・ホテルに旅装を解いて、スケジュールの打合せ。ベトナム側は当方の注文を最大限に取り入れ、ほとんどすきのない「ワーキング・プログラム」を用意してくれていた。出迎えの所長代理氏とともに個人経営のレストラン66でベトナム料理を食べる。ヤツメウナギのスープから始まるが、これはスープというよりも中国料理の「羮」、味は蛇羮に似ている。形はタウナギに似ていたが、後で生きているのを見せてもらったら、やはりヤツメであった。ビールはハイネケン、エビ、カニがうまかった。シクロにゆられてホテルへ帰る道中、師走のハノイの夜風は肌寒かったが、この乗物はなんとも風情がある。

一二月二日(水) 午前八時半、国際関係研究所を表敬訪問し、同研究所所長のタオ・フィ・ゴック大使(元駐日大使)と会う。「日本の円借款再開決定を大いに歓迎したい。この機会に越日経済協力が大いに発展することを望む」と期待はきわめて大きい。「日本への期待」は旅行全体を通じて、われわれを迎えた空気であった。続いて、ベトナムの外交政策と政治経済について、同研究所専門家たちと討論を行う。ベトナム側はまず越中関係を説明した。九一年一一月に国家関係を正常化した。一定の成果はあったが、困難もある。たとえば国境での密輸は大きな問題だ。トンキン湾、西沙、南沙諸島の国境問題は歴史が残した問題だが、最近、ネガティブな出来事が発生している。これはむろん、中国が係争地域の石油鉱区を米クレストン社に譲渡したことを指すが、この問題に対するベトナム側の表情はきわめて厳しく、国境での密輸問題と合わせて、中国への不信感を露骨に示した。ついで越米関係。米国と正常化が遅れているのは、いくつかの要因による。米国の保守派指導部はベトナム・シンドロームに患っている。MIA=AMERICAN SOLDIERS MISSING IN ACTION 、POW=PRISONERS OF WARの問題があり、カンボジア紛争も未解決である。ベトナム問題が米国の政治的課題のなかで小さな位置しか占めていないことも要因の一つだ。人道的問題については最大限の努力を払っている。クリントン政権は米国の産業界の利益のために対越政策をより積極化する可能性があるが、他方国内問題に忙しく、ベトナムというセンジティブな問題には手をつけない可能性もある。

越日関係。九一年の越日貿易は八・七億ドルである。輸出品目は原油、米、冷凍エビでど、輸入品目は機械設備などである。直接投資はECのシェアが一五%であるのに対して、日本のシェアは五%で小さい。当方の質問に対して、対ロシアの経済関係は最も低調、九一年には貿易協定も実施されなかったと指摘するとともに、カンボジア問題については、早く「悪夢」を忘れたいといった趣旨の説明があった。午後、UNDP(国連開発計画)の事務所を訪問し、ドイモイの現状について意見交換。のちAFP支局を訪ねて、米越正常化問題について意見交換。MISは主要障害ではなく口実にすぎまい。元ボート・ピープルからなるベトナム人のロビー活動が大きいのではないか、と覚めた分析あり。「フランスのコンピューター会社のマネージャーはほとんどがベトナム人だ。ベトナム民族はキュートだから、将来は大いに発展の可能性がある」といかにもフランス人らしいコメント。夕刻、日本大使館を訪問し、ベトナム経済および日越経済協力について意見交換。

一二月三日(木)ホテル裏の屋台でベトナム式メン(原料はコメ) を食べる。ハノイ大学留学中のF君によれば、この屋台のメンがハノイで一番だという。確かにホテルで食べたものと一味違うが、正直言って、その違いよりは、早朝のソバ屋に集まるベトナム人の表情に気をとられ、また生野菜を食べて回虫は大丈夫だろうか、などと心配したり、十分に味わうところまでいかない。八時半、科学アカデミー・アジア太平洋研究所に到着。ファン・フウ・バオ博士(日本研究課課長)、グェン・ドック・スー教授(副所長、哲学教授)と会う。ファン博士はモスクワ滞在一〇年という、いかにも有能な党員官僚の風貌。その有能さを買われて新設の日本研究組(研究所の創立は八三年、日本組の創設は九一年)の責任者になったようだが、日本語はできない。日本学の専門家が早く養成されることを望みたい。博士は研究所の概要、日本研究の課題と問題点を説明したが、特に興味深かったのは、地勢学(ゲオボリティーク) を強調したこと。ベトナムは歴史的、文化的に東アジア文化圏に属しているので、第一に日本、香港、台湾、韓国、中国との交流を深めたい。第二に東南アジアに属し、それゆえ東アジアと東南アジアの橋渡しができる。なるほど。東アジア文化圏とは、漢字文化圏、箸使用文化圏にほかならない。ベトナムが一方で、漢字と漢語起因の語彙を排斥しつつ、東アジア経済圏へのアイデンティティを主張するのは面白い(漢字、漢語排斥については朝鮮半島でも類似の現象がみられる)。アセアンとの関係についてベトナムは当面オブザーバー参加の地位が最も望ましいと感じているようだ。アセアンの正式メンバーになり、親しいつきあいをやると、一党独裁体制が維持できなくなるおそれがある。つまり体制の異なるアセアンとは、距離をへだてた関係を構築せざるをえないし、体制の似ている中国とは国益の点から距離を保たなければならない。これが「世界の孤児」ベトナムの今日的位相であるらしい。スー教授はいかにも中国哲学を修めた風貌だったし、かつて中国に留学したと聞いていたので、中国語で質問してみたが、返答はベトナム語であった。専門は「ベトナムのイデオロギー」だという。儒教や中国仏教の研究者が「中国哲学」といわずに、「ベトナム思想」を研究しているという言い方が面白いし、中国語ができるにもかかわらず使わないのも面白い。一週間の旅行中、私が中国語を話したのは、ハノイの書店でホーチミン市から来た華僑青年に「日本人か?」と話しかけられた時、歴史研究所の若い研究者と昼食した時だけだった。私は過去四〇年近く、中国語八割、英語一割、日本語一割程度の感じで外国人と話してきた。中国語を意識的に話すまいと努力する人々との対話は今回が初めてだ。大中華思想に呑み込まれまいと必死に格闘する姿を老教授の横顔に見た思いがした。私はかつて広東語を学んだことがあり、ベトナム語のなかに同じ響きの語彙をしばしば感じたのだが、意識的に中国語を避けることがベトナム人のアイデンティティ確保の方法なのであろう。

午後、国際関係研究所で経済担当副首相の顧問トラン・ドック・グエン氏が会見に応じてくれた。多忙な同氏がわれわれ二人のために二時間も経済状況を説明してくれたのは、日越経済協力への期待を込めてのことであろう。かつては輸入の三分の二、国家予算の三分の一を占めるほどの巨大なパートナーであった旧ソ連が崩壊したことは、ベトナム経済に大きな困難を与えたが、これをドイモイ政策で克服してきた。八九年以来、コメの生産と輸出が順調であり、九二年も一〇〇万トンを超える。工業生産も一五%の伸びを示している。二ケタ・インフレが治まったので、ボート・ピープルも停止した。問題点の一つは、年率二・一%=一五〇万という人口増もあって、失業問題である。財政の基盤が弱く、国家予算も赤字が続いている。経済の効率、特に国営企業の効率が悪い。法制も不備であり、インフラ建設が立ち遅れている。政府は一方で経済成長を図るとともに、飢餓をなくし、貧困を減らすための貧困対策に意を用いている。現在、GNPの三割、工業生産の五割が国営企業によるものだ。発電、鉄道など重工業では私営化privatization ではなく、活性化actionalization を追求している。企業の真の所有者とは誰なのか、所有と経営を分ける「契約制」や「責任制」を模索している。ドイモイはシンクタンクのアイディアによるというよりは、各経済単位の知恵を結集したものだ。ドイモイはtop downではなく、botom upのやり方で行われている。食糧の小売は政府取扱い分は二割、八割が民間ルートによる。いまや国営商店の看板の下で私営商業が繁栄している。株式市場はまだ作っていない。破産法もまだ考えていない。健康保険はいまモデルを試験中である、などなど。説明のあと、密輸、汚職対策などについて質問した。日本への期待を聞いたところ、技術移転や直接投資により、国際市場で競争力をもつ製品を作ってほしいとのことだった。「直接投資による雇用創出効果は必ずしも大きくないが、関連需要を含めると、その波及効果は大きい」。最後にこう皮肉った。「日本のビジネスマンは視線は長いが、足のステップは短いようだ」「ココム規制による制約は分かっているが、対象外の技術も多いはず。より柔軟な政策を期待したい」と。夕刻、ホテルへの帰途、李鵬訪越に合わせて開かれている中国展を見た。テレビや電器炊飯器、自転車などが黒山の人だかりになっていたが、目立つ箇所に置かれた宇宙ロケットの模型や航空機、乗用車に関心を示す者はいなかった。中国の消費財に対する熱い眼差し──これこそ密輸の需要要因である。会場を出たとき、ラウドスピーカーの音楽が変わった。おやと耳を傾けると、なんと「モスクワ郊外の夕べ」ではないか。中国展の会場でロシア音楽を流すとは、ベトナムのバランス感覚も徹底している。これはまさに中国傾斜を警戒する自己抑制なのであろう。夜、レストラン75で某氏の招宴。初めは自宅に招く計画だったが、家具が整わないからと妻が乗り気でなかった、と同氏は弁解した。なるほど外国の客を自宅に招くことが困難なのは、日本の場合と似ているのかもしれない。料理はヤツメウナギのスープに始まり、フルコースである。特に珍しかったのは、コメ糊のセロファンでシャブシャブの肉や野菜を包んだもの。紙包鶏に似て、紙も食べられるという仕掛けだ。

一二月四日(金)八時半、国際関係研究所で講演。まず白石教授が「日本の対ベトナム政策」と題して、確かな英語で見事なプレゼンテーションを行う。コーネル大学に留学しており、またベトナム研究者としてベトナム側のニーズも的確に把握しているからこそできる芸当だ。聴き手はほとんど百%満足したのではないかと感じられた。さて困ったのは私である。「中国の対東南アジア、ベトナム政策」という課題を与えられたものの、外交問題は素人だ。それに、幾度かあらかじめ用意した英訳を読み上げるスピーチの経験はあるが、即席の講演はやったことがない。とはいえ過去二日間の密度の濃い学術交流の過程で、ベトナム側の問題関心がある程度分かったので、あえて清水の舞台から飛び下りる決心をした。小平時代の国際情勢観の変化を説明し、そのなかでアセアンやアジア・ニーズがどのような位置づけに変化したかを、一人当りGNPや貿易額を挙げて説明した。中国の領海法に触れたところ、さっそく質問が飛び出したのでこう補足した。領海法に尖閣諸島が明記されたことについて日本政府は抗議した、また南沙問題について日本のマスコミには概して東南ア側への「判官びいき」が見られる、と。

国境に近い憑祥、東興、南寧を中国が開放都市に指定したことは、ベトナムから見ると「密輸容認」措置に近く、これには国境警備、徴税強化で対抗するという。そこで、こう示唆した。実は中国も開放政策の初期に香港や台湾からの密輸が問題になった。ベトナムではドイモイの結果、人々の収入が増えたのに政府は消費財の供給を保証できていない、これが密輸の背景のはず。政府はむしろ積極的な緊急輸入をやり、密輸業者の手に入る利潤を掌握したらよい。継続的な需要の見込めるものは外資との合弁企業で国産したらよい。中国製よりよい商品を作り逆輸出したらどうか、と。最後は、質問というよりは対中不信感の吐露である。中国は「口で言うことと実際の行動が正反対だ。しかもこれは長年来、少しも変わっていない」。そうか、中国が微笑外交を続けた開放政策の一〇余年はベトナムから見ると敵国同士の対決なのであった。「変わらない」と彼が強調したので、旧ソ連解体、湾岸戦争は中国にかなりの衝撃を与えたはずだと指摘したところ、先方はニヤリ、議論はこれで時間切れ。

ベトナムの総括的印象は、七九年に中国の田舎町を旅行した時の雰囲気に酷似している。ただしオートバイは、はるかに多い。人口七〇〇〇万弱、規模が小さいから中国よりはコントロールしやすいはず。はずみがつけば、中国より離陸しやすいかもしれない。ハノイ市からハイフォン港までの往来風景、ハイフォン市の縫製工場、エビ冷凍工場などで脳裏を去らなかったのは、華南地方との類似性であった。水田風景、住宅のたたずまいなど農村風景は寸分違わない。他方、ベトナムの農村はまた二〇年前、タイ、マレーシア、インドネシア、そしてフィリピンの農村をぶらついた体験をも想起させた。人々の表情はやはり中国人のそれと異なる。特に女性の身のこなしがそうだ。ベトナムは現代史で最も長く戦争を続けた国である。ベトナムの諺でMisfortune doesn't come alone .とは相次ぐ不幸の意だと聞いた。禍を転じて福とするよう祈らずにはいられない。