『アジ研ニュース』

94年1−2号、35ページ

アジ研地域研究と私

アジ研での「原始的蓄積」

アジ研で研究させてもらった期間よりも、やめてからの時間が二倍の長さになった。私も馬齢を数えたが、アジ研も変わったようだ。アジ研をやめた当時、まだその名はごく一部の人びとにしか知られておらず、前職の説明にかなり苦労したことを覚えている。この頃は様変わりだ。「アジ研におられたそうですね」と挨拶されることが少なくない。いまや私の勤務先(大学)よりもはるかに名が通っているらしく、講演会などのおりにそちらを強調して紹介され、とまどうことがいくどかあった。研究者としての実力を身につけた若い人びとが世界情勢が激変するなかで、社会的需要に十分に応えていることを示唆するものであり、慶賀に堪えない。

ただし、苦言がある。最近会ったある経済誌の編集長氏は、もう絶対に原稿を依頼したくない書き手がアジ研に四人いると断言した。理由を聞くと、締切をスッポかす、催促に対して横柄な態度をとる、書いた内容が手抜きである、などなど悪評が一気に飛び出した(売れっ子が舞い上がる気持ちは分かるが、墜落もしますよ。むろん老婆心)。

顧みると、アジ研で受けた学恩はたいへんなものがある。私は研究者としての「原始的蓄積」をアジ研で行なった。東畑会長や小倉所長、そして滝川部長など高い見識をもつ農業経済学者諸氏から多くのものを教わった。むろん先輩や同僚から学んだものも多い。数えあげるとキリがないが、特筆大書すべきは、途上国研究はまず当該国・地域の言語のマスターから始めよ、という教えである。先進国の方法論と言語で書かれた書物の研究はむろん必要だが、方法論の普遍性はどうか。書物にまだ書かれるに至っていない世界があるはずだ。そのほうがもしかしたら書かれた事柄よりもはるかに重要かもしれない。途上国の人びとの実際の生活を調べることから初めて、書物を批判的に読め。それゆえアジ研の若者はすべからく途上国に赴き、そこで生活し、生活のなかから学ぶべし。

キリスト教徒の目でアラブ世界を見ると偏見を免れまい(逆も真である)。豚肉を好む人びととこれをタブーとする人びとはいかに共生できるのか。私は経済学の普遍性を再考することから初めなければならなかった。社会科学や人文科学がどこまで「科学」でありうるのか、グローバルな普遍性を主張する学問方法論の「普遍性の限界」を確かめること、いいかえれば当該地域はどこまで特殊なのかを考える必要に迫られた。

遊学生活は、米中対決、中ソ対決下の中国研究をシンガポール南洋大学から始めるという回り道になった(中国当局は当時、アジ研の研究者を「反動政府の手先」とみて、入国を認めなかったからだ)。シンガポールと香港で過ごした海外派遣員の生活は快適であったが、私の主たる関心は中国大陸にあり、周辺での生活は隔靴掻痒は否めない。とはいえ「禍福はあざなえる縄」とは、古今の真理である。

私は鎖国する中国に入れなかったおかげで、開国を急ぐ中国の事情は手にとるように理解できたのである。ケ小平路線はまもなく一五年になる。この間、開放政策の展開は「風は南から」であった。私はいわば風が吹き出す風源で暮らしていたわけであり、風圧や風速を体感できたのは幸いであった。