「天安門」から5年

『産経新聞』インタビュー(聞き手は外信部杉江弘充氏)1994年5月28日〜6月3日

(1)中国にとってショックは小さかった

――天安門事件から早いもので、もう五年です。

矢吹 アッと言う間の五年間でしたね。しかし、事件直後、私は中国がこんな短期間にこんなに発展するとは思ってもみませんでした。事件後、中国は国際社会から厳しい制裁を受け、経済的なショックは計り知れないものがありましたからね。武力鎮圧をしたことで、民衆の反権力意識が非常に強くなっていけば政治も不安定になってしまう。正直に言って、お先真っ暗、かなり悲観的な見通しを持っていたのです。

――確かに、事件後の中国の経済発展には目を見張るものがありますね。

矢吹 この五年間を経済的に見ると、天安門事件の八九年から九一年までの三年間はだめでした。ところが九二年、九二年はものすごくいい。成長率が九二年は一三%、九二年は一三・四%だった。外資がどっと入り込んだんですね。七九年から九一年までの十二年間に五百二十二億がでしたが、九二年は一年間だけで五百八十億ドルです。つまり、十三年分の投資をたった一年で上回ったことになります。さらに、九二年は何と一千百億ドルでした。

――海外からの投資が急増したわけは?

矢吹 八〇年代はアジアNIES(新興工業国。地域=韓国、台湾、香港、シンガポール)、その後は「三匹の虎」(インドネシア、マレーシア、タイ)が脚光を浴びましたね。しかし、 「三匹の虎」も人件費の高騰などがあり、日本など世界中の資本が新たな投資先を求めていました。中国国内で投資環境が整い、資本を引き付ける要素があり、他方で、投資先を探す動きがある。これが結び付いたのが九二年だったわけです。

もう一つの大きな要因は九二年春のケ小平さんの南方視察をきっかけに、中国の経済政策の方向が変わっていったことでしょう。

――こうした経済の動きには、天安門事件の後遺症はないのでしょうか。

矢吹 その前に、事件そのものについてお話ししたい。事件は、その後も誇大な受け止め方がされているようですね。中国の内部からみると、あの時の民主化運動で本当に動いたのは一部の学生や知識人だけであって、農村は関係なかった。労働者も参加したけれども、一部だった。戒厳令が出てからは特にそうです。あの発砲にしても、群衆がバスを道に並べて火をつけたため、人民解放軍は素手で突破できなくなり、やむを得ず行った、という感じでした。

火が出て派手な市街戦のように見えたんですが、私は自分の調査の結果として、天安門広場での虐殺はなかったと考えています。実際の騒ぎで死んだのは長安街での衝突の三百数十人だけだった。

確かに、この死者数の持つ意味は重いのですが、中国は発展途上国であり、まだまだ多くの矛盾を抱えているのが現実です。そういう国柄ですし、事件はそう大きなショックではなかったようです。現実に今、中国の多くの人の関心は民主化ではなく、経済に向けられているではないですか。(5月28日付け)

(2)いろんな意味で強運のケ小平

――中国で、 一九九二年に経済政策の方向転換があったと指摘されました。

矢吹 ええ。その背景には、天安門事件後にしぼんでいた「改革・開放」政策を復活させたいというケ小平個人の強い希望と、ソ連の解体という大きな動きがあったと思います。ケ小平氏は九一年春に上海の市長だった朱鎔基を副首相に抜てきしました。李鵬(首相)や江沢民(中国共産党総書記)は秩序の安定という点では役に立ったけれど、「改革・開放」というのはどうも一生懸命やらなかった。朱鎔基の抜てきで、「改革・開放」の復活は近いとみていました。

そういう動きが中国で始まったとき、ソ連で保守派クーデター(九一年八月)が起き、暮れにはソ連共産党が解体してしまった。

――世界最大の社会主義国家の崩壊は大きなショックだったでしょうね。

矢吹 中国の指導部は中途半端な「改革・開放」は結局、ソ連のペレストロイカ(改革)の二の舞いとなり、中国もソ連と同じ道を歩むことになると思った、と私は見ています。

九二年旧正月前にケ小平は南方行脚をしました。この年は秋に党大会(第十四回中国共産党大会)が準備されていました。大会での方針決定は、どういう代表を大会に送り込むかということで大体決まってしまう。省レベルの代表選出は春です。そこで、deng小平は春に遠出をして、「改革・開放」の旗を振るというパフォーマンスをやったわけです。それがきっかけになって、「改革・開放」復活の局面が一気に出てきたのだと思います。

――あのときは、ケ小平の政治指導力の大きさが改めて示されましたね。

矢吹 九一年の朱鎔基抜てきからケ小平による軌道修正が始まりましたが、保守派の抵抗とソ連の解体でいったんは挫折した。そこで、ケ小平の大芝居が登場したわけです。行脚の大芝居も、文化大革命をやる前に、毛沢東がちょっと雲隠れして揚子江を泳いでみせて、「おれは元気だぞ」とやったのと似ている。

――そして、行脚の結果、局面がガラリと変わりました。

矢吹 ケ小平は本当にいろんな意味で、悪運が強いと思いますね。ソ連がつぶれてしまったおかげで、中国もああなっては大変だとみんなが思った。民衆の生活を豊かにするために「改革・開放」を思い切ってやるということで意見が落ち着いた。その半面、政治面の民主化を急ぎ過ぎると、ソ連のようになって元も子もなくなってしまう。政治の枠は動かさないで、市場経済を密輸入して、なし崩し的に計画経済を変えていくということになった。

旧ソ連の解体は、今お話ししたようなケ小平の政経両面でのやり方に、お墨付きを与えるという結果になってしまったんですね。

ケ小平の経済改革のやり方は実に巧みですね。国有企業改革を一時、棚上げするという迂回(うかい)作戦を取りました。国有企業退治をいきなりやれば、国有企業こそが社会主義の柱であると考え、現状維持を強く望む保守派につぶされていたと思います。

そこで、ケ小平はまず、郷鎮企業や合弁企業を奨励した。合弁企業は近代的なマネジメント・技術の企業モデルになり、郷鎮企業は雇用の機会を拡大した。現在、 「合弁企業、郷鎮企業の活力を学べ」と、国有企業改革を行う口実ができたわけです。(5月29日付け)

(3)中国は今、明治の女工哀史の時代

――中国は天安門事件で経済制裁を受けたが、現在、経済的に立ち直った、と前に、指摘されました。

矢吹 事件後の日本の中国に対する経済援助再開について、まず、お話ししたい。日本政府はあのとき、「日本の場合は他の先進主要国とは事情が違う。歴史的な関係がある」とか言って、アメリカあたりに気兼ねしながら日本一国で円借款を再開しましたが、私は、あのときの日本政府の措置は正しかったと思います。

――なぜですか。

矢吹 日本は特殊な立場だからということを口実にして、何とかなし崩し的に援助再開をやろうとした。「こういうやり方は良いことだ」と理屈をつけないでやった。世界に先駆けて、日本政府が経済援助を再開した背景にはこういう考えがあったのではないか、と考えています。

つまり、こういう比較をしてみてください。ヨーロッパの人にとっての旧ソ連と日本にとっての中国というのは似たようなものです。両方とも共産主義ですね。で、日本もヨーロッパも、旧ソ連や中国に早く共産主義をやめてもらいたいと思っている。ヨーロッパはやはり旧ソ連が怖いから、旧ソ連を何とか救済しようとするわけですが、資金不足で日本にまで「カネを出してくれ」なんて言ってきている。それはともかく、日本としては「中国に内政干渉はしない。しなくても、市場経済化を助けていけば、いずれ中国の政治体制も自然に変わるだろう」とみんな思っていました。

――和平演変(平和的手段による社会主義体制の転覆)ですね。

矢吹 そういうことです。日本の対中国政策は政経分離なんですね。中国の考え方が変わるのを待つ。かなり遠回しの時間をかけた作戦というわけですね。中国に対して制裁強化を主張した人は、中国にショックを与えて一気に政治体制を変えようと考えたのでしょうが。ブッシュ前米大統領は中国のことがかなり分かっていたから、日本が円借款を再開することに理解を示していましたね。

――広大で歴史のある中国の体制を一気に変えるこ一とは無理でしょうね。

矢吹 今の中国はまだまだ発展途上国で、いろいろな矛盾を抱えています。餓死者がいたり、人身売買があったり、文化大革命の最後には人の肉を食って宴会をしたといううわさもあるような国ですからね。非常に荒っぽい、資本主義の初期段階、日本で言えば、明治の『女工哀史』の時代でしょ。最近、深センで火事があって部屋のカギがかかっていて女子工員たちが逃げられなかったんでしょ。まさにタコ部屋そのものだ。そういう状況なんですね、今の中国は。

民主化派の人も、天安門事件の時点では運動の結果がどうなるのか分からないから、やってみたんでしょうが。やった後の結果として成果があったといえばあった。しかし、その一方では犠牲もあったことを強く認識しているわけですね。

結局、経済のほうで飯が食えればよいという方向に変わっていった。スケールは小さいですが、六〇年安保闘争で、政治の季節になったんですが、その後、池田内閣の「寛容と忍耐」で高度成長になって、経済の時代に展開していきましたね。それと似たところがあるのではないでしょうか。これが中国の現実の姿だと私は思います。(5月30日付け)

(4)農民の大量出稼は経済にプラス

――最近、インフレが進むなど経済事情が悪化し、天安門事件前と似てきたという声もありますが。

矢吹 私は基本的に似ていないと思っています。消費財の供給状況が当時とは全く違いますね。

一番大切な食糧ですが、去年は史上最高の四億五千六百万トンでしょ。絶対量としてあるから、餓死者は出ない。ただ今は豊作貧乏なのです。市場経済ですから、豊作になると価格が安くなる。収穫はあるのに、実際の所得にはならない。これは農民にとっては不満でしょう。しかし、それは相対的な欲求不満であって、食糧そのものがなくて困るというような問題とは異質のものですね。

今、農村で問題になっている「白条」(空手形)というのがあります。せっかく売ったのに政府が代金を払ってくれない。しかし、騒がれていますけれどね、実際にはそれほどひどい状態ではないと思いますよ。中央政府は必要な農産物買い入れ資金を地方政府に流しているはずですし、地方政府や地方の銀行が流用しているだけ、焦げ付いているだけですよ。もっとも、少しでもあってはならない話ですけどね。

似たような話で、出稼ぎ先から送られてきたカネが郵便局で勝手に流用されている。これは明らかに経済犯罪ですよ。しかし、この問題も一部で騒がれているだけで、社会全体を揺るがすような深刻な問題にはならないでしょうね。

――インフレはどうですか。

矢吹 去年、消費者物価では一四、五%ですから、都市は二、三〇%ですか。食生活が大変高度化していて、一般市民も良質で値段の高いものを買うようになった。これも物価上昇に影響していると思います。大連で作っている日系企業の食用油は以前は現地の油と混ぜ合わせて、質は良くないけど安い製品を売っていた。ところが、最近は高いけど、日本と同じ良いものが売れるようになったというんです。中国人が生野菜を食べるようになったからです。ですから、私はインフレそのものにはそう、心配していません。

――ところで、中国国内でも経済格差が問題になっていますが。

矢吹 確かに問題ではあると思いますが、日本人はどうも、この問題を強調し過ぎるような気がしますね。中国は建前として平等を口にしていますが、大部分の人はそんなことは信じてはいないのです。

例えば、今、上海は建設ブームですから、四川省の農村から労働者が出稼ぎに来ていますね。しかし、彼らは上海のメシなんてまずいと思っているんでしょう。四川からわざわざコックを連れてきて、上海の作業中宿舎で四川料理を食べているんです。自分たちは上海の市民と同じような生活をすべきだとか、格差があるのはおかしい、なんて思っていないのではないですか。自分は四川の人間で上海に働きに来たというだけ。言葉は通じないし、外国に出稼ぎに来ているのと同じ気分なんでしょう。

「盲流」、職探しで農村から都市にどっと農民が流入していますが、私はこれは良い現象だと思っているんです。所得再分配に貢献しているし。経済格差は水と同じで、高いところから低いところへ流れる。経済活性化にとって、プラスになっているわけで、経済格差に対する不満は市場経済化の流れに乗れない人の恨みごとでしかない。私は経済格差も深刻な社会問題ではないと思っています。(5月31日付け)

(5)事件前よりひどくなった役人の腐敗

――前回、インフレや経済格差は重大な問題ではないと指摘されましたが、急成長中の中国には深刻な経済社会問題はないのでしょうか。

矢吹 いや、役人の腐敗は重大ですよ。「官倒」、役人の悪質なブローカーですね。天安門事件前に比べるとひどくなってきている。腐敗そのものは事件前よりも全体的に悪くなっているのではないでしょうか。

この腐敗は構造的に非常に大きな問題を持っています。一党独裁というのは政治的安定を獲得するということには大変役立っている。だから、中国もこのように経済発展をすることができたわけですね。日本のことを考えると、分かりやすい。自民党が長く政権に座っていたから、日本経済は発展し、その一方では腐敗や汚職が生まれた。

――「一党独裁の中国」では共産党幹部の権力が絶大ですね。

矢吹 もともと中国共産党はマスコミのチェックも議会の監督もない。官僚と政治家と司法が一緒になっている。司法の独立がないわけですから、どうしようもない。それに、中国共産党は自民党なんかよりもはるかに大きな権力を持っているから、腐敗が当然生まれてくるわけです。

民衆の不満は大きいですね。こういった不満が爆発すると、すぐに反権力の動きに結び付きますから、これは非常に困る。腐敗防止や追放対策を真剣にやらねばいけません。下のほうではなくて、巨悪というか上のほうに対してしないと。

しかし、私はいくら対策を行っても、全部がきれいにはならないような気がしています。政府や党の自浄能力ということに期待したいのですが、もともと、そでの下が大好きな民族ですからね。あまりこれは期待できません。それに、アジアの多くの国ではパスポートの中に十ドルを入れておくとすんなりと通関できることがあって、わいろなんかには、通行税や潤滑油的な一面がありますからね。

――ところで、中国の公害が深刻になってきている、といわれていますが。

矢吹 ええ、問題になっていますね。私も重大な関心を持っています。しかし、公害問題はある程度、自分の身に降りかかってきて、痛い目にあわないとだめですね。そうならないと、なかなか真剣には取り組めないところがあります。日本でも学生などが水俣病なんかで抗議行動を起こしたりしましたが。中国はあまり質の良くない石炭を使っていますからね。今の酸性雨や大気汚染なんかがもっとひどくなって、市民から「もう我慢ができない」という声が出てくるような状態にならないと、政治問題にまで発展しないし政府も動かないところがある。

中国政府も日本など先進国の公害対策の経験を知識として持っているでしょうが、予防措置については期待は無理でしょう。

――今の中国は金もうけに忙しくて、公害対策どころではないようですね。

矢吹 そうなんです。日本の酸性雨の原因が中国の排煙にあるのなら、脱硫装置設置の費用をよこせ、と日本に言ってくるんですからね。このまま公害が進むと、中国の自然環境は取り返しがつかなくなります。国土が疲弊して気が付いたときは、手の施しようがない、ということにならなければよいのですが。私はこの公害問題に関しては、悲観的なんです。中国の将来の最大の問題は政治や経済の話ではなくて、この公害問題になるかもしれませんよ。(6月1日付け)

(6)市場経済化で変わる中国社会

――中国のテイクオフ(発展途上国の経済的離陸)は可能でしょうか。

矢吹 中国は、たとえて言えば、巨大なジャンボ機です。華南経済圏の広東省辺りに一つ、上海辺りに一つ、それから大連など環渤海湾に一つと、合計三つぐらいのエンジンで、中国というジャンボ機を離陸させようとしているわけです。エンジンは今、かなり回転してきたところでしょう。

難しい問題はたくさんありますが、ここにきて、テイクオフについて、将来うまくいく可能性が初めて出てきた、と私は思っているのです。中国もあと数年、今世紀末から来世紀初めまで、今の形で政治的安定と経済の発展が維持できれば、そして、みんながエコノミックマインドを持つようになれば、中国の飛躍的発展の可能性が出てくるのではないでしょうか。

私自身は、中国の、九二年以降のこれだけの変化を予測していたわけではありません。ただ、天安門事件当時、虐殺をあまりにも過大に評価することには少し違和感があったぐらいです。 「今は中国は大変だけど、先のことは分からない」というのが当時の正直な気持ちでした。

――世界には、今後の中国の飛躍を予測する声が多いですね。

矢吹 戦後、何とかやってきた韓国や台湾、東南アジア諸国連合(ASEAN)などに比べると、中国のほうは国は大きいし、人口は多いし、格差も大きい。アジアのどの国と比べても、厳しい条件を持っていますね。しかし、結局のところ、長い目で見ると、アジア新興工業国・地域(NIES)は同じように、これまで伸びてきている。私はここに、どうも深い意味があるような気がしているのです。

世界銀行が昨年、『東アジアの奇跡』という報告を出しましたが、日本やフォア・ドラゴン(四匹の竜=韓国、台湾、香港、シンガポール)を中心としたアジアの八つの地域が、一九六五年から九〇年までの二十五年間にわたって、成長率が世界一だった。しかも、その成長の過程で格差が縮まった、どこの国でもそうだ、というのです。これは注目すべきことだと思いますよ。

国によって程度の差はありますが、日本は格差が一番縮まっているでしょう。地域別で沖縄と東京の格差はざっと一対二。中国は今、一対七でしょう。その昔は一対一五だったんですが。第二次大戦後、アジアのこうした国々には大衆消費社会が現れて、賃金が平準化し、消費の内容も平準化してきた。

――大量生産、大量消費が生活を平均化してきたのでしょうね。

矢吹 そうです。で、これまで日本がリードする形で、東アジア全体がこの方向に動いてきた。そして、 経済飛躍、大量生産、平準化という動きが今後、中国にも現れてくるのではないでしょうか。

中国でも市場経済化がこのまま発展していくと、社会そのものがかなり根底から変わってくると思います。そして、それはマイナスの変化ではなくて、市場経済の発展に対応して人間が変わっていく。上からの命令でいやいや動いた人間とは違った、新しいタイプの人間の社会になっていくわけですね。

それは、社会全体としてみると進歩している。前の食べるだけの段階を終えると、中国にも次に民主化の段階がある、というふうに考えてよいのではないでしょうか。(6月2日付け)

(7)政治改革の前に、まず経済発展を

――近い将来、絶大な指導力を持つケ小平氏が不在となったとき、中国は混乱するでしょうか。

矢吹 ケ小平以後も、中国は大きな混乱を避けることができるのではないか。私はそんな印象を持つようになりました。大ききんとか天変地異がなくて、農業生産がきちんとあれば。経済政策を間違えず、このまま市場経済化が進んでいけば、ケ小平不在のショックは乗り越えられるのではないか、という気がしています。

――いつごろから、将来に希望が持てそうな状況が現れてきましたか。

矢吹 九一年あたりでケ小平が不在になったら、危なかったかもしれない。保守派がソ連の二の舞いは困るというんで一気に力を握って、その結果、改革がかなり後退してしまったかもしれませんね。しかし九二年にケ小平の指導で「改革・開放」の本格再開に成功し、九二年、九三年と外資がどっと入ってきた。この中国ブームで流れが決定的になったと思いますね。

ソ連の混乱を見て、世界中が中国にはソ連と同じようになってもらっては困ると考えるようになったのではないですか。今のように、比較的安定していても、これだけ中国から海外に民衆が流れ出したりして問題になっている。これで中国が乱れたら、どうなるか。何十万人、何百万人の流民が出てしまう。そうなれば、「アジアは世界の成長センター」なんていう評判は一遍に吹っ飛んでしまいますよ。

中国には弱い面がいっぱいあります。だからこそ、何とか安定を保ちながら、弱い面を克服しながら経済発展していく。そういう今の中国の生き方を、世界がサポートしていくという体制になってきた。そのあたりの状況から、私は中国が何とかなりそうだ、と判断しているのです。

――しかし、世界中が必ずしも中国を支援する姿勢ではない。米国は人権外交で圧力をかけています。

矢吹 米国はそういった中国の実情が理解できなくて、自己満足のために人権外交を押しつけているんですよ。アジアでは食えるか食えないか、これが一番重要なんです。言論の自由とか、宗教の自由なんていうのは、もっと先の話ですね。空腹のときに、言論も宗教もありませんよ。

先進国に少し近づいてきた段階で、なりふり構わず働いている人たちに向かって人権なって言ったって、仕方がないでしょう。

――中国の資本主義化の激流のなかで、共産党の命運はどうなるのでしょう?

矢吹 共産党はすでに秩序維持のための党になっていますよ。社会主義も、もう看板だけで、店の中には社会主義の商品は何もないのですから。共産党と言っても、中身は中華ナショナリズム党ですよ。

中国にとって、将来像のいい見本は韓国と台湾でしょう。韓国や台湾は強権政治の下で高度成長を達成した。その結果として生まれた中産階級を軸に経済的な基盤がつくられ、政治的には台湾で野党が生まれ、韓国では軍政から民政へ転換する。つまり、経済発展を先にやり、中産階級という民主主義時代の担い手ができてから、政治改革、民主化に着手した。いわゆる開発独裁ですね。

中国と韓国や台湾ではサイズがかなり違いますが、同じ手法でうまくいくのではないか、という気が私はしています。

矢吹晋(やぶき・すすむ) 昭和13年、福島県生まれ。東大経済学部卒後、東洋経済新報社、アジア経済研究所を経て昭和60年から横浜市立大商学部教授。中国経済、現代中国論。『文化大革命』『保守派VS改革派―中国の権力闘争』『ケ小平』など著書多数。