インタビュー、原載 KEIHIN TREND,April 1995,No.19,pp.11−16

中国・明日のシナリオ、動静利を離れず

文責 編集部

[矢吹まえがき。これはインタビュー内容を素材として編者が構成したものであり、矢吹はその内容をチェックしていない。編集者が矢吹の発言に仮託してみずからの日本論を展開した趣きが強い]

ケ小平はよく最後の皇帝になぞらえられる。皇帝すでに米寿を二歳上回る。起きあがり小法師の異名をもって、一二億の民に君臨した権威も年月の浸食の前に衰えを隠せない。鹿誰の手に死するか、の憶測が飛び交うことになる。新聞はケ小平以後を頻繁に載せる。書店には大分裂、大崩壊の類のタイトルの本が並ぶ。「求心力を失った中国は群雄割拠して分裂する」「老権威のタガが外れた途端に大崩壊が始まる」「中国と台湾が衝突する」「動乱は中国のみならず世界に深刻な影響を及ぼす」「Xデーはいつか」などとセンセーショナルである。

専門のチャイナ・ウオッチャーの間でも危惧の念が強い。指導部間の権力闘争で分裂・動乱に走ると見る。米国防総省の委託研究は分裂の可能性を五〇パーセントと予測する。二桁に達したインフレの昂進、沿海部と内陸部、都市と農村の経済格差の拡大、農業の停滞、農村人口の都市への流入、貧富の対立の激化、治安の悪化、汚職の瀰漫、漢族に対する少数民族の反発、などの山積する問題からくる不満がケ小平という重石が無くなることにより一気に爆発する、と分析する。

猫に戻った中国人

誰もが危急を言うなか、矢吹晋、横浜市立大学教授は楽観を明言する。理由として大きく二つをあげる。一つは後継体制の完了である。ケ小平はこれまでに段階的に権限を江沢民に委譲してきた。党総書記、中央軍事委員会主席、国家主席などの要職は現在、すでに江沢民総書記に移されている。垂簾聴政とは遠隔操縦のことだが、ケ小平は九四年の四中全会(党中央委総会)以降、重要問題に関与することをやめている。江沢民はケ小平の干渉なく政治を動かしている。彼の席勢を窺って拮抗する人物も見当たらない。李鵬首相は天安門事件の影を引いて国際社会における印象が悪い。喬石全人代委員長は政法委書記兼務を離れ実権から遠ざかった。李瑞環政協主席の権能は限られる。朱鎔基副首相は経済に忙殺される。辣腕の人だけに敵対する人も多い。劉華清軍事委副主席は高齢である。民主化グループから復権を期待される前総書記・趙紫陽氏も七五歳の晩歳である。体制的にも人物の上からも後継者問題の起こる余地は見えない。

江沢民総書記が衆に抜きんでた指導性、カリスマ性を帯びないだけかえって、集団指導体制としての結束の力学が働き権力闘争に走ることを掣肘している。

いま一つの理由は市場経済の定着である。市場経済は政府の政策としてという以上にすでに人心のなかに根を下ろしている。ケ小平の「黄色い猫であれ、黒い猫であれネズミを捕るのが良い猫だ」の猫論は、世界に膾炙する(人口を経る間に黄色い猫はいつか白猫に化けた。中国人にとって市場経済とはネズミの追求に他ならない。手段がどうであれ金というネズミを捉えることである。もともと利に聡い民族である。

持って生まれた資質としてネズミを追求する感覚と才能をそなえる。社会主義の体制の下に一度、それにタガをはめる教育を受けた。五千年の長い歴史に育まれた血である。五〇年位の教育では消しようがない。ケ小平にとって金儲けは良いことと本来の資質の覚醒を促されて以来、ネズミを追って今日に至っている。中国人は本来の猫に戻ったのである。起こされた利を求める猫感覚は二度とは眠らない。

荘子に動静不離於理、の言がある。立ち居振る舞いが道理から外れないの意である。利というネズミを捕らえることが社会の道理になっているのである。上記の言はあるいは次のように変えた方がよいかもしれない。

動静不離於利。市場経済とは、ルールのなかでの自己利益の最大限の追求である。本質としてどこまでも利己的なものである。成熟にいたるまでには行き過ぎもある。この場合の修正は勿論あるが、利を道理とする軌道から大きく外れることはない。確かに問題は多い。例えば中央政府と地方政府との財政の分配である。市場経済で躍進する広東省などは中央政府に稼ぎを渡すことに鬱屈がある。同時に沿海部の発展は内陸部の労働力、資源あってのこととの認識もある。配分の綱引きはあっても直情的に独立に走ることはありえない。中央と地方の対立という図式では軍の存在もある。地方経済圏と地方軍区との結び付きである。例えば華南経済圏と広州軍区が一体化して中央に対抗したら事は重大である。中国政府は勿論、この危険性を承知している。頻繁な人事異動を行うことによって、癒着の回避を計っている。

江沢民は総書記就任後、多数の上将を任命、将軍千人体制を進め、軍における自分の支持基盤を広げている。腐敗にも厳しく対処している。

過日は、密輸を行っていた山東省軍区の副司令官が自裁に追い込まれた。つい最近は、中国でも最大規模の企業集団、首都鋼鉄総公司の会長、周冠五が更迭され、その長男゛周北方が逮捕された。首都鋼鉄総公司、周一家とケ小平、万里などの長老と密接な関係があり、その支持を受けていた。インフレの昂進は問題だが、高度成長期に物価が上昇するのは自然のことである。物価は上がっているが、所得はそれを上回って伸びている。問題はあるが、問題を問題とする認識があり、それに対する手は打たれている。

シンガポール・香港経由中国

矢吹教授の楽観とそれを支える論拠は、長年にわたる中国観察に裏付けられる。中国要人達との直接の対話によって育まれた勘もある。ケ小平を語る場合、通訳兼秘書を務める三女毛毛さんの存在は決定的に重要である。彼女はスポークスマンとして、時には拡声器としてケ小平の意見を公にする。人前に出なくなったケ小平の消息は今日では、彼女を通じて伝えられる。一昨年、来日した折りに対談した。

非常に明晰で、質問をそらさずに的確に応えることに強い印象を受けた。微妙な質問に対しては、こういう風に説明したいと断って別の角度から応えた。いくつかその答えの裏を取る確認の質問を加えたが、これに対しても即座に反応して逡巡がない。軍のことに通じているので、どうしてそんなに良く知っているのかと尋ねた。軍籍はないのに、との思いでそう聞いた。人民解放軍の大佐であるという。マスコミに知られていないことである。矢吹教授にして初めて耳にすることである。お付きの人間が慌てて止めた。毛毛さんは言った。「いいのです。本当のことですから」

質問に対する態度ではワイルド・スワンの著者、ユン・チアンにも同じ印象を受けた。才色兼備と言う意味で二人は共通している。

矢吹教授と中国との出会いは中学生の頃に遡る。戦後間もない時代で、教師に中国帰りの人が多かった。授業の合間などによく中国の話をした。話の内容は人によって異なったが、その天地の広大とこれからは中国と手をつないで生きなければならない、と語る口調は共通していた。繰り返し話を聞いているうちに少年の心に中国がんつか出会う風景として残った。その後は特に中国を身近に意識することはなかったが、意志的に中国に目を向けたのは大学に入ってからである。

選択外国語の中から中国語を選んだ。その年、東京大学の入学者は約二千人で、中国語を選択したのは僅か一五人である。中国語を選ばせたのは、中学生の頃に聞いた中国の風景とマスコミを通じて知る人民公社の「成功」である。

中国は実態を知らぬ若い心に一つの理想社会、桃源郷の色彩をもって受けとめられていた。この世の中、そんなに良いことずくめのある筈がない、とどこかで思いながらも中国に対する憧憬は心にあった。

それに批判が働いたのは一九七一年の林彪事件を知ってからである。中国人トロッキストの回想録の翻訳に携わったことも、中国を見直す契機になった。勉強の傍ら学生運動に関わる。あるいは学生運動の傍らというべきか。西部邁は当時の仲間の一人である。卒業後、東洋経済新報社に入社する。記者という仕事は、普通ならなかなか会えない人の門を開いてくれる。経済の第一線にある人の話を直接聞くことが出来る。限られた時間に考えを聞き出すには事前の準備がいるが、それも面白く勉強になった。ただ、どうしても目前のニュースを追うことになる。追っているつもりが追われている。時代の動きは長い目で見なければ分からない。一つひとつの小波ではなく潮流の向かうところを観察してみたい。アジア経済研究所に移る。研究主題は勿論、中国である。実地に中国を見なければならない。中国の入国査証が下りなかった。アジア経済研究所は通産省の外郭団体で、当時、中国は日本の政府に対してもアジア経済研究所に対しても好感を持っていなかった。残る中国研究の場としては、香港かシンガポールである。香港にはすでに同僚が行っていたので、シンガポールの南洋大学に遊学となった。その頃のシンガポールの人々の対日感情は今日ほど冷静なものではなかった。日本軍による占領の記憶がまだ余熱を持っていた。一年前に留学した商社の人間が後ろから石をぶつけられたことがあった。幸い特に圧迫を受けることはなかった。不愉快なことはあったが、嫌な感情は何も残っていない。

実事求是の風景

その頃、首相の座にあったリー・クワンユーは、中国の影響を極度に警戒した。建国間もない多民族国家として、マレーシア、インドネシアなどの隣接する大国から中国と同じ赤い色に見られることを恐れた。多民族国家とはいえ実質は華人国家である。中国の影響下にあると見られれば周囲からどんな反発を受けるかわからない。それだけに政府は神経質で、国外の動向と同時に国内にも目を光らせていた。南洋大学も厳しく注視された一つである。英語で授業を行うシンガポール大学に対し、華語(=中国語)で授業を行っていた。それだけで親中国的と見られたのである。実際のところ、リー・クワンユーの考えに反対する学生は多かった。中国の新聞、資料などは厳しい管理下におかれ、閲覧に許可が必要であった。『人民日報』など黙って見れば、それだけでスパイ扱いされた。外国人として出来るだけ客観的なスタンスを保つ気持ちを持っていたが、友人としての付き合いのなかに頼まれることは多かった。例えば、香港知識人の左派系からの手紙などを外国人の矢吹氏が知人に手渡した。こうした状況で友人付き合いが一層強まる。友達が出来れば外国暮らしは楽しくなる。ある時、華人の友人と屋台の集まる一角を歩いていると、ある屋台の主が福建語で客の呼び込みをしていた。華語=中国語に不自由はなかったが、福建語までは及ばなかった。友人に何と言っているのか、と尋ねた。友人は恥ずかしそうに言った。「福建人一ドル、その他の人は二ドル」。後に中国における中国人価格と外国人価格の併用を聞いてこの時の光景を思い出した。一国両制などの二本建ては華人、中国人にとっては生来的なもので何等、異とするところではないことを、この風景に得心した。生活のなかで、時にはバスを利用した。これが時刻表通りではなく、早かったり、遅かったり、二〇分ぐらいの幅がある。そこで三〇分ぐらい前に行って待つことにした。待つ間、いろいろな人と話す機会があった。ある時、何処の出身か、と聞かれた。相手は頭から中国人と見て、中国本土から来たのか、どこの省なのか、それとも、台湾、香港から来たのかと聞いたのである。日本人だと答えるとそんな筈がない、と言う。何故、と聞くと中国語を話すからだ、と言う。中国語を話しても日本人だ、ほらこの通りと、ポケットからパスポートを出して見せたが、相手は一笑した。「そんな書類が何の証明になる、中国語を話すのだから中国人だ」

こうした日常の生活を通じて、華人のあたえられた状況を常に肯定的に捉え、それを積極的に利用する姿勢、物事を観念や形式ではなく実質でみる態度を学んだ。この間に三カ月のマレー語の特訓を受けて東マレーシア(サバ、サラワク)に一人旅する。華人経済の浸透とそれに対する現地の人々の反発を知る。リー・クワンユーが神経質になるのも理由があると思った。アジア経済研究所の香港の席が空いたのを機会にそちらに移り、広東語にの学習に転じた。語学の上達を自分への口実に時々、夜総会あたりにも足を伸ばした。花の値段は話す言葉により、松、竹、梅と分かれた。広東語しか話せない、広東語と標準中国語を話す、英語を話す順で高い。日本語を話す花は希少だったので、相場を超えて高かった。いつも広東語の梅を頼んだ。出費が僅かで済む上にどうしても広東語で話さなければならない。言葉の上達にこれ以上の方法はない。

シンガポール、香港と経てようやく中国の土を踏むことを許されたのは一九七九年である。長い迂回である。スロー・ボート・フロム・チャイナというスタンダードナンバーがある。これにならって言えばスロー・ボート・トウ・チャイナである。中国政府から入国を拒否されたための遠回りであったが、結果として良かったと思う。

この間に中国を見る目が広がりと奥行きを持った。思い入れを冷まして冷静に見られるようになった。中国への道もそうだが、目的地に向かって性急に急がない巡り合わせを感じる。大学を出るまでに五年かけている。教授になったのは四〇の半ばをこえてからである。生来の性格もあるが、シンガポール、香港で華人に揉まれたことも無縁ではない。ゆっくり歩く人は確かに歩く人、最も遠くまで歩く人の言葉を思い出させる歩行である。長年、中国を観察して来た経験から中国を見る要件として五つをあげる。平均で見ない、自分の間尺で見ない、イデオロギーで見ない、距離をおいて見る、長い目で見る、である。

三つの見ない、二つの見る

中国は大きい。天候地勢は変化に富み、そこに暮らす民族は五〇を超える。経済の発展も一様ではない。中国の道路を行くと天秤棒で荷を担ぐ人、荷車を引く人、荷馬車で行く人、自転車で物を運ぶ人、オートバイに荷を満載した人、二階建てバスのようにトラックに荷物を積み上げて行く人、といろいろである。これらが同じ道を行く。中国経済も同じである。天秤棒の経済、トラックの経済、さらに言えばジェット機の経済もある。一般に個人所得が二〇〇〇ドルに達すればオートバイ、四〇〇〇ドルに達すれば乗用車の購入が始まると言われる。対外開放都市ではオートバイ、乗用車が走り回っている。日本人はとかくこのことを忘れる。多様性を観念として理解しても具体的な把握には及ばない。どうしても一元的、平均的に見る。GNPという物差しで中国をはかる。社会基盤の整備が遅れているという。アメリカ人は中国全土の社会基盤が整うことなど、それこそ百年河清を待つようなものだ、と嗤う。進出にあたって大事なことは中国全土の社会基盤の整備ではない。自分に合う整備されたところを見つけることである。中国は社会主義の国と認識されているが、ケ小平は中国的社会主義と言う。実体は資本主義で、それも中国的資本主義である。中国的というのは端的には規模である。史上これほどの人口を抱えた国の資本主義化の例はない。サイズは質を変容する。これまでの資本主義の歩みをそのまま中国に当てはめることは出来ない。中国は独自の資本主義の道を進んでいる。それは非常にプリミティブなものだが、まぎれもなく資本主義である。昨年末、ケ小平の入院が報じられた。今年初、その死去が記事にされた。虚心に見れば虚報であることがわかる。ケ小平ほどの老人が入院するかどうかである。普段から専任の医師たちの診療を受ける。二部屋、三部屋の家に住んでいるのではない。家族と使用人、護衛などをいれれば数十人が起居する広大な住居である。緊急時にはそこに最新設備が運び込まれ病院が作られる。

さらに慶祝(春節)の時に喪禍を報じるか。伏せられるのが常識である。日本人にとって中国は物理的距離以上に心理的に近い。歴史的な時間の中に生活の細部に渡って文化的恩恵をこうむって来た。戦争の贖罪意識がある。こうした心理的な負い目が適度なスタンスを保つことを困難にしている。過度に傾斜するか、極度に離れる方向に動く。アメリカ人などこうしたしがらみが無いだけにかえって客観的に見る。中国という時計の時間の振り子はゆっくりと右に一〇年、左に一〇年と動く。放と収が繰り返される。その調整に一〇年を費やす。中国人は政府は一〇年間虚を吐き続けると言う。一〇年言い続ければ虚も実になる。中国を見、中国関係を観察するには一〇年から三〇年の時間単位が必要である。かつてあれほど華語=中国語を危険視し、あげくには南洋大学を閉校に追い込んだリー・クワンユーが、今はその復権を声高く語っている。長期的にものを見ることは、何においても急いで結論を出さなければ落ち着かない日本人には苦手のところである。矢吹教授は二つの言語の鏡を使って息の長い観察を続けている。

中国語と英語の合わせ鏡

一つは無論、中国語である。南洋大学に留学した初めの頃は、学生食堂で一人で食事をしていた。そのうちに声をかけられ他の学生の仲間に入れて貰って食べるようになった。それぞれが一品を取り、それらにお互い箸をのばす。人数が多いほど多くの種類の料理が食べられる。食事に限らず華人はすぐ多数派工作をする。内々の仲間にしなくとも取りあえず自分の側につけておこうとする。俗に言えば唾をつけておく。こうしておけば何かの折りに役に立つ。少なくとも敵に回る確率は少ない。最初の頃はよく他の箸とぶつかった。他の箸がないことを確認して箸を出すのだが、必ずと言ってよいほど皿の上で衝突する。仲間たちは一度として箸を絡めることがない。その内に気がついた。箸の動きを見て箸を出すからぶつかる。顔を見て箸を出せばいいのだ。中国に観察の箸をのばす場合活字になったものだけを見ては判断を誤る。出来る限り人に会い、同時に映像情報にあたり、生きた表情をみなければならない。テレビの中国関係の番組は細大漏らさずビデオにとり、休日にまとめて見る。話している人の言葉遣い、表情を読む。顔色は、目の光は、前に見たときと比べ痩せたか、太ったか、健康か、病気を抱えているか。そばにどのような人間がいるか、周りで話を聞いている人の反応はどうか。何気ない一言の背後に政治、経済の大きな文脈がある。言動は氷山の一角である。こうした読みは中国語が出来て初めて可能である。中国の新聞、雑誌は余さず手に入れる。その数、毎月数十に達する。全部の記事をただ読むことは時間的に無理なので、目次だけはざっとでも目を通しておく。何かあったときに、あれに書いてあった筈だ、と勘が働く。日本の中国関係の情報は役に立たない。読みが浅く読み誤りが多く、いまだにイデオロギーに呪縛されている。「消息筋によれば」という記事が多すぎる。全半段に及ぶ新聞記事に何度も消息筋が出てくる例が珍しくない。「多数の中国筋によれば」などともっともらしく書いているが、要するに伝聞ということである。特派員の記名入り記事にしてこれである。中国語の不得手が、手に入りやすい情報に向かわせるのである。いま一つの鏡は英語である。国際社会におけるコミュニケーションは英語で行われ、国際語となっている。英語は他の言語と比べて、言語としての普遍性をもつ。国際社会において出来るだけ多くの理解を得ようとするなら、英語で考え、意見を発表する必要がある。英語を使用する人々の意見なり、反応を知ることは、国際世論を知る手がかりになる。一つの国の動向、国際情勢を見る場合の鏡になる。外国の政治家、企業の代表、その他各界の指導的な立場にある人は、自分の言動がこの鏡にどのように映るかを常に意識している。残念ながら日本人にはこの感覚は希薄である。その欠如のまま発言し、不必要な反発を買う。日本の会議やセミナーで内輪のつもりで発言したこと、日本の新聞に小さく載った記事が、自国や世界の問題に関係している時は直ぐに翻訳されて海外に送られる時代なのである。中国を見る場合も同じである。英語社会という鏡に映して見ることを忘れている。中国は外交に長けている。五千年にわたる時のなかに幾多の興亡盛衰を見てきた民族の外交感覚は並ではない。世界の超大国アメリカと対等以上に渡り合っていることでも明らかである。国の運営についても国際社会にどう映るかを考え、また、時にはそれに映すことによって瀬踏みし、また、軌道修正をはかっているところがある。この点でも英語という鏡に映った中国を見ておく必要がある。中国語という鏡と英語という鏡を合わせ鏡にして見れば、そんなに大きな歪像を描かなくてすむ。

一に冒険、二に保険

二つの鏡を使って見た矢吹教授の現在の中国像は、一言で言えばワイルド・ウエストである。今の中国は経済の開放が進められ市場経済への移行期にあるが、経済の大枠としてのシステムは依然、戦争経済、すなわち物資動員経済である。国有企業は生産効率をあげるよりは、いまだに員数合わせを日常のこととしている。ロシア語で言うタルカーチが横行している。タルカーチとは押し屋である。足りない物をあるところから持ってきて、少ないところに無理矢理押し込んで辻褄を合わせる。一方に古い流れがあり、他方に新しい流れがある。当然、ぶつかる。いまはその波が騒いでいる状況である。中国の西部開拓時代である。開拓期、人々はあるいは肥沃な土地を求め、あるいは金鉱を目指した。中国人にとって経済特区は新しい約束の大地であり、金鉱である。ゴールドラッシュの時代、人々は金を探して時間を忘れた。いま中国人は金を求めて残業する。少しでも賃金の高い企業、残業を多く出来る企業に走る。残業していれば、収入をあげるだけでなく余計なことに金を使わずに済む。ワイルド・ウエストを生き抜くには、果敢な判断と機敏な行動が要る。中国語でいう冒進である。ケ小平は、纏足女のようでは駄目だと、突破の精神を強調しているのがこれである。華人資本は冒進を恐れない。リスクはチャンスと手を伸ばす。闇雲に冒進しているわけではない。勘どころはきちんと押さえている。まず、的を絞る。どこに進出するかを絞る。信頼できるパートナーを見つけ、保険をかける。例えば、変事の歳の物流の確保を考えて軍を合弁の仲間に入れておくという具合である。決断の背後にはオーナーとしての自己責任の態度がある。失敗しても損をするだけで、損はまた別の機会に取り戻せばいい。損を恐れて仕事は出来ない。損得一如である。日本人にこの発想は薄い。リスクとコストを前向きに考える事ができない。高度成長の中にリスクを常にネガティブに考える癖がついてしまっている。新しく何かを始めようという時にまずリスクの回避を考える。稟議という関門を二重三重にめぐらして危険を排除しようとする。危険から逃避して機会まで逃してしまう。機会損失という意味で無責任な態度である。責任感がないというのではない。ただ、自分の分の責任しか考えようとしない。職掌の範囲の責任制のみを念頭におく。大局観がない。トータルで柔軟な物の考えが出来ない。小さなところで責任を取って、大きなところでの責任を回避する。小さな責任、大きな無責任である。この代表がサラリーマンであり、官吏という名のサラリーマンである。いまや、日本全体がサラリーマン化している。これではオーナー資本である華人資本に対抗できない。その大胆、果敢さに遅れをとる。

華人資本はある地域の工場建設の契約を取るのにそこへの高速道路まで作ってしまう。企業にあっても明確に責任を持たされているアメリカのビジネスマンの後塵を拝することになる。深刻なのは、この態度が教育に及んでいることである。いつの時代にあっても教育は大人の社会を反映する。受験戦争は結局のところ大人達の安全志向の集約である。二〇年ほど母校の非常勤講師をしていた。東大に入ってくる学生は三分される。問題を変えても必ず合格する優秀な学生、当落線上にある学生、再度試験を受けたら絶対入れない学生、である。試験に必要な知識を遮二無二に詰め込んで僥倖で入学した学生は入っても伸びない。本当に出来る人間のなかで劣等感を持つだけである。なぜ、それまでして東大を目指すのか。新しいことを学ぶため、未知を拓くため、より良きを想像するためか。

違う。社会に出た時、リスクの少ない道を歩くためである。ある程度の地位の約束という計算である。世の中それほど甘くはない。つまるところは実力である。同期で首席で卒業した人が大蔵省に入省したが期待されたほどには伸びなかった。ごく平凡な足取りで今日に至っている。問題は東大にあるのではなく、安全志向である。誰もが安全志向なら行き着く先は衰退である。人間の衰弱、国の崩壊である。仮に平時にはそつなく生きることが出来ても一朝事が起きれば脆い。

いま横浜市立大学で教えていて感じるのは、アジアからの留学生パワーである。日本人の学生は少し批判すると形を落とすが、留学生達は何とか理屈を立てて、言い返してくる。ハングリー精神が旺盛で、特に中国系の学生が強い。

人間万事塞翁が馬

中国人、華人は乱世に強い。人間万事塞翁が馬、の言がある。日本ではニンゲンと理解しているが、中国での意味は人と人の間、すなわち世の中のことである。つまり、世の中は変わるもの、変わって当たり前の意味である。変化は中国人の基本的な処世認識である。日本人は国は滅びないと考えるが、中国人はいつかは滅ぶものと考える。企業についてもまた同じである。平生から滅ぶものと考えているから倒産しても驚かない。普段からその時を想定して手を打っておく。いざという時に助けになってもらえるよう得意の多数派工作でコネを作っておく。ケ小平がこの世を去ることはそれほど遠いことでないことははっきりしている。歴史という時間単位で見れば秒針が刻まれている状況である。その時の中国社会がどう動くか確たるところは誰にもわからない。人間万事塞翁が馬である。

人智が描けるのはあくまで可能性のシナリオである。大事なことは、たとえどんな状況になってもこれとうまく付き合っていくことである。より大事なことは混乱に向かわないように、隣人として出来るかぎり手を貸すことである。他国の乱に乗ずるような狭量はわが身を害するだけである。もし、中国に大乱が起これば無数の人が難民となって近隣の国に押し寄せる。九〇年にケ小平は次のように国際社会を恫喝し、物議を呼んだ。「中国が乱れたら、香港に五〇万、タイに一〇〇〇万、インドネシアに一億の難民が押し寄せる。そうなれば、もはや誰にもこの混乱を治めることは出来ない」

恫喝に怯えることはないが、十分な現実味をもつだけに恐い。いまや、国という家の火事の火の手は必ずわが家に及ぶのである。平和も繁栄も独力では得られない時代である。発展は自他ともにである。

矢吹教授の楽観は最新の中国観察とその分析によるものだが、それを支えるのはこの共生共栄の念である。混乱を言うのは易い。もしそれが外れた場合は、警世の言と居直れる。人の耳目も惹き易い。口耕業百家が懸念を売り物にするのも商売になるからである。警告と見せて不安を煽り、そのことによってわが田に水を引く。口舌の人のほとんどがこれである。楽観を明言するには勇気がいる。変化の潮流が逆に向かった場合、厳しい批判を受ける。矢吹教授の楽観論はここを踏まえて傾聴しなければならない。聞くべきは、その明察以上にその学者としての志向である。人間としての思慮である。人間万事塞翁が馬だからこそ楽観的に、前向きに生きなければならない。人間を幸福にするのはしなやかな楽観主義である(九五年二月一四日,横浜市立大学進交会館にてインタビュー)。