『読売新聞』論点、1995年6月9日

「中台関係」不介入が賢明

李登輝総統の訪米がさまざまの波紋を呼び、その余波は日本にも及びかねない雲行きである。米国がコーネル大学への訪問を認めた以上、アジアに位置し、しかも台湾と深い交流のある日本が同氏を母校京都大学へ招待して何が悪い、一一月には大阪でAPEC会議が予定されているから、この時期に合わせることができれば一石二鳥ではないか、とする主張である。だが、これは思慮を欠いた素人談義か、さもなくば歴史と国際政治の現実を忘れた空論であろう。台湾問題に対して米国と日本の立場は決定的に異なるのだ。

今日の台湾問題が生まれた原点は、日清戦後の下関条約第二条で「台湾全島及び其の付属諸島嶼」が日本国に「割与」された時である。その調印は一八九五年四月一七日、百周年はつい二カ月前のことだ。戦争に破れた日本はポツダム宣言を受入れ、「東北四省と台湾、澎湖島」を中国に返還した。一九五二年台湾に亡命した中華民国との間に日華平和条約が結ばれたが、一九七二年大陸の中華人民共和国との間に日中共同声明が結ばれるに及び、同条約は「終了」した。「わが国としては、台湾が中国の領土となることについてなんらの異議はなく、台湾独立を支援する意図も全くない。日中共同声明にいうポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する、との表現は、このような日本政府の立場を表したものである」。これが当時の栗山尚一条約課長(のち駐米大使)の解説である。では日華条約を「終了」させ、日中平和条約を結んだ後で生じた二〇余年の変化をどのように見るべきか。台湾は高度成長の成果を踏まえて着実に政治の民主化を進めてきた。今秋には立法委員(日本の国会議員に相当)の選挙が行われ、来年行われる総統の直接選挙において李登輝氏が再選されることはほぼ確実である。台湾側はこのような背景を踏まえて国際的地位の向上に全力を挙げている。

他方、大陸の変貌もまたきわめて大きい。自力更生という名の鎖国政策をやめて開放政策に転換しただけでなく国内的には市場経済を大胆に導入し、目ざましい経済発展を遂げている。この結果、海峡の両岸には地滑り的な変化が生じている。台湾の大陸向け直接投資は昨年までの累計で八四億ドルに達した。これは米国の七七億ドル、日本の七三億ドルを上回っている。昨年の日本の中国向け輸出は二六三億ドルだが、台湾のそれは一四一億ドルであり、日本の地位に肉薄しつつある。

これこそが海峡両岸の経済的現実である。世界一、二の外貨を誇る台湾の経済力といま離陸を始めたばかりの大陸の経済とは、相互補完のまことによい関係を結びつつある。

私はあるシンポジウムに招かれて三月末に台北を訪れたが、最大の収穫は、会議のあと辜振甫氏と会見できたことであった。いうまでもなく海峡交流基金会董事長であり、大陸側の汪道涵海峡両岸関係協会会長と二年前にシンガポールで第一次トップ会談を行なった責任者である。辜振甫氏はこの夏、新中国以後初めての訪問を行い、汪道涵氏と北京で会談するつもりだと構想を明かしてくれた。辜振甫氏が人品卑しからぬ大人物であるという風評はかねて耳にしていたが、お会いした印象はまさにその通りであった。「私は戯謎(京劇狂い)なので、北京へ行くのが楽しみですよ」。このトップ会談が成功すれば、第三次会談は当然、汪道涵氏が台北を訪れることになろう。両岸関係はそこまで発展してきているのである。

とはいえ、一人当たりのGNP格差はいぜん桁数が違うほどのものである。さらに戒厳令を解除して以後、民主化を急速に進めている台湾と、その実質はさておきいぜん社会主義を掲げている大陸との間では政治体制上の垣根がまだ高すぎる。近い将来に政治的統合が可能だとは思えない。とはいえ経済的連携の深まりを考えると経済的土台を無視して台湾の独立が現実に可能なのか、また独立の必要性の根拠も改めて問題になるであろう。要するに、現状では「統一も独立も不可能」であり、現状維持を続けるほかあるまい。この課題は次の世代に、二一世紀に先送りしてなんら不都合はないはずだ。日本人としては台湾問題を語るばあいに、その歴史的経緯を忘れてはなるまい。海峡両岸のトラブルに日本が介入することは、歴史の教訓に照らしても、今日の国際政治の力学からみても避けるべきだというのが私の主張である。繰り返すが、統一でもなく、独立でもなく、平和共存を続けること、これが内外の諸条件なのである。このような状況を冷静に認識しつつ、両岸ともそれぞれの「内部事情」から、虚々実々の駆け引きを繰り広げている形だ。日本が介入する余地はまったくない。台湾海峡の波を荒立てる軽挙妄動を避けるべきであろう。

大陸が計画経済を放棄し市場経済に転換するうえで、台湾の経済発展の成功は大きな牽引力となった。今後はその政治的民主化の成功が大陸全体の民主化の牽引力となることを私は期待している。