情報発進基地・香港は生き残れるか

『外交フォーラム』1996年7月号55〜59頁

「鎖国中国」に対し、大陸を覗く窓口として重要な役割を果たしてきた香港。返還もいよいよ迫り、新聞、雑誌の廃・停刊も相次ぐ中、チャイナ・ウォッチングの基地としての香港の行方は

進む中国経済との一体化

香港返還がいよいよ一年後に迫った。マスコミ界は最も敏感な領域であり、最近は特別行政区準備委員会が香港電台(公共放送局)に放送枠提供を求めたことをめぐって「大陸側のメディアに対する干渉」の不満も出ている。記者が大陸の香港政策を支持するかいなか、「踏み絵」を踏まされるような事態が生まれているとの不満も聞こえる。マスコミがこうした声を声高に伝えるのは、マスコミの使命かもしれないが、香港は元来、経済都市、中継貿易都市であり、民主化騒動が香港のすべてではあるまい。香港経済と中国経済の一体化は、九七年七月一日に向けて日々進展しつつある。たとえば香港の九五年の貿易統計は一体化の現実をよく示している。香港の地場輸出は二九七億ドル、再輸出は一四二六億ドル、輸出合計で一七二三億ドルであり、輸入は一九一二億ドルである。貿易バランスは一八八億ドルの赤字になる。輸出相手を国(地域)別にみると上位七カ国は、中国五七四億ドル(三三・三%)、アメリカ三七五億ドル(二一・七%)、EU二五七億ドル(一四・九%)、日本一〇五億ドル(六・一%)、シンガポール四九億ドル(二・八%)、台湾四六億ドル(二・七%)、韓国二八億ドル(一・六%)である。主な輸出品をみると、エレクトロニクス製品、縫製品、繊維類、玩具ゲーム機、靴、時計、旅行用品などである。再輸出一四二六億ドルのうち、中国向けのシェアは三四・五%を占める。中国を原産地とする商品のシェアは五七・二%を占める。経済都市・香港の素顔はこの貿易統計から明らかであろう。かつてはアメリカがくしゃみをすれば、香港は肺炎になると評されたものだが、香港経済はいまやアメリカと連動する経済ではなく、圧倒的に中国シフトが進んでいる。輸出総額や再輸出のシェアでは中国向けが三分の一を占め、再輸出のうち中国を原産地とする部分の比重が六割に迫りつつあるわけだ。かつてはアメリカ経済に従属する香港経済であったが、いまや昔日の面影はない。

経済の現実がすべてを決める

返還を間近に控えて、年初に香港特別行政区籌備委員会が発足した。その執行部の構成をみると、主任委員は銭其外相である。副主任委員は王漢斌(全人代副委員長、政治局候補)、安子介(南聨実業董事長、政協副主席)、霍英東(香港有栄公司董事長、政協副主席)、魯平(国務院香港マカオ弁公室主任、中央委員)、周南(新華社香港社長、中央委員)、董建華(香港東方海外董事長、香港行政局議員)、李福善(前香港高等法院副裁判長)、王英凡(外交部副部長)、梁振英(香港測量行董事長)の九名であり、主任を加えて一〇名の構成である。なお秘書長は魯平が兼任し、陳滋英(国務院香港マカオ弁公室副主任)、秦文俊(新華社香港副社長)、邵善波(香港一国両制経済研究中心総幹事)の三名が副秘書長として魯平を補佐することになる。籌備委員会委員は一五〇名だが、内訳は香港側九四名、大陸側五六名である。香港側は工商界三六名、専業界(学長教授など)三六名、宗教界一二名、政界一〇名からなる。大陸側は外交部関係一〇名、国務院弁公室六名、中国共産党政法委員会系一二名、軍からは隗福臨副総参謀長、許和震総参謀部弁公室副主任の二名が、さらに経済界九名、新華社香港八名、その他九名の顔ぶれだ。準備委員会委員の多くは、大陸側の各種委員を務めてきた人物である。委員中「港事顧問」は七一名を占める。香港を基盤とする「全国人民代表大会代表」(国会議員に相当)の六名、全国政治協商会議委員六名を加えると、総数九四名中の八八を占める。政党社団別にみると、「一国両制経済研究中心」の委員八名、「新港聨」七名、「港進聨」五名、「自民聨」五名、「民建聨」五名、「自由党」四名、「民主自由協進会」二名である。パッテン総督の民主化提案と連動しつ活躍している民主化派の「民主党」からは一人も選ばれていない。今後のスケジュールは次のごとくだ。まず四〇〇名からなる推薦委員会を成立させ、夏には「香港特区行政長官」を推薦する。この推薦を踏まえて年末には行政長官を北京政府が任命する。そして九七年上期には「臨時立法会」および「行政会議」を成立させて、七月一日の香港返還を迎え、ユニオン・ジャックをおろし、五星紅旗を掲げる。

情報基地香港のゆくえを展望するにさいして、貿易統計から話を始めたのは、結局のところ「経済の現実」が香港のすべてを決定すると考えられるからだ。かつては銀行貸出にさいして九七年以後にわたるかどうかが重要なチェック・ポイントとされたが、いまやそれは当然の前提として処理されている。九七年返還はすべて「折り込み済み」、西暦二〇〇〇年を超える貸出でさえも当然というのが今日の現実である。

マスコミ界の変化

九七年以後の香港のゆくえを香港の人々がなにがしかの不安を抱いて暮らしていることは明らかだ。懸念や危惧は抱いて当然であろう。外国の旅券をすでに得て、いざとなれば脱出という保険を用意しつつ生活する者、あるいは夫人や子女をすでに外国に住まわせ、香港で単身赴任的生活を営む人々もある。彼らは「太空人」と呼ばれる。元来は「宇宙人、宇宙飛行士」の意だが、ここでは「太々」(夫人)が「カラ」、すなわち孤閨を守る男(?)の意である。だが、大部分の人々は、やはり香港にとどまるほかない。マスコミはいつも例外派、少数派を誇張する傾きがあり、ミスリーディングになる。

顧みると最も有力な英字紙『サウスチャイナ・モーニングポスト』の株式譲渡事件が報じられたのは一九九三年九月一三日付同紙であった。マレーシア華人のロバート・コック(郭鶴年)が同紙の総株数の三四・九%(二七億香港ドル)を旧オーナーであるニューズ・コーポレーションから譲渡され、旧オーナーの持ち株は一五・一%に減少したというニュースであった。ロバート・コックはタイ華人タニン・チョウラワノン(謝国民)とならんで中国に対して積極的な投資をおこない、ともに「港事顧問」に選ばれている。この株式買収事件が報じられた直後の九三年九月二七日に北京市公安当局は香港『明報』紙の記者席揚を「国家の金融に関する秘密を不法に盗み、スパイ行為をおこなった」カドで逮捕したこともあって、香港に対する報道規制の強化に懸念を抱いた向きがすくなくなかったわけである。昨年来の出来事も香港マスコミ界の変化を示唆している。『華僑日報』が一九九五年一月一二日に停刊となった。これは一九二五年六月五日創刊であり、香港新聞界では老舗の一つである。私は七二年に香港大学に遊学し、広東語を学んだが、老師は『華僑日報』の社説を学生(といっても個人教授であるから私一人だが)に朗読させた。私にはきわめて懐かしい新聞の一つである。一方で老舗が消えて、他方では新顔が登場した。一九九五年六月『蘋果日報』が創刊された。蘋果とはリンゴである。わかりやすいネーミングはいかにも新しい新聞にふさわしい。これは『壹週刊』『東週刊』のような新規参入紙のあとをついで、既成の新聞界に殴り込みをかけた。『東方日報』『成報』『天天日報』『新報』など読者獲得をめぐってきびしい競争にさらされている。この『蘋果日報』は紙型は通常の新聞サイズだが、性格的には日本のタプロイド版夕刊紙に似て、煽情的報道が多く、価格破壊の元祖となった。九五年一一月に三〇万を超え、無視できない存在となり、いま『蘋果日報』は四元で売られている。『蘋果日報』に対抗するため、老舗で香港最大の部数をもつ『東方日報』は一九九五年一二月九日、定価二元の「大減価販売」を敢行した。現在『東方日報』は小売り三元にもどしたが、これでもまだ安売りレートである。ちなみに左派系の『文匯報』は五元であり、英文の『サウスチャイナ・モーニングポスト』は七元である。『東方日報』の応戦につづいて、九五年一二月一〇日『成報』も二元に引き下げ、値下げ競争に参加した。一二月一一日にはページ数の少ない『新報』が一元で対抗するという過激さである。こうした「新聞戦国時代」で生き残れず、九五年一二月一六日『快報』および『香港聨合報』が停刊に追い込まれた。雑誌も廃刊、停刊事件は少なくない。天安門事件以後、左派系の『文匯報』から飛び出て、月刊誌『当代』が創刊されたが、売れ行き不振でついに停刊され、『星期天週刊』も停刊された。前者は『文匯報』元北京支局長程翔を中心に、中国の動向をフォローしてきた雑誌だが、中国政治に関心を抱く読者の減少により、停刊に追い込まれた。後者は中産階級向け娯楽市場の小ささが響いたようだ。テレビ界の事情はどうか。もともと二大テレビ局体制であった。そこに、ケーブルテレビおよび衛星テレビが加わり、さらにふたつの新規衛星テレビ(すなわち華娯電視、伝訊電視)が参入した。また「香港伝訊」はVIDEO ON DEMAND(中国語で「自選録像」という)の実験放送も始めた。アジアテレビの本港台(ローカル向け)は夜一〇時に中国中央テレビの「三国演義」を放映し、高い視聴率を得ている。またアジアテレビの「包青天」(大岡越前守に似た名裁判官の物語)の制作は、中国・香港・台湾の合作で行われており、テレビ文化の面においても、「大中華」の融合の一端を示している。衛星テレビは当初は、香港市民に受け入れやすいために広東語放送をねらったが、既成の商業テレビと有線テレビの反対で実現できなかった。九四年一二月、政府は衛星テレビにおける広東語放映の禁を解いたが、広東語プログラムを積極的に実行してはいない。衛星テレビは東南アジアをカバーしているので、香港の六〇〇万人口は必ずしも対象の中心ではない。ケーブル・テレビは一年で一五万戸、三年で五〇万戸の目標をたてたが、二年目で一五万に達していない。九四〜九五年の不景気と関係ありとみられている。九六年には九倉ケーブル・テレビの独占が終わり、政府は新たなライバルの参入を計画中である。香港伝訊のVIDEO ON DEMANDは、九倉有線テレビの反対を受けている。将来は、旅行、買い物、銀行などのサービスに進むであろう。インターネット(国際電脳網絡)の業界でも類似の問題がある。香港政庁は良質のホームページを提供し、公表を博している。冒頭に掲げた貿易統計は私自身が「香港、トレイド」のキーワードでHONGKONG TRADE DEVELOPMENT COUNCILを呼出し、ダウンロードしたものである。外に開かれた良質のサービスこそが香港の将来を守る最大の資産になるものと私はみている。

アメリカ人の楽観論

私はたまたま四月に香港を訪れ、若干の友人、知人と話す機会があったが、その一人J・Mのコメントを紹介したい。彼はアメリカ人であり、台湾出身の女性を妻とし、大学卒業以来香港をベースとして英字週刊誌(複数)の経営にたずさわってきた。現在は某社の代表(プレジデント)の職位にある。一〇余年前、香港に居住していたとき、親しく交際したが、今回久しぶりに会い、彼の楽観的見通しが印象に残った。彼によれば、九七年以後も当分(少なくとも五年程度)はなにも変わるまい。変化を危惧する見方はとりこし苦労ではないかと断言した。中国にとって「南の窓口」として香港の役割はきわめて大きい。この繁栄を損ねることは中国自身にとってマイナスである。しかも開かれた香港社会を西側がきびしく監視している。そのような条件が存在するかぎり、中国当局が愚かな香港政策をおこなうとは考えにくい。『サウスチャイナ・モーニングポスト』の株式譲渡問題についても、それに由来する明瞭な変化が生じているとは思えない、と指摘した。同じ印象はバンカーズ・トラスト社のエコノミストW・オーバーホルトについてもいえる。彼は昨年アメリカの『フォーチュン』誌が「香港の死」THE DEATH OF HONGKONG を掲げたときに、これを批判した長文の公開書簡を編集部に送りつけ、私もそのコピーを送られた。今年二月、アメリカ議会は香港の九七年問題について公聴会を開き、オーバーホルトも招かれて出席し証言した。証言内容は基本的に楽観論である。アジアで活躍しているアメリカ人ビジネス界のトップのなかで、九七年以後の香港を悲観的にみている者はほとんどないという結論であった。その根拠も彼の著書『中国・次の超大国』から判断できるように、中国経済の高度成長にとって香港がひきつづき重要な役割を果たすことになる。その文脈で香港の繁栄は保証されるというものである。私にはアメリカの友人の楽観論と香港マスコミ界の民主化派の懸念、危惧の対照が興味深く、また日本の記者やビジネス界の人々は後者の潮流に近いと思われた。後者の危惧や懸念は「そうあっては困る」という議論である。アメリカの友人たちの議論は、「そうなるであろう」という見通しである。私自身の見方は後者である。

香港の将来を決定するもの

長期的にみて香港の役割の相対的地位の低下はありえよう。中国当局が金の卵を得るために鶏を殺す愚行を演じるからではない。イギリスの統治なきあと、香港政庁の官僚機構が瓦解するとみるのでもない。中国大陸自体の市場経済の進展にともない、情報統制が緩和するからだ。そのとき「チャイナ・ウォッチングの基地としての香港」の機能が低下するのは、当然であろう。毛沢東時代において「鎖国中国」に対して、大陸をのぞく窓口として重要な役割を果たしたが、今日の中国では外交部をはじめとする記者会見が定例的に行われており、以前とは比較にならないほど、情報公開に積極的になっている。西側のそれと比べてまだ限界のあることは確かだとしても、開放政策の進展につれて透明度、公開度はますます広がる傾向にある。ウォッチング基地としての香港の役割の機能低下は当然のことであろう。七月一日前後の「過渡期」には若干の混乱はありうるかもしれない。香港ドルが揺らぐならば、ささえる外貨を中国はすでに用意しているし、「港人治港」(香港人による香港統治)よりは「商人治港」(ブルジョアジーによる香港統治)とヤユされる状況は、北京が香港の富豪たちを糾合して経済安定を図る準備をしていることを示唆する。香港の将来を決定する最も重要な条件は、個々の香港政策にあるのではなく、大陸自体の市場経済化の成功、政治的民主化のゆくえにあるのだ。この文脈で私は朱鎔基副総理が九五年一二月の中央工作会議で発言した趣旨こそが問題の核心だと信じている。香港問題のカナメは、大陸の改革開放を成功させることだと断言したが、そのような見識をもつ指導者が中南海の工作を指導するかぎり、九七年以後の香港は大きな混乱は避けられると私は読む。