講演記録、党大会と江沢民の人事構想

『東亜』362号、19978月号

本稿は一九九七年六月十一日の定例午餐会における講演会の記録である。文責編集部

講師紹介 一九三八年、福島県生まれ。 一九六二年、 東京大学経済学部卒業。東洋経済新報社、 アジア経済研究所研究員、 香港総領事館特別研究員などを経て、 一九八五年より現職。主な著作に二○○○年の中国」 『文化大革命」 『毛沢東と周恩来』 『図説・中国の経済』などがある。

亡きケ小平が念願した香港の返還が実現した。資本主義・香港を取り込むことによって市場経済化をさらに加速させたい江沢民政権は、 秋に予定される共産党大会で一気呵成に権力基盤の確立をめざすことになる。 ポストケ小平の過渡期政権からの脱却をめざして、 江沢民の指導力が問われるなか、 注目されるのは令後五年の中国を背負うことになる指導部の陣容である。

はじめに・ポストケ小平時代を準備したケ小平

ご紹介いただきました矢吹でございます。過去二、 三年、「ケ小平氏が亡くなったら中国は大混乱に陥る」とか、「分裂する」といった狼少年的議論がマスコミではかなりにぎやかでした。 私はそのような見通しが恐らく間違いであると言い続けてきました。現にケ小平氏が亡くなってすでに四カ月目に入ろうとしていますが、 中国の情勢は落ち着いているようで、 私としてはほっとしております。

狼少年的な議論をする方の論拠には一 つにポスト毛沢東における混乱、 もう一 つに中国に似た大国である旧ソ連の解体があるようです。その結果、ポストケ小平も似たようなことが起こるだろうという議論が多かつたわけです。 しかし中国の事情を冷静に分析すると、この議論は全然当てはまらないとことが、すでに明らかであったというのが私の見方であります。

例えば、ポスト毛沢東とポストケ小平を簡単に対比してみましょう。 一 つは後継者の問題です。毛沢東の場合、 共産党主席と党の軍事委員会主席という最も大事な二つのポストを握ったまま亡くなりました。ですから、亡くなる前からそのポストをだれが継承するかで権力闘争が始まりました。

毛沢東が亡くなったのは一九七六年九月九日ですが、 それに先立って四月にケ小平氏が足を引っ張られて失脚する。そして毛沢東が実際に亡くなると、今度はケ小平側を攻撃していた四人組が失脚するという宮廷クーデター的なごたごたがありました。

結局、ケ小平氏が本当に失脚していたのは一年足らずですが、復活はしたものの、すでに華国鋒後継体制が存在していたために、ケ小平路線を本当に展開するまで大分時間を損しました。もし毛沢東と周恩来の葬式が逆であったら、すぐにケ小平氏が毛沢東の後につながった可能性があるわけです。

つまり、ポスト毛沢東の宮廷クーデターというどたばた劇の中で、一番損をしたのはケ小平氏です。同じことを繰り返させないように、後継問題について彼は最初からよく考え抜いて体制づくりに努力してきた。江沢民氏を天安門事件後(一九八九年)に選び、それを一九九二年の党大会で追認した。それから一九九四年に自分が満九十歳になった時に、変な言い方ですけれども「舞台裏からの引退」、もうりモコンは一切やめますと宣言した。それから二年以上たってから亡くなったわけですが、それだけ周到な後継体制づくりが功を奏したということが混乱を避けえた一 つの原因です。

もう一 つは路線の問題です。毛沢東の場合には、言わば修道院的な社会主義の理念を最後まで捨てなかった。これは、国際社会に背を向ける動きでしたし、中国の国内においても民信を失っていたところがあると思います。

それに対してケ小平氏の方は、市場経済化路線です。これは「自分でどんどんもうけて豊かになろう」、「豊かになれる人から豊かになりましょう」というものですから、 中国人の好みに合っていたわけです。中国人だけではなくて、そういう政策は大方の支持を得られるだろうということです。

実際にその路線のもとで中国は、過去十数年、一○%近くの高度成長を続けてきました。人々の生活は着実によくなり、雇用もふえている。高度成長が中国社会の基調ですから、 それなら政治も安定するだろうと見るのが恐らく常識であった。現にそうなりつつあります。これらを踏まえて、秋の党大会までを展望することが本日の課題ですけれども、その前に香港問題について少しお話ししてみたいと思います。

根拠のない香港経済悲観論

ご承知のようにあとニ十日、七月一日をもって香港の主権が中国に返還されます。 それについてにぎやかな議論が行われています。見通しについても楽観論・悲観論、いろいろありますが、私の見方は極めて簡単で、 香港の現状維持は守られるだろうというものです。そうしないと中国自身が困るからです。うかつに香港に介入して、香港経済の繁栄が失われれば、外資や技術者が逃げて、 失業者が六百万人残るだけになります。そんな香港返還には全く意味がないどころか、 むしろトラブルを抱え込むだけです。そういう愚劣なことを中国の指導者がやるとは思えませんし、香港の人たちも認めるとは思えません。

ただ、それにもかかわらず、なぜ話がこんがらがって騒がれているのでしょうか。 私は基本的に二つの要素があると思います。一つは、パッテン総督のスタンドプレーです。パッテン総督は、五年前にイギリスの総選挙において保守党の幹事長として大活躍して選挙を勝利に導きました。 そのおかげでメージャー政権が誕生したのですが、皮肉なことにその選挙でパッテン氏自身は落選してしまった。 そこでメージャー氏は、選挙の功労者であるパッテン氏に香港総督のポストを与えたわけです。

これまで香港総督のポストは、基本的にイギリス外務省の高官が担当していました。例えば、前任者はディビッド・ウィルソン氏です。私は一九九三年春、イギリスのオックスフォード大学近くのディッチリー・パークで開かれたディッチリー・コンフアランスに出席しました。三日間、貴族のマナーハウスを改造したゲストハウスで泊り込みの会議をやったのですが、その会議全体のチェアマンがウィルソン氏でした。イギリスのジェントルマンとはこういうものかと九回一緒に食事をして身近に感じたわけですが、彼のような外交官が中国と協議して、香港返還について結んだ協定を全部ひっくり返すようなことをパッテン氏が始めた。彼は政治家ですから、落選して香港にいる間にイギリス政界から忘れられてレィム・ダックになっては困るわけです。「民主化」という建前で、スタンドプレーというか個人プレーというか、勝手にいろいろなことを始めた。これに対して北京は非常に警戒して、非常にこわもての対応をしたわけです。

北京が警戒した理由は明らかで、天安門事件の後遺症です。同事件のときに、香港から大量のマスコミ陣が駆けつけ支援のカンパが行われました。天安門事件の後、中国政府は活動家に対して逮捕状を出しましたが、その人たちを「イエローバード作戦」と称して香港の民主化組織が中国からの亡命、出国を支援しました。

中国から見ると、民主活動家がいなくなることは、いわば厄介者払いで歓迎すべきことかもしれません。けれども、その過程では中国警察・公安の捜査の裏をかいて香港経由で逃がすわけですから、中国の警察のメンツは丸つぶれです。そういう組織を仮に認めるとすれば、今度はいつそれを使って中国政府を転覆するような反体制活動に利用されないとも限りません。このような問題について、中国政府が過度の危機意識を持っていることは、ある意味では当然だと思います。つまり、旧ソ連が解体していますし認東ヨーロッパ諸国のほとんどの政権も吹き飛んだのですから、中国でも同様の危険性があります。従って、そのような問題について、中国は非常に慎重な態度で当たっているのです。

具体的には、中国はしきりに「井戸水は河水を侵さない」と天安門事件の後に言うようになりました。このたとえを聞くと、香港が井戸水であって、大陸の揚子江の泥水が香港に流れ込まないということだと大方の日本人は受けとめるかもしれません。しかし、中国側の真意は逆で、自分の方が井戸水なのです。大陸の井戸水が香港に流れ込むようなことはしないから、逆に香港の河水・泥水が大陸に来てもらっては困る、そこは明確に一線を引きましょうというのが中国の意図です。その意味で言うと、中国は香港返還を少し先に延ばしたいというのが本音でありましょう。しかし、九十九年間の租借という約束がありましたからこれは仕様がない。ここで返してもらわないと機会を逸する恐れがあります。そこでとにかく既定のスケジュールに従ってやるわけです。

返還後の方針は「一国両制」と表現されておりますが、基本的には現在深センと香港の境界に張り巡らされている有刺鉄線はそのままです。また、中国の人々が香港に出るには許可(出境許可)が必要です。直通列車が北京から香港の九竜までつながるから、中国の人が自由に香港に行けるかのように錯覚しがちですが、それは香港行きのビザを持っている人だけが行けるだけです。ビザを持たない人は中国側の狭い意味での国境で降ろされるという形を守ろうとしているのです。それから、香港ドルは今の体制を維持する。裁判も終審裁判権を香港に置く。最終審査を北京に移すという話もありましたが、それはやらずに香港で決着をつけるという形にする。要するに大陸の行政・司法・立法と香港とは全く別だという枠を守ろうとしていますから、恐らく返還されても何事も変わらないだろうし、変えてはいけない。変えないように中国は必死な努力を払っているということです。

パッテン総督のスタンドプレーは問題

これが中国側のスタンスです。しかし表に見えるのは、 とにかくパッテン氏が民主化提案を行って、立法評議会の改革を図る。それに対して北京はこわもてで対応するというところが目立ちますから、大きな危倶を持たれる向きが多かったということだと思います。しかし、それは言わばパッテン氏を代表として、香港の一部の民主派たちがそれに乗って騒いで、それに北京が過剰に反応して対応しているだけのことです。香港はもともと経済都市・国際金融都市ですから、この点において条件は何一つ変わりません。恐らくはそういう意味では問題ないというのが私の見方です。日本の皆さんにとって諸悪の根源がパッテン総督にありという議論は、奇妙に思われるかもしれませんが、 実はイギリス人自身がそう言っているのです。

昨年十二月にNHKの衛星放送が、「フロントライン香港・パッテン総督の改革」 という民間放送チャンネル4が制作したドキュメントを放映しました。私はその監修者として、脚本を丁寧に二回ほど読みましたが、これは徹頭徹尾パッテン批判なのです。 パッテン氏は、要するにイギリスの政治家であってアジアや中国のことは何一つ知らない、 悲しいほどに無知だとドキュメントは言っています。そのような政治家によって、イギリスが百五十年にわたって培ってきた植民地の遺産がだいなしにされようとしているとキャスターが怒るわけです。そのキャスター氏は香港に住んでいるイギリス人で、香港のチャイナクラブの、主事です。イギリスはいろいろな形で香港経営をやってきましたが、 その遺産はだれもが認めるようなものであると思います。ちなみに一人当たりのGNPが、イギリス本国は一万九千ドルに過ぎないのに、 香港は二万四千ドルです。つまり、本国よりも豊かな植民地に現になっている。そこまでに至った香港の遺産をパッテン氏がめちやくちやにしようとしていると、その番組のキャスターがパッテン氏に直接インタビューをして、「あなたは何も知らないじゃないですか」と面と向かって言っているのです。それらを見ますと、パッテン氏は確かに総督ではありましたが、 イギリスのまともな人たちとの意見とは相当ずれていたのではないかと私は見ています。

香港理解が浅い日米のマスコミ

ところが、日本,アメリカのマスコミは、「民主化」なり「人権擁護」という言葉が出ると、そこからすべてが出発します。それが錦の御旗のように一人歩きをして、その前提を誰も疑いません。すると、それらをすべて北京側が壊そうとしているように見え、そのために将来を心配するという形になるのです。しかし実際には必ずしもそうはならないと思われます。もう一つだけ例を挙げますと、アメリカ人のエコノミストでウイリアム・オーバーホルトという中国経済・香港経済のプロがいます。彼は、香港に住んでいるバンカーズトラストのマネージメント・ディレクターで、『中国・次の超大国』(サイマル出版会、一九九四年。 一九九五年に 「アジア・太平洋賞」受賞)の著者です。その彼が、この四月二十四日にアメリカ上院の外交小委員会で本人が証言した全文を私のところに送ってきましたが、彼の基本的な見方は私と同じでした。

要するに、今香港で三万七千人のアメリカ人が活動している。ビジネスマンの九五%以上の人たちが香港の将来を心配していない。香港におけるビジネス・コンフィデンスがむしろこれまでの世論調査の中で一番高くなっているのが現状であると議会で証言しております。それに対して、アメリカの代表的なマスコミ、彼は『ニューヨークタイムズ』を挙げて、昨年の六月三十日付の記事を批判しています。私自身は未読ですが、この記事は香港でのインタビューに基づいて、皆が返還後の香港の状況を心配しているということを書いた記事のようです。記事の根拠になった香港のアメリカ人エコノミストにオーバーホルト氏は直接確かめました。「そういうことを本当にあなたはしゃべったのか」と尋ねたところ、「そんなことはしゃべってはいない」と話したとのことです。つまり『ニューョークタイムズ』の記者が勝手に書いている。そのことを彼は議会で証言しています。もし、この事実に間違いがあれば、議会での証言ですから名誉毅損で彼は訴えられるはずですが、このような状況を見ますとアメリカの代表的なマスコミも相当ミスリーディングな報道を重ねていると言えましょう。

実は、その前に『フォーチュン』誌が二、 三年ぐらい前にThe Death of Hong Kongという特集を組みました。そのときもオーバーホルト氏は非常に怒りまして、「この記事はでたらめだ」と『フォーチュン』誌編集部に書簡を送ると同時に、私にもその公開書簡のコピーを送ってきました。『フォーチュン』誌は悲観的なことを書きまくっているが、その見方は間違いだというのが氏の主張です。アメリカの議会であれ、新聞であれ、香港についての悲観的論調が目立ちますが、実際には必ずしもそうではないと私自身も見ています。私は今、イギリスのテレビの話とアメリカ人のオーバーホルト氏の話を出しましたが、そういう議論が日本のマスコミの主流に出てこないのははなはだ遺憾だと感じております。香港問題の理解が非常に浅くて、近視眼的にパッテン氏の挑発と、それに対する北京のこわもての対応だけをおもしろ半分に書き立てているからそういうことになる。木を見て森を見ず、全体の流れが見えてこないのではないか、というのが私の批判です。

進む中国の市場経済化

十年前、つまり香港返還を決めたとき、ケ小平氏が一国両制を言ったときには、確かにその実現に関してまだ心配はあったと思います。というのは、中国の市場経済化がどこまで成功するかわからなかった。そういう段階では香港の資本主義と脱社会主義をねらっているけれども、どこへ行くかわからない中国との関係に心配があっても当然でした。 ところが、それから十数年で、中国の市場経済化は相当進みました。

一つだけ資料を挙げますと、一九九五年末に第三次工業センサスという工業についての全調査を行っております。 その結果がことしの二月になってようやくまとまったのですが、それによると、中国の工業全体の中で国営企業・国有企業の占めるシェアは三分の一に減っています。 つまり、中国における工業の三分の二は非国営企業なのです。

具体的には、合弁企業・私営企業・個人企業あるいは農村の郷鎮企業といった部分が、 すでに工業全体の三分の二を占めるに至っており、その意味では中国の市場経済化はほぼめどがついたと見ていい。もちろん、まだ三分の一残っていますから、これをどう扱うかというのは確かに難しい問題です。しかし、この十年間で三分の二あった国有企業のシェアが三分の一に減ったのですから、あと十年同じことをやれば、国有企業の安楽死がスムーズにできる可能性があります。もちろん、赤字だからといって一挙に首切りをやれば失業者があふれて社会不安になることは当然ですが、一方で経済発展を続けて失業者の受け皿を用意しながら時間をかけて雇用転換の方向へ持っていけば、解決のめどはほぼ立ったと見ていいのではないでしょうか。 これから十年、十五年と高度成長が続く可能性が非常に強いわけで、雇用が拡大すれば調整は容易になります。

むろん、経済見通しについても悲観論・楽観論と非常にいろいろな見方があります。例えば外貨保有高が昨年末で一千五十億ドル、その後も一千百億ドルに近づいているという硬い事実があります。これは外部から確認できる数字です。あるいは、貿易の伸びです。これは相手のある話ですから、ごまかしは効きません。このような確実な数字から判断すると、中国経済が崩壊寸前という見方には恐らく根拠はありません。

中国は現に一千億ドルを超える外貨保有を持っており、昨年の十二月にIMF(国際通貨基金)の八条国に移行し、二○○○年までには人民元の交換性の回復を狙っています。今の調子でいけばそれは可能であると考えられるほど中国の市場経済化は進行している。 そういう脈絡で一国両制を見るべきです。 つまり一国両制は、「資本主義香港」 と「社会主義中国」の結合ではなく、むしろ市場経済の先進地香港と市場経済を目指している中国(市場経済途上国である中国)との結合ですから方向性は一致しているのです。

大陸の市場経済化を促進する台湾・香港の投資

人々は、大陸の社会主義の影が香港に及ぶことを懸念しているようですが、 実際の動きはむしろ逆です。中国は資本主義の香港を機関車として、 その牽引力を利用して大陸の市場経済化を進めている。端的に言えば、現実の事態とは 「大陸経清の香港化」 であります。 中国の市場経済化を促進しているのは香港の経済であり、台湾の経済です。

ここで具体的な数字を挙げてご説明しましょう。 中国は十数年の開放政策の中で、主として合弁企業の形で一千七百七十億ドルぐらいの直接投資を受け入れています。 そのうちおおよそ一千億ドルが香港・マカオ経由です。 その次に台湾・アメリカ・日本が続き、 大体百四十億ドル台です。香港資本が約五七%で台湾が八・四%となる。日中経済協力が発展しているといいますが、実は日本の直接投資百四十二億ドルよりも、台湾の直接投資は百四十四億ドルで少し多い。

このことが香港と台湾の経済が中国の市場経済化の非常に大きな牽引力だと言うゆえんです。経済的側面から見ると、むしろ大陸経済の香港化・台湾化が進んでいると言っても構わない事態であります。この現実から見て、その経済構造が長い意味では政治に影響を与えると考えるならば、 香港と大陸の問題はうまく処理できるとする方が妥当でありましょう。

台湾は大陸の政治体制の変化を待っている

台湾についても一言だけ申し上げておきます。李登輝総統の訪米以後、 台湾海峡でギクシャクしてミサイルが飛んだことはご承知のとおりです。しかし、先ほど申し上げた通り台湾は経済的には日本を上回るような投資を大陸にしています。台湾政府は大陸とのつき合いにおいてかなり慎重な姿勢をとり、場合によっては一部の妨害さえしていてもそこまできているのです。輸出に関しても台湾の大陸の依存度は、 現に一七%ぐらいで二割に近づいています。 このような経済的なつながりからすると、経済面での独立というのは少し考えにくい。

政治の面でも中国は安全保障理事会の常任理事国であり、拒否権を持っている.台湾が加盟申請し、たとえ国連総会で決着をはかることとなり、台湾に対する判官びいきがあるとしても、台湾が北京と対抗して三分の二の票を取れるというのは考えにくいわけです。つまり台湾には経済的にも政治的にも独立という選択肢はあり得ないだろうということです。だからといって、すぐ統一という話には恐らくはならない。

一 つは経済の問題で、一人当たりGNPの水準差があり過ぎます。台湾は一万ドルを超していますけれども、大陸の場合にはゼロが一つ足りない水準にとどまっています。もう少し中国の経済が発展しないと、台湾の人たちは何となく不安に思うでしょう。次に政治の問題があります。

台湾は現在民主化を進めています。一方、大陸は政治の枠を変える意思は現在のところ見られませんから、政治上の垣根はまだまだ高く、すぐに統一という話は考えにくいわけです。ですから、これは二十年、 三十年と時間をかけるしかない。 それは、決して問題を先に延ばすという意味ではなくて、今のような調子で中国大陸の経済が発展していけば市場経済化が成功し、いずれは政治体制も必ず変わるはずである。そうなれば台湾と大陸との話し合いは非常にやりやすくなるわけで、それまでは時間を稼ぐ必要がある。その辺が李登輝氏の本音であり、独立でもなく統一でもない、というのが私の分析です。この問題は時間をかける必要がありますから、香港の次は台湾だという話には絶対にならない。また中国にとって台湾問題の解決についての期限はありません。香港の場合には九十九年間という期限がありましたから、ここで一応処理せざるを得ず、有刺鉄線その他で明確に境界を分けるというような形で何とか処理しようとしている。台湾にはそういうターゲットがありませんから、 延ばすことができるのだということが第一点です。

さらに言えば、香港は九竜と香港島の間に千二百メートルぐらいのフェリーがあるとはいえ、 事実上つながっている。この香港と大陸のつながりに対し、台湾の場合には百キロ以上の海峡で大陸と隔てられています。この条件は香港と相当違います。この二条件は香港問題と台湾問題との違いを意味します。 そこを踏まえて、時間をかけて大陸経済の発展と成功を待ち、その上で政治的な民主化を待ってから問題を考えることができます。

あえて一つだけ指摘しますと、大陸が経済的に大きくテイクオフして政治的にも民主化が進んだ段階での台湾との話し合いは、連邦制的な非常に緩やかな統合になるであろうし、そうでないと恐らくうまくいかない。 このような統合の条件をつくるためにはまだまだ時間が必要です。以上の状況を踏まえて、今度は本題である秋の共産党大会の展望についてお話ししようと思います。

江沢民へのポスト集中は天安門事件の結果

皆様もご承知の通り、中国では現在のところ江沢民氏が最も重要な総書記・軍事委員会主席・国家主席の地位にあり、そのほか中央の財政経済委員会主任や台湾問題についても彼がトップです。中国指導部はこれらの主要ポスト、つまり最終的な意思決定権をほとんどすべて江沢民氏に集中しています。 これは、江沢民政権が一種の危機管理内閣であることを明確に自覚して、その内部で権力闘争が起こるのは困るという配慮の上に、あえて彼に権力を集中させているのです。というのは、中国指導部が天安門事件の教訓を十分に学んでいるからだと私は解釈しております。

天安門事件というのは、民主派が非常に強かったからあれだけの流血になったのではない。李鵬氏を中心とする保守派(強硬派)と、学生運動に柔軟に対処しようとする趙紫陽氏のグループが真っ二つに割れたからです。権力の中枢が割れた状況を学生や市民は見ていたものですから、もう少し押せば何とかなるという形でデモを続けることができました。 それが結果的には流血の悲劇になったのですが、むしろ問題のポイントは、権力の側が割れたということにあるのです。 その反省の上に立ち、江沢民体制が割れるというのはまずいという判断の上に江沢民氏に基本的に全てを集中しているというのが今の指導部だと思います。しかし、中国は十二億を超えるような大国ですから、一党独裁といってもすべてを江沢民氏が決めることはできない。権力のチェック・アンド・バランスも必要です。

そのような意味で、一つは全国人民代表大会(日本の国会に相当。常務委員会委員長は喬石氏)が一種のチェック機能になっている。もう一 つは、政治協商会議(主席は李瑞環氏)で、これは民主諸党派との連合と言うか、話し合いの協議機関です。これらの機構が政策の軌道修正をやったり、欲求不満のガス抜きをやっているのです。

例えば、典型的な例は、今春の人民代表大会に見られました。昨今、中国では治安の悪化や汚職が目立つということで、それらに対する取り締まり強化の声が非常に強かった。 そういう声を受けて、今年の全国人民代表大会では、最高検察院、検察の報告に対する批判票が四割を超えました。うかうかすると反対票が五割を超えて、報告案が否決されかねない雲行きです。この数字を示すことによって、いわば治安当局・検察当局を叱っているのです。

一党独裁といっても、事実上党内の反主流派や反対派の声を意識的に表に出して、 一方ではガス抜き、他方では政策の軌道修正を図っている形跡が濃厚です。要するに一面では江沢民氏に権力を集中して統一を守り、政権の維持を図りながら、他方でガス抜きなりチェック.アンド・バランスを考えます。 そのような形で今の体制が維持されていると見てよいでしょう。

江沢民体制は続投。焦点は李鵬氏の処遇

そこで今秋の党大会人事です。恐らくは八月の北戴河会議で人事の根回しができて、 九月二十一日から一週間ぐらい党大会が開かれるという見通しがあります。人事の調整がつかない場合、党大会が十月に延期されることも考えられますが、恐らくはありません。と申しますのは、九月二十九日は日中正常化二十五周年で、そのセレモニーがありますし、 十月一日は国慶節です。また、江沢民氏は年内にアメリカに行きたいと考えています。これらのスケジュールが詰まっているので九月中に党大会を開きたいわけです。そういう形でまとめるためにいろいろな人事構想ができていくことになるでしょう。

まず江沢民の続投体制については全く問題ないと思います。前の党大会で確認されていますし、その後も基本的に何も変化はないわけですから、恐らく江沢民氏がトップである。この点について疑う余地はありません。政治局のメンバーで一番問題なのは来年三月で二期十年が終わる李鵬国務院総理の処遇です。来春、李鵬氏は憲法の三選禁止規定により総理職から退かなければならない。もちろん総理の後任問題もありますが、当面の問題は李鵬氏がもし総理を辞めたら、政治局常務委員会にとどまる理由がなくなってしまうことです。今は総理を辞めた李鵬氏が政治局にとどまるためにはどうすればいいのか腐心している。

そこで、毛沢東時代の党の主席・副主席制を復活して、江沢民が党主席、李鵬氏や喬石氏が副主席になるという案が出たことがあります。しかし、これは恐らくないと思います。なぜなら党の主席制をやめて、党のトップを総書記という形にしたのはケ小平氏の改革であり、彼が自前の執行部をつくった一九八二年の十二回党大会でそれを決めたわけです。

従って、そのことをケ小平氏が亡くなったらすぐにやることは、彼に抜擢されて、その路線を継承すると言っている江沢民体制には無理です。現実的にあり得るのは、国家主席のポストを李鵬氏に譲ることで常務委員会にとどまらせることです。あるいは、年齢から考えて喬石氏が国家王席になって、李鵬氏は全人代の委員長になるということもあり得る。 どちらになるかわかりませんが、いずれにせよ江沢民氏が今持っている幾つかのポストのうち、手離せるのは国家主席ぐらいしかない。これを李鵬氏に与えるのか、喬石氏に与えて李鵬氏を全人代の委員長にするのか、その辺が妥当な予想になると思います。

ただし江沢民氏は、アメリカに行くときには国家主席というポストは絶対にほしい。なぜならアメリカに行ったときに、コミュニストパーティーのジェネラル・セクレタリーであるとか、あるいはミリタリー・コミティーのチェアマンであるというのはアメリカでは非常にぐあいが悪いからです。何といっても中国のプレジデントだというのが一番いい。国家主席を決めるのは来年三月の全人代であり、その人事を党大会で決めたとしても、それまで国家主席のタイトルは動かない。アメリカへ行くときにはそれを使えますから、 江沢民氏にとって不都合はないとも考えられます。

数多い国務院総理の候補者

そのような形で、李鵬氏・喬石氏の処遇があると、次の問題は後任の総理です。これは多数の方に可能性がある。李端環氏は六十三歳で意欲を示しているようですし、今の経済をうまくマネージしている朱鎔基氏は六十九歳です。一○%近い成長を維持しながらインフレを押さえ込んだという意味では、朱鎔基氏の経済運営に対する手腕は非常に高く評価されております。しかし彼は李鵬氏と年齢が同じで、総理を務めるには年齢が高すぎるようにも思います。

それから、八十一歳の劉華清氏は当然引退となります。もともと劉華清氏は引退していたものが、一九九二年の十四回党大会で楊白冰の人事がもめたために、そのショックを吸収するものとして長老が再出馬したという経緯があります。これは軍のポストですから、劉氏の後任は軍事委員会副主席の張万年氏あるいは遅浩田氏かのいずれかになるでしょう。 両氏は軍の中の役割分担が違っております。軍令部門・参謀部系統の方は張万年氏で、軍事委員会の地位としては彼の方が高い。江沢民軍委主席の次が張万年副主席、その次が国防部長の遅浩田副主席という序列ですが、どちらが政治局のメンバーになるのか、 ちょっと判断がつきかねるところです。

と申しますのは、春の全人代で中華人民共和国国防法が採択されました。つまりまだ不徹底とは言え、解放軍を党の軍隊から国家の軍隊に変えようという動きがあるわけです。 ただし、なかなかそこに踏み切れない。結局、共産党独裁というのは、軍が党の軍隊であるということが最後のよりどころですから、これはなかなか簡単には手離せない。何度もこれまでそういう試みがあったわけですが、その都度障害があって失敗しているわけです。しかし、とにもかくにもこの春に国防法を採択していますから、その観点からすると、軍令部門・参謀部系統の仕事と、軍と政治の調整役は別の人が担当した方がいいという議論もあり得る。 そうなると、国防部長で軍の内部では総政治部系統を指揮している遅浩田氏が政治局に顔を出すということもあり得ます。

それから胡錦祷氏は五十五歳ですから、 ある意味では総理候補として一番問題がないかもしれません。 国務院総理は、政治局常務委員でなければいけません。常務委員の中で一番若くて難点がないとしたら胡錦涛氏です。以上が常務委員です。これは現行で定員は七名ですが、 あと二名ほど追加するとも伝えられております。すると可能性が一番強いのは平の政治局員で筆頭にいる丁関根氏であります。彼は六十八歳で、党中央部の宣伝部長です。彼は秋の党大会を取り仕切っています。党大会の人事と政治報告を起草する仕事の責任者になっていると伝えられています。ですから彼は当然常務委員になるだろう。すると残りの一人はだれかということですが、それは総理になる可能性のある人だということになります。

例えば、下馬評に上がっている李嵐清氏・呉邦国氏あたりが総理候補という形で取りざたされております。実際に誰が総理に就任するかは、八月の北戴河会議での根回しで決まるでしょう。そういう形で常務委員が七人から九人にふえるとすれば、今度は政治局委員についてです。高年齢の人たち、 例えば楊白泳氏は七十七歳で当然引退です。彼はもともと軍事委員会からは足場を失っており、政治局にも単に名前を掲げていただけです。 つまり、 混乱を防ぐための棚上げで、政治局委員のポストだけは与えていたということです。 そのほか、年齢の高い鄒家華氏 (七十一歳) は引退すると思われます。

大体この政治局レベルというのは七十歳が引退のめどになっています。普通の大臣とか各省の党委員会書記・省長クラスは六十五歳が大体の定年になっております。つまり、六十五歳を超えた人をそれらのポストに選ぶことはない。六十六歳になると、間もなく配置転換が行われ引退であるという例が多いのです。例外もありますが、原則的に七十歳を超えた人が新たに選ばれるということはまずありません。

平の委員に昇格が予想されているのは、北京市市長で、いずれ書記になることが確実視されている買慶林氏は政治局に入るでしょう。と申しますのは、直轄市の書記すなわち北京・天津・上海の各書記はいずれも政治局に入るという原則があるからです。

内陸から政治局委員が入るかどうかに注目

そういう文脈で、一つ注目したいのは重慶市であります。重慶市は三月の全人代で直轄市への昇格が決まって、六月から正式にスタートしました。人口三千万の、中国で最大の直轄市が生まれたのです。もっともこれは、単に周辺の農村を拡大しただけです。 三峡ダムをつくると百万ぐらいの人が移転しなければいけない。その移転対象になっている地域と住民に雇用を与えなければいけない。そのためには移転する農民・漁民と新たに受け入れるところを一 つの行政区にしておいた方がいいとなって重慶市をとてつもなく大きくしたのです。 そこの書記は、直轄市の書記という原則に照らせば当然政治局に入るべきだという議論になるでしょう。

ただし、そうなると重慶とライバル関係にある成都(四川省)から、「重慶だけが政治局に行って四川省が入らないというのは不公平だ」という議論が出てくることは目に見えています。現在こそ四川省は政治局に人間を送っていませんが、以前は省書記だった楊汝岱氏が政治局にポストを持っていました。その後、五年前の十二回党大会では、四川省内部の調整がつかず、政治局に代表を送れなかったといういきさつがあるのです。

そのような経緯からすると、もし重慶が政治局委員を出すのなら四川省が先だという議論にもなりかねないし、両方から出すということになる可能性もあります。すると、今度は四川省系がオーバープレゼンスだと他から反発があるかもしれない。相打ちで両方入らないかもしれないなどということも予想されます。ただ、平の政治局員も今は十三名ですが、枠をふやすという可能性があるので、その辺が一 つの見どころかと思います。

現在、中国では沿海開放発展戦略が一段落して、内陸シフトが非常に進んでいます。 江沢民政権が内陸を重視するという姿勢を示すためには、四川省なり重慶市から一人出すことは非常に意味がある。例えば、日本の内閣で女性の入閣が一人だ、 二人だという議論があります。

中国でも内陸から政治局委員が出るとなれば、内陸を重視しているという政治的なデモンストレーションにもなるので、その可能性があります。他にもだれか政治局に入ってくる可能性はあります。ただ、常務委員に関して申し上げますと、いきなり二階級特進ということはありません。できれば二期十年ぐらいやれる人が本当は一番望ましい。その見地からすると十年やって六十五歳となる胡錦祷氏が一番いいのですが、話し合いがつかなければ一期だけという形で、もう少し年齢の高い人でも構わない。いずれにせよこの中から選ばれるだろうということが一 つです。

大きな権力闘争は起こらない

もう一 つは、これらの動きはすべて権力の再配分であり、人事とは政治家を支えている勢力基盤の利害調整の問題だということです。そういう意味でこのポスト争奪と利害の調整は相当厳しいものがあります。しかし私が強調したいことは、そのポスト争奪や利権争奪は、どんなに激しくとも所詮は「コップの中の嵐」にすぎないということです。 コップを割る、あるいはテーブルをひっくり返す、というレベルの権力闘争をやる体力はだれにもありません。

例えば、よくアメリカ筋では喬石氏に注目しています。これはどうもソ連のクレムリン学の間違った適用だろうと私は思います。ソビエトではKGBを握っていたアンドロボフがブレジネフの後を継いで書記長になった例から見て、権力の移行期には治安系統を握っている人が強いのだという見方があるのです。ただし、喬石氏の政治行動をずっと見ていますと、野心を見せず、むしろ党組織の中でバランスをとってきています。

例えば、天安門事件で戒厳令実施の可否を決めたとき、彼は最後まで態度を保留しました。結局、戒厳令主張派が李鵬と姚依林で、反対派が趙紫陽と胡啓立でした。喬石氏は最後まで中立だった。政治局は二対二対一に割れたのです。その後、事態への対応はケ小平氏が裁断を下し喬石氏はそれに従いました。喬石氏の中央における活動歴は江沢民氏より長く、早く偉くなってもいるわけですが、彼のそういうスタンスを見ていますと、治安系統に影響力があることを利用して、江沢民氏にとってかわろうという形跡はほとんど見受けられない、結局、江沢民という一種の危機管理体制を守ることによって、その枠の中で利害の調整を行っているということに尽きます。

なぜならそれ以上の権力闘争を始めると収拾がつかなくなって、権力そのものが崩壊するということを皆が知っているからだと思います。そのような意味では、 旧ソ連解体の教訓、あるいは東ヨーロッパの大部分の国の政権が吹っ飛んだという事態の本質を中国の指導部はよく理解しているのです。江沢民指導部というのは決して強い指導部ではない。自らが桔弌峠氏によって抜擢されただけの、本当の試練を受けてない指導部で弱い政権であることを自覚し、何とか山積する課題を解決していかなければいけないという目的意識がはっきりしているので危機を乗り越えることができるだろうと思うのです。

つまり、問題がいろいろあること自体が危機を意味するわけではない。問題に対する明確で意識的な対応を怠れば江政権はいつでも吹っ飛びますが、そういう問題を十分自覚して、その上でのポストの再配分、利害関係を調整するしかないのだという点で彼らの意見が一致しているということが問題のポイントだろうと思います。

新路線は出ない今秋の党大会

そのほか大会の基調としては、新しい路線を提起するようなことは一切なく、基本的にはケ小平路線を守るということに尽きるようです。その場合のケ小平路線とは何かと言いますと、二月二十五日のケ小平追悼大会に一つの答があります。そこで江沢民氏はケ小平氏の未亡人が余りに長いと感じて何かぶつぶつ言い出すほどの演説を行いました。

その演説において、江沢民氏が十カ条をケ小平路線として挙げていましたが、内容的に目新しいものは何もありませんでした。「改革開放を守る」などの聞きなれた種類のスローガンで、基本的にはそういったものが党大会の基調になるであろうということであります。

以上のように見てきますと、これまでのところポストケ小平は問題ありませんでした。秋の党大会においても何とか利害関係を調整して、第二期江沢民体制ができる可能性が高い。そういう中国とどううまくつき合っていくかが日本の課題になります。去年はつまらないことで日中関係がぎくしゃくしましたが、今年は日中正常化二十五周年でもあるし、うまくやりましょうというのが双方の了解になっているようなので、中国側の対日姿勢はかなり柔軟なようであります。 つまり両国関係をこじらせるとまずいという認識を双方が持って冷静につき合えば、困難な問題はないというのが私の見通しです。

ありがとうございました。 (拍手)(本稿は一九九七年六月十一日の定例午餐会における講演会の記録である。文責編集部)