書評『現代社会主義--その多元的諸相』東大出版会、『社会科学研究』第30巻第4号285〜292ページ、東大社会科学研究所、1979年2月

中 国 編、評者矢吹晋

  本書には、現代社会主義にかかわる八つの論文(ソ連三篇、東欧二篇、中国二篇、ベトナム一篇)が収められている。今回は複数の評者を予定したと開く。私に求められているのは中国篇であろう。検討の対象を、Y 近藤邦康「毛沢東――『翻身』と『科学』」、Z 古島和雄「毛沢東思想とプロレタリア文化大革命」の二篇に限定したい(以下、前者を近藤論文、後者を古島論文と略称する)。

  本書に対してはすでに佐藤経明氏の書評(『経済学論集』東京大学経済学会第四三巻第四号、一九七八年一月)がある。佐藤氏は両論文をこう評した。「評者の率直な印象は、「失望』の一語につきる。――『現代社会主義』の有力な一翼をなす中国についての分析が、抗日戦時代の毛沢東の思想形成を扱った近藤のエッセー風の小論と廬山会議(一九五九年)前後の路線闘争を中心にし、これに文化大革命についての若千の問題点の指摘を加えた、覚え書風の古島論文だけというのでは、『現代社会主義』の書名が泣くであろう」、「すでに十年を経た文化大革命についての問題点の指摘が、筆者〔古島氏を指す――矢吹〕があげた四点にとどまるようでは、筆者がいだく社会主義のビジョンの根本が問われることになりはしないであろうか」。

  酷評である。この手きびしい批評が妥当か否か、もう一人の評者がこの両論文を読み返すわけである。結論をあらかじめいってしまえば、まことに遺憾ながら、評者もまた佐藤氏の酷評に深い同感を禁じえなかったのである。

  近藤論文は、毛沢束の死を契機として故人の存在を「一種の磁極のように自分を引っばっていた」と痛感した筆者が、「自分にとっての毛沢束の重みをたしかめなお」すために書いた、「ささやかな素描」である(二八五―六頁)。筆者はこれまで中国近代思想史を、@中国の課題の認識、A人民観、 B知識人観、の「三本の柱」を立てて考えてきた、 という。この論文では、毛沢東のいわゆる「三つの宝」――統一戦線、武装開争、党建設――をそれぞれ三節の副表題とし、これに第四節「知識分子」を加えて全体を結んでいる。筆者によれば、「三本の柱」と「三つの宝」は、「ほぼ照応する」由であるが(二八七頁)、いかに照応しているのかは説かれていないため理解しにくい。

  近代思想史の研究者が、その研究をふまえて現代思想のなかでもきわだった一つである毛沢東思想にアプローチする意欲は大いに買う。毛沢東思想における「伝統と革新」の接点に肉薄しうるからである。しかし、ここで論じられたかぎりでいえば、近藤論文は既存の論点に対する筆者なりのおさらいといった感じであり、残念なことに、特に興味深い分析や積極的な主張を含んではいないように思われる。以下で各節の論旨をたどってみよう。

  第一節「統一戦線」の結びはつぎのごとくである。「毛沢東、中国共産党は、民族――人民――階級の立体的論理をつかみ、中国近代の反帝反封建闘争を継承しつつ、これを一層徹底させ、芯に筋金を入れ、前途に展望をきりひらき、全民族抵坑の代表者、指導者となっていった」(二九四頁)。

  なるほどそのとおりであろう。特に異論があるわけではない。だが疑間は残る。抗日期の三者の「立体的論理」は、抗日の目的を達した暁にはどうなるのか? 七〇年代初期に打出されたテーゼ――国家は独立を求め、民族は解放を求め、人民は革命を求める――は、筆者の説く「立体的論理」でどこまで説明しうるのか、それとも説明しえないのか? 六十年代以降の中ソ対立、近年の中越紛争など、現代社会主義のイメージを根底からゆるがすような事態は、この「立体的論理」でどこまで解きうるのか? これらの問いに直接答えよというのではない。研究の対象はたとい抗日期であれ、こういった課題を視野に含めて歴史を扱ってほしいのである。そうしないと抗日期の歴史的意味でさえ不明確になるのではないだろうか。

  第二節「武装闘争」は、根拠地拡大の論理を、故竹内好のいわゆる「純枠毛沢東」説に依拠しつつ、「主観能動性」とからめて整理したものである。竹内の直観的毛沢東理解はいまなお新鮮だとはいえ、二十数年前の当時とは比較にならぬほど豊かになった資料状況のもとでは、いまひとつ肉付けがほしいところである。

  第三節「党建設」では、「人民のため」の党、「科学」に裏づけられた実践のための党、という二つの基準から党をとらえている。筆者は毛沢東の「科学」観を、主として「実践論」に即して論じている。ここではいわば「科学」の性格づけにとどまっており、「科学」の内実まで立入ってはいない。毛沢東の「科学」をキーワードとして論ずるからには、たとえばつぎのような課題に迫る必要がありはしないか。「マルクス・レーニン主義は科学である」と毛沢東がいうとき、彼の理解する「マルクス・レーニン主義」とはいったい何か? それを基礎づけるとされている「弁証法的唯物論」の毛沢東的理解の特徴は何か? 社会科学と自然科学の異同を彼はどう考えているのか? 三大革命運動(生産闘争、階級闘争、科学実験)内部の相互関係はどうなっているのか? そして最後に、科学は上部構造なりや否や? 要するに、毛沢東のコトバによる毛沢東思想の説明にとどまるのではなく、現代世界における毛思想の位相に迫る分析がほしい。

 ここで、もう一つのキーワードである「翻身」にふれよう。毛沢東の階級観について筆者は、「階級が思想を決定するという階級論」を前提としつつ、「思想の方から階級を規定する傾向」を指摘している(三〇二頁)。前者はいうまでもなくマルクスの古典的定式の踏襲である。毛沢東において特徴的なのは、後者の強調であろう。端的にいえば、後者こそが「翻身」――思想改造の契機をなす。抗日戦当時はもとより、解放後は社会主義的人間への自己変革として、よりいっそうこの問題が重大化したことはいうまでもない。「成份〔出身階級〕論」「血統論」は文革においてもはげしく議論され、十年後の今日あらためて批判されている(たとえば「粛清血統論的影響」『人民日報』一九七八年八月九日)。筆者がせっかく「翻身」をキーワードに据えながら、 問題点の指摘にとどまっているのは惜しまれる。

  第四節「知識分子」では、魯迅の知識人観と毛沢東の「文芸講話」を重ねあわせている。毛沢東は「武」と「文」の統一、革命という客観的要請と個人の内的要求の統一、読書人と労働者、農民との結合を求めた、と結んでいる。

  近藤論文の骨子に対する評者のいくつかのコメントは、以上のごとくである。疑問の解明は評者自身の課題でもある。すべてを筆者に求めるわけではないが、それにしてもつぎのような実感だけは否めない――なるほどおっしゃるとおりでしょう。そこまではもうわかっています。知りたいのはその先なのですよ。

<追記>「矛盾論」の一句の読み方について、単者は一頁余の注(三〇六〜七頁)を書いて新島淳良氏の見解にコメントしているので、それをみておく。

  原文はこうである。「其主要的方面、 即所謂矛盾起主導作用的方面。事物的性質、主要是由取得支配地位的矛盾的主要方面所規定的。」(『毛沢東選集』一九六六年改横排本、二九七頁)

  新島訳はつぎのとおり。「その主要な側面とは、 いわゆる矛盾において、主導権をとっている側のことである。事物の性質は主として矛盾をリードする地位にある、主要な側面によって規定されているのである」(『原典中国近代思想史』第五冊、 一九七六年、岩波書店、三七〜八頁)。

  新島淳良氏がここの「支配地位」を「リードする地位」と訳したことについて(なお、既訳は「支配的地位」)、近藤氏は「『矛盾論』の読み方としてまちがいではないか」(三〇六〜七頁)と書いている。新島氏いわく、既訳によれば「主要な側面とは、階級社会ではつねに支配階級のがわ、支純する側、つまり力の強い側を指すと誤解される。……それでは、弱小な力は支配階級にならねば『主要な側面』になれないことになる。毛沢東の思想の精髄がそれでは死んでしまう」。この新説に対して近藤氏は、「社会に適用している場合は、やはり、現実の力関係において相手を圧倒している側、『支配する側』を指」す、と論じている。

  原文に即してみていこう。「取得支配地位的矛盾的主要方面」は、@「取得支配地位的」を「矛盾」の限定句と解して、「支配的地位を占める矛盾の主要な側面」とも読めるし、A「取得支配地位的」を「(矛盾的)主要方面」の限定句と解して、「支配的地位を占める、(矛盾の)主要な側面」とも読める。 しかし、 この一節は矛盾の主要側面、非主要側面を論じた個所であるという文脈から判断して、Aの読み方が妥当であろう。したがってこの一文は「物事の性質は主として、支配的地位を占める、矛盾の主要側面によって規定される」となる。ここで問題は、「主要側面」に対するもう一つの説明句たる「支配的地位」であるが、「支配」とは「対人或人物起引導和控制的作用」(『現代漢語詞典』一三一〜九頁)である。 コトバ自体の意味としては「支配的地位」でも「リードする地位」でもいいだろう(もっとも、この個所の英訳にひきずられて、わぎわざ英語を使うこともあるまいが)。

  毛沢東自身はここでいくつかの例をあげて「支配地位」を説明している。@封建社会から資本主義社会へ、資本主義社会から社会主義社会への転換におけるそれぞれの支配階級と被支配階級、A旧中国から新中国への転換における支配階級と被支配階級、とりわけ北伐戦争における勝者と敗者、革命根拠地における支配者と被支配者、B革命闘争〔という物事〕における困難な条件(=主要側面)と順調な条件(=非主要側面)、C学問研究〔という物事〕における、知らざること(=主要側面)と知っていること(=非主要側面)、などである。

  新島氏も近藤氏も五十歩百歩である。@Aの事例をもとに、やれ「リードする地位である」、やれ「支配する地位である」と争っているにすぎない。両氏はBCなどの事例をどう解釈するのであるか。@〜Cなどすべての事例を説明しうるものとして「支配地位」という表現を用いていることは明白ではないか。毛沢東の哲学的論理とは元来そういうものである。@Aのごとき事例の解明には、社会科学の援用が不可欠なのであり、社会科学が解決すべき課題に対して、哲学的解釈をもって事足れりとする発想がそもそも不可解である。

  新島氏のような解釈からは「主観主素」が生まれやすいし、近藤氏(というよりも通説)からは機械的唯物論が導かれやすいであろう。「主観能動性」に依拠した能動的実践と科学の間、理論と実践との間には、目もくらむばかりの深淵が横たわっている。そこに気づかない人々は幸せである。

  近藤氏が疑間を呈しているので、念のために、原文の第一文をみておく。「その主要な側面とは、 ここでいう矛盾を主導する側面である」――評者は仮にこう訳してみたい。「矛盾起主導作用」を「矛盾を主導する」と解するのは、 一見主語と賓語の逆転だが、論理的意味はずっとはっきりするであろう。矛盾の主要側面とは、要するに、両側面のうち、矛盾(=物事)を「主導」する側のことである。では「主導」とは何か。毛沢東は主要矛盾を特徴づけることばとして「領導作用」を用い、主要側面を特徴づけるものとして「主導作用」を用いた。両者はどうちがうのか。『現代漢語詞典』によれば、「領導」とは「率領並引導朝一定方向前進」、「主導」とは「主要的並且引導事物向某方面発展的」である。前者は「物事を率いて前進させる」であり、後者は「物事を導いて発展させる」の意である。近藤氏が「今一つ明確につかみきれないところが残る」(三〇七頁)と書いたので、念のために評者の解釈を付記した。

 

  古島論文はたいへんユニークである。まず第一に文章したがって論理が乱れている。筆者が何を主張したいのか,よくわからない個所が少なくない。第二に、論文の構成が極端にアンパランスであり、肝心の主題「プロレタリア文化大革命」が本書でわずか三頁の走書きに終わっている。評者の読後感は「失望」をはるかに越える。「大傑作」の讃辞を呈したい。

  第一節「革命と建設の理論の形成」は、毛沢東の「人民民主主義独裁について」の紹介にはじまり、「十大関係について」「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」の要約に終る。毛沢東の考える「革命」とは何か、「党と人民大衆」との関係はいかにあるべきか、について彼の所説を整理しているが、常識のくり返しの域を出ていないのではないか。少なくとも手ぎわのよい整理とはとうていいえない。 一例をあげよう。「毛沢東の革命についての認識には、極めて特徴がある」として、第一に「人間の要素」をあげる。いわく「この観点は、社会主義建設の課題が、より深化した形で提起されればされるほど、 一貫した立場として毛沢東の革命認識の基礎におかれている」(三一七〜八頁)。なるほど、ではつぎの特徴は何かと読み進んでいくと、第二は全く登場しない。いつのまにか「革命と党と人民の関係」に論点が移り、「この観点は、また一貫して展開される観点である」(三一八頁)となる。論点はさらに大衆運動に移り、土地改革時の整風運動になったかと思えば、こんどは農業協同化政策の特徴に話が移る、といったぐあいである。

  あれもこれも書いてはあるが、筆者が「革命と建設の理論」を結局どうとらえているのか、通説のくり返しを越える主張はどこにあるのか、さっばり読みとれない。これは評者の読解能力が欠如しているためか。第一に、と指摘しておきながら、第二以下が行方不明になる例は別の個所(三二三頁一行以下)にもみられる。

  第二節は「調整期の路線闘争とその性格」の分析にあてられている。まず廬山会議における彭徳懐問題を扱う。小さいことだが、廬山はすべて蘆山となっている(三二六頁注五の「講和」も見苦しい。むろん「講話」の誤植)。

 「大躍進政策における著しい経済パランスの失調現象」については、@投資計画過大説、A自然災害説、B労働力の誤った配分説、Cソ連援助停止説、 に言及したあと、「さらに主要な問題を附け加える必要がある」(三二八頁)と新説の展開を暗示する。ところが「薛暮橋氏の談話を基礎としての立論」とわざわざ注記して(三三五頁)指摘した内容は、驚くなかれ、企業管理権の下放が各企業に過大な投資計画を許したこと、生産実績の水増し報告(いわゆる「虚報」問題)といった、研究上では常識に属する事柄であった。

 大躍進の挫折については、すでに小島麗逸氏の研究(『中国の経済と技術』勁草書房、 一九七五年、第五章第三節)などがある。評者がひとつ疑問を抱くのは、既存の研究に対する筆者の態度についてである。古島論文には、全体で十三の文献が典拠としてあげられている。すべて中国のものであって、日本人の研究成果、いわんや欧米人のものは全くあげられていない。

  言及、引照に堪える研究は皆無という判断なのか。もしそうならば、自信のほどを論旨で示してほしかった。それとも出所を明らかにした場合、何か不都合があるのだろうか。臆測してみてもはじまらないが、いずれにせよ不可解な「作風」である。実はこの種の「作風」の持ち主が現代中国研究者のあいだに少なくないのである。通説のくり返し、つまり独自の主張の欠如に対して無神経であることの一困はここに求められるかもしれない(読者はおそらくこの点だけからでもその「論文」の水準を判断して大きな誤りを犯すことにはなるまい)。

  さて筆者はつぎに「公社体制のもとでの農村問題」を諭ずる。社会主義教育運動についての二つの文献(いわゆる「前十条」と「二十三カ条」)が主たる資料とされている。筆者は資料不足を訴え、「わずかな資料を通じて考察してみることが可能な状況」(三二七頁)だという。相対的にいえばたしかにそのとおりだが、収集の意思さえあれば、「工作通訊」(抄)、「連江文書」、「紅衛兵報」、「中央文件」など資料はむしろ多すぎるくらいである。これらの「非公開」資料について「資料批判」の必要なことはいうまでもないが、事は中国当局の公開資料の場合も同じであろう。『人民日報』『紅旗』などが「事実」をいかに報道し、 論評したかをわれわれは近年再確認させられたわけである(ちなみに、最近になって中国農村の「売買婚」の再復活が伝えられ、話題を呼んでいるが、「連江文書」では克服すべき対象として明記されている)。

  調整期における農村の矛盾を、筆者は「矛盾の転化の問題」として説いている。ただ、矛盾を実体的にとらえ、区別する概念としての「敵味方の矛盾」対「人民内部の矛盾」と、矛盾の闘争性にかかわる「敵対性、非敵対性」(原文「対抗性、非対抗性」)の概念が混同しているように見受けられる。

 「農村問題」のあとは、「思想戦線における路線問題」であり、「三家村」を扱い、最後に「調整期の路線聞争」を以下のごとく総括する。

 「調整期における……状況の推移は、中国共産党としての原則問題の当否が出われる問題に拡大していたことを示す」、「その原則問題は、……二つの文献〔十大関係論、人民内部矛盾論〕によってしめされた……独自路線が、中国共産党の原則とし得るのという問題であろう」(三三四頁)。

 「原則問題」「路線問題」がお好きらしいが、「原則」の内実がはっきりしていない。調整期の社会的矛盾、それを反映した路線対立の帰結点を「二つの文献を中国共産党の原則としうるか否か」に求めようとする主張は二重の意味で説得的とはいえない。第一に、十大関係論と人民内部矛盾論を安易に並列するのは不適当である。 一九五六〜五七年の政治的気流は、R・マクファーカーがその時期だけを対象として一冊の本(『文化大革命の起源』オクスフォード大出版局刊、 一九七四年)を書いたほどに複雑である。第二に、文革前夜の路線対立の本質は、毛沢東によれば、社会的矛盾を「階級矛盾」と認識するか否かであった(『毛澤東思想万歳』丁本所収の「中央工作座談会紀要」によれば、劉少奇は基本的に人民内部の矛盾と認識し、したがって「階級関争」を強調しない立場に立っていた)。「階級矛盾」よりも「人民内部の矛盾」を強調した文献をもって、文革期の中国共産党がたちかえるべき原則だとする主張は、はなはだしい倒錯ではないだろうか。

  第三節は「文化大革命の問題点」を扱っている。いわく「毛沢東思想と文化大革命という課題を設定した限り、文化大革命の展開と、その過程であらわれた諸現象に対して、考察を加えることが自ら課した課題であると考えるわけであるが、率直にいって、複雑な文化大革命の過程を分析する能力は、差し当ってないと言わざるをえない」、「ただ、今後の課題として残すための、問題点の整理をおこなうことによって、課題の一部に答えるに止めたいと思う」(三三五〜六頁)。

  分析能力が「差し当ってない」のならば、今後に期待するほかないが、「問題点の整理」には成功しているであろうか。筆者のあげた第一の問題は、文革の「当面の課題と、原則問題との関りあいの問題」である。「文化大革命の当面する課題が……実権派の打倒におかれたことは、 止むを得ない」、しかし「文化大革命は基本的な課題として……〔前掲両論文の〕原則問題に立返ることを、 より基本的な課題として提起されていた」(三三六頁)。五六〜五七年の両論文に立返る、 という表現は、 五六年の八全大会路線に立返れと主張した一部の論者(たとえば故中西功)の発想に似ている。文革はその十年前に「立返る」運動ではなく、なによりもまず修正主義ならぬ社会主義の未来をめざした巨大な天衆運動ではなかったのか。

 「調整期における条件の変化が、本来の性格としての敵対的矛盾として露呈した」(三三三頁)とする理解も奇怪な解釈である。問題のありようは、毛沢東がソ連修正主義の現実、中国の内なるフルシチョフ主義(劉少奇路線)を見据えて、社会主義社会認識の基軸を、従来の人民内部矛盾論から階級矛盾、階級闘争論ヘ転換したということではないのか。人民内部矛盾論を前提として、やれ「正しい処理」だとか、「条件の変化」だとか、スコラ的論議によける前に、社会主義社会の階級闘争論を展開した八期十中全会テーゼの意味を考えるべきであろう。

  第二にあげるのは、「文化大革命小組の役割の問題」である。それはたしかにひとつの問題として考察に値いするであろう。ただ、もってまわったつぎの一文にはゲンナリさせられる。「最大の問題は、原則的立場に帰る条件の変化を勝ちとるという、文化大革命の基本的課題が、文革小組の任務の中で、どう認識され、どう意識されていたかという原則上の問題が残るのである」(三三七頁)。こう書けば十分ではないのか。「文化大草命の基本的課題が、文革小組の成員の間で、どう認識されていたのかという問題が残る」と。だが、これがはたして「最大の問題」、「原則上の問題」といえるかどかうかはまた別のことであろう。

  第三は「文化大革命の継承の問題」である。「誤った路線が党内に発生しない、徹底した批判の活動を継続させ、人民大衆の積極性と創造性に党組織が密接に結びつくことを除いて、文革の継承はありえない」(三三八頁)。文章が少し変だが、内容には同感する。「党内の実権派の打倒に継承の中心点をおくことは、文化大革命の継承の問題とは異なり、経過的段階に革命をおし止めるものである」(同)。どうやら「四人組」批判らしい。とすれば、この視点からみて、「四人組」批判派の路線について若干のコメントがほしいところである。

  第四は文革の普遍性の問題である。「実権派の打倒という課題は……矛盾の転化の問題と深くかかわっている」、「人民大衆が……信頼を寄せる指導者の存在〔毛沢東を指す〕とも結びついている」、と二点を指摘し、最後に「党組織自体が変質するという歴史的経験こそが、 理念的に深刻な問題として提起されて」いる(同頁)と結んでいる。重要なのは最後の点であろう。

  四カ条の指摘は、それぞれに重要ではあろうが、文革をテーマとした四〇〇字六〇枚の論文の結びとしてはあまりにも淋しいといわざるをえない。ここまで読み進んできて、評者はいま大きな疑間を感じている。この論文の筆者は、そもそもこのテーマについて書くことに対して意欲を持っておられたのであろうか。

 さて、以上は近藤論文、古島論文の内容に即して印象を記したが、両論文を本書全体の課題に即してみると、評者の不満はさらに大きくなる。現代社会主義の「『多元的』構造を立体的にとらえること」(ii頁)がその課題なのであった。 この課題と両論文の距離は、 佐藤経明氏が嘆いたごとく、「書名を泣かせる」に十分である。中国社会主義論を構築するうえでの困難については、評者自身重々承知しており、過大な要求をするつもりはない。だが、内容のチグハグな論文をいっしょにしても「多元的諸相」の解明になりえないという評価だけは強調しておきたい。

  もう少し「恰好をつける」やり方は、いくらでも考えられるはずである。たとえばソ連のスターリン批判に対応させて、中国におけるその衝撃を考察すれば、 人民内部矛盾論(「人民内部の矛盾」という概念自体がスターリンの粛清に対するアンチ・テーゼである)の意味をもっとはっきりさせ、中国社会主義の転換の軌跡を浮かびあがらせることができたであろう。また文化大革命において追求された中国社会主義の理念がソ連型社会主義のそれとどう異なるのか、そして現実の中国社会主義がソビエト・モデルといかに多くの共通性をもっているのかなどを分析してこそ四年にわたる「共同研究」に意味があるというものだろう。評者の希望は、要するに、社会科学研究所の名にふさわしい研究であってほしい、という一言につきる。