ジャカルタ・ショック、『中央公論』1974年3月号、44-45頁

群盲象をなでる嘆きに近い

ぶちまけていうと、ジャカルタの学生デモのニュースを聞いて、私はサバサバした感じを否定できなかった.それみたことか、というつもりはないけれど、「日本大使館に石 一つ投げられる日」を憂慮する発言が杞憂扱いされることにいらだちを感じ続けてきた者の一人として、事態の進展の早さに驚くとともに、 ようやく共通の事実確認ができそうになってきたことを、むしろ喜びたいとさえ思っているわけだ。

田中(角栄)首相がそれぞれの訪問国でどのような「歓迎」を受けたかは、いまや誰の目にも明らかである。インドネシア、タイでは田中人形が焼かれ、マレーシアでは空港でデモに迎えられた。表面的に静かだったのはフィリピン、シンガポールであるが、フィリピンはかねて戒厳令下にあり、ここでもし大きなデモが起ったとすれば、 それはマルコス独裁体制の崩壊につながるものであったろう(崩壊を防ぐために日本の果している役割は実に大きい)。シンガポールの湯合は、 かつて激しい闘争を行ったために、六○年代末期から学生自治会の存在さえ許されず、 この二、 三年ようやく「御用自治会」が再組織されつつあることを指摘しておけば十分である。

さてこの顕在化した、あるいは潜在するスチューデント・パワーについてさまざまの議論が行われている。田中首相は日本の「過激な」学生デモを見慣れているから別に驚きはしないと語ったそうだが、六七年秋・六九年秋のような羽田事件が国内でなく国外で起ったことは何を意味Lているであろうか。運動の対象が「反日」であるとともに、「反政府」「反華人」の側面をもつという指摘がある。たしかにそのとおりかもじれないが、「共犯者]がふえたからとて自己の責任が軽くなるものでもあるまい。日本資本が汚職を拡大し、腐敗した権力を支えるとすれば、現地政府との友好が民衆にとって反友好となるのは見易い道理である。華人社会についていえば、 それが東南アジアに存在すること自体、 帝国主義の植民地政策の産物であるが、民衆にとって真の敵が巧みに隠れたいま、身近に存在する華人がスケープゴートとして祭りあげられる。

東南アジアにおける学生の社会的位相から、現在のエリート階級=政府に対する未来のエリート階級=学生の造反ととらえる見方、学生デモの 「暴徒化」 に注目し、紅衛兵のイギリス大使館焼打ち、 六○年安保のハガチー事件になぞらえる論者、 はては米英の陰謀説など枚挙にいとまがない。デモが起ったという事実は誰の目にも明らかだが、参加した学生の意識をどうとらえ、その社会的意義をどう評価するかとなると、群盲象をなでるの嘆きに近い。実はデモの参加者にとってさえそれが象であるのかどうか、象になるのかどうか必ずしもはっきりしていないのではないだろうか。

中国学生運動の教訓

私のイメージは中国の五四運動である。一九一九年のこの学生を中心とした大衆運動は今でこそ中国全学連の濫觴・中国共産党の母胎として高く評価されているが、当時において今日の中国共産党を予想しえた人々が何人いたであろう(むろん中国の革命家を含めてである)。運動の方向性がまだ不明確だという意味で五四以前であるというのなら、 一九年譲って一九○○年の義和団事件になぞらえてもいい。自然発生的な大衆暴動はやがて闘争のなかで真の反帝闘争へと発展したことを歴史は教えている。

五四運動の半年後当時北京大学の教授であった李大(金刀)は次のように書いている。題して「中日親善」。

日本人のモルヒネ針と中国人の皮膚の親善、日本商品と中国の貨幣の親善、日本人の棍棒・拳銃と中国人の頭の親善、 日本の侵略主義と中国の大地の親善、日本軍艦と福建省 の親善−−−−これこそ「中日親善」 である(一九一九年『新生活』第一六期)。

○年代の現在、麻薬針も拳銃も軍艦も使ってはいないが、商品・資本・技術がこれらの不足を十二分にカバーして「親善」「友好」を進めている。ジャカルタ以後「経済協力」「援助」政策のあり方を反省する声の洪水だが、反省後のわれわれにどんな「経済協力」「援助」が可能なのであるか。

七二年秋田中訪中を東南アジアの一角からやぶにらみしつつ、中国はもはや李大(金刀)の描いたような日中親善を許しはすまい、 日中共同声明の精神はむしろ東南アジアとの交琉においてこそ生かされるべきだ、 と痛感したものだが、現実には中国は中国、東南アジアは東南アジアという対応であり、さらにいえば中国とのつきあいが「半自由」であるからこそ東南アジアではもっと自由・気ままにふるまうというのがその後の対応ではなかったか。

生身の日本人が焼打ちに

とはいえ私は東南アジアを単純に中園と対比させようというのではない。それぞれの国内条件も国際的背景も異ることはいうまでもない。ただ、 かって植民地として帝国主義に従属する社会に変容させられた国々としての共通性、 その 「後遺症」からいかに脱却するかというまさにこの一点で苦闘を余儀なくされているという意味では中国と東南アジアは共通の側面をもっている(現在さまざまの要因によってその連帯はたち切られているけれども)。

もう一つ、 五四運動とのアナロジーは、 いまから五○年後に革命を予想するものでもない。中国あるいはベトナムの反帝闘争の経験はいまや東南アジアの共有財産なのであり、追いつき過程は著しく短縮されるかもしれない。

戦前の日本帝国主義は「中国侵略という行為によって中国革命を援助した」というのは毛沢東の皮肉あるいは実感である(彼は日本帝国主義者に「感謝している」とさえ語ったことがある)。

今回は東南アジアで、 日本が再び「反面教師」の役割を演ずろのかどうか---その決断こそいま問われているのである。

ノド元過ぎて熱さを忘れたとぎ、人形ならぬ生身の日本人が焼打ちにあうだろう。