書評、いいだもも編『天下大乱の時代へ』ダイヤモンド社、1200円、1974

『公明新聞』1974819

このところ値上がりの激しい本代を、せめて一冊なりともケチろうというさもしい根性から、気安く引き受けてはみたものの、一冊の本を紹介する仕事も楽ではない。

この本のテーマが「天下大乱」を扱うものだからだ。むろん私は「天下泰平」よりは「天下大乱」が好きだし、「小乱」・「中乱」よりは「大乱」が好きだ。

この世の住人の大部分が欲求不満に陥っている今日、「乱」が起こらないとしたら、そのほうがむしろ不自然であろう。しかし、この「乱」は起こるものであると同時に起こすものだ。客観的条件と主体的働きかけとの統一としての「乱」でなければ、たんなる混乱になってしまい、天下の庶民は大いに迷惑する。漢語の「乱」はふつう「みだす・みだれる」の意として使われるが、同時に「おさめる・とりまとめる」という意味ももつことに注目したい。つまり私は「乱」が好きだというのは、すでに乱れ初めている世の中を大いに、さらに乱し、この「乱」を庶民の立場から「(おさ)める」----そういう「乱」が好きだという意味である。

そのためには、世の中がなぜ、どのように乱れ始めたのかをしかと見きわめなければならない。この本は、いいだもも、武藤一羊、北沢洋子、川上忠雄、鶴見良行の五人のサムライ(女サムライを含む)がこの問題に斬り込んだものである。

「天下大乱」というコトバは、もともと周恩来の昨年8月の「政治報告」以来有名になったものだが、執筆者たちのいう「天下大乱」と周恩来のそれとは必ずしも同じくない。戦後25年、その内部に矛盾をはらみつつも、いちおうの「安定」と「発展」をつづけてきた米ソを中心とする戦後体制がいまや音をたててくずれ始めた。ベトナム戦争はついにニクソンを辞任させるまでに追い込んだし、キッシンジャー外交による中国封じ込め政策のやむをえざる軌道修正はタイ政変、韓国の政治危機をもたらし、日本の裏側のチリでは反革命が起こり、アラブ世界はその石油資源のかいたたきに対して抵抗しはじめた-----この一連の激動をこの本は「天下大乱」の始まりと呼び、戦後世界の「終わりの始まり」と呼んでいるわけだ。

おもしろい本だが、不満もある。いいだももは、総論とチリ・クーデタ論を書いているが、博覧強記に自縄自縛されている感が深い。庶民によんでもらうためには、同じ内容をもっと分かりやすく書くべきではないのか。武藤一羊のニクソン・キッシンジャー=ドクトリンの分析は『展望』誌掲載のときから力作の評判だったが、私もそう思う。川上忠雄は現代資本主義の危機を「膨張型破滅」と規定し、ユニークなドル危機論を展開している。私が編者なら川上にもっと紙幅を与え、これを巻頭におくであろう。北沢洋子はウォーターゲート事件、第4次中東戦争、金大中事件の3篇を書いているが、事情通の紹介は、いつも事態の急展開に追いつかない。

鶴見良行のタイ学生革命論はあまりにも短すぎる。この本は全体として雑誌論文の寄せ集めの印象を否めない。編集にあたり、もう一つ工夫がほしかったというのが率直な感想である。