『留学生新聞』1999年2月1日号、第181号、40頁、38頁

日中関係の冬−−−春遠からじ

江沢民訪日は大失敗

江沢民国家主席の日本訪問は、あえて率直に言うが、大失敗に終わったと評すべきであろう。問題は、外交交渉レベルの経緯や妥協点にあるのではない。日本の人々の心に不快きわまりない「中国冷え」現象をもたらした事実を直視しなければならない。

日本マスコミの一部では、かねて中国脅威論が語られてきたが、大方の日本人はその種の迷論の影響を受けているわけではなく、比較的健全な眼で中国を見てきたといってよい。今回の出来事は、そのような善意の日本人に大きな衝撃を与え、中国脅威論を振り回す右寄りの人々を喜ばせる結果を招いた点で失敗なのである。味方を敵に回し、敵を喜ばせるほどまずい外交はない。この種の日中関係の摩擦を全世界に示すことが中国にとってどれほどの利益になるのか、これもきわめて疑わしい。中国から見ても、おそらく訪日が成功とはいいにくいのだ。

歴史問題・台湾問題

〔朝鮮半島と中国では歴史的経緯も戦後処理史も異なる。対応が異なるのは当然〕

日中共同宣言では、歴史問題と台湾問題が焦点になったが、あまりにも細部にこだわり両国の不協和音、あるいは同床異夢のイメージを拡散させた。共同宣言において「過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した」と明記したのは、村山首相の「戦後50年談話」(95年8月15日)およびこれを継承した日韓共同宣言(98年10月8日)のラインである。他方、「心からのお詫び」については、小渕首相が「口頭で述べる形」で処理した。中国側は韓国のケースのように、宣言に書き込み、署名することを求めたとも伝えられるが、日韓関係と日中関係の差異を無視したものというほかない。

日中関係においては、92年10月23日天皇訪中時の「お言葉」のなかに「不幸な一時期」を「深く悲しみとするところ」とする表現があり、すでに天皇訪中という形で戦後処理が基本的に片づいた形であった。韓国との関係においては、天皇訪韓はいまだ実現するに至っていないし、対北朝鮮関係に至っては戦後処理さえ終わっていない事実に留意する必要がある。この文脈で、対朝鮮半島の関係と対中国関係とは峻別されなければならない。このように異なる「戦後史」を反映して、両者間に異なる対応が生まれるのは、当然である。もし「大きな中国」は、「小さな韓国」以上の謝罪をかちとるべきだと考えたのなら、思慮ある判断ではなく、夜郎自大の「頭脳発漲」というほかない。

「戦後処理史」の経緯を踏まえて、21世紀のアジア、あるいは世界のなかの日中関係を展望することが課題であったにもかかわらず、「未来指向」や「平和と発展のための友好協力パートナーシップ」という大きな柱が行方不明になった。

〔台湾問題における日米の立場はまるで異なる〕

台湾問題について、日本側は「日中共同声明の中で表明した台湾問題に関する立場を引き続き遵守し、改めて中国は一つであるとの認識を表明」した。これは1972年9月29日、田中角栄首相の訪中により国交正常化が行われた当時と同じ立場である。クリントン大統領が「三つの不支持」(二つの中国、台湾独立、台湾の国際機関加盟)を表明して以後、日本に対しても同じ立場の表明を求めるとの報道もみられた。日本政府がそのような態度をとらなかったことについて、「日本外交の勝利」を意味するとの解釈も行われたが、これは二重の意味で間違った見方である。まず第一に、今日の台湾問題の発端は日清戦争による台湾割譲にあり、日本は当事者であるのに対して、米国にはその種の経緯はなく、台湾問題における日米の立場はまるで異なる。中国が米国と同じ立場を求めたとすれば、みずから内政干渉を招くに等しい愚行であろう。あるいは台湾当局側の情報操作に踊らされたものというほかない。

台湾海峡双方からのさまざまな声のなかで、日本政府が選択しうる台湾政策の幅は限られている。「三不」の言明なし、について「台湾側に贔屓したもの」などと解するのは、木を見て森を見ない愚論である。

誤解される日本

私は各国のマスコミから取材を受けて、彼らがいかに日本の立場を誤解、曲解しているかを痛感した。彼らが私に求めた解説は、基本的に次の2点である。

一つは、「対中国の共同声明」が対韓国のそれと異なるのはなぜか。

もう一つは、日本政府の台湾政策は結局何なのか、であった。

前者に対する私なりの答えは、「歴史的経緯および戦後処理史の違い」である。後者についての私の答えは、(ポツダム宣言と日華条約を経て)、日中国交正常化以後に日本政府が選択してきた一貫した政策的立場、である。

〔「日本政府の立場は曖昧模糊、圧力でなびく」と誤解されているのは、政府の宣伝不足〕

今回、改めて気づいたのだが、日本政府の立場はあまりにも誤解されている。その一因は、良識を欠いた政治家の不規則発言にあるが、政府とりわけ外務省の広報宣伝活動の不足によるところも大きいのではないか。私は今回のブリーフィング不足を念頭においているのではない。外交交渉の駆引きレベルの話ではなく、日本政府の基本的スタンスが曖昧模糊だと誤解されている事実が問題なのである。日華条約を「終了」させて、日中の正常化を行った経緯とそれに際しての日本政府の立場はほとんど理解されていない。当時、台湾問題について明示的な言及を行っていないことは、フリーハンドを留保したものだと言いなす向きが現れるのは、不勉強も甚だしい。当時の栗山条約課長(後の駐米大使)が国会でどのように説明したかを十分に復習しておく必要がある。

いずれにせよ、日本は圧力を加えさえすれば、あるいは利益で誘導しさえすれば、どのようにでもなびくと誤解されている嫌いがあるのは困る。一国の安全保障にとって、これほど危険な誤解はない。

春遠からじ

〔「冬」は相互誤解に起因。中国指導者の日本誤解を解くことが急務〕

江沢民訪日の失敗は、一言でいえば、戦後の日本政治経済や社会の発展の内容を十分に認識できず、軍国主義論の色眼鏡で誤解し、そのような日本イメージを前提として、教訓を垂れようとした指導者の錯覚に起因するものと私は解している。人民解放軍や保守派からの圧力説を私は採らない。

顧みて日本人の中国の国情に対する誤解にも反省を要することは多いが、中国指導者の日本誤解を解くことは、さしずめ喫緊の課題であろう。ただし、「日中関係の冬」が相互誤解に起因するとすれば、「雪解けの春も遠からじ」、と私は楽観している。中国が鎖国をやめて以後、改革開放20年の相互交流のなかで、理解は着実に広まり、深まっている。

〔補足〕喜劇と悲劇、二つのシナリオ

国家主席としての初めての訪日であるからには、中国外交部も日本外務省も周到な準備を進めてきたはずである。その準備状況の一端は、訪日前後の日々の新聞をたまに手にするだけでもわかるほどに、さまざまに書かれていた。突然の来客にあわてふためいて周章狼狽といった事態は、ありえないはずである。となると、私の疑問は、中国外交には、もしかしたら二つの系統があるのかという疑問につきあたる。両国政府の外交当局は、それぞれの国内事情を説明しつつ、妥協点を探る交渉を重ねており、それなりの落としどころを考えてきたはずである。

あらかじめ想定した線に落ちなかったのは、「もうひとつのシナリオ」が隠されていたのか、という推測を導く。江沢民の訪米では「喜劇」を演じて、訪日では「悲劇」を演じるというシナリオがそれである。クリントン大統領の北京大学での講演は学生との丁々発止のやりとり(実は丹念にリハーサルされたものといわれるが)が話題になった。マスコミへの統制の厳しい中国としては、大胆な試みに映った。しかもこれは、突然決定されたらしい、という成行きがもう一つの話題となった。中国外交部は「米提案拒否」の線を貫いていたが、実は江沢民オフィス、すなわち中共中央外事領導小組(より具体的には中央弁公庁)が外交部の頭越しに受け入れを決めるパフォーマンスをやったのではないか。

訪日も同じパターンになる。外交部は外務省とかけひきを繰り返した。両者は一定の了解に達したが、最後のツメができない。そこへ外事領導小組のコワモテ路線が登場した可能性が強い。

なぜ二本足の外交なのか。ニホンが相手だからではない。アメリカのホワイトハウスを真似ようとしているらしいのだ。アメリカ外交の担当者はむろん国務省(オルブライトおばさん)だが、安全保障などではホワイトハウスの安全保障担当補佐官のイニシャチブが大きな役割を果たしている。クリントン大統領訪中のシナリオを書いたのは、チャールス・フリーマン(ニクソン訪中時の通訳、のち国防次官)であり、実行者がレイク補佐官、バーガー補佐官であるとする見方はかなり流布している(『ヘラルド・トリビューン』九八年六月二二〜二三日、バートン・ゲルマン記者のスクープ)。

このアメリカ流の二本建てを真似て、中国外交もまた国務院外交部と中共中央外事領導小組のチャネルを平行して使うことを考えた人物がいると解釈すると、今回のトラブルは分かりやすい。

では、外事領導小組の責任者は誰か。むろん江沢民である。だが、多忙な江沢民が訪日のシナリオ書きまでできるとは思えない。となると、虎の威を借りる狐どころか、猿回しのごとくにトップを動かす「知謀の士」を想定せざるをえない。江沢民を動かすシナリオを書ける高官とは、曽慶紅(中央弁公庁主任、政治局候補委員)以外にはない。かくて演じられたのが、アメリカ版喜劇のあとに登場した日本版悲劇であるらしい。曽慶紅の次のシナリオに要注意である。