ベールを脱ぐ中国現代史
『産経新聞』1994年4月3日「文化」欄
中国現代史の秘密やナゾを解く資料が相次いでいる。林彪事件、毛沢東のセックス・スキャンダル、文革期の食人事件を考えてみたい。第一に林彪事件だが、『USニューズ&ワールド・レポート』(九四年一月三一日号)は、旧ソ連国家保安委員会(KGB)のファイルのなかから、林彪の頭蓋骨写真を探り出して、この人物の最期を確認し、中国現代史最大のナゾを見事に解いてみせた。毛沢東の「最も親密な戦友」林彪が、毛沢東暗殺に失敗して一九七一年九月一三日未明、旧ソ連に亡命を図り、モンゴル共和国ウンデルハンの草原に墜死した、という中国政府の発表が世界中を驚かせてからすでに四半世紀が過ぎた。事件から一七年後に、私は埋葬当事者の証言録(『党的文献』八八年一期)を入手し、紹介したことがある(『読売新聞』八八年九月一六日付)。それは中国外交部で極秘裡に処理に当たった符浩(その後日本大使)、当時のモンゴル駐在大使許文益、モンゴル大使館二等書記官孫一先らの当時の記録であった(邦訳は蒼蒼社刊の『林彪秘書回想録』所収)。周恩来の秘密保持は徹底しており、許文益大使以下大使館の館員たちでさえも、埋葬の時点では誰の遺体かを知らされなかった。モンゴル当局者は中国軍用機の領空侵犯を非難したが、遺体に疑惑を抱いた形跡はない。騒ぎはここから起こった。林彪は毛沢東の「最後の晩餐」を受けた帰路にロケット砲で砲撃された、墜死者のなかには林彪は含まれていないなどの「実録」が絶えなかった。私は符浩らの証言の具体性、論理的一貫性に接して、もはや中国側発表を疑う余地はなくなった判断した。最大の根拠は、埋葬に関わる事実である。それは中国政府の主権が及ばない地点、すなわち旧ソ連の属国に等しいモンゴルであるから、いつでも中国政府のウソ(もしあれば)を暴くことができるはず。「敵」に弱みを握られている以上、真実を隠蔽できまいと私は読んだわけである。ところが九一年暮、NHKニュースセンター21のディレクターから、問いあわせがあった。「もし疑わしいのならば、ウンデルハンの遺体を掘り起こしてご覧なさい。そしてソ連の病院から林彪のカルテを持ち出して調べること」「もし遺体が林彪のカルテと符合しなかったら、中国政府は面目まるつぶれですな」とコメントした(『蒼蒼』九二年二月一〇日号)。私はほとんど冗談で墓を暴く話をしたのだが、実はKGBはそれを実行していたのだ。『USニューズ』によると、KGBのチーム(元KGB法医官ビタリ・トミリン将軍と元調査官アレクサンドル・ザグボジン将軍)は七一年中に二回にわたって現場を訪れた。まず墓を暴いて頭蓋骨を取り出し、モスクワに持帰って一年がかりで遺体を確認した。林彪が抗日戦争で負傷し、ソ連で治療を受けたさいの銃弾のあと、金歯などが決め手となった。二回目には黒こげになった右肺の切片を持帰り、結核の治療記録と照合するという念の入れようであった。この結果を知らされたのは、旧ソ連でわずか四人、すなわちブレジネフ書記長、KGBのアンドロポフ長官、そして前掲の二人の将軍だけである(なんという秘密主義!)。中国側が真実を隠蔽できなかったもう一つの理由が考えられる。対米緊張緩和に鑑みてニクソンの信頼感を獲得する必要があったからではないか。毛沢東、周恩来はニクソン招請に反対する林彪を犠牲として対米緩和を選択したわけだ。
第二は毛沢東の性生活の秘密である。イギリスのBBC放送が毛沢東生誕百年を期して作成した「中国叢談」は、一九五四年から毛沢東が死去するまで二二年間にわたって侍医を務めた李志綏の証言をもとに「裸の毛沢東、最晩年の孤高と絶倫」を完膚なきまでにえぐっている(浜本訳、『THIS IS 読売』九四年四月号)。「無法無天」の形容句に恥じないセックスライフについて巷間のウワサは絶えなかったが、今回は侍医の証言だから信憑性がきわめて高い。固有名詞として登場するのは、謝静宜(文革期に北京市委員会副書記)、張玉鳳(生活秘書)、孟錦雲(生活秘書)の三人だが、性関係をもった「教養の低い」女性は「非常に大勢」であった。「普通の人間ならあれほどの年齢になれば性欲もなくなるのだが、毛の場合は性欲を自分の生命力を測る尺度にしていた。性欲がなくなれば生命力がなくなったも同じ」と考えてセックスに励んだというから、好色爺そのものだ。李志綏は「毛が本当に悲しみ、涙を流す姿」を見たことがないという。陳毅元帥の葬儀で涙を流したという有名な話を李志綏は否定する。「あの時私は毛のそばにいたからわかるが、泣いてなどいなかった」。李志綏の回想録『毛主席の私生活』は今年中に出る由である。英雄好色か、梟雄毛沢東か、人間毛沢東研究の必須文献になることは疑いない。この毛沢東スキャンダルに便乗した可能性が強いが、「周恩来の私生児」を自称する艾倍の『父親と呼ぶには重すぎる』が出版予定と報じられた(『香港聯合報』九四年三月六日)。肝心の「元愛人」なる存在の氏名が伏せてあるので、事実かどうかを検証しようがない。侍医の証言とこの女性の創作(?)とは、資料的価値を同日には論じられない。
第三の話題は食人事件である。映画「古井戸」で中国農村のしたたかな古さを描いた作家鄭義は、アメリカ亡命後に出した二冊の本で中国社会主義の無惨を描ききった(『歴史の一部分』、『紅色紀年碑』)。書簡体からなる前者の圧巻は第八、九信で、文革期の大規模な食人事件が描かれている。藤井省三監訳『中国の地の底で』(朝日新聞社)がこの事件を削除したのは画竜点睛を欠くもの。これでは「地の底」が見えてこない。『食人宴席:抹殺された中国現代史』(光文社カッパブックス)は、あまりにも興味本位であり、著者の問題提起が十分に読者に伝わらない。訳者、出版社側の見識が疑われる。