日本工業倶楽部第一○九○回木曜講演会講演要旨
全人代以後の中国政治経済
横浜市立大学教授 矢吹晋
氏 述
(本稿は平成10年3月26日に開催された日本工業倶楽部第1090回木曜講演会における矢吹晋氏の講演要旨である。)
一 人民元、 切り下げはない
昨年後半からのアジア通貨危機は未だに続いており、その中で最近は中国の人民元の切り下げがあるかがかなり話題になっています。 しかし、 御承知の通り三月十九日、全国人民代表大会を終え、 新首相として記者会見した朱鎔基氏は、 切り下げを否定しております。 私も同様の見通しを持っていますが、先ず切り下げなしの根拠を挙げてみたいと思います。
(1) 既に五割以上の下落
一番のポイントは、 これまでに人民元は下げるだけ下げてしまったことです。例えばASEAN四ヵ国と韓国、 中国の各通貨の対米ドル為替レートの推移を見てみますと、十年前を一○○とした場合、 今年一一月で一番低いのはインドネシア・ルピアで、20近くまで下落しています。 その次に低いのが人民元で約四四です。 つまりもう既に相当下げている。 韓国・ウォン、 マレーシア・リンギット、 タイ・バーッのいずれも五割近く下がったため、 中国も人民元の切り下げを迫られるだろうとの議論が圧倒的に多いわけですけれども、 長期的にこの十年のトレンドで見ると、人民元は一番低いところにあります。 ですからこれ以上切り下げる必要がないわけです。
かって経済鎖国状態だった中国は、 この一一十年間で対外開放を行って経済の近代化を進めてきました。 その中で外貨が必要になると共に、 人民元を対外通貨との間でどう評価するかが大きな問題となりました。 ここで中国がとったのは、 中国のモノが実際にいくらで外国に売れたかで評価しようという考え方です。 要するに一ドルの外貨を獲得するために人民元をいくら払ったかという、 極めて単純な計算方法で人民元の交換レートを決めてきたわけです。 そして中国はこのやり方で人民元を下げ続け、 最後に下げたのが九四年一月です。
この時の下げ方はかなり大きいものでしたが、 これ以来人民元のレートの決め方は本質的に変わったと見ていいと思います。 と申しますのは、 ここで人民元のレートは市場に副ったものになったからです。
改革開放後、 中国では合弁企業がたくさんできていましたが、 その中には輸出によって外貨は得たけれど人民元がない企業と、 その逆で輸入のためにドルが欲しい、 人民元は中国市場で得たという企業がありました。 そこで政府公認の下に企業同士が通貨を交換する外貨調整センターが作られたわけです。 そしてそのセンターのレートに政府は一切干渉しませんでしたから、 一種の自由市場が形成されていました。 他方、 政府の公定レー卜も依然としてありましたので、 両者の間にギャップが生じ、 それが一時五割くらいになりました。
2重レートを受けて九四年一月朱鎔基氏は、 外貨調整センターでのレートは人民元、ドルに対する需要供給一致の結果として決まったものだから、 それが確かなレートであると明言して、 公定レートをそれに合わせました。 以後、 政府が一方的に公定レートを 変えることはなくなり、 人民元は安定した動きを見せています。 その結果、 貿易黒字は九四年以降一気に増え、 昨年は四○○億ドルの黒字です。
(2) ファンダメンタルズの向上
朱鎔基氏がこういう為替政策をとったことは、 彼の政策運営能力が非常に確かだとい うことを意味しています。 この改革が行われる一剛、 中国の外貨準備一愚は二○○億ドルに過ぎませんでした。 それが今は一四○○億ドルです。 つまりわずかこの五年間で一二○○億ドルの外貨を積み増したわけですが、 これだけの黒字急増は朱鎔基氏の為替政策の転換がなければ達成できなかったと思います。
さらに中国は、 対外債務は大きいのですが、 リスク指標は改善させています。 これはデット・サービス・レシオ、 負債率、 債務率の三つの指標に示されています。
第一 のデット・サービス・レシオは、 その年の元利返済を分子として、 その元手となる輸出額を分母にした指標ですが、 これが九六年で六・七%、 九七年七・三%です。このデット・サービス・レシオの国際的警戒ラインは大体二割ですから、 中国はその三分の一 のレベルにあることになります。
第二の負債率はGNPに対する対外債務の比率、 つまり国力と外国に対する借金の比率です。 中国の外債残一局は今一三○○億ドルくらいで、 負債率は九七年で一四・ 一%となっています。 警戒ラインは二五パーセントと言われていますから、 これもまた十分余裕があります。
それから第3の債務率は、 対外債務残高を分子にとり、 輸出額を分母にとった数値で す。 警戒ラインは100%ですが、 九七年で63.3%ですから、 まだ余裕があります。 しかも1300億ドルの借金のうち、 長期債務が八五%で、 短期の借金は15%にしか過ぎません。 ですからすぐに返済を迫られても何の問題もありません。 そういう意味でも中国は健全だと言えます。
これまで申し上げた指標やデータから見て、 中国の人民元は基本的に切り下げの必要は全然ない、 というのが私の見方です。 朱鎔基氏も繰り返し切り下げを否定していま す。 それにもかかわらず相変わらず切り下げの議論が絶えないのは、 要するに論者が不勉強であり、 ファングノンタルズの指標やデータを系統的に分析していないからだと考えています。
二 切り下げのメリット・デメリット
それでは次に視点を変えて、 仮に切り下げをした場合のメリットとデメリットを考えてみたいと思います。 切り下げをすれば輸出競争力では確かにプラスになるかもしれません。 しかし中国の輸出は半分は委託加工品です。 委託加工というのは原材料を輸入して、 これに労賃コスト、 すなわち付加価値をつけているだけです。 ですから切り下げで製品は輸出しやすくなりますが、 その反面で原材料の輸入コストが高くなって、 その効果も吹き飛んでしまいます。 また中国の輸出のおよそ半分を担っているのは外資系の合弁企業で、 これらは切り下げがなくてもやっていけるだけの競争力をまだまだ持っています。
というのは賃金コストの面でも、 中国は他のアジア諸国よりも有利な状況にあります。 表1はアジア諸国の賃金コスト比較ですが、 ここに示されているように、 通貨混乱前の中国の賃金コストは最も低かったわけです。 また昨年は各国通貨が軒並み五割切り下がりましたが、 切り下げ後の今年二月のレートで換算しても、 インドネシアを除けば中国のそれは依然として一番低い状態です。ですから賃金コスト面からも、 人民元の切り下げは必要ないと言えます。
一方対外的に見ると、 切り下げによる影響は殆どデメリットだけと言ってもいいくらいです。 先ずその一 つは対米黒字が大きくなることです。 今アメリカの対中赤字は対日赤字よりも多く三○○億〜四○○億ドルもあります(米中双方で統計が違うが)。 これが米中貿易摩擦を起こしているのは御承知の通りですし、 さらに中国はWTO加盟という課題を持っています。 そんな状況で切り下げたら、 中国はアジア通貨危機をますます混乱させるものだとして、 非難されることは目に見えています。 このように政治的に望ましくないことが第一点です。
また中国は先述のように一三○○億ドルの対外債務を抱えていますが、 その返済の一つのピークはあと2、3年後に来ます。 この頃は大体二○○億ドルくらいずつ返していかなければなりませんが、 切り下げをやればそれだけ負担増になるわけです。 それから、切り下げによって通貨が安定しないということは、 外国からの投資を呼ぶという点では一番マイナスです。 そういうことも含めると、 対外的に切り下げはやらない方がいいという話になります。
三 香港ドル防衛の仕組み
中国が人民元の切り下げをやれば、 香港ドルも守り切れなくなるという問題もありま す。 ここで少し香港ドルの話をしますと、 香港は事実上米ドル本位制をとっています。返還前の香港は国家ではなく植民地政府でしたから、 通貨の信用を裏付けるものはありません。 そこで香港ドルは、 例えば米ドル一ドルを準備して八香港ドルを出すという 形、 つまり米ドルで一○○%裏付けをして香港ドルを発行しているわけです。 ですから現在香港の外貨準備高は大体九八○億ドルですが、 それに見合うだけしか香港ドルは発行されていないことになります。
このように香港の為替市場は、 キャッシュのレベルで言えば、 とにかく文句なしに香港ドルは米ドルにいつでも替えますという約束の上に成り立っています。 しかし仮に四○○○億ドルのヘッジ・ファンドがこの市場に投機を仕掛けてきたら大変です。 このために香港がとっているのは次のような手段です。 香港ドルを誰かが異常な売り方をした場合、 香港の通貨当局は香港ドルの異常な売り方をした人をすぐチェックして、 即時決済させ・ペナルティを課すシステムです。 これによって香港ドル売りに対する手だてを講じるわけです。
八○年代初めに香港返還が決まって、 香港ドルが動揺したため、 米ドル・ペツグ制に移行したわけですが、 これはその時に決めたシステムです。 今述べたように、 香港ドルはいつでも米ドルに交換できるよう現金で確保していることが一番大事なことです.このシステムを基礎として、 香港が持っている外貨準備の何倍もの資金で投機筋が先物で仕掛けてきた時でも撃退できるわけです。 専門家の話によりますと、 昨年十一月に韓国のウォンが売りを浴びせられた一ヵ月前から始まり、 香港ドルは都合四回攻撃を仕掛けられたと言われます。 しかし株価は一度下落したものの、 為替相場は防衛に成功しました。 朱鎔基氏が香港ドルも絶対守ると自信を持って言っているのも、 この四回の攻撃をはねのけたシステムに自信があるからです。
一方人民元については、 九六年十一一月中国がZMF八条国になり、 経常取引レベルで為替取引は自由化されました。 しかし資本取引し尋へルではまだまだ自由化されていません。 しかも人民元の自由化している部分と管理している部分の比率は一対一○○くらいですから、 自由化している一%の人民元を買い占められても全然影響はないわけです。但し朱鎔基氏は2000年くらいまでに資本取引レベルでの自由化もやるとはっきり言い切っています。 それまでに金融機関の体力増強に全力を上げる方針です。 朱鎔基氏は二○○○年の自由化の目標を繰り下げるとは一言も言っていません。
四 国務院・役人の大幅削減
昨年半ばからのアジア経済の危機の状況を見ますと、 輸出の動向や直接投資の流入の様子を見て先に延ばそうということになりがちですが、朱鎔基氏はむしろそういう逆風を利用して、 国内を引き締め、 行政改革その他国営企業の改革をやろうとしています。
この積極性は非常に注目していいと思います。
そこで話題を中国国内の行政改革と国営企業改革、 金融改革に移したいと思います。先ず行政改革ですが、 中国は過去二十年間に国務院の役所数をかなり減らしてきました。 国務院というのは日本の内閣に当たり、 大蔵省、 通産省といったいわゆる役所が、一番多い時には五二ありました。 それが83年趙紫陽時代に四五に減らし、 八八年に四一、 九三年に四○となっています。 そして朱鎔基氏は今回の全人代でこれを二九にして、三年間で八万人の定員を半減すると公約しました。
これは相当大きな行革ですが、 今回の全人代で、 朱鎔基氏の首相就任に対する反対票はわずか2%しかありませんでした。 つまり圧倒的に根回しに成功しているわけです。
中国の全人代は共産党が決めたことを単に追認しているだけの大会というのは、 ある意味で事実です。 しかしそれでも朱鎔基氏の首相就任への反対票が二%しかなかったことは、 それだけ彼の信任が厚いことを示しています。 李鵬氏の今回の全人代委員長就任に対して反対票は11%ありましたし、 五年前に首相に再任された時も同じく一○%くらいあったわけですから、 これと比べると朱鎔基氏の人気がよく分かります. つまり全人代でもそれなりに世論の動向は出ているわけです。
今回の役人を半分にして、 役所の数を四分の一減らすという大手術に対しては、 役人達はもちろんいろんな形で抵抗したいというのが本音だと思います。 しかし朱鎔基氏が全人代で圧倒的な世論の支持を得て、 改革案がそのまま通りました。 これには、 それくらいの改革をやらないと中国はもたないだろう、 という危機認識が国民の間に浸透していたことも味方したと思います。 これをやれるのは朱鎔基氏しかいなに それなら彼にやってもらおうということになってきている。 彼はこういう非常に強い国民的な雰囲気に乗り、 ある意味では通貨危機という逆風までも利用して、 改革を始めようとしています。
五 「国家計画委員会」 から 「国家経済貿易委員会」
この行政改革についてもう一 つ申し上げておきたいのは、 単に役所の数を減らす形での改革とは根本的に違うということです。 それは何かと言いますと、 端的に申し上げて、 行政機関の頂点を占めていた国家計画委員会を事実上骨抜きにしたことです。
中国はこれまで計画経済をやってきたわけですが、 この体制下での中心機関は国家計画委員会でした。 同委員会は日本の経済企画庁と違って、 計画立案と同時に、 それによって行われるプロジェクトの認可権、 資金の配分権、 物資の調達権といった殆どあらゆる権限を持っていました。 つまり他の各省は国家計画委員会の手足に過ぎなかったわけです。 ですから、 中国が市場経済を更に進めようとすれば、 これを根本的に変えなければなりません。 そこで朱氏は今回それに取り組むために国家計画委員会を 「発展計画委員会」 に改組すると共に、 その権限をもう一 つの 「国家経済貿易委員会」 に移してしまつたのです。
朱鎔基氏はもともと国家計画委員会のエリート官僚でしたが、 その後政治事件に巻き込まれて、 二十年間干されていました。 その間、 ケ小平時代になって市場経済推進のための機関として国家経済委員会が復活しました。 ところが八八年の李鵬体制下で官庁間に大変なヘゲモニー争いがあり、 その結果国家計画委員会が、 せっかくできた国家経済委員会を吸収してしまったわけです。 以来、 この体制が続いていたわけですが、 今回朱鎔基氏が再び国家経済貿易委員会を復活させると共に、 これまで国家計画委員会が持っていた権限の殆どを吸収したわけです。
とは言っても、 基本的な権限の内容は異なっています。 これまでの計画経済下では、国家計画委員会がいろんな認可権をたくさん持っていました。 しかし市場経済では認可権はあまりいりません。 言い換えれば、 市湯経済では儲かるならやりなさい、 お金が必要なら自分達で銀行から借りてきなさいということで、 国は関与しません。 従って国家経済貿易委員会の権限は基本的に調整だけです。政府が関与するのは本当の国家的なプロジェクトに限られ、 それについては政策銀行としての開発銀行とか農業銀行などが対応します。 一方国家計画委員会は国家発展計画委員会となり、 日本の経済企画庁と同じような仕事をする役所になります。 これは要するに計画経済を推進して来た中国の行政機構を、 市場経済を推進できるような行政機構に変えたいということです。 以上が行政改革の主要な柱です。
六 国有企業改革
改革の第2の柱は、 国有企業改革、 すなわち三年前後で大中型の赤字国有企業に現代的企業制度を樹立することです。 中国経済における脱計画経済、 脱社会主義経済は以前から進んでいて、 既に国有企業のシェアは三分の一になっております。 残りの三分の二は外資系の合弁企業とか、 農村の郷鎮企業、 中小企業が占めています。 ですから市場経済の部分が既に六割を超して、 計画経済は三割というのが現状です.
この三割の国営経済に携わる国有企業七・九万社の半分が赤字で、 これが問題と言われています。 しかし半分が赤字だということの意味は、 企業数で見た場合であって、実際には大勢にあまり影響しない小さい国有企業も含んでいます。 朱鎔基氏は首相就任後の記者会見で、 問題は五○社の大型企業だと言っています。 国有企業の中で超大型(特大企業) に分類される企業が五○○社あります。 全体の企業数から見ればごく僅かですが、 これが国に納める税金と利潤の八割五分を占めています。 従ってこの大型企業を改革すればいいという話になります。 朱鎔基氏はそのうちの一割、 五○社が赤字だから、これを改革せよ、 と言っているわけです。 彼は国有企業改革を三年でやり遂げると大見得を切ったわけですけれども、 改革の対象を五○社に絞れば、 そんなに困難ではないと思います。 また彼なりの成算を持っているものと思います。
七 困難な失業対策
この国有企業改革を行うにあたって、 一番の問題になるのは雇用、 つまり離職者にどう対応するかです。 中国には今の時点で既に完全失業者が六○○万〜七○○万人いて、これが全雇用者数に占める割合は三%くらいです。 しかしこれは一番小さく見た場合の失業者の話であって、 この他にレイオフされている人は一○○○万人くらいいます。 ただレイオフの場合は完全失業者と違って、 企業に依然として籍があり、 企業はその人達に何割かは給料を出して面倒を見る義務があります。 申すまでもなく、 これは失業者が暴動を起こしたり、 社会不安にならないようにするための手だてです。 もちろんこのレイオフ制だけではとても十分とは言えませんが。
若い人であればレイオフの間に再就職なりのいろんな可能性があります。 しかし中高年者の場合は難しいし、 地域によっても事情は違ってきます。 例えば上海など都市部はいろんなサービス産業の余地があるので、 再就職のチャンスは職種を厭わなければ大きいと考えられますけれども、 地方都市、 例えば遼寧省の潅腸などは、 日本の旧満州時代の施設だけがそっくり残っているくらいですから、 かなり厳しいかもしれません。
日本流の失業保険とか年金制度も目下制度作りの最中です。 中国政府の考え方は、 要するに今は市場経済だから、 能力のある人は自活して、 どうしても駄目なら最低限餓死しない程度には面倒を見るというレベルです。 中国なりの失業保険制度は上海などでは割合進んできています鱗、 全国的にはまだまだです。 また上海などで割合進んでいるとは言っても、 手当ての額は非常に少ないのが現状です(月三○○元)。 これも簡単に言えば、 少ない手当てでも、 あれば何とか持ちこたえることができるし、 その間に経済全体が良くなれば問題はないということのようです。
中国の完全失業者は六○○〜七○○万人、 レイオフされている人が 一○○○万人いて、 これがさらに三年間で倍くらいに増えるかもしれない。 もしそうなったら大変だと日本のマスコミは書きたてています。 しかし中国は二一億の人口で、 それが全国に散らばって住んでいます。 その点を考慮に入れますと、 我々の感覚でその数字をそのまま受け取って判断するのはミス・リーディングになりかねないと考えます。 とは言え、 国営企業の改革に伴って一雇用が大きな問題になってくるのは必至ですから、 失業対策には意を用いています。
またこの問題をさらに掘り下げると食糧問題にかかってきます。 ただ、 今中国は食糧に割合余裕があります。 一時期、 中国は食糧危機になって世界の大問題になるというレ スター・ブラウン氏の議論が大分騒がれましたが、 あれはかなりミス・リーディングな議論で、 実際には中国は九五年からの三ヵ年間かなりの豊作でした。 朱鎔基氏も、仮に二年間大変な自然災害に見舞われても何とか食いつなげるだけの備蓄はできたと言っていますけれども、 それは事実です。
八 金融システム改革−国際基準との整合
改革の第三は金融システムの改革ですが、 これは国有企業改革と裏表の関係にあります。 国有企業に赤字が溜まっているということは、 そこに貸している銀行の不良債権になるからです。 これがどのくらいあるかについてはいろんな議論がありまして、 一番極端なのはGNPの三割だという見方です。 これに対して人民銀行総裁の公式発言での数字は、 銀行の貸し出し総額の五%です。 その中間くらいの数字で貸し出し総額の一割から二割という見方もありますが、 本当にどれくらいあるかは我々には知るす、〈がありません。 但しこの三月、 人民銀行の総裁は、 今年いつぱいに不良債権を国際的な五段階規準に分類したものを公表するとはっきり約束しています。
情報公開は絶対に必要なことです。 それをやらないとIMFは信用しませんし、 WTOの加盟問題をも含めて通商・通貨政策のディスクロージャーは必ず求められます。 そのため国際的な規準に合わせようと、 国有銀行の自己資本比率を高めるなど懸命な努力がなされています. 一昨日の人民日報では、 三月二十四日付で金利を引き下げると同時に、 商業銀行の中央銀行への預金準備率を一三%から八%に五ポイント引き下げる措置が発表されていますが、 これは商業銀行の自己資本比率を高めるための措置に他なりません。 こうした形で国有・商業銀行の経営体質の改善が現在進行中です。
もちろんこの金融改革ができないと、 先程述尋へた資本自由化などはできないわけです。 アジア通貨危機の混乱の中で、 韓国やタイなど経済状態が非常にいいと言われていた国がガタガタになっている状況を、 朱錆基氏は十分認識した上で、 自由化を先延ばしにするのではなく、 問題点の所在を明確にして対抗できるような体力を作ろうという、極めて前向きの姿勢で取り組んでいると言えます。
九 ケ小平氏の後継者は朱鎔基氏
こうして見ていきますと、 朱鎔基氏の政策手腕と力量は、 前任の李鵬氏と比べてはるかに勝っています。 またケ小平氏の本当の後継者は朱鎔基氏で、 江沢民氏ではないというのが私の見方です。
ケ小平平氏の最初の後継者は胡耀邦氏でしたが、 彼は保守派に足を引っ張られて失脚し、 次の趙紫陽氏も天安門事件で切らざるを得なくなりました。 そこで持ち駒がなくなったケ小平氏は江沢民氏を抜擢したわけです。 ところが当時は天安門事件の後遺症などのいろいろの困難を抱えて、 中国政府自体がどうなってもおかしくないという状況にありました。 このため江沢民氏は彼自身の能力ということもあるでしょうが、 ケ小平の改革・開放路線を続けることはできなくなっていたわけです。
そこでケ小平氏はなんとか改革を盛り立てようと、 朱鎔基氏を上海から引っ張ってきて常務副総理にしたのです。 これは四階級特進の大変な抜擢人事で、 ケ小平氏でなければ絶対できなかったと思いますが、 朱鎔基氏はそれに応えて、 今日に至る経済発展を引っ張ってきたと言えます。
中国の今年の成長率について朱鎔基氏は八%と言っています。 中国はGDPの約三割を輸出に依存していますが、 その輸出は今までのところまだ伸び悩みの気配はなく、 基本的には順調です。 また国有企業が輸出競争力を失わないように合理化を進めるなどの手を打っていますので、 今年いっぱいはこのまま行くと思われます。 一方、 内需についても農業や第三次産業に向けて拡大を図る方向で模索を続けております。 それから一旦取りやめかけた外資の優遇策をまた復活させるなど、 いろんな形で必死に努力をしていますので、 八%成長は何とか行くのではないかというのが今後の経済の見通しです。
十 巧みな米中外交
最後に米中関係に触れますと、 クリントン大統領が六月二十四日から訪中します。 御承知のように、 去年十月末の江沢民氏の訪米で、「建設的で戦略的なパートナーシップ」 の確立に向けて米中間の長期的な協力関係を広げることを確認しております。そして今年クリントン大統領が訪中して、 一層の関係強化を図る予定になっていたわけです。 しかし今年になって、 クリントン大統領が訪中しても十一月の中間選挙に向けて点数を稼げないのでは不利だから、 中間選挙後に行くだろうということが、 年初から言われていました。 それが急に六月訪中となったのですが、 この決定の背景として、 いろんな意味で米中の取引ができたからではないかと思います。 例えば中国が国際人権B規約(市民・政治的権利) 調印を準備し、 政治犯(王丹氏)を釈放するなど、 懸案の人権問題に歩み寄りの姿勢を見せています。
また朱鎔基氏は、 先日の記者会見の冒頭でタイム誌記者の村民委員会についての質問に答えて (これはやらせだと思う)、「地方、 村のレベルでは民主的に直接選挙を行っている、 一部の企業では工場長を民主的に選挙している」 と答え、 次いで上のレベルの民主主義についても 「基本的には賛成だが、 時間がかかる」 と言っています。 これはクリントン大統領がアメリカ議会に対して、 中国の上部は共産党独裁になっているが、 下のレベルでは民主的になっているから、 中国とはつき合った方がいいと言いやすくするための中国からのメッセージだと思います。
このようにアメリカと中国は実に巧みなやり方で外交関係を築いています。 日本は今、 ガイドライン問題で中国があたかも敵のような議論をしていますが、 米中はお互いに戦略的パートナーだと言っているわけです。
アジア通貨危機の始めの段階では、 中国が人民元を切り下げたのがきっかけだという話が強かったわけですけれども、 一月のダボス会議あだりからこれがジャパン・バッシングに切り替わっています。 そして最近では中国はむしろよくやっている、 アジアの安定的な役割を果していると、 逆に中国を評価するようになっています。 これが最近の中国に対する見方ですから、 予定通り六月にクリントン大統領が訪中すれば、 こういう流れは一層強まってくるだろうと思います。
(文責在調査部) (終)
講師紹介_昭和十三年福島県に生まれる・ 三十七年東京大学経済学部卒. 東洋経済新報社勤務、 アジア経済研究所研究員を経て、 六○年から現職。 この間香港大学アジア研究センター客員研究員、 香港領事館特別研究員などを務める。近著は『図説・中国の経済(第二版)』、『文藝春秋』今年六月号で朱鎔基論を展開。