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1997-03-08
takes007
二天

NIFTYのCG系フォーラムFGALAGの名物イベント「にーちゃん企画」に参加した
第2作です。ガラシャは企画参加限定用の(仮想女性)ハンドルです。
以下は企画用のテキストからの引用です。



 企画の2作目、1作目のにーちゃんのライバルでございます。

今度の殿方はこわもての野生派、ちょっと女性(にょしょうと読むと感じがでますわ)には近寄りがたいところがあるわね。

眼が血走ってるところを描いてみましたけど、別にわたくしを見て血走ってるんではありませんのよ、残念ですけど。
死ぬか生きるかの戦いの真っ最中だからです。まあ大変。

武蔵さんは慶長9年21歳のときに剣の名門吉岡家の当主と次男を破って名を上げました。その復讐戦を挑まれて圧倒的多数を相手に戦ったの。
名高い洛北一乗寺下がりの決闘です。その時の武蔵さんをイメージして描きました。

今回はわたくし、武蔵さんの独占インタビューを試みて見ましたの。
タイムなんとかで、晩年「五輪の書」(オリンピックとは関係ありませんのよ)執筆中のところにお邪魔して色々聞いてみました。
主に前作で次回作は武蔵さんを描くと言ったときに、感想で聞かれた武蔵さんのちょっと卑怯な戦法についてなんで怖かったんですけど。
そのサワリをちょっとご紹介します。


 武蔵様、佐々木小次郎さんとの決闘とか、遅刻までして勝ちにこだわるの卑怯だという意見を聞くんですけど、どうお思いになります?
 フン、いつも遅刻してるわけではないぞ。あんたの描いた一乗寺の戦いの時は、なんといっても敵は百人近いうえ弓鉄砲まで用意しとったからな。わしは夜明け前から下がり松の根方に隠れておってな、敵が武蔵はどうせ遅刻してくると油断してる不意をついて大将を斬り殺してやったわ
 大将って、たしか・・・
 まだ10歳位の子供だったな
 !・・・
 大将を斬られたら負けさ。世間も武蔵は吉岡百人と戦って勝ったと認めた。要するに兵法の試合は試合うことが決まった時から始まってるのじゃ。実際に刃を交える時間を左右するのも力量のうちじゃな。あんたの時代のスポーツとやらとは違う。負ければ次はない。死ぬか片端になるのじゃからな

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