◆ 画廊 - No.38 ◆  HOME

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1999-04-19
takes038
巌流島辰之刻

 播州牢人、宮本武蔵玄信と豊前小倉藩剣法指南役、巌流佐々木小次郎は、慶長17年(1612年)4月13日、その雌雄を決した。
 場所は関門海峡上に浮かぶ小島、舟島である。
 武蔵は試合の決まった直後から下関の問屋、小林太郎左衛門の居宅に宿泊している。

 小次郎は越前の浄教寺村の産。同郷の富田中条流の小太刀を学んだが、長じては小太刀の剣法を捨て、みずから一流を開き「巌流」と称す。
 備前長光、通称「物干竿」と呼ばれる長剣を自在に操り、太刀往きの速さでは当代並ぶものなしと言われる。特に「虎切刀」別名「燕返し」の秘剣の前に敗れ去った者は数知れない。

 武蔵も、京八流の吉岡一門、槍の宝蔵院、鎖鎌の宍戸梅軒と、幾多の強敵難敵相手に勝利をおさめ、天下無敵ではないかという世間の声も高い。
 その武蔵にとっても小次郎は間違いなく強敵である。

 前夜まで沈思黙考していた武蔵が動きはじめたのは、試合当日朝であった。宿の主人に櫂を所望すると、太郎左衛門は刻限を気にしながらも、快諾した。武蔵は、幾本かの中から選んだ古びた赤樫の櫂を鋸でひき割った。
 鉋をかけ、鑿で削り、形を仕上げていく。
 やがて出来上がったのは1本の長大な木刀であった。小次郎の「物干竿」を上まわる長さである。
 武蔵は反りを確認すると、木剣に素振りをくれた。
 風が切り裂かれ悲鳴をあげる。

 時あたかも辰の上刻(午前8時)。試合の刻限である。
 ようやく武蔵は木剣を片手に、小舟に乗り込んだ。
 寡黙な老船頭が櫓をあやつると、武蔵を乗せた小舟は海原を進んでいく。
 小次郎の待つ舟島までは、わずか一里。
 空は見事に晴れ、初夏の陽光がまばゆい。

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