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01/08/24(金) たしか大麻(ハッシッシ)暗殺者(アサシン)の語源
01/08/23(木) フレッド・ホイルの世界
01/08/19(日) 『ジュラシック・パークIII』
01/08/15(水) 虐待・子殺し・ボノボ・リルケ
01/08/12(日) 『A.I』
01/08/08(水) 読書週間ではないけれど
01/08/07(火) 政治家の方々
01/08/05(日) 夏休みの一幕
01/08/02(木) 風の行方
01/07/26(木) 明石花火見物客将棋倒死傷事故
01/07/21(土) デジタルカメラとちょっとてれくさい夢
01/07/18(水) きいち
01/07/17(火) ジキル博士とハイド氏
01/07/10(火) だれでもピカソ になれるわけではない
01/07/09(月) コンピュータ教育の陥穽?
01/07/02(月) 芸人と芸能人

2001/08/24(金)たしか大麻(ハッシッシ)暗殺者(アサシン)の語源

 昨夜はひさしぶりに外で酒を呑んだ。たいした量でも遅くまで呑んでいたわけでもないのに二日酔いで少々気分が悪い。弱くなったものだ。

 酒毒を実感しての少々の疑問。
 どこかのちんぴらタレントが大麻でつかまったらしいが、大麻ってのはなぜ禁止されているのだろう?
 煙草より習慣性も毒性も低いとは良くいわれていることだ。昂揚感や多幸感があり判断力が鈍る、ということのようだが、これって酒で酔っぱらっているのとどこが違うのだろう。
 まあ、発ガン性は煙草よりあるらしい。

 司法方面の論拠は、大麻自体に毒性習慣性が少ないからといっても大麻吸引がきっかけとなって「禁止薬物」のコカインや覚醒剤へエスカレートしていくからダメ、という「ドミノ理論」のようだ。ならば、煙草も禁止した方がいいと思うよ。毒性が低い大麻が「禁止薬物」に指定されているがために「禁止薬物を試してみる恐ろしさ」の垣根を越しやすい、ということもあるのではないかな。

 大麻を解禁すると煙草が売れなくなって税収が減るからという、うがった見方もある。大麻は室内でも道端でも簡単に育てられるので、煙草のような管理統制が難しいらしい。

 誤解されると困るが、別に大麻をやってみたいとか合法化してほしいとか思っているわけではない。むしろ煙草規制も強化してもらいたいと思っているくらいだ。個人で喫煙するのにとやかくはいわないが、少なくとも道を歩きながら吸うのは非合法にしてほしい。

 酔っ払いのくせになにを言うかですって。
 それを言われると一言もない。

2001/08/23(木)フレッド・ホイルの世界

 フレッド・ホイル逝去。

 定常宇宙論者で「ビッグバン」の名付け親(本人は皮肉のつもりだったようだ)として名高い宇宙物理学者だが、私には、やはり『暗黒星雲』を書いたSF作家の印象が強い。
 学者のてすさびという半端なレベルではなく、ストーリー性も描写力も高く、その作品には70年代黄金期のSFを代表する傑作も多い。

 『暗黒星雲』は星雲全体で一つの生命という巨大知性と地球人類が遭遇する気宇壮大な物語。ただし、法政大学出版局という固い版元だからか、訳文は下手。
 宇宙からの信号に従ってスーパーコンピュータを組み立てると、なんとそのコンピュータが勝手に人造美女を合成してしまって主人公の科学者となんやらこうやらの『アンドロメダのA』『アンドロメダ突破』の二部作も面白い。
 『秘密国家ICE』はエンターテインメント性豊かな冒険SFだ。
 あらゆる時代が同時に地球上に存在するようになってしまう『10月1日では遅すぎる 』は、グレッグ・イーガンの『宇宙消失』にもつながるテーマで、比べて読むと面白い。

 惜しいことに、『暗黒星雲』以外はどれも現在入手しづらくなってしまったようだ。ホイルを読んでいたころが、私が一番SFを読んだ時期かもしれない。なつかしや。

2001/08/19(日)『ジュラシック・パークIII』

 日比谷シャンテシネにて。

 ああ、単純なアクションはなんてすっきりするんだろう。

 特撮史上エポックメイキングな第一作から早八年。恐竜の動作もはるかに精巧で自然だし、造形も複雑精緻になっている。前作までは個性にとぼしかったラプトルたちも、今回は一匹一匹の造作に工夫がこらされバラエティに富んだ姿態が楽しい。

 ストーリーは、第一作の原作の河下りの場面と翼竜ドームの場面がうまく生かされている。なかなかいい場面なのに「1」の映画化では割愛されていて残念な思いをしたものだ。それだけに三作目で映像化されるとは嬉しい驚きだ。
 ただし、あまりにもアクションのテンポを重視した編集のせいで、いささか物足りない印象なのは否めない。
 もう少し1シーン1シーンをじっくり見たかったものだ。テンポが早すぎてサスペンスやショックもあまり感じないのでは、逆効果だろう。その意味では、第一作の、子供たちが調理室でラプトルに追い詰められるのシーンが最高だ。あのくらいじっくり撮らねば、サスペンスなんて醸成されるものではない。

 早すぎる展開のせいで、肝心の恐竜の造形をゆっくり楽しむことができないのもマイナスだ。折角のティラノザウルスとスピノザウルスのバトルはやはりラストに持ってきて、もっとたっぷり時間をかけてもらいたかった。この点でも第一作でラストにティラノとラプトルの戦いを持ってきたのは大正解。メインエベントのなんたるかを心得た構成だ。

 キャストでは、エリック少年はER〜緊急救命室〜の外科部長の白血病の息子役。その父親は先々代の心臓の悪い部長という、ERつながりの親子。

 さて、次は「猿」にしようか「かおなし」にしようか。

人肉嗜食』読了。→レビュー

2001/08/15(水)虐待・子殺し・ボノボ・リルケ

 尼崎の児童虐待殺人遺体遺棄事件

 人をみかけで判断してはいけないと思いつつ、この両親の顔を見ては「見かけで判断する」ことの有効性を納得せざるをえない。
 TVやネットで、類人猿等の子殺し行動とこの事件を結びつける論調がいつにも増して多いのも、この両親の風貌と無縁ではあるまい。

 チンパンジー等の群れで生活する類人猿では、ボス猿(オス)が交代したときなど、オス猿のまずやることは新たに獲得したメス猿の連れ子を殺すことだ。子育て(授乳)中のメスは発情しないからで、子どもを殺されたメスはすぐに発情し、自分の子を殺したオスと交尾し妊娠する。
 同じような行動は、バンドウイルカやシロイルカでも見られるというから、イルカを知的平和的動物のシンボルと思っている動物愛護家にはショックな事実だろう。

 メス猿は自分の子を殺されるときにも積極的な抵抗はしないらしい。それどころか。自分で実子を殺すメスの事例も報告されているというから、いやでも今回の尼崎虐待母を連想してしまう。

 「子殺し」行動を回避するように行動様式を進化させた類人猿も存在する。有名なボノボ(ピグミー・チンパンジー)だ。
 ボノボのメスには排卵を伴わないニセの発情期があり、生殖活動を目的としない交尾を頻繁に行う。そのためオスボノボには、発情期を促すための子殺しを行う必要がない。
 ボノボにとって、性行為は生殖目的にとどまらず、コミュニケーションを円滑にするための重要な手段であるということだ。交尾の代償として、メスがオスから食べ物を分けてもらうといった様子も観察されているという。
 猿助交際ですね。

 ボノボの性行動はいかにも人間社会に類似しているし、実子を虐待死させる馬鹿親はチンパンジーの子殺し行動を連想させる。
 ここで間違ってはいけないと思うのは、人間の行動は彼ら(類人猿)から受け継いだものでも、彼らから進化したものでもないということだ。何百万年も前に人類の祖先と類人猿は進化の幹から枝別れして、その後にチンパンジーもボノボもそれぞれの行動様式を獲得した。
 人類も別個に進化しながら人類独自の行動様式を確立したわけで、子殺しする個体が発生するのも別に「先祖返り」というわけではないと思う。

 「こんな奴らは人間以下のケダモノだ」と言いたくはなるが、やはりこれはケダモノに失礼だろう。

 血のつながった子どもでなくとも愛することなどできる。そのぐらいの能力は人間にはあると思うけどね。
 恋人の連れ子であったのちの大画家バルチュスを愛した詩人リルケや、子連れ女優松居一代と結婚した船越英一郎を見なさい。
 彼らと虐待夫婦とわれらとボノボとチンパンジー。類縁関係を図にするのはちと難しい。

ハサミ男』読了。→レビュー

山田風太郎『男性滅亡』(ハルキ文庫)、濡木痴夢男『縛りと責め』(河出文庫)読了。

2001/08/12(日)『A.I』

 丸の内ルーブルにて。

 おいおい、この甘ったるくてお涙ちょうだいの物語のどこがキューブリックなんだよ
 だいたい、ロボットに愛情を持たせるにはプログラミングでは無理だから、経験学習で発生させるシステムにしたのではなかったのか。ならばなぜ、一番肝心の母への愛情が、七つのキーワードをインプットするだけで発生するのだ?親を愛するロボットのはずなのに、愛されることばかり考えてるのはなぜだ?

 このように前半からしてつっこみどころばかりなのに、一番面白くなりそうな中盤のジゴロロボットとの放浪の旅は中途半端だし、お涙ちょうだいのラストは妙に長いし、ナレーションに頼りすぎて説明過多だし、はっきり言って脚本は最低です。

 ロボットが人間に差別され虐待されるフレッシュフェスティバルのシーンは、さんざん鉄腕アトムで見たような気がするのは気のせい?

 たしかに映像はすごい。未来のラスベガス=ルージュ・シティや水没したマンハッタンの描写はほれぼれする。キャラクターもジュード・ロウ演じるセックス・ロボット、ジゴロのジョーだけは面白い。ルージュ・シティでのジゴロのジョーの活躍なら、もっと見たかったのだがね。


 ここからはネタバレ満載なので、ご注意のこと。
 まあ、文句ばかり言っていてもなんなので、私だったらこうしたいというのを少し。

 デイビッドとジョーの放浪をもっと長い期間にすることと、ジョーがポリスに捕まったあと、ディビッドがテディと水底でフェアリーの人形を見つけ潜水艇に閉じ込められたシーンからあとを次のように変えたい。
 ジョーはポリスに連行されるが真犯人が判明し釈放され、ルージュ・シティにもどって行く。10年後、今日も楽しく働くジョーの客はディビッドの母モニカだった。ジョーにおぼれたモニカは自宅にも呼ぶようになる。そんなある日二人が一緒にいるところに前夫のヘンリーが押しかけ大騒ぎになる。その騒ぎの中で家族が崩壊したわけが明らかになり、ジョーはモニカが旧友ディビッドの母であることを知る。ジョーはモニカに潜水艇を調達させディビッドを捜しにマンハッタンの水底に二人で潜って行く。二人は祈りつづけてバッテリの切れたデイビッドを発見する・・・・
 ね、これなら感動のラストシーンになりそうでしょうが。あとはハッピーエンドでもアンハッピーエンドでも好きなように考えてくれたまえ。

 まあ、ここまで変えなくても、未来のロボットに救出されてからのラストシーンを変えるだけでも少しは見られるようになっただろう。

 まずナレーションもバックミュージックもなくす。余計な説明ははぶいて、未来のロボットがデイビッドを発見するシーンのみにする。映像だけで時の流れは十分に表現できるはずである。
 その後は一気に、再現された懐かしい部屋のシーンにする。変なフィルタをかけずにあくまでクリアに撮影する。そう、『2001年宇宙の旅』のラストシーンへのオマージュである。(元々そのつもりはあるだろうがね)
 その部屋でモニカと再開するシーンでエンド。セリフも一切なし。父親ヘンリーのかわりになぜかジョーがいるということにしてもいい(しつこい)。エンドのあとカメラをどんどん引いて、凍りついた地球の全景を見せてもいい。
 さらに引きに引いて太陽系から銀河系の外まで視点はとんでいき、やがて鳴り響く「ツァラトストラかく語りき」<これはやめましょう。

 『A.I』こそティム・バートンが撮るべきではなかったのかい?愛妻に母親役をやらせればいいではないか。

ライブ・ガールズ』読了。→レビュー

2001/08/08(水)読書週間ではないけれど

 日頃、疑問に思っていることがある。

 新聞社・出版社等のマスコミは、朝日も読売も右左関係なく「若者の活字ばなれ」を嘆いている。
 ならばなぜ、すべての発行物の漢字にルビ(よみがな)をふらないのだ?

 すべてが無理なら新聞だけでもいい。
 それだけのことで、若者の識字率は一気にあがり、新聞や小説へのしきいも随分低くなると思う。どこの出版社も新聞社もえらくてかしこい方々はみんなわかっているだろうに、(一部の特殊な出版物をのぞいては)やろうとしない。

 コストがかかって大変ということなのだろうが、将来新聞や本を読む人間の数が致命的なほど減って、そのときに慌てても手遅れだ。一部の活字信奉者が騒いでも、大多数の文盲国民は「ん?」てな反応で、無関心だろう。もっともその頃には、現在の新聞社や出版社のえらいさんはもう生きてないから関係ないというつもりかな。

 だいたい、コストがかかるというのも頭から信用はできない。読了したばかりの山田風太郎の『死言状』に、かつての新聞はほとんどの文字にルビがふってあった、とあった。今日こんなことを書いているのもこの山田風太郎のエッセイに触発されたからだが、私が現在少しは活字に親しめているのも、子どもの頃のルビ振り本のおかげであるのかもしれない。
 昔の技術で十分にできていたのだ。現在の電子出版技術に人と予算を傾注すればできないはずがない。

 ネットテキストの分野もこと日本語表示・ルビ表示に関してはお寒い限りだ。
 星安出寿ほしあんですと表示するのに、
 <RUBY><RB>星安出寿<RP>(<RT>ほしあんです<RP>)</RUBY> と入力しなければならない。
 面倒くさいだけならまだしも、これだけ手間をかけてもルビ表示されるのはIEだけで、Netscapeだと「星安出寿(ほしあんです)」としか表示されない。やる気も失せようというものだ。

 もっと簡単なタグでルビを美しく表示する機能が全ブラウザに実装されれば、日本語ひいては日本文化の未来は明るい、と思う。思うのだが、やっても別にだれも儲からないし、選挙の票にも結びつかないし、お役人の天下り先が増えるわけでもない。そういうものは決して実現されないのだよなあ。

2001/08/07(火)政治家の方々

 昨日のニュースステーションの野中広務はすごかった。戦争責任や靖国神社について、あそこまではっきり物を言うのは、現在の日本では勇気がいることだろうと思う。まあ、小泉首相への対抗という意味や中国との親密な関係など、色々と思惑もあるのだろうが、それにしてもだ。

 戦争があと一ヶ月続いていたら自分は死んでいたと腹をくくり、天皇のために死ぬつもりだった自分を省みて軍国教育の恐ろしさを説き、靖国神社は今も軍国主義鼓舞の色濃いのだから変化するべきだと主張する。
 以前から面白い人だとは思っていたのだが、ちょっと感心してしまったよ。後藤田正孝といい、70歳以上の政治家には時としてこういう気骨のある方がいらっしゃる。

 それにひきかえ、20代30代の若者ほど靖国神社参拝に賛成が多く、近隣諸国の感情にも配慮する必要がないという意見も多いという。そのくせ靖国神社が軍属軍人のみを祭っていることを知らない人の方が多いのも20代30代だ。

 教育うんぬんより、今の若者に物を教えてこなかった親の世代の責任だと思う。もう少しで私も含まれる。偉そうなことを言ってる場合ではないな。


 歴史教科書問題については靖国神社とはちょっと問題が違う、と思っている。
 「作る会」の主張はろくでもないし、自分の子供がそんな教科書で教育されるのは嫌悪感を感じる。しかし中国韓国が日本国政府に抗議してくるのは少し的外れかなと思う。中国韓国は国定教科書だが、日本はそうではないからだ。現場に一応「選ぶ自由」があり、「作る会」の教科書も選択肢の一つに過ぎない。「悪い選択肢」が増える危険があったとしても、自由は多ければ多い方がよいと思う。
 その日本の制度をねばり強くアピールして、日本国政府の立場と問題の教科書の主張は全く違うと、はっきり言明すればよいのだ。

 むしろずいぶん昔になるが、今回と「逆の理由」で家永三郎先生の「新日本史」を不合格にしたことの方がずっと問題だったと思う。
 検定だの検閲だのは、なくせるものならなくした方がいいに決まっている。「家永教科書」も「扶桑社教科書」も選択肢から外さないのが、風通しのよい社会というものだ。


 田中真紀子外相や扇千景保守党党首が身内から攻撃されている。私はお二方とも支持はしていないし好きでも嫌いでもない、ニュートラルな野次馬である。ご本人たちはいかにも攻撃されやすいタイプだとお見受けするが、政治家という人種は多かれ少なかれ同じような性格なのだろう。

 しかしながら、彼女たちを攻撃しているおじさんたちには、理屈はともかく「男の嫉妬」を感じてしまうのだが、どうだろうか。「女に偉そうにされてたまるかい」というチャチなプライドばかりが目立って、みっともないことこのうえない。
 群れをなしてキャンキャン騒ぐさまは、いわゆる「男らしさ」とは対極だと思うが、男とは「男らしくない」ものなのですな。

2001/08/05(日)夏休みの一幕

 私の中学生の娘は当然夏休み中である。連日宿題にヒーヒー言っているが、なぜか日記だけはほとんど終わっている。しかも毎日ほとんど同じ。いしいひさいちの4コマ漫画のようななめたまねをしてくれるじゃないか。

 ちょっと旧いが、世界水泳を見ながらの、私と娘との会話。

 娘「水泳選手って脇の下永久脱毛してるのかな。つるつるだよ」
 私「水の抵抗減らすためにやってるのかな」
 娘「でも、男の選手は剃ってなかったよ」
 私「それは男の脇は穴が開いてるから剃っちゃまずいだろ」
 娘「え?!」
 私「え?ってなんだよ。知らないのかよ?」
 娘「知らなーい、ほんとに穴あいてるの?」
 私「男はへそみたいな穴が開いてるんだよ。魚だったときの名残だよ。そんなことも学校では教えないのか」
 娘「えー、全然知らなかった。そうなんだ」

 最近の学校はこんなことも教えないらしい。性知識ばかり覚えたって、あたりまえのことを知らないでどうする。


 というわけで、はい、一瞬でも男の脇に穴が開いてることを信じた人は手を挙げて。
 いないことを願うが。

 うちの馬鹿娘には次の日ぐらいにネタばらししてやろうと思っていたが、そばで聞いていた息子が「そんなのあるわけないじゃん」とばらしてしまった。余計なことをしおって。洒落がわからん奴だ。
 お前がばらす前に一瞬脇の下をさわって確認したことを私は見逃していないのだぞ。


 いつも呑んでいる銘柄の酒が入ったという連絡が酒屋から来たので買いに出かける。途中にあるブックオフにも寄って見る。売場面積の七割以上はマンガだが、あまり多くて探す気力もおきず、結局小説ばかり買ってしまう。

 殊能将之『ハサミ男』(講談社ノベル)、倉橋由美子『夢の通い路』(講談社文庫)、久世光彦『一九三四年冬−乱歩』(新潮文庫)購入。

2001/08/02(木)風の行方

旅先で、山田風太郎の『死言状』を読んでいるさなか、著者の訃報を聞く。

天才不良老人にして、まちがいなく当代随一のエンターテインメント小説の名手。匹敵する書き手というと吉川英治ぐらいしか思い浮かばない。嘘だと思う人は『室町御伽草子』と『幻燈辻馬車』を読むべし。『戦中派不戦日記』はこんな時代だからこそ日本人必読の書と思うが、そんなことを抜きにしても面白い。

一陣の風去りて 数多の快書を残す ご冥福を祈る。

2001/07/26(木)明石花火見物客将棋倒死傷事故

 どうやらマスコミの悪者さがしのターゲットは警察ということになってきたようだ。警察に群集行動管理のノウハウや事故への危機感が欠如していることはたしかだろうが、全部警察が悪いというのも無理があるのではないか。

 高齢のご婦人一人をのぞいては死者はすべて年齢一桁の子どもだ。大部分は五歳以下の幼児だったことを考えると、やはり酷な言い方だが保護者の責任が一番大きいでしょう。
 とてつもない人出になることがわかっているところに、なぜ幼児を連れ出すのだ。乳幼児が喜ぶはずはないので、親の楽しみを優先したとしか思えない。

 子どもが成長するまで親が遊ぶことはあきらめなさいと言いたい。
 私の数少ないアウトドアの楽しみの一つはスキーだが、最近は車で楽に移動できるせいか、乳幼児まで連れてスキーに来ている家族を見かけることも多い。乳児を背負ってさっそうと滑っている若いおとーさんもいる。本人はうまいつもりかもしれないが、そのスピードでは乳児は呼吸困難におちいることを知らないのだろうか。知識はなくとも想像できないだろうか。顔を真っ赤にしているのは嬉しがっているのではないのだよ。親は楽しくても子どもには迷惑至極このうえない。

 私は長男が生まれてから5シーズン、スキーは我慢した。別に偉ぶるつもりではない。遊びはいつでもできるし子どもはすぐに成長してしまう。我慢は一時だし、人間のこどもが成長していく過程はそれは面白い見もので、これを見逃す手はないと思うのだ。かといって親の遊びに幼児をつきあわせて、接しているつもりになっているのは、本末転倒というものだ(成長してから親につきあわせるのは有益だと思うが、それはまた違う話だ)。

 ただし、よく接したからといって、親の思い通りに子どもが育つとは限りません。あくまで楽しいから子どもと接するのだ。
 それでは、自分の楽しみ優先でこどもが事故にまきこまれた親とどこが違うのか、と言われると・・・・むむ、違わないか。違うような気がするのだけど、結局同じなのかもしれない。やれやれ。

夜の姉妹団』読了。→レビュー

中国怪奇小説集』読了。→レビュー

語り手の事情』読了。→レビュー

2001/07/21(土)デジタルカメラとちょっとてれくさい夢

 今月末から1週間夏休みの予定。旅行用という名目で、ほしかったデジタル・カメラを買ってしまった。
 CANON PowerShot A20。一番安値で店頭販売もしているところを価格.COMで検索し、通勤の帰りに秋葉原に寄って一発購入(本体36,500円+64MBのCFメモリー5,480円)。景気対策に少しは消費したいが私にはこれが限度だ。

 やはりデジカメは面白い。普通の銀塩カメラより気楽に写せるのがいい。PCの周辺機器としては初めてのUSB接続なのも嬉しい。

 で、購入記念に私のメインマシン「GONSUKE-2」を撮影して大公開などしてみる。(ハードの詳細はこちら

  1. 左の壁にはスライド式本棚。地震が怖い・・・・
  2. 障子の向うはベランダ。
  3. 骨董スキャナ。
  4. 再生専用(=録画不能)ビデオデッキ。キャプチャボードに繋いでいる。
  5. 右側は居間に続く。TVの音声に集中力を妨げられる。
  6. 妻の趣味のパッチワーク。
  7. これが本体、ゴンスケ2号。
  8. セカンドモニタ。パレットの隙間に見えている壁紙は。
  9. メインモニタ。モニタ画面はスクリーンキャプチャの貼りこみ。
  10. タブレット、i-600。こいつが結構でかいので左のキーボードはテンキーレスの省スペースタイプ。
  11. 金色のロボット。腹には時計。知能はまだない。
  12. プリント用紙、工具、ネジなどの細々としたもの。
  13. 骨董プリンタ。ここに収まるのがとりえ。
  14. CD-ROM、マニュアル、スクラップ等。
  15. ゴンスケ1号の残骸。
  16. 資料。良く見えなくて幸い。
  17. 机は昔いた会社の払い下げ品。さすがにがっちりしていて使い良い。
 うーむ、こうして見ると、やはり和室にぶちこんであるのはかっこわるいなぁ。


 夢百景:Rと会う夢

 年がいもなく、ある女優さんとデートする夢などを見てしまった。
 渋谷のような街で偶然出会う。もちろん夢の中では彼女と面識があり、もちろん(昼間なので)お茶でも飲みませんかとさそう。もちろん彼女はOK(夢っていい)。有名人である彼女への他人の視線が気になる私を尻目に、彼女は店の中でも席をめざしてさっそうと歩いて行く。後ろでまとめた豊かな髪と濃いグリーンのスーツが印象的だ。細い体でするすると椅子の間を抜けて行くが、私には狭くてお尻に椅子がぶつかったり大変。席についてからは、かなりのんびり楽しくしゃべったようなのだが会話の内容は覚えてない。惜しい。
 いつのまにか、なんと、ベッドシーンになっているではないか(夢って素敵)。しかもキスまでしてしまう。こちらはちゃんと感触まで覚えている中年男の抜け目なさ(夢だっていい)。しかし、しかしここからなぜか世間話をはじめてしまい、そのまま目がさめてしまう。
 ひさしぶりに「夢だったのか〜」という空虚感を味わってしまった。
 能天気な奴、と笑うなら笑ってくれ。
 楽しかったからいいのさ。

2001/07/18(水)きいち

 といっても、ヨーダに似た元大蔵大臣ではない。着ぐるみの狸や河童とCMに出たりもしていない。
 今週号(7月26日号)の週刊文春「阿川佐和子のこの人にあいたい」のゲスト、蔦谷喜一氏のこと。なおさらわからないかもしれないが「きいちのぬりえ」の作者と言えば、多くの(ある年代以上の)人は懐かしい思い出に顔をほころばせるのではないだろうか。

 失礼ながら「きいちのぬりえ」の作者がご健在とは意外だった。大正一ケタ生まれ90歳近いご年齢でまだ矍鑠とした現役らしい。

 対談形式の半生記は実に面白い。お気楽なぼんぼんの、しかし憎めない行状がほんわりと愉快だ。塗り絵が大当たりして一般の会社員の10倍も稼いでいながら一切ためることをしない。三味線日本舞踊などの道楽に全てつぎ込んでしまう。踊りは名取りで、ビートたけしの母親にも教えたことがあるという。(喜一氏はたけしと同じ足立区の生まれ)

 喜一氏は自分の昔の絵を見るのは実は好きではないという。いやいや描いていたというのではなく現在の自分から見ると下手さ加減が恥ずかしいらしい。何度目かのきいちブームで小学館から特集を出す話があったとき、たのんで現在の技術で描いた作品も載せてもらったという。しかし読者の評判は「昔の絵」の方が上だったらしい。
 それを聞いた阿川佐和子嬢が「そうなんですよ。昔の絵を見るとなつかしい時代を思い出すんです」というのを聞いて、喜一氏が応じた言葉がいかにも絵描きの感慨である。
「絵っていうものはそういうものなんだなあ。絵の技量とか絵描きとかはどうでもいいんだ」
 まだ文春は出たばかりなのでキヨスクやコンビニの店頭に並んでいる。「きいちのぬりえ」に懐かしさをおぼえる人は、買っても立ち読みでも読んでみることをお勧めする。

2001/07/17(火)ジキル博士とハイド氏

 NHK-BS2で『ジキル&ハイド』を観る。

 スティーブンソンの原作は比較的最近(と言っても数年前)読んだ。
 むかぁーし、スペンサー・トレーシー主演の映画を見たなあ。共演はイングリッド・バーグマンラナ・ターナーという豪華版。バーグマンの娼婦役という意外性の配役が印象深いモノクロのメロドラマだった。

 こちらはジキル博士はジョン・マルコビッチ。原作は正確にはスティーブンソンではなく、『ジキル博士とハイド氏』を博士の屋敷に仕える女中の視点で描きなおしたヴァレリー・マーティンの『メアリー・ライリー』。で、その女中を演じるのがジュリア・ロバーツ

 ネットでの評判はあまりよくなかったけど、どうしてなかなか面白かったよ。どうも「駄作」と言い切ってるのはジュリア・ロバーツのファンサイトが多いようで、そういう人はジュリアが暗くて地味な役なのが気に入らないのだろう。私はジュリア・ロバーツに思い入れはないので、むしろ『プリティ・ウーマン』なんかより、本作のメイドの方が魅力的でしたがね。

 19世紀の英国の暗く重厚な邸宅と、陰鬱で猥雑な街並み、このへんの描写が美しくてしっかりしてるのでまずは満足。冒頭のウナギ料理のエピソードなど、性的な暗喩もちりばめられていて私好みの映画でした。

 娼館の女主人に『101』『危険な情事』のグレン・クローズ。この人はすっかり「怪優」になってしまったなあ。『白と黒のナイフ』で美人弁護士を演っていたのは今は昔。

 特殊メークにたよらないジョン・マルコビッチの二重人格演技は素晴らしい。それだけにラストの変身シーンが思い切り特殊撮影なのは疑問。とってつけたようなショック演出やアクションなど、どうもラストがちぐはぐなのがいただけない。中盤までのサスペンス、心理劇が良かっただけにちょっと残念。映画的カタルシスがないしね。

 ハイドとメイドのメアリーのキスシーンが一度だけあるけど、これは良かった。キスシーンを描いてるときはキスシーンに敏感。シーンそのものは普通だけど、それまでの心理描写のたまもので情感が胸にせまる。ここはジュリア・ロバーツもうまいと思った。

 →淀川長治氏のレビューも発見。


 レイ・ガートン『ライブ・ガールズ』(風間賢二訳/文春文庫)購入。

2001/07/10(火)だれでもピカソ になれるわけではない

パブロ・ルイス・ピカソ。この大画家の名を聞けば、代表作『ゲルニカ』のような様式の絵を連想する。もちろん、いわゆるキュビスム様式だけでなく、新古典主義やらなにやらピカソが色々なスタイルの絵を描いていたことは知っている。

それでも、ピカソ13歳の絵を見せられると、その完成度、完璧なデッサン力に舌を巻かざるをえない。スッゲェーの一言である。凄すぎて凹みようもない。

ピカソは晩年、孫に絵を描いてやるのを愉しみにしていたらしい。

「私は物心ついたときにはラファエロのように描いていた。私が彼ら(孫たち)のように描けるようになるにはこれまでの歳月が必要だった」

まさに「天才」の言ですな。

ピカソの父も画家だったが、8歳のピカソのデッサンを見て思い切り凹んだらしい。かわいそうに。ダ・ヴィンチの師も弟子の画力に愕然として筆を折ったという。飛びぬけた天才が身近にいるというのもつらいものなのかもしれない。しかも同分野に生きているならなおさらだろう。『アマデウス』のサリエリの悲劇だ。

距離も時間も隔てて、ただ単純にピカソの絵を楽しめるわが身の幸福。

酒見賢一『語り手の事情』(文春文庫)購入。

2001/07/09(月)コンピュータ教育の陥穽?

 昨日の日曜日、娘の中学校は授業参観日。今回は美術だというので、ちょっと面白いかなと見に行ってみる。ところが課題は点描画なので、みんなしこしこミリペンで点を打っているだけ。つまらないので他の学年のコンピュータ教室に移動。

 MS-ペイントでお絵かきとか、やってることは、まあお遊びのうちだが、それでもLANにつながったWin98機40台とカラーレーザープリンタが2台ある。モニターは液晶だし、もっと使わないと税金の無駄使いだ。何はともあれインターネットにはつなぐべきでしょう。

 気になったのは先生の説明がマウス操作に偏してること。説明だけでもキーボード操作で教えた方が確実だし、キーボードに慣れさせないとマウス操作でできる範囲しかやらなくなりそうで、ちょっと心配。

 先生と話してみると「かな漢字変換はローマ字入力で教えてます」とおっしゃる。それはいいと思うと言うと「でも生徒によっては小学校でローマ字を習っていないかもしれないので少し心配」だとのこと。なんと、小学校でローマ字の授業が端折られる可能性があるとは、想像だにしていなかった。「ゆとり教育」の弊害がこんなところにも。嗚呼!


 ウインブルドン女子決勝。

 「漆黒の美神」ヴィーナス・ウィリアムスの186cmの巨体と比べると、167cmの「美徳の不幸」ジュスティーヌ・エナンは華奢だったね。神々に果敢に挑戦する白面の戦士という風情だったけど、やはりヴィーナスの晴天の霹靂のような200kmサーブに打ち砕かれてしまった。ジュスティーヌの少年のような薄い胸が痛々しくも悩ましい。

 ジュスティーヌが準決勝で「褐色のミネルヴァ」ジェニファ・カプリアティの豪腕を破ったときは素晴らしかったけどね。独特の鋭いシングルバックハンドは居合抜きのようなフォームで、見ていて小気味がいい。残念ながらヴィーナスにはあまり打たせてもらえなかった。

 かっこいいマサイの女戦士を描きたいとずっと思っていたのだが、ヴィーナス・ウィリアムスを見たら、あまりに思い描いていたまんまなので、いまだに描けずにいる。

 ジュスティーヌ・エナンの婚約者はルアの弟にそっくり。

 ケント侯爵夫人のファッションはどうかと思うぞ。

悪魔の中世』読了。→レビュー

ワニと龍』読了。→レビュー

2001/07/02(月)TV芸人と芸能人

 昨日はアレルギー性鼻炎がひどくなって洟水が滝のようだった。今日になったら喉が痛くなってきた。5年ぶりぐらいでどうやら風邪をひいたらしい。熱が出ないのが幸いだが、滅多にひかない分、たまに罹患すると気分まで落ち込んでマイナス思考になっていかん。
 こんな日はお笑い番組のビデオでも見てとっとと寝るとしよう。


 土曜深夜のお笑い番組(爆笑オンエアバトル)で若手の漫才師が言っていたセリフ。
「まあ、ぼくら芸能人になろうとがんばっているわけですが、まだただの芸人です」
 この言い方だと「芸人」が進化して「芸能人」になるみたいだけど、そうか?
 本来の意味ならそうだろうが、「芸能人」の方が「芸人」より芸が上とは到底思えないなあ。私にはくだんの漫才師(アメリカザリガニ)は十分芸能人と思えるが、芸人と自分で言えるほどの芸とは思えない。オンエアされた5組のお笑い「芸人」の中では一番つまらなかったし。

 ところが、番組の録画会場に来ている観客の点数(そういう番組なのだ)は彼らが一番高いのだ。さすが芸能人志向なことはある。私には「はなわ」の方が面白かったけど。

 私が好きなのは、ラーメンズは別格として、最近では田上よしえドランクドラゴンなんてとこが面白い。不良の立ち話系のアンタッチャブルも結構ひいき。対してグランドチャンピオンのルート33は面白いとは思えないなあ。アメリカザリガニもそうだが関西弁でやかましくしゃべくるだけというのは苦手なのだ。上方落語はきらいじゃないから、関西弁だからダメというのではないのだが。

 元ABブラザース松野大介が書いた『芸人失格』の惹句を思い出す。
「ぼくは芸人になりたかったのだが、相方がなりたかったのは芸能人だった」
 「相方」とは中山秀征。たしかに芸人ではないな。

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