◆ まみむめも - 魔魅夢MEMO ◆  HOME

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03/05/31(土) 平均的?女子高生のボキャブラリー
03/05/30(金) 金髪、街を行く
03/05/28(水) 漂流教室
03/05/24(土) 旧岩崎邸庭園/湯島天神
03/05/16(金) アニメ風美少女風芸術
03/05/04(日) 春陽展
03/05/01(木) カルト宗教とSF作家
03/04/29(火) 美人画
03/04/18(金) レンズマンと近親相姦
03/04/14(月) 狂鬼人間
03/04/12(土) イラク≒ニッポン
03/04/08(火) アトムと座頭市
03/04/06(日) 花見/宮本武蔵

2003/05/31(土)平均的?女子高生のボキャブラリー

日頃、高校生の娘と話していると、「かわいい」しか形容詞を知らんのかい、と思うことがしばしばある。(息子は娘に比して寡黙なので観察対象に向かない)

今日、ゆっくり話しを聞いていると、他の形容詞も一応使ってはいることが判明した。

どうやら、良い→悪いを次の七段階に分類しているようだ。

  1. やばくね?!
  2. かっこいい!!
  3. かわいい!
  4. びみょ〜
  5. さいてー!
  6. さいあく!!
  7. しんじらんないんだけど?!

父親である私の分類はだいたい「4」くらいのようだが、ときには「6」だったり「7」だったりする。

どういう言動を発したとき「7」かというと、みなさんが想像したとおりのときである。

2003/05/30(金)金髪、街を行く

髪をむぎわら色、いわゆるキンパツに染めたおばさんを通勤車内で見て思う。

かつて「金髪=ブロンド」には一定の付加イメージがあった。ヒッチコック映画等の定番のキャスティングだと金髪はヒロインのお嬢さん、黒髪は男を迷わすヴァンプだ。アメコミやパルプSFの挿画などでも、たいがいそうなっている。

だからなのか、ハリウッドでもマリリン・モンローを筆頭に、金髪に染めてブレークした女優はたくさんいる。カトリーヌ・ドヌーブ、女優じゃないけどマドンナ・・枚挙にいとまがない。

彼女たちが黒髪や赤毛を金髪に染めることによって得られたイメージ要素は、おおむねプラス効果のようだ。だが、モンゴロイド(日本人でも韓国人でも中国人でも)が金髪に染めた場合、同じようなイメージ要素はどうも得られていないようだ。これは一般人だからではなく、金髪に染めた日本の芸能人を見てもそう思う。

もちろんまったく変わらないのではなく、「ある効果」は生まれているのだが、ハリウッドのコーカソイドの女優さんがブロンドにすることによって得られた効果とは全然違うものだ。これはもちろん、金髪に染めている日本人や他の東洋人のおねーさんおばさんは自覚してやっているのだろう。まさか白人のようになりたいと思っているわけではあるまい。

しかし、私のようなヒッチコック大好きなおじさんには、ハリウッド女優がブロンドから得ようとした効果はなんとなくわかる気がするのだが、日本人の金髪女性(男性も)がどういう効果を狙っているのか、もう一つ見当がつかないのである。まさか、似合うと思ってるわけじゃないよね?

2003/05/28(水)漂流教室

Amazon楳図かずお『漂流教室』(小学館文庫)全六巻読了。

楳図かずおが『ヘビ少女』や『半魚人』でブレークした頃、私は小学生だった。リアルタイムで読んだわけだが、いやこわかった。強がってはいても実は臆病者だった私には、楳図かずおの漫画は、本当に本当にこわかった。ある短編を悪友に読ませられてトラウマになったくらいである。「楳図」という特徴ある活字を見ただけで鳥肌が立つくらいだった。

もちろん、今ではもうこわくない(いばるほどのことではない)。晴れて読みはぐっていた作品を少しずつ買い揃えているところだ。中でも傑作と名高いのがこの『漂流教室』。先週古本屋で全巻揃いを買ったあと、一気に読んでしまった。たしかに傑作です。

原因不明の爆発によって小学校が未来にタイムスリップしてしまう。大人である先生たちは事態の急変についていけずに次々と発狂して死んでいく。人類が死滅し崩壊しきった地球に残された小学生たちのサバイバルがはじまるのだが、彼らを飢えと渇きと天変地異が容赦なく襲う。やがてこどもたち同士の人間関係も精神状態もぎりぎりの限界を迎える……

物語がジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記(二ヶ年の休暇)』を踏まえていることはあきらかだが、そこは楳図かずお。単純な「勇気と友情の少年冒険物語」などは描かない。最初はけなげに友情を発揮してがんばる小学生たちも、やがてたがいに憎悪し仲たがいし最後には殺し合いまで展開する。その心理の変化の描写も、エンターテインメントとしてのご都合主義ではなく(恐怖のための恐怖でなく)実にリアルなのである。こわい。これに比べれば『バトル・ロワイヤル』なんて全然半端です。

同じように『十五少年漂流記』を下敷きにして、少年たちの心の闇=狂気の世界を描いた小説に『蠅の王』がある。ノーベル賞作家ウイリアム・ゴールディングの代表作だが、『漂流教室』は十分に『蠅の王』に匹敵すると思う。

そんなことは抜きにしても、緊張感みなぎる息詰まるような描写のすさまじさ。たたみかけるようなサスペンスフルな展開に一気に読まされてしまう。作者が一番油ののりきった時期だけに絵もストーリーも力強い。ラストも、謎がとけてみんなで感動の帰還をする、というような単純な終わり方はしない。かといって悲惨なシニカルな結末でもない。ネタバレになるので詳述はしないが、十分に感動できるラストであることは保証する。ちょっと眼がうるっとします。

*

Amazon楳図かずおの入門としてはこちらがいい。

←『綾辻行人が選ぶ!楳図かずお怪奇幻想館』(ちくま文庫)。作者の神髄と言える短編が厳選されている。ただし、こわいよ。

表紙の怪人の顔もこわいが、少女の冷たい美貌が妙に色っぽく、より恐怖をそそっている(ような気がする<全然臆病者はなおってない)。

藤本正行・鈴木眞哉『偽書武功夜話の世界』(洋泉社新書)、篠田節子『死神』読了。


2003/05/24(土)旧岩崎邸庭園/湯島天神

先週、あまりの混雑ぶりにあきらめた旧岩崎邸庭園を再訪。さすがに素晴らしい造作です。豪奢だが派手でない。欲をいえば、実際暮らしていたときの家具(これも豪華だったんだろうな)も配置した状態で見てみたかった。

何室も客室があり、一つ一つに大理石の暖炉があるような大邸宅は映画や小説でしかお目にかかったことのない貧乏人なので、どうしてもアガサ・クリスティ横溝正史の世界を連想して仕方がなかった。この客室のそれぞれに一癖ある客人が泊まっている。真夜中に一発の銃声が響きわたる。部屋から飛び出してきたみんなが、階下のホールに駆け付けると、人々の目に飛び込んできたのは、頭から血を流し倒れている屋敷の主人の姿だった。彼の死体をステンドグラス越しの月明かりが冷たく照らしている……

本館とは別に和風の別館、そしてログハウス風の独立した撞球室が広大(それでも往時の三分の一程度らしい)な敷地に立っている。

撞球室には本館から直接来られる地下通路まであるのだから、それこそ探偵小説の世界である。もちろんクライマックスでは名探偵は地下通路に閉じ込められ、その間にヒロインに犯人の魔の手が迫るのである。

帰りに祭礼の湯島天神にお参り。せっかく無形文化財の人が演じる御神楽が奉納されているのに、舞台の前にとうもろこしや焼き鳥の屋台が出ていて見づらいったらありゃしない。

天神さんは学問の神様なので合格祈願の絵馬がたくさん奉納されていた。「第1しぼうの高校に入れますように」なんてのがあったが、「しぼう」を漢字で書けない子を受からせるのは天神さまといえども難儀なことだろう。

「公認会計士試験に受かりますように」「税理士試験に受かりますように」と連名で書かれた絵馬もあった。一枚で節約したのは、たしかに会計士税理士をめざすだけのことはあるようだが、ご利益は減るんじゃないのかい。

篠田節子『家鳴り』(新潮文庫)、宇月原晴明『信長あるいは戴冠せるアンドロギュナス』(新潮文庫)、モーリス・ルブラン『怪盗紳士リュパン』(創元推理文庫)読了。

モーリス・ルブラン『奇巌城』(創元推理文庫)、篠田節子『死神』(文春文庫)、筒井康隆『わたしのグランパ』(文春文庫)、二宮清純『天才セッター中田久美の頭脳』(新潮社)、J・G・バラード『殺す』(東京創元新社)購入。
 『殺す』、百十二頁で千三百円は高すぎ。


2003/05/16(金)アニメ風美少女風芸術

村上隆氏の立体少女像、50万ドルで落札

アニメやマンガを思わす作風で知られる日本の美術家村上隆さんの立体少女像「Miss ko2」が14日、競売会社大手クリスティーズがニューヨークで開いたオークションで50万ドル(約5800万円、手数料除く)で落札された。高さ2メートル弱で、ファイバーグラス製。

画像

日本芸術のキーワードは「わび」「さび」「幽玄」に変わって、「萌え」「ヲタ」「カワイイ」、ですかな。

かといって村上隆は日本のオタクには評判よくないみたいだ。そりゃあ、単純に「フィギュア」としてみれば、オタク的にはもっと評価が高い作品や作者がほかにあるだろう。

しかし、村上隆は「アニメ風美少女像」を自分のオリジナリティとして出品したわけではなかろう。アンディ・ウォーホールが「キャンベルスープ缶」でアメリカを描いたように、オタク文化的デザインで日本を描いたのだろう。買った人がどう思っているかは知らないが。

だけど、文明批評と芸術は微妙に違うわけで、面白さだけが鑑賞基準の私のようなへっぽこ鑑賞者にはウォーホールも村上隆も全然面白くはない。

村上隆のも、前のこれとか、これとかの方が、面白かったなあ。笑えるではないか。今回のは仕掛けがもうひとつ<そういう問題か

・・・それとも、なにか仕掛けがかくされているのだろうか?(あそことかあそことかが怪しい)

長山靖生『偽史冒険世界−カルト本の百年』(ちくま文庫)、清水義範『ターゲット』(新潮文庫)読了。

2003/05/04(日)春陽展

昨日は一般公開したばかりの旧岩崎邸庭園にいってみたが、さすがの人気で入園まで三十分待ち。並ぶのはきらいなので後日改めて来ることにする。

せっかく池之端まできたので、上野公園まで足を延ばし、都美術館の『春陽展』を観る。ipgさんこと伊豫田晃一さんが版画部門で初入選、奨励賞を受賞されていた。入選作の二点ともipgさんのサイトで見ることができるが、やはり現物を間近に見ると、描線の緻密さとシャープさが圧巻だ。

その他の入選作もレベルがすごく高くて面白いのだが、特に絵画部門はその点数に比して会場が足りない感じ。決して狭くはないのだが、枚数が多い上、一枚が大きいものが多い。絵と絵の間隔も狭いし、ほとんどは上下に二枚並べられている。重厚な画風が多いので、いっぺんに複数の絵の印象が目に飛び込んできて、一枚ずつの印象が散漫になってしまう。やはり絵を展示するのに適正な面積というのはありますな。

版画部門は一枚のサイズがあまり大きくないので、こちらはゆったり見られてほっとする。版画といっても色々な技法があり、日頃あまり版画をまとめて見る機会がないので新鮮で面白い。

陶智子『不美人論』(平凡社新書)、篠田節子『家鳴り』(新潮文庫)読了。

2003/05/01(木)カルト宗教とSF作家

あの“白装束電波集団”に行楽客が殺到

電磁波の研究団体「パナウェーブ研究所」を名乗る白装束集団が岐阜県八幡町と大和町境の林道を占拠している問題は、集団の奇妙な言行が「怖いもの見たさ」の関心を呼び、報道陣とやじ馬が殺到。両町は一日までに、「退去勧告」を発令したが、地元住民のGWまで真っ白に染め上げる大騒動に発展している。

デンパな団体が電磁波を恐れているのが笑わせるが、教祖が「敵」の陰謀によって重病だったり、白装束や「なんとか波」が好きだったり、オームとそっくりだ。言ってることも『ムー』とかに出てそうな話の寄せ集めでオリジナリティに欠けることはなはだしい。私的には宗教団体と暴力団は同じカテゴリーなのだが、団体によっては税金が優遇されたりしている分、宗教団体の方が悪質なのかもしれない。

このパナウェーブ研究所の正体の『千乃正法会』の出自は、『幸福の科学』などと同じく『GLA』らしい。

大昔の学生時代、『GLA』の現女性教祖の著書『真創世記』を古本屋で見つけて買ってしまったことがある。普段なら絶対にそんなものは買わないのだが、一見新興宗教ぽくない外見と、裏表紙に掲載されていた教祖の美貌(当時十九歳)に、魔がさしたというかなんというか。

内容はといえば、文章はうまいが論理はめちゃくちゃ、「自分と意見があわないのはみんな悪魔の使徒かよ?!」という感じで、半分も読まずに放り出してしまった。

実はこの『真創世記』はSF作家平井和正の代筆だったらしい。→『真創世記』三部作の真の著者。

平井和正は言わずと知れた『8マン』や『幻魔大戦』の原作者。『ウルフガイ』シリーズや『サイボーグブルース』などのハードボイルドSFの傑作の書き手で、当時の私は熱狂的愛読者だった。

それが『幻魔大戦』の後半から物語が変質しはじめ、まったく『真創世記』の世界にのっとられてしまったのだ。ヒロインの少女が教祖と同じ言葉を小説の中でほざくのを読みながら、悲しいやらなさけないやら・・・・未練たらしく読みつづけるには他に読みたい本が多すぎた。すぐに平井和正を読むのをやめたが、今でも平井和正が変質せずに書き続けていてくれたら、『幻魔大戦』や『ウルフガイ』はどんなに素敵な小説になったことだろうと夢想することがある。

もっとも、平井和正は一年たらずで、間違いに気づいて団体とはたもとをわかったそうだが、その後も「玉置山」やら「メガビタミン」やらに夢中になり、そのつど作品に反映させたらしい。どうもなにかとはまりやすい人のようだ。

思い出すのがエイリアンの元ネタとして名高い『宇宙船ビーグル号』の作者、A・E・ヴァン・ヴォークトだ。この人も晩年には「ダイアネティクス」とかいうカルト療法にはまって、その治療によって超能力を得た少年の小説などを書いていたが、なんとも変な小説でありました。

平井和正もヴォークトもあまりはまっていない時期に書いた小説は、滅法面白いのだ。独特の勢いというか濃さと集中力を感じるのだが、そのへんがカルトにはまりやすいところと表裏一体なのかもしれない。

↓十分うんざりしたところで、ちょっと笑える動画を(4.5MB)
 こんな牛がいたら・・K1に出ろ!

バラード『スーパーカンヌ』(早川書房)、筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』(文春文庫)読了。

2003/04/29(火)美人画

しばらく絵を描けなかったせいか、もう一つ気力がわかない。そこで、ディスクトップをウルトラマンのオープニングから、一昔前なセンスのいかにもなデザインの元気のでそうなのに変更。元気でます。

そのおかげか、なんとか女子百景を1枚描きあげる。一度描きはじめると、絵を描くのはやはり楽しい。

ネットで公開している画家さんのサイトで自作のアンケートをしているところがいくつかある。アンケート結果を見ると、「美人に描けている」作品が上位に来てるようなことが多いような気がする。

まあ、私の主観なので断定はできないが、モデルの個性が際だっていて「いい絵だな」と思う作品が下位だったりする。作者の意図は「美人を描くこと」ではないと思うのだが、しかたがないことなのだろうか。

私のポンチ絵でもネットで公開していれば、批評や感想をいただくことができる。嬉しいことである。もちろんほめられたほうが嬉しいけど、けなされたり間違っていると言われても、それはそれでオーケイ。ただ困ってしまうのが「好みの顔じゃない」とか「もっと若い子の方が」という感想だ。そんなこと言われてもなあ。(最近言われたわけではないが)

絵の性的代替物という側面は否定しないし、私のヘッポコ絵などはそれ以外のなにものでないだろう。だけど、ただ美人を見たいのだったら、絵なんか描かないで『トリック』のDVDでも見てた方がいい。

なんて書きはじめてしまうと、色々考えていることはあるのだが、まとまっていないので、いずれそのうち。うだうだ考えているより1枚でも描きたいものを描いた方がいいに決まっている。わかってはいるのだが。

2003/04/18(金)レンズマンと近親相姦

「まあ、キットったら!」彼女の気分はたちまち変わり、顔にもいつもの茶目っけたっぷりの微笑がもどってきた。「まさか弱気になってるんじゃないでしょうね?わたしが手をひいてあげましょうか?」
「そうだなあ――ちょっと足がすくんでるみたいだ」彼は素直に認めた。「(略)さあて、ぼくのほうはもうもういつでもいいですよ(略)」
「QX,キット――はいってきて」
キットは侵入した。自分の中に息子が押しよせる最初のうねりのすさまじさに、彼女は思わず息をのみ、全身の筋肉をこわばらせ、いまにも苦痛の叫びをあげそうになった。彼女の手が本物の痙攣を起こし、それを握っているキットの指にかなりの力がかかった。どんな衝撃が来るのか彼女はわかっているつもりだったが、現実は違っていた――おそろしく違っていた。(略)彼女の存在の深奥にあるもっとも柔らかい敏感な中枢に突き立てられているような感じだった。
キットはその深みにぐんぐん突き入りながら(略)彼女の(略)を大きく押しひろげ、彼女自身そんなことができるとは思い及ばなかったほどすべてをさらけ出したのだ。(略)
彼女はふらふらの状態で身を起こし、顔をぬぐった。(略)刺激的な香りのする赤い液体をすすっているうちに、彼女の顔にも生気がもどってきた。「このところ何年も、何か足りないような気がしていたのも無理はないわ。ありがとう、キット。本当に感謝してる。あなたは……」
「それはもう言わないで」彼は母親に身をよせ、固く抱きしめた。彼女の顔が汗まみれで髪も乱れきっていることなど彼は気にもとめなかった

フランス書院文庫『熟母の寝室』読了。

…………嘘です。
引用元は宇宙冒険SFの古典『レンズの子供たち』の一節(「レンズマン」等の一部の語句を引用者が意図的に改変)。『第二段階レンズマン』に続くシリーズの最新刊は、いよいよクライマックス。ヒーローであるグレーレンズマン、キムボール・キニスンの五人の子供たち(息子と二組の双子の娘)が、父親をもはるかに凌ぐ超能力で、宇宙の悪の根源、エッドール人に最後の戦いを挑む。

キニスンの愛妻で、子供たちの美しい母親でもあるクラリッサは素質あるレンズマンでありながら、最終的な訓練を受けないでいた。その母親の能力を解放するために、超人となった長男キットが彼女を特訓するのが冒頭に引用したシーンだ。

精神エネルギーを制御する能力を得るためのイニシエーションではあるのだが、どうにも近親相姦を連想させる文章である。恣意的に「精神」とかそのたぐいの言葉を略してみただけで、官能小説の一場面のように読める(よね?)。

このシーンの前後にも親子の「おかーさんはなんて素敵なんだ」だの「これはあなたのためよ」だのという、こそばゆい科白が満載である。あきらかに作者は、超能力訓練というSF的場面を、母と息子の禁断の性愛を連想させるように狙って書いている。以前に一度読んではいるが、そのときは私も純真な高校生だったので、全然気がつかなかった。

かの謹厳実直、明朗快活、騎士道紳士道バリバリのドク・スミスがちゃっかりこんなことを書いていたとは。レンズマンについてそんなことを書いている解説やレビューにはお目にかかったことがない。いったい、これは新発見なのかという期待と、フランス書院文庫や富士見ロマン文庫に毒されたエロオヤジ(私だ)の単なる誤読なのかという不安で、いてもたってもいられなくなった(ちと大げさ)。

Googleでキーワード「レンズマン 近親相姦」を検索すると25件ほどヒットした。しかし、どれも古本屋のサイトなど、たまたま同一ページに単語が揃っていただけのページばかりだ。

なんだか、不純な私の妄想である可能性が高まってきた。

こういうときにはたよりになる、というかミもフタもないことも書込んでいるだろう2ちゃんの「レンズマンを語りたいんだよ 三惑星連合軍」スレをのぞいてみる。「近神相姦」なんていう言葉を見つけたが、残念ながらパロディ妄想ネタのようだ。

こうなったら、日本語以外のサイトをさがしてみるしかない。「incest Lensman」で検索するとえらくたくさんヒットする。ブックストアのページや「Lensman」というハンドルでエロっぽいネタを書いている人のページなどで、とても探すことができない。そこで「incest "Children of the Lens"」で検索し直すと、今度は4件だけヒットした。これがすべて、レンズマンに隠されている近親相姦テーマについて、言及しているページだった。やった!

のちのインセストテーマの後継者、ハインラインとのからみで書かれているのが多いので、ファンの方はじっくり読んで見ると面白いかもしれない。私は英語は苦手なのでさわりの部分だけでパス。

Interstellar Ramjet Scoop
 ↑12歳では気がつかなかったのも無理がないという私と同じような感想。

Sex Sells Science Fiction
 ↑昔からSFには性描写はあったんだぜ、ハインラインにもスミスにも。

Heinlein Reader's Discussion Group 06-10-2000
 ↑スミスは「7冊目のレンズマンは『レンズの子供たち』の近親相姦描写のため出版できなかった」と言っていた(ハインライン談)

Heinlein Reader's Discussion Group 10-12-2000 9:00
 ↑近親相姦テーマはレンズマンシリースが「神話」的世界に向かうということを示している(ハインライン談)。

キニスン一家はオリンポスの神々となるのか。元々レンズマンの善悪二種類の超越的宇宙人が争っているという世界設定は神話的ではあるけど。

ということで、残念ながら、私の新発見ではなかった(あたりまえだ)。

しかし、なぜ日本では見当たらないのだろう。旧きよきアメリカン宇宙SFという先入観が強すぎるのではないか。

新機軸のつもりか、解説の永瀬唯氏は、本書は反マッチョ思想としての先駆的なフェミニズムではないかなんて書いてるが、見当違いでしょう。そこまで深読みしていて、なぜインセストに気がつかないのだ。きっとフランス書院文庫を読んでいないからに違いない。それとも気がついていても言わぬが花、なのだろうか。

筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』(文春文庫)購入。

2003/04/14(月)狂鬼人間

TBS、京都の障害者団体に謝罪

TBS(東京放送)のワイドショー番組で、名古屋市の連続通り魔事件に関連し、精神障害者差別と受け取れる発言があったとして「京都精神しょうがい者の人権を守る会」(京都市、多芸正之代表)が抗議し、同社が「認識が不足していた」と文書で謝罪したことが13日、分かった。

番組は、今月4日の朝に全国放送された「ウォッチ!」。出演した大学助教授(精神医学)が犯人像について「恐らく20代に発病している統合失調症の可能性がある」などと発言した。(略)

京都新聞:2003.04.13

「この通り魔は女装した男性の可能性がある」と発言していたキャスターもいたが、これはあきらかに男性に対する差別だから抗議して謝罪させなくては。

・・・ということには普通ならない。キャスターは「男性の可能性がある」と言っただけで、「男性は通り魔になりやすい」と言ったわけではないからだ。発言を聞いて不快になる男性もまずいないだろう。

「可能性がある」と言っただけで「決めつけだ」「差別だ」という抗議の方が、精神障害者への偏見を助長すると思うけどなあ。実際、統合失調症の犯罪者に特徴的な犯罪、手口というのが存在するからこそ精神医学の専門家が予想するのだろう。まあ、犯人逮捕前にワイドショーなんかでしゃべっちゃう必要はないと思うけど。

*

昔はこんなドラマもちゃんと放映されていたんだよなあ。

『怪奇大作戦』第24話「狂鬼人間」

家族を狂人に惨殺されながら犯人が無罪にされた男の復讐劇。

懐古主義者ではないけれど、こういうのもちゃんと放送できるまともな世の中には、もうもどれないのだろうか。

ジョー・R・ランズディール『ダークライン』(早川書房)読了。

2003/04/12(土)イラク≒ニッポン

なんとかイラク戦争も終結の模様だ。

対北朝鮮と違い、やはり日本ではもう一つ他人事感を免れないような気がする。その分、理想主義?現実主義?とりまぜ賛否かまびすしい。ブッシュの横暴、ラムズフェルドの利権、フセインの独裁・・・民主主義対独裁主義と見る人もいれば、帝国主義対民族主義と見る人もいる。

私は断定する言葉を持たないけれど、状況はなんとも五十年前の日本(対米国)にそっくりだと思う。

日本のウェブサイトで、米国のイラク攻撃に肯定的な意見の人は、他では「保守的(右翼的?)」な意見を書いている場合が多いように見受けられる。たいていは戦前の日本については肯定的だが、それならなぜ米国と戦ったイラクに好意的ではないのだろう。

逆に米国の政策に否定的な「革新的(左翼的?)」な人は、戦前の日本より戦後の日本の価値観に肯定的だが、これもなんだか妙な話しだ。

これから米国がイラクにやろうとしていることは、50年前に日本を「民主化」したのと同じことだろう。イラク攻撃前から「イラク占領後は日本方式でやるつもり」という米国高官の話が報道されたりしていた。

日本人の多くはあまりイラクと日本を同一視していないようだが、アラブでは「米国に国家として喧嘩を売ったのは史上に三人だけ。ヒロヒトとホー・チ・ミンとサダムだ。」だからサダム・フセインは英雄だという見方があるというのを聞いたことがある。三人のうち勝ったのはホー・チ・ミンだけだから、まあ分の悪い戦いだ。

戦前の日本やフセインの独裁を支持するものでは全くないが、ブッシュに民主化を押しつけられアラブ的なものを否定される国民の心情はいかばかりであろう。

父母祖父母に聞いたり本で読んだ戦前の日本を思えば、戦後の日本の方がずっと良いのは間違いないし、戦前的価値観の復活など、冗談でも御免こうむりたい。しかし、自分たちの力で民主主義を得たわけではないというむなしさ、というか地に足のつかなさは、未来永劫日本につきまとうのではなかろうか。少なくとも私の心の片隅には、民主主義に対する自信のなさがしっかり巣食っている。

イラクはどうなるのだろうか。同じく米国にコテンパンにされた国の民として気になるところだ。

でも、北の将軍様はぶっとばしてね、とジャイアンにお願いするスネオなのであった。

2003/04/08(火)アトムと座頭市

フジテレビ系アニメ「アストロボーイ・鉄腕アトム」高視聴率で好発進

目標の2ケタ発進に同局の松崎薫プロデューサーは「かつてアトムで育った世代が子供と見てくれたことと、不安定な世界情勢だからこそ、アトムに象徴される『平和を求める心』が視聴者の心をつかんだのでしょう」と分析した。
 ちなみに2003年4月7日は、故手塚治虫さんが原作の中で設定したアトムの誕生日。東京・新宿区高田馬場の「科学省」で生まれたとされる。

私も『新日曜美術館』を見ている途中でフジTVに切り替えて観てみたが、3分も持たずにチャンネルを元にもどした。リアルタイムでアトムで育った世代だし、学校のキャンプ遠足が放映日と重なり、行こうかどうしようかみんなで真剣に悩んだこともある(ビデオなんてものはそれこそSFの世界のものだったのだ)。それでもつまらないものはつまらない。なんのイットも感じられなかった。懐かしさだけで観られるものではないのだね。

しばらく前に『サイボーグ009』のリメークもやっていたような気がしたけどいつのまにか消えてしまったようだ。TV界も映画界も、いい加減リメークにたよるのはやめないかなあ。こちらは新しい世代の新しいドラマが観たいのだ。オリジナルを超えられるはずのない『魔界転生』や『座頭市』などいまさら作ってどうしようというのだ。

そんなことより、深夜でもいいから『座頭市』シリーズを放映してほしいものだ。なぜ、あんな面白いのをやらないのだ。・・・放映しない理由はもちろん一つしかないのだが。

北野武監督の『座頭市』。「あたしゃあ、めくらと言われても怒りませんよ。めくらであるのは間違いございませんから。だけど、めくらのくせに、とか、めくらの分際で、とか言われるのは・・・・許せねえ!」なんていう名科白も再現できるのかな。別に期待はしてないけど。

*

そういえば、先週末NHK-BSでやった内田吐夢版『宮本武蔵』でも、武蔵が試合前に相手に念を押されるシーンの科白が、「たとえ手足を折られて、プシュになっても・・」なんてことになっていた。

もちろん「プシュ」は「かたわ」だ。あと数箇所「プシュ」があったけど、「つんぼ」とかそのたぐいだった。もちろん身体障害者を差別したりののしったりしている場面ではない。あほらしくて笑ってしまいました。

2003/04/06(日)花見/宮本武蔵

今週は花見。三鷹の玉川上水沿いの「風の散歩道」を歩く。

大昔、仙川に住んでいた頃はよく来たところだが、かつてはもっと武蔵野らしい緑豊かなところだった。今は面影がかすかに残るばかり。

小説に興味はないが、建物(洋館)が面白い『山本有三記念館』を見る。

小説と言えば、「散歩道」散策中に、近くで入水自殺した太宰治の話しをボランティアで話してきかせてくれるという中年女性の二人組に呼び止められる。折角のいい天気に自殺話もなんなので、丁重にお断り申し上げる。

花は見事だが混雑でお話しにならない井之頭公園を抜け吉祥寺から帰る。

*

桜というのは美しいのはたしかだが、苔むした古木の幹の根元近くからも華やかな桜花が咲き出ているのは、なんとなく不気味である。まるで寄生植物ように見えなくもない。そのへんが「満開の桜の根元に死体が埋まっている」という不吉な想像を呼ぶ遠因であるのかもしれない。

NHK-BS2で二日連続一挙放映した内田吐夢監督の『宮本武蔵』五部作をべったりと観る。過去にも何度か見ているが、やはり映像化された武蔵作品の最高傑作である意を強くする。

重厚かつ華麗な超大作。華やかさだけでなく原作をじっくり再現した緻密な脚本とカメラワークにはほれぼれします。眼福。


大河ドラマの「武蔵」のしょぼさつまらなさが際だってしまうというのに、NHKも大胆なことをするものだ。

ジョー・R・ランズディール『モンスターズ・ドライブイン』(創元SF文庫)読了。→レビュー
 養老孟司『からだを読む』(ちくま新書)読了。
 ブラントーム『好色女傑伝(上)』(講談社文芸文庫)読了。

ジョー・R・ランズディール『ダークライン』(早川書房)、諸星大二郎『私家版鳥類図譜』購入。

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