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04/03/30(火) 縦書きテスト(みなさん、どう見えます?)
04/03/29(月) 回転無用
04/03/28(日) 怠惰なる週末
04/03/18(木) 綾戸智絵を聴きながら考える
04/03/17(水) プライバシーの使い方
04/02/28(土) おれは江戸っ子?/オームの不思議
04/02/25(水) スターウォーズ?の立体映像ディスプレイ
04/02/17(火) 江戸奇人伝
04/02/15(日) 日本古武道演武大会
04/02/11(水) 圓山應擧展
04/02/10(火) 数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活
04/02/02(月) ラスト・サムライ

2004/03/30(火)縦書きテスト(みなさん、どう見えます?)

私の妹は落語好きでよく友人と寄席に聞きに行っている。

先日も独身OL仲間と行った席で、旧知の年輩婦人集団(六十代〜?)と挨拶をかわしたそうな。

妹たちは前方の席、おばさま軍団は後ろの席につき、噺がはじまった。

「出てきたのがこれが、ちょっと粋な年増、歳のころなら二七、八(にじゅうしっぱち)、三十デコボコ……」

なんてのを聞きながら「二七で年増なら私なんて……」などと余計なことを考えていたらしいが、やがて噺に老婆が登場してきた。

「ごほごほごほ、あたしゃあ、もうこんな歳ですから、体がえらいのなんの……」

「ばあさん、いくつになったね」

「もう五七でございます」

そのとき後ろの席から、声も音もしないのに、なんとも異様などよめきのようなものが押し寄せてきたそうな。

案の定、帰りに一緒になったおばさまたちは、かしましくまくしたてたらしい。

「もう、五七でばあさんと言われるなら、あたしたちなんてどうなっちゃうの?失礼しちゃうわねー」

たしかに最近の女性は若い人が多いから、五十代でばあさん呼ばわりは無理があるだろう。戦国時代は「人生五十年」だったんだし、江戸時代でもほとんど平均寿命はのびなかったらしいから、江戸落語ではしかたがない。しかし、平成の落語はそのへんアレンジしなければいけませんね。古典を守るのはただ一言一句変えないということではないはずだ。

2004/03/29(月)回転無用

六本木ヒルズで26日、大阪府吹田市の6歳の男児が自動回転ドアに頭を挟まれ死亡した事故で、森ビル経営責任必至、事故32件無届け

あの回転ドアという奴、入りずらいし不便だし、嫌いである。人間を迎えいれ、送り出す装置という気がしない。まるでゴミを吸い取り吐き出すフィルターのようではないか。

あんな見るからに危険なものに子供を一人で入らせる親の防御本能欠如が信じられない。これが駅のホームで手を離した子供が電車に接触したりしたら、非難されるのは親の方だろう。

もちろん一番悪いのは回転ドアに決まっている。センサーがうんぬんなどではなく、設置そのものがだ。回転ドアの利点は、エアロックと同じで空気の出入りが制御でき、空調効率に有利なのだろう。ビル風にも強そうだし。人の出入りするスピードも一定に押さえられる。要するにすべて管理する側に便利なことばかりだ。利用者であのドアができて良かったとか便利だとか思う人はまずいないだろう。

効率的なようで不便で醜い回転ドアなんてものはこの世からなくすにしくはない。未来が舞台のSF映画でも、回転ドアはまず出てこない。その醜さを美術家は本能的に感じとっているのだと思いたい。

2004/03/28(日)怠惰なる週末

仕事が忙しいのと花粉症で、文章も絵もなかなかとりかかる気力が起きない。早く復活せねばと思いつつ、週末もでかける気がおきずにぐったり本読んだりTV見てるだけだった。やれやれ。

K-1はしょうもなかったけど、相撲が面白かったのは救い。朝青龍の15勝のうちですごかったのは、対魁皇戦の小手投げ。小手投げは魁皇も得意だが、相手の差し手をひっぱりこんで力任せに振り回す、豪快といえば豪快だが、不細工かつ危険な技。朝青龍のはひっかけるように腕を決めて瞬速で下方に打つ、切れ味鋭い投げだった。来場所もこの小天狗から目が離せない。早く黒海が上にあがってこないかな。モンゴル=グルジア対決が今から楽しみだ。

世界フィギュアは折角荒川静香が優勝したのに、フジテレビの余計なものだらけの中継で興味半減。私の好きなスポーツはたのむからNHK以外は放映しないでくれ。

『お笑いオンエアバトル』のチャンピオンは私の好きなアンジャッシュを破って、これまた私好みのアンタッチャブル。おっと、これは先週のネタだった。

小林晋一郎『バルタン星人はなぜ美しいか』(朝日ソノラマ)、京極夏彦『塗仏の宴―宴の支度』『塗仏の宴―宴の始末』(講談社文庫)、ジャフリー・アーチャー『十四の嘘と真実』(新潮文庫)読了。

2004/03/18(木)綾戸智絵を聴きながら考える

綾戸智絵コンサート』(地元にて)に妻、父、妹と。

やはり、歌はライブで聴いてなんぼ、映画は劇場で見てなんぼですなあ。

それをデジタルで安易に複製して儲けられるのがあたりまえになってしまったのが業界−悪魔の道でした。

……ここまで書いて眠くなったので、続きはまた明日


2004/03/17(水)プライバシーの使い方

真紀子逆効果…週刊文春“発禁”でバカ売れ

自由や安全とプライバシーはトレードオフの関係だ。公人であろうと私人であろうとプライバシーはある。だけどそれを守るのは自分の力で守らなきゃ。司法や行政を優先的に動かせる時点でプライバシーうんぬんを言うのはちゃんちゃらおかしい。

最近は「人権」や「プライバシー」との戦いで「言論の自由」はいささか劣勢に見受けられる。これは大いにまずい。「言論の自由」こそ金科玉条、神聖不可侵にしとかないと、おれたち庶民にはまずいことになるのは、歴史をふりかえればすぐわかる。

世の中には言っていいことと言ってもかまわないことがあるのだ。

酒鬼薔薇が仮退院

21歳「一生かけて償っていきたい」

当時10歳と11歳で酒鬼薔薇に殺された被害者も生きていれば17、18歳だ。死んでしまった者はどうやっても帰ってこない。犯人が更正しようとどうしようと被害者が生き返るわけではない。殺人者に「償う」方法はないのだ。

本当に「償う」気があるなら自分の実名と居住地を開示することが最低限度の「償い」だろう。

まあ、自分から明らかにするわけはないし、強制するわけにもいかない。「マスコミ開示」ではオモチャにされるだけで、「情報」にはならない。ここはやはりミーガン法制定しかないのでしょうな。今回の「出所の開示」が硬直した司法が少しでも変化していく兆し、だといいのだが。

2004/02/28(土)おれは江戸っ子?/オームの不思議

江戸人チェック

一応、生粋の江戸人であるはず(江戸初期から先祖代々当地にへばりついている)私だが、50近くもある項目のうち、該当するのは下記の8項目だけだ。

江戸人としてはとてつもなく劣化しているらしい。別にかまわないけど。

麻原“バカ語録集”

なんといっても最大の謎は、こんな見るからにうさんくさい、男っぷりも悪い人物が、なぜ多くの人々を魅了し崇拝されたのかということだろう。私にとっては金正日、池田大作、大川隆法といったとこも同じように不思議だが、松本智津夫の場合、崇拝者には学者級の人も多かったようだから不思議さは群を抜いている。

オーム信者エリートの高い偏差値は人間判断にはなんの役にもたたなかったわけだ。だって、普通にうさんくさいと思うけどね。それに、人間は飛べません。

諸星大二郎『栞と紙魚子の何かが街にやって来る』(朝日ソノラマ)、ドストエフスキー『白痴(上/下)』(木村浩訳/新潮文庫)購入。『白痴』は岩波でも出ていて昔はその米川正夫訳を読んだのだが、なくしてしまった。再読したくなったが、今回は江川卓が『謎とき「白痴」』でほめていた木村浩訳にした。それに新潮文庫はちゃんと布の栞がついているのが嬉しい。

2004/02/25(水)スターウォーズ?の立体映像ディスプレイ

レイア姫をめざして――360度どこからでも見られる立体映像ディスプレイ。

日立製作所が発表した新ディスプレイは、360度の全ての方向から立体像(動画もOK)が見られるというもの。商品化までには、まだいくつか乗り越えなければいけないことはあるが、スターウォーズのレイア姫の入り口くらいまではいけるかもしれない。

立体物を24枚の鏡で囲んで、反射した24の像を一度に撮影。転送されてきた画像を同じ形にならんだ24枚の鏡に投影。鏡の輪の中心(元の実物の位置)にはスクリーンがあり、高速回転(30/秒)している。鏡から反射した映像がこのスクリーンに投影されることにより、鑑賞者がこのスクリーンを見ると、どの方向からもその方向にあった画像が見える。

……リンク先の記事にもあるように、ローテクで力業(笑)。立体映像ディスプレイというより、新式廻り灯篭とでも言った方があってるなあ。白土三平の忍者漫画の怪しげな忍法の解説のようでもある。

しょぼいけど、戦前のSFを読むようでなんだかいい感じですな。この方向に発展することで、立体映像ディスプレイができるとはちょっと思えないが。

以前、デジスタで入賞していた作品で似たようなのがあったのを思い出した。回転する球形の遊具(変形ジャングル・ジム?)につかまって遊ぶ子供たちの映像をまず撮影しておき、夜だれもいなくなった公園の遊具を回転させてその映像を投射する。すると昼間の光景が残像のように遊具のまわりにうかびあがる。まるで子供たちの幽霊が遊具で遊んでいるようで幻想的でした。こちらはしょぼくない。

2004/02/17(火)江戸奇人伝

氏家幹人『江戸奇人伝』(平凡社新書)読了。

これはややタイトルにいつわりあり。プロローグこそ、鼻毛をのばしっぱなしにしたお殿様とか、奇人らしい人が出て来るが、本編はほとんど、幕末史に名を残す外交官僚、川路左衛門尉聖謨(かわじさえもんのじょうとしあきら)と彼の家族の話である。川路本人やその妻や子、両親が登場する。みな一般人ではないが、決して奇人変人ではない。むしろ傑物才人であろう。では読んで面白くないかというと、これがすこぶる面白い。

みなさんは江戸時代の武家の家庭、妻などというとどんなイメージを持つでしょうか。まずは、しとやか、忍従なんて言葉が思い浮かぶのではないだろうか。本書の主人公川路左衛門尉はある日妻に「女の嫉妬は七去の中にも挙げられている重い罪だ」なんて教訓をもっともらしく垂れたそうな。妻のおさとさんはどんな反応を示しただろう。旦那さまの仰せはごもっともと恐れ入っただろうか。彼女はすかさずこう反論したのである。

「たしかに中国の聖人がそう書いていらっしゃいますが、その聖人が女だったら信じもしましょうが殿方です。こればかりは当てになりませんわ」

左衛門尉殿、一言もなかったようだが、さらにおさとが家来の妻女たちにこの話を話すと彼女たちは「さすがは奥様!」と感心したあとこういったという。

われらが礼とやらむいふことを定めたらむには女房を大切にせよということを第一にして、妾などは一人もならむといひたし

……わたしたちが礼法を決めたら、まず妻を大事にすることを一番にして、妾を持つなんてとんでもないと言いたいわ。

このおさとさん、ただものではない。抜きんでた才女である。夫の左衛門尉も妻には一目も二目もおいていたらしい。しかし川路家の家来の妻たちも猛者ぞろいである。これが、封建的、男尊女卑の代名詞のような武家の家庭の会話なのだから驚きだ。しかもそれを日記に記しているのは、司馬遼太郎が「こんにちにいたるまで政治家・高級官吏でこの人ほどの観察眼と文章力を持った人はいないのではないか」と激賞した川路聖謨本人なのである。

もちろん江戸時代である。常に妻が夫に口答えしているわけではない。おさとは武家の妻としても嫁としても十分にその分をこなし、夫とも仲睦まじかったようだ。左衛門尉も日記にも他人にも、果ては外交折衝相手のロシア人にまで「わが妻は美人也」とノロケていたとか。このへんは左衛門尉殿、奇人の資格は十分にありそうである。

こんな川路左衛門尉も仕事も家庭も全て順調とはいかなかったようだ。前妻の残した二人の娘は母親に似て気が強く、父の思惑には全くそむいていたらしい。日記の記述も現代の娘の行状に表面上は激怒しても内心で困惑する父親そのものである。

それにしても、維新の英傑がなんとも人間的ではないか。本書のほとんどはこの川路が残した膨大な日記の紹介である。この日記自体も変わっていて、川路が江戸に残した愛する母に家族の日々の様子を知らせるために書いたものなのだ。

司馬遼太郎や城山三郎の書く維新の英雄にも、ちゃんと家庭や家族があり、天下国家と同じ比率かそれ以上に彼の心を占めていたことが伝わって来る。これを卑小化ととるか等身大と取るか読み手しだいなのだが、少なくとも私は読んでる間、楽しくて何度も声を出して笑ってしまいました。

著者の目のつけどころは『大江戸死体考』といい『江戸の少年』といい、常にステロタイプな江戸像をずらしてくれて斬新だ。本書も例外ではない。ただ、連載時の事情なのか文体が妙に軽すぎて無駄が多いのがちょっと残念。


2004/02/15(日)日本古武道演武大会

H2さんにご招待いただいて『第27回日本古武道演武大会』を日本武道館で見てきました。

卜伝流、心形刀流、渋川流、二天一流、直心影流、神道無念流、関口流柔術、宝蔵院流槍術、水鴎流居合、柳生新陰流、正木流鎖鎌、根岸流手裏剣術、天真正伝香取神道流etc、etc……。武道、武術に造詣が深いわけではないが、時代劇好きとしては、名前しか聞いたことがなかった流派が次々と秘技を演じてくれるのだから、それだけでわくわくしてしまう。

おそらく江戸時代以前にはすべて門外不出のの秘技。縁もゆかりもない人間の前で披露するなどありえないことだったろう。しかしこうして目の当たりにすると、同じカテゴリーの中で優劣が見えてしまうような気がしてくる。たとえば剣術では溝口派一刀流のような現代剣道に近い動きが合理的に見える。私は素人なので詳しいことはわからないが、色々な居合術を一度に見て、色々な斬り方を見られるなんてのも面白い。鎖鎌や琉球古武術の一刀鎌術のような滅多に見られない武術を見られたのもお得な気分。

演武の最初と最後がどちらも砲術で、轟音と火柱はど肝を抜かれる迫力でした。構成もなかなか考えている。

印象的だったのは演武者のほとんどが外人の薙刀術の流派があったこと。おそらく後継者難、弟子不足を解決するために経営努力したのだろう。パンフによれば海外支部もたくさんあるようだ。

もう一つやけに女性が多い剣術の流派があったが、新撰組で有名な流派。沖田荘司ファンの女性とかが多いのだろうか?

氏家幹人『江戸奇人伝』(平凡社新書)読了。

2004/02/11(水)圓山應擧展

江戸東京博物館『円山応挙<写生画>創造への挑戦』展を見る。

いつも思うけど、絵というのは実際に見なければわからないものですね。応挙といえば写生というイメージが強い。もちろん質感表現や形態のデッサンは実にリアルなのだけれど、間近に現物を見ると、現実の写真のような再現ではなく、実より真を伝えるべくうまく絵を造ってるなあという印象が強い。

たとえば「群鶴図」。六曲一双の屏風に17羽もの鶴が描きこまれている。一羽一羽の描写はもちろんすごいのだが、姿勢や色合いがそれぞれに描き分けられ、17羽の配置が計算されている感じで、画面に心地よいリズム感がある。

たとえば「雨竹風竹図」。墨の濃淡で描かれているのは群生する竹のみ。それだけで煙るような雨を表現している超絶技巧絵だが、これも遠景近景に配置された竹のリズムが奥行きと雨滴に満たされた空気を感じさせてくれる。

雪梅図」は三面三幅の障壁画だ。左端に梅の幹。太い枝が右方向に曲がりくねって伸びてゆく。その曲がり方うねり方が画面の奥に行ったり手前に来たり独特のリズムがある。心地よく視線が右に誘導されてゆくと、枝の最先端には小鳥(鴬?)がちょんと止まっている。ああ、日本画はいいなあと思う瞬間である。

しかし、一息の筆の線で笹の葉の形や竹の一節が見事に描かれているのを見るとためいきしか出ない。応挙の使っていたメモ帳?も展示されていたが、そこに描かれていた花鳥草木のスケッチの線描は丸ペンでもでないような細さである。毛数本の筆で描いたのだろうが、その技巧にはただうなるしかない。

会期中、かなり展示替えがあるようだ。終了までにもう一回くらい行ってみたい。

*

ミュージアムショップでのつれあいの今回のお買い物は、水鳥をデザインした印鑑。名前に鳥の種類が入っているので、手紙の封緘などに使うつもりのようだ。私は応挙展の図録と下記の本を買う。

氏家幹人『江戸奇人伝』(平凡社新書)購入。

2004/02/10(火)数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活

ゲルト・ギーゲレンツァー『数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活』(吉田利子訳/早川書房)読了。

40歳の女性が、乳がんにかかる確率は1%。

乳がんである人が、乳房X線検査で陽性と出る確率は90%。

本当は乳がんでなくても、陽性と出る確率は9%。

あなたが40歳の女性で、検査結果が陽性だったとしたら、

あなたが乳がんである確率はどれくらいですか?

「数学なんて社会にでたら絶対必要ないよね」なんて言ってる人は社会に出てからだまされあざむかれ大損する可能性が高いということをこれでもかと教えてくれる本。

なんていうと、しょうもないハウツー本みたいだけどそうではない。本書が「危険」を指摘する現場は、医療における「インフォームド・コンセント」だったり、HIV検査の信頼性だったり、DNA分析の功罪だったりする。アメリカの司法現場も対象になる。「O.J.シンプソン事件」の評決は正しかったのか?陪審員は正しい情報を正しい方法で与えられていたのだろうか?

ある薬が「治癒率を25%もアップした」と宣伝していたら、普通の人は「この薬を処方すれば今まで40%しかなおらなかった病気が65%も治癒するようになる」と理解するだろう。ところが治癒率は65%ではなくて50%になっただけなのだ。25%というのは処方者全体に対する絶対比率ではなく、治癒率40%に対する相対比率であったのだ。だから嘘でないにしても、みばえの良い方の数字を使う、大きな意味でのごまかしには違いない。

どうやったらだまされないのか、誤解しないで情報を理解できるのか。情報を伝える側はいかに誤解されにくい伝え方をしたらいいのか。著者が提案するのは、確率ではなく「自然頻度」で伝えるという方法だ。

90%ではなく1000人の内900人と表現する。降水率30%とは同じ条件の日が10日あったら内3日は雨が降るということだと教える。どちらでも変わらないように思えるが、自然頻度による表現だと、割合の母集団が明確になるのだ。

薬の治癒率の例でいえば「25%増えた」ではなく、「1000人に処方するといままでは40人だった治癒数が50人になった」といえば間違いようがない。自然頻度は人間が進化過程で獲得した数の把握能力に適した表現方法であるらしい

冒頭に引用した問題も自然頻度をあてはめてみるとすぐわかる。答えは[]。答えが予想とかけはなれていたら、本書を読んでみるのもいいかもしれない。


2004/02/02(月)ラスト・サムライ

上野セントラル『ラスト・サムライ』。

いやあ、シャイアン族と西郷隆盛とを対比するというのは日本人では考えつかないね。黄金の国ジパングを舞台にしたファンタジーという趣きだが、2時間30分を一気に見せる演出力はたいしたものである。

特に合戦シーンは見事です。NHK大河ドラマが束になってもかなわない。騎馬隊VS鉄砲隊の激突、そのあとの死屍累々のシーンはあきらかに黒澤明の『影武者』リスペクトだが、スピード感のあるカット割はハリウッド的だ。これはこれで心地よい。

反乱軍の隠れ里は『七人の侍』っぽくもあるが、『刑事ジョンブック』のアーミッシュの村のようでもある。村の風俗や出陣前の儀式の描き方はやはり細かくカットを割っていて、いかにもハリウッド的だ。今の人のリズム感には、こちらの方が見やすいだろう。私も2時間半が長く感じなかったのはこの編集のおかげだと思う。

役者はトム・クルーズもがんばっていたが、なんといっても渡辺謙が素晴らしい。英語のセリフも十分に感情を表現して重厚である。最初の登場シーンの迫力はダースヴェイダーなみだ。真田広之も当然文句なし。トムと真田のチャンバラも最近のヘッポコ時代劇より百倍もかっこいい。唯一の綺麗どころの小雪は雰囲気は申し分ないが、いかんせん科白廻しがひどすぎる。『嗤う伊右衛門』も期待できないなあ。明治天皇役の中村七之助ははまり役。御簾の向こうから岸部一徳が出てきそうな気がしてしかたがなかったが。

*

こういう映画につっこむのは野暮というのは承知だが、書かないのも健康に悪いので少しだけつっこんでおこう。

『永遠のマドンナ〜原節子のすべて』(出版協同社)、京極夏彦『塗仏の宴―宴の始末』(講談社文庫)購入。


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