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05/09/25(日) 朝青龍六連覇/メイド絵
05/09/24(土) 玉座の習作
05/09/23(金) 夫が多すぎて/乱れる
05/09/19(月) 写楽・歌麿と黄金期の浮世絵
05/09/11(日) 北京原人の逆襲/地球へ2千万マイル
05/09/10(土) スター・ウォーズ悪の迷宮
05/08/27(土) スター・ウォーズ エピソード3
05/08/08(月) 伊勢神宮にて
05/08/07(日) マコンデ美術館
05/08/02(火) でっかいでっかい野郎
05/08/01(月) 原寸美術館 画家の手もとに迫る

2005/09/25(日)朝青龍六連覇/メイド絵

ああ、面白かった。来場所も優勝すれば連覇の新記録。間違いなく史上最強だ。

横綱はサイヤ人かジェダイ(シス?)に違いない。本割では栃東を界王拳かフォースで気絶させてたし。

相撲ネタだけ書いて終わるのもなんなので、なんの脈絡もないけど、最近発見した史上最強のメイド絵を紹介します。

Jean-Etienne Liotard という18世紀の画家が描いた『チョコレートを運ぶ少女』。秋葉原にはいません。

2005/09/24(土)玉座の習作

今描いている絵に玉座を描こうと思ったのだけど、なかなかうまくいかない。3Dソフトの助けを借りればいいかもと、色気を出したのだが、いかんせん私の蒸気機関PCではまともに動くソフトはなさそうだ。

しかたがないので、ひさしぶりに紙細工でミニチュアを造ってみた。ひどい出来だけど、構図を決めるだけだからいいのだ。手先を使ってるとボケ防止になりそうだし。

*

SALAさんが作ってくれた3D画像。データもいただきました。ありがたやありがたや。

飛鳥井頼道『尾形光琳―江戸の天才絵師』(ウェッジ)購入。


2005/09/23(金)夫が多すぎて/乱れる

Amazonサマセット・モーム/海保真夫訳『夫が多すぎて』(岩波文庫)読了。

ここのとこちょっと古典に回帰しとります。

第一次世界大戦直後のイギリス。戦死した夫の親友と再婚して子供までもうけた美女ヴィクトリア。彼女の元に突然死んだはずの夫が帰って来る。

……昔教科書で読んだ『イノック・アーデン』を思わせる設定の戯曲。当然、大悲劇が開始されるはずが、そこは辛辣をもってなるモーム、物語はドタバタと喜劇……というより笑劇が展開します。

まず、ヴィクトリアはけなげな戦争未亡人どころか、わがままきわまりない自己中心女である。夫もそんな妻への情熱はさめているようだ。夫婦は生還した親友に事実を知らせる役目を押しつけあう。

元の夫も事態を把握すると、このままヴィクトリアを親友に押しつけて自分は自由の身になろうと甘言の限りをつくす。今の夫もそうはさせじと策を弄し、多弁を費やす。

科白がうまい、テンポもいい。あっというまに読めます。

二人の男が乾杯するラストシーンの余韻がなかなかいい。上演されたときの舞台が目にうかぶ。そのまんま加藤健一事務所あたりで今やっても全然おかしくない気がする。

やはりモームはうまい。いままで読んだ短編はいずれも面白かった。『手紙』『』などはミステリー好きの人にもおすすめ。

長編は読んだことがないので『人間の絆』か『月と六ペンス』、どちらか読んでみようかな。

映画も古典に回帰していて、早く帰れた夜はNHK-BSの成瀬巳喜男特集なんぞを見ている。21日は高峰秀子主演の『乱れる』。

嫁いですぐに夫に戦死された礼子は、夫の実家である酒店を18年間切り盛りしていた。東京の仕事を辞めて戻ってきた義弟の幸司は、酒におぼれけんかにあけくれていたが、礼子はそんな彼をいつも優しくむかえていた。ある日、幸司は長年礼子を思い続けてきた気持ちを彼女に打ちあけるが・・・。

義弟役は当時人気絶頂だった加山雄三。美しい未亡人と11歳下の義弟という設定が萌えました。

愛を告白されて動揺するヒロインの演技が素晴らしい。ドラマチックな背景でなく、小さな酒屋の店内という日常性の中での細やかな心理描写がたまりません。情熱的な情事の場面などはないけど、二人がただ長距離列車に乗って弁当を食べているだけの場面が不思議と官能的。モノクロ画面のライティングとカメラが美しい。

それはないだろうという無理矢理なラストに興をそがれたけど、高峰秀子がきれいだったからいいや。昔の日本の女優さんは本当に綺麗です。というか、日本映画のことだけではないな。


2005/09/19(月)写楽・歌麿と黄金期の浮世絵

天気が良いので千葉市美術館に『写楽・歌麿と黄金期の浮世絵』を見に行く。

題名にいつわりなく写楽・歌麿の代表作がしっかり展示されていた。

しかし、休日だというのにがらがら。好きなだけ展示絵を独占し、顔をすれすれまで近づけて堪能できました。

浮世絵独特の空刷り(からずり=着物の織などを色を付けずに凹凸だけて表現する技法)などは印刷ではほとんど出ない。本物に鼻を押しつけるように見なければわからないので、混んでいては見る意味がない。空いているのはありがたい。

同時開催の『青木コレクションによる幕末明治の浮世絵』まで見られて、値段はなんと200円。公共施設ならではだが、千葉市民がうらやましい。

歌麿といえば美人絵だが、今回の展示で私が一番ひかれたのは、海浜の貝殻を描いたシリーズ。細密描写のリアルさもすごいが、貝殻の筋を空刷りで立体化している刷りがまたすごい。他にも私の好きな鳥居清長や長文斎栄之の名品も出ていたし、文句なしの展覧会でありました。

*

帰りに美術館そばの「あづま庵」という蕎麦屋に入り、天麩羅定食を食す。大振りのエビ天が3本入って、椎茸、獅子唐、海苔もうまい。吸い物もお新香もいい味で、ご飯も大盛り。これで1350円は安い。千葉市民がうらやましい。


2005/09/11(日)北京原人の逆襲/地球へ2千万マイル

選挙は自民党圧勝の模様だが、とりあえず、良かろうと悪かろうと郵政民営化ぐらいも実現できないようでは日本はフェイドアウトしちゃう、という危機感の表れでしょうな。郵政民営化法案反対の民主党に政権交代してもしかたがないところだろう。

私のつれあいは一日中投票所立会いのボランティア。見てればいいだけなのだが、投票はしたものの「私はどこに帰ればいいんだろう」なんていう婆ちゃんがいたりして結構大変らしい。

ということで、私は留守番、家でのんびり映画鑑賞。キングコングが元ネタの二つのB級ムービーを堪能しました。

Mighty Peking Man(北京原人の逆襲)』。

かの大迷作『北京原人 Who are you?』とは全く関係ありません。円谷英二の弟子を特撮監督に迎えて作った香港製キングコングであります。

特撮や巨大原人の造型はチープだが、一気呵成の脚本はラウレンティス版のキングコングなどよりはるかに面白い。ラストは元祖キングコングよりずっとドラマチックだ。

私のいうことだけでは信用できないむきは、老舗「最低映画館」のレビューを見よ。(リンク先に金髪美女のヒロインの画像あり)

日本語版もあるが、私は安価な北米版を買った。英語はわからないがクローズドキャプションもあるし、脚本も物語も簡にして明なので無問題。ただし、リンク先で購入しようと思った人にははくれぐれも自己責任での決断をお願いする。

地球へ2千万マイル』。少し前にNHK-BS2で放映したものの録画。

こちらはかのレイ・ハリーハウゼン入魂のダイナメーションで宇宙怪獣が暴れ回るウルトラQテイストのクラシックSF。ブルース・リーとチャック・ノリスが戦ったローマのコロシアムで、「金星竜イーマ」と米軍がドンパチやります。イーマの姿は上半身ゴリラで下半身ティラノザウルス。ラストはキングコングそのまんま。

さすがにチープ感は少ないけれど、脚本の面白さは『北京原人の逆襲』の方が上ですな。

なんにしても、こういった怪獣大暴れものの基本フォーマットを作った『キングコング』偉大だったんでしょうね。最新作がどんなできかが気にかかる。

ハリウッド最新作と『北京原人の逆襲』を無謀にも勝負させると、(興行成績は勝負にならないだろうけど、私には興味ない)特撮は当然1万対1くらいの差で最新作の圧勝。ヒロインの美貌は僅差で『北京原人…』の勝ち。ヒロインの露出度は100対1で『北京原人…』の完勝、というところでしょうか。


2005/09/10(土)スター・ウォーズ悪の迷宮

Amazonスター・ウォーズ悪の迷宮(上下)』ジェームズ・ルシーノ著/富永和子訳(ソニー・マガジンズ文庫)読了。

映画『エピソード3』の冒頭につながるクローン大戦ノベル第5弾

小説は登場する固有名詞に思い入れがあるから読めるには読めるが、あえて読むほどのものではない。ただ、AMAZONのユーザーレビューでは「エピソード3は残りの半分だった」なんて書いてる人がいましたが、SWは映画だけでなく、シリーズをとりまく膨大なサブストーリー、サブオブジェクトがあるのだね。

ジョージ・ルーカスはおそらくそれをふまえた上で『エピソード3』を撮ったのだろう。だからといって映画のだめさ加減が許されるわけではない。二次産物の助けを借りねば理解できない映画とは、単に完成度が低い映画だということにすぎない。

Amazonしかし、こういう二次小説を読んでいると、ルーカスの生んだジェダイのイメージがもはや独立して、ある世代の共有財産になっているということはひしひしと感じて、その直撃世代としては感慨深い。

日本の映画マスコミは黒澤映画のSWへの影響を強調する。私は前にも書いたとおり、シリーズの物語の骨格は古典的SFを踏襲していて、黒澤映画の影響は日本の鎧兜のようなベイダーの姿や両手切りのライトセーバーなど、ヴィジュアル面に限られると思っている。

それでも、ジェダイとフォースによって構築されている世界観のなんと、日本の剣豪小説に似ていることか。エピソード3のクライマックス、オビワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカーの溶岩の星での決闘が、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘を連想させて(パクリだとかではなくて)ちょっと誇らしいのは、日本人の身贔屓が過ぎましょうか。


2005/08/27(土)スター・ウォーズ エピソード3

出遅れもはなはだしいですが、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』を日劇PLEXで鑑賞。

うーん、エピソード4につなげなければいけないのはわかるが、あまりにもつじつま合わせに終始しすぎ。シリーズ中の悲劇パートであることはわかっているでしょう、てな感じで、観客に甘えすぎの脚本と言わざるをえない。

スターウオーズは痛快娯楽SF活劇でなければならない。ヒーローが悪の手先となりヒロインが非業の死をとげることがシリーズの設定上さけられないとしても、予想を1%も超えないあんな凡庸な脚本でいいはずがない。

ではどうすれば良かったのか?そんなに難しいことではない。前にも書いたが、ぐずぐすしていないでダース・ベイダーを誕生させてしまえばいいのだ。観客はベイダーの正体も誕生秘話もほとんどわかっているのだから、そこをクライマックスに持っていく必然性はないのだ。あれでは絶対悪の化身だったベイダー卿のイメージが、単にだまされた男となって矮小化されてしまうだけではないか。やはり、みずからの力への渇望から暗黒面に堕ちてほしかった。

本当はベイダー誕生が前作のラストだともっとよかったのだが、今回だったら、前半1時間でとっととベイダー卿への変身を終了させるべきだった。観客の気持ちをどんよりさせる悲劇は早い目に終わらせて、後半は生まれた双子をうばわんとする皇帝&ベイダー卿の追撃とパドメ&オビ=ワンの逃走をじっくり描けばよい。怪物と化したベイダー卿の恐ろしさを再認識させ、ハラハラドキドキの末に最後に双子とオビ=ワンが逃げきれば、観客に爽快感=カタルシスを与えることができるではないか。

どうしても悲劇にしたければ逃走劇の最後にパドメの死を持ってくる手がある。ひきかえに子どもたちの逃走を成就させればパドメの死も意義ある崇高なものになったことだろう。

作劇上だけでなく、エピソード5でベイダーがルークが自分の子どもであることを知っていた事実とも、つじつまがあうではないか。

*

あと、ハン・ソロ少年は絶対登場すると思ったのになあ。かっぱらいとかろくでもないことばかりしている悪ガキ。見たかったなあ。ランドという黒人のダチとつるんでいれば申し分ない。

*

CGなどの特撮の物量攻勢は、まるでオモチャ箱をぶちまけたようで、すさまじいかぎりだが、最初にエピソード4の冒頭でスターデストロイヤーを見たときの感動からはほど遠い。贅沢をしすぎて味がわからなくなったのか、情報量がこちらの摂取能力を超えているのか。どちらにしてもちょっとさみしい。

2005/08/08(月)伊勢神宮にて

伊勢志摩旅行記2。

内宮入口神社・仏閣・教会。いずれも宗教施設だがその趣きはずいぶん違う。

神社・仏閣・教会の中で私が一番好きなのは神社だが、純粋に施設空間が好きなだけで、神社につきもののお祭りは好きではない。祭りでない静かなときにぼーっと眺めているのがよい。巫女さんにも興味はない。

仏閣=お寺(仏教)は建物そのものに仏の気配はあまり感じない。仏の気配をになっているのは寺内の仏像の方だろう。だから寺は健在でも、御本尊の仏像が盗まれたりしたら大変だ。どんな場所どんな建物でも、仏像があるところ仏がお在しますところとなるような気がする。

教会(キリスト教)は建物自体が神との交信装置としての機能を持っているように思える。聖母の胎内のごとく密閉された空間の中に、天からステンドグラスを通って神の光りが侵入し、神の子イエス像を照らす。どんな場所でも教会をしかるべく建てれば神の端末となりえるのではないだろうか。

そして神社(神道)は社(やしろ)はそれなりに美しいと思うが、建物よりむしろ場所に意味があるような気がする。いわゆる「神域」である。建物が朽ち果てても神主や巫女がいなくとも(自然が失わなければ)その場所には変わらず神がいる。というより場所が先で建物はあとなのだ。

キリスト教のような一神教なら神は唯一神。唯一の存在が光となってそれぞれの端末(教会)に力を及ぼす。多神教の日本の神様は八百万もいて、ときどき出雲に集まったりするが、いつもは八百万ヶ所にいる。

伊勢神宮に参拝したあと、御料酒を取り扱う酒店で、荒塩をなめながら冷やした濁り酒を飲みつつ、そんなことを考える。


2005/08/07(日)マコンデ美術館

今夏の休みはゆえあって昨年と同じ伊勢志摩旅行でした。

口が横についている妖精二日目に鳥羽から車で5分ほどの場所にある『マコンデ美術館』を観覧。

なぜこんな場所にあるのかわからないが、日本唯一のアフリカタンザニア美術館だそうだ。黒檀の自然木から掘り出されたマコンデ彫刻と強烈な色彩のティンガティンガ工房の絵画を中心に500点以上展示されている。

民芸品に毛がはえたようなもんだろうとたかをくくっていたのだが、見てびっくり。土俗的な生命力というステロタイプな印象だけでなく、シュールでアブストラクトでポップでコミカル。奇っ怪なデザインは見ていて飽きない。

たとえば左上は「口が横についている妖精」。これでもかなりおとなしいデザインの部類だ。

子どもを抱いた女性かと思うと、左下の「子どもを抱いた女性」のような、菩薩像を思わせる端正な作品もある。画像ではよくわからないが、この女性像はほんと、美しいです。

私もここに来るまで誤解していたのだが、ここの展示物の大半は過去の遺産ではない。現代のアフリカの(もちろん伝統に基づいてはいるが)彫刻家・職人のアクチュアルな作品がほとんどなのだそうだ。

モチーフで一番多いのは人物。次いで妖精や悪魔。そして動物だ。人物像は人種的特徴がよくいかされた美しく力強いものだ。こんななつかしい人にもあえる。

*

カルピスの商標は黒人を差別しているからノーグッドなどと頭に虫がわいたようなことを言っていた日本人がいたが、かれらがこの彫刻群を見たらなんというだろう。マコンデ彫刻の美しいフォルムも彼らには黒人をおとしめるデザインにしか見えないのだろうか。案外、かれらには作った人の国籍によってデザインがちがったように見えるのかもしれない。

*

今日の新日曜美術館は東京都美術館「ルーブル美術館所蔵エジプト美術展」の紹介だった。エジプト美術の彫刻は技術が非常に高くリアルだが、アフリカ美術を見たあとだとちょっと面白くなかった。だって左右対象なんだもの

ゲスト出演していたルーブルの学芸員の女性によると、今回の展覧会のテーマは「古代エジプト人を人間として見る」なんだそうだ。そんなことをわざわざ言わなくても普通の日本人は古代エジプト人は人間だと思っていると思うけどなあ。いままでフランス人は古代エジプト人を人間として見ていなかったのだろうか。翻訳(通訳)が変だったのならいいけどね。


2005/08/02(火)でっかいでっかい野郎

衛星映画劇場『でっかいでっかい野郎』。

垢抜けないタイトルだけど、中身も垢抜けない。渥美清演ずる「松さん」のキャラはまるっきり寅さん(『男はつらいよ』と同年の作品)だし、ストーリーは先が読める。ギャグも切れ味がいいとはいいがたい。

ただ「男はつらいよ」シリーズと違うのは脚本が結構生臭いことだ。主人公が片思いしてるのは寅さんと一緒だが、ちゃっかり娼婦と半同棲していたりする。マドンナの娘も純真なようで現実的でしっかりしていて自分勝手だ。「パンパン」なんてはしたない言葉も平気で口にする(寅さんではありえない)。恋敵の青年もどうにもいけすかない若造だし、松の恩人の院長先生(長門裕之)は好人物だがすけべえだ。その奥さんの岩下志麻も美貌は女神のようだが、性格は普通で決して理想的には描かれてはいない。

脚本上のギャグは全然切れていないが、補ってあまりあるほど役者は名人上手ばかりだ。渥美清はもちろん、マドンナの頑固な祖父を演じる伴淳三郎がすばらしい。さすがの渥美も食われるほどだ。

女優陣は、もちろん岩下志麻はほれぼれするほど美しい。もっとも美貌盛りなるときでありましょう。マドンナ役の中川加奈はスパイダーマンのキルステン・ダンストみたいであまり魅力がない。本編で一番チャーミングなのは、松さんにべた惚れの気のいい娼婦を演じた香山美子でありました。

ということで、寅さんより大人向けの佳品。監督・脚本は『砂の器』の野村芳太郎。1969年、松竹喜劇映画全盛の頃の作品であります。


2005/08/01(月)原寸美術館 画家の手もとに迫る

Amazon結城昌子『原寸美術館 画家の手もとに迫る』(小学館)読了。

絵を見る唯一無二の方法は実物を見ることである。画集で見ることは補助であり代替品でしかない。

というのは理屈ではわかるが、単なる絵好きでしかない当方、人気の美術展で押し合いへしあいして前を通り過ぎるように瞥見するだけで、実物を見たぞ的気分になるのはなんだか自分でもこっけいだ。

そこで本書である。絵を中途半端に全体像を見せるのではなく、主要な部分を「原寸」で印刷するという、今まであったようでなかった、まずは「画期的な」画集である。あたかも眼前の画布を食い入るように見ている気分が味わえる。

収められているのは、一度は画集で(いくつかは実物を)見たことがあるいわゆる定番の名画だ。

その数33点、ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、フェルメールは各2点。ミケランジェロ、デューラー、ボス、ブリューゲル、レンブラント、ベラスケス、ダヴィット、ターナー、ミレー、モロー、マネ、ルノワール、モネ、セザンヌ、シスレー、ゴッホ、ゴーガン、スーラ、ロートレック、ルドン、クリムト、シーレ、エルンスト、ダリ、ボナール、ルオー、ワイエスが一点ずつ。作品もそれぞれの代表作だ。たとえばゴッホは『星月夜』、ワイエスは『クリスティーナの世界』。デューラーは銅版画でなく水彩画の『野ウサギ』だが、これがまたいい。

普通の画集だと、あたりまえだが絵の全体像を把握することを重要視している。ともすると文学的歴史的付加価値が鑑賞に影響するが、原寸でどんと目の前に提示されると、絵がキャンパスの上の絵の具のかたまりであることがはっきりする。筆の跡や細かな色の置き方を目で追っていくと結構感動します。

やはり、元々でかい絵が面白い。ボッティチェリの『春』やミケランジェロの『システィーナ礼拝堂天井画』、ボスの『快楽の園』などが圧巻だ。逆にモローの絢爛豪華な『雅歌』が意外な小ささなのに驚かされる。

本書はかなり売れているらしく、AMAZONでは次の入荷が8/23だそうだ。少なくと私は買って損はしなかった。おすすめであります。


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