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09/01/17(土) 雪松図と能面
09/01/12(月) 蟹工船・党生活者
09/01/01(木) あけましておめでとうございます
08/12/30(火) 【本】私的年間ベスト10【2008】
08/12/14(日) ア・ラ・カルト〜役者と音楽家のいるレストラン
08/12/08(月) ワーグマン日本素描集
08/11/29(土) 紅葉と黄葉
08/11/15(土) ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情
08/11/13(木) よみがえる源氏物語絵巻
08/11/03(月) 赤ひげと赤ひげ診療譚、細雪と細雪

2009/01/17(土)雪松図と能面

三井記念美術館に「―国宝雪松図と能面―展」を見に行く。

雪松図」は以前にも見たことがあるが、応挙の傑作。何度見ても素晴らしい。「松竹梅の屏風」も「雪松図」より小品だが、これも超絶技巧画。

ただ、今回のお目当ては美術館所蔵の「旧金剛宗家伝来能面」54面(重文)全点初公開。さすがに結構な人出だったが、おして行くだけの価値はあった。

特に室町期の女面の微妙な口唇部の曲面はいくら見ても見飽きない。ほぼ実物大に印刷されている図録を買ってきたが、微妙な立体感は本物を目に前にしないとわからない。

能面はあきらかに彫刻作品であるが、純粋に彫刻芸術として独立しているわけではなく「能」という「芸能」あっての存在であることは間違いない。

室町期の能と能面、桃山期の茶道と工芸、江戸期の歌舞伎と浮世絵。現代の「****」と美術or芸術。「****」に何が入るか考えるのも面白い。


2009/01/12(月)蟹工船・党生活者

Amazon小林多喜二『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)読了。

カムチャツカの沖で蟹を獲り、それを缶詰にまで加工する蟹工船「博光丸」。それは、様々な出自の出稼ぎ労働者を安い賃金で酷使し、高価な蟹の缶詰を生産する海上の閉鎖空間であり、彼らは自分達の労働の結果、高価な製品を生み出しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である大会社の資本家達に不当に搾取されていた。

情け知らずの監督者である浅川は、労働者たちを人間扱いせず、彼らは懲罰という名の暴力や虐待、過労と病気(脚気)で倒れてゆく。初めのうちは仕方がないとあきらめる者や現状に慣らされた者もあったが、やがて労働者らは、人間的な待遇を求めて指導者のもと団結してストライキに踏み切る。

しかし、経営者側にある浅川たちがこの事態を容認するはずもなく、海軍が介入して指導者達は検挙される。国民を守ってくれるものと信じていた軍が資本家の側についた事で、目覚めた労働者たちは再び闘争に立ち上がった。

(Wikipediaのあらすじより)

「プロレタリア文学の金字塔」ということで食わず嫌いでいたのだが、最近人気だというのをいい機会として、読んでみた。ところが、これが実に面白い。

恐れていたような共産主義理論のお説教もほとんどなく、蟹工船内部の労働者の日常生活や荒海での苛酷な労働の描写がリアルかつダイナミックだ。文章も力強く、無骨だがうまい。ぐいぐい頁を繰らせる力を持っている。

これといった主人公を特定せず、漁夫工夫たちは群像として描かれている。それも理想化された「労働者」ではなく、時代劇の一揆百姓や流れ土方のような描かれ方なのが面白い。船に物売りにくる女たちの尻はさわるわ、若い雑役夫のオカマは掘るわ、宴会ではその子をみんなで廻すわ、猥雑きわまりないあらくれ男たちだ。

個々人の描写が集団に埋もれてしまったのがこの作品の欠点と言われているようだが、その分全体が骨太い印象を受け、この小説に限っては効果的だと思う。

その代わりと言ってはなんだが、監督浅川のカリカチュアライズされた悪役ぶりが目立っている。ラストでもお約束のどんでん返しを食らいおいしいところを持って行く。

*

併載の『党生活者』は日本共産党員としての著者の自伝的小説で、これもスリリングでなかなか読ませる。

戦前だから共産党が非合法だった時代で、家を出、名も姿も変え、各地の工場に潜入してはストライキを主導しては逮捕される生活が緻密に描かれる。

彼らを捕まえようとする特高警察や憲兵隊との虚々実々の駆け引きはリアルなスパイ小説のようである。(この小説が書かれた一年後に著者は特高警察に逮捕され、拷問により死亡する)

蟹工船と異なり、主人公の精神生活や党員仲間の個性もじっくり描かれる。美人の女性闘士の造型などなかなか魅力的である。主人公との心理的関係など隠れた恋愛小説的描写もあってうまいものである。

しかし、理想主義的ではあるのだが、自分達の思想に一切疑念をいだかないのが、あの時代に戦争に反対した唯一の党ということを考慮しても、現代の自分から見ると少々鼻につく。

自分に好意を抱く女と、ただ非合法活動に便利だという理由だけで同棲し、彼女の収入で生活し、彼の影響による言動で職を失った彼女に女給にでもなれと勧める。彼と逢えないで淋しがる彼女を「意識が遅れているから」と軽蔑する。そういった主人公の心理がまったく「批判的でなく」描かれているのがいささか不気味である。

「革命後の社会は革命の進行に内包されている」という意味のことを小田実が書いていたが、社会主義革命の果てに実現したのがソ連邦であり北朝鮮だったことを思えば「党生活者」の果てに来る社会について小説では逆説的に描かれていたという感想は、皮肉に過ぎるだろうか。


2009/01/01(木)あけましておめでとうございます

年賀イラストはこちらから。

左の絵は下書きです。ひさしぶりに紙に鉛筆で書きました。


2008/12/30(火)【本】私的年間ベスト10【2008】

歳の暮れなので例年通り、今年読んだ本のベスト10を選んでみた。

自分が面白かった基準。1位はいまごろ読んだのかという感じだけど、一番面白かったのだからしかたがない。他は、う〜ん、例年より小粒かな。

  1. 細雪」谷崎潤一郎(新潮文庫)
  2. 河鍋暁斎」ジョサイア・コンドル(河出文庫)
  3. 眼中の人」小島政二郎(岩波文庫)
  4. 奇想の江戸挿絵」辻惟雄(集英社新書)
  5. 星新一1001話をつくった人」最相葉月(新潮社)
  6. 夜の来訪者」J・B・プリーストリー(岩波文庫)
  7. 宇田川心中」小林恭二(中公文庫)
  8. ゲゲゲの女房」武良布枝(実業之日本社)
  9. 哀れなるものたち」アラスター・グレイ(早川書房)
  10. ナイフ投げ師」スティーヴン・ミルハウザー(白水社)

他に今年読んだ本は以下の通り(読了順)。数冊は抜けてるかもしれない。

2008/12/14(日)ア・ラ・カルト〜役者と音楽家のいるレストラン

中年夫婦2組で青山円形劇場で『ア・ラ・カルト〜役者と音楽家のいるレストラン〜』を観劇。

クリスマスの夜のフレンチレストラン「ア・ラ・カルト」を舞台にしたオムニバスドラマ。1989年以来毎年1ヶ月の公演を続けてきた知る人ぞ知る人気舞台で、席を取るのも大変なのだが、一緒に行った夫妻の娘が劇場スタッフにいる関係で正面のなかなかいい席で見ることができた。

おしゃれで楽しい舞台の内容は興味があればググってもらうこととして、設定が設定だけに、見てるだけでお腹が減ることこのうえない。

場所は青山だし、終演後ワインで食事でもと思ったのだが、私も含め4名中2名が体調不良で断念せざるを得なかったのが残念。体調を整えて新年会でもということでお開き。

観劇はひさしぶりだったが、やはりライブはいいですな。


2008/12/08(月)ワーグマン日本素描集

清水勲編『ワーグマン日本素描集』(岩波文庫)読了。

日本最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊して、幕末維新の文明開化の実相をつぶさに描くとともに、アーネスト・サトウやパークスらに同行して歴史的な事件の数々をヨーロッパに通信したワーグマン(1832‐91)の作品の中から、日本および日本人をテーマとするスケッチを多数収録。絵でみる幕末維新史ともいえる貴重な記録。AMAZONの商品説明より)

「タイムマシンがあったらどの時代へ行きたい?」と聞かれたら、もちろん一番目はジュラ紀だが、二番目は江戸時代と答える、時代劇好きな私である。

タイムマシンが完成したという話は聞かないので、江戸時代を間接的にでも体験しようと思うと、記録にたよるしかない。文献はともかく、ビジュアルな記録となると写真は一般的でないので絵ということになる。

浮世絵も含め日本画も悪くはないが、幕末から明治にかけて日本に来た、いわゆるお雇い外国人の絵が、記号化された浮世絵にはない、非常にリアルな感触を伝えて来る。筆法がリアルということではなく、いかにも現代の我々が実際に江戸期の日本に降り立って目の当たりにしたような生々しさがあるのだ。

なかでも有名なのが、このチャールズ・ワーグマンだ。日本最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊して、幕末期の歴史的事件(生麦事件等)を数々描いたことで有名なイギリス人だ。

日本についてすぐ宿泊した寺で水戸浪士襲撃に遭遇し、床下に隠れて描いたスケッチがイラストレーテッド・ロンドン・ニューズに載ったというから、なんとも激動の時代にやってきたものだ。それでも日本に腰を据え日本人妻をめとり、ジャーナリストとして活躍したというから肝の坐った男である。

のちにフランスから来たジョルジュ・ビゴーの活躍に押されたこともあり、晩年は恵まれなかったようだ。実際にビゴーと比べてみると絵そのものはビゴーの方がうまい(下図参照)。ワーグマンの方が有名なのは弟子に高橋由一や五姓田義松などののちに高名となる日本人洋画家がいるせいだろう。

それでも、本書に載っている素直な筆致の日本の庶民のスケッチは、まさに実在の江戸庶民を目の前にしている感がして、本業の戯画よりずっといい。

ビゴーが見た世紀末日本


2008/11/29(土)紅葉と黄葉

写真は北小金の本土寺。

紅葉を愛でる習慣を持つのは日本だけなのだろうか。

源氏物語に紅葉狩りのシーンがあるが、ホメロスにも三国志にも水滸伝にもそんなシーンはないようだ。英米文学でも読んだ記憶はない。紅葉するカエデ科の植物は世界に広く分布しているから紅葉という現象そのものはあると思うのだが。

紅葉の赤色色素は普通、日光の当たる葉の表側のみにできる。葉の裏から見ても赤いのは葉緑素がなくなって透明になっているため表の赤色が透けて見えるからだそうだ。まれに山から風が吹きおろしてくる地形にある楓などで風にあおられて葉の裏側にも陽が当たり、表裏両面が赤く染まる場合もあるらしい。

まあ、表裏の色合いの違いがつくりだす模様もまた美しいものである。

なぜ紅葉や黄葉が起るのか、実ははっきりとはわかっていないらしい。

日照時間の短くなる冬期に葉を維持するのは非効率なので、不要な葉緑素(クロロフイル)は分解して、葉自体を落としてしまうまでは理屈に合う。

しかし、どうせ落としてしまう葉の中に、光合成エネルギーを費やして、糖から色々な色素(赤色のアントシアン、黄色のカロチノイド、褐色のタンニン)を生成する。なぜわざわざそんなことをするのか?

防虫効果にしても土中への栄養保存効果にしても、色素生成のコストにはとても見合わない。

今のところ、はっきりした効果は日本人の目を楽しませることだけのようだ。


2008/11/15(土)ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情

国立西洋美術館にて『ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情』展を見る。

人の気配のない穏やかな風景画。無機質なまでに静かな室内、寡黙な後ろ姿の人物。静謐の支配する謎めいた空間。

というようなことをマスコミでもネット評でも異口同音に言われているが、まったくその通りの作品群。

私が惹かれたのは、いわゆるマチエール。なにをもってそう感じるのかわからないのだが、絵の具が塗り込められた長い長い制作時間が伝わって来るような絵の表面。

ストイックなまでに綿密な構成とか、色々書きたくなるのだが、絵が静かな佇まいを見せているがために、どうも見た側が饒舌になってしまうようだ。

とりあえず今年見た展覧会(あまり見てないけど)の中では、一番。


2008/11/13(木)よみがえる源氏物語絵巻

NHK-BSハイビジョン『よみがえる源氏物語絵巻

数年ほど前に数ヶ月の間をおいて放映されたシリーズの連続再放送。今日は第四夜。大相撲ダイジェストの直後に始まるのでついつい見てしまって、ここのところ寝不足気味です。

名古屋の徳川美術館と東京の五島美術館に保存されている国宝『源氏物語絵巻』。ワビサビといえば聞こえがいいが、絵の具はボロボロに剥げ落ち、残っている部分も色は褪せ、素人目にはおせじにも綺麗とはいいがたい。

そんな瀕死の国宝を数枚づつ何ヶ月もかけて分析し、平安当時の描法と絵の具を用いて、練達の日本画家たちが再現模写する。

再現なった絵巻の色鮮やかなこと、これが「雅〜みやび〜」だよなあ。古色蒼然たるオリジナルより再現絵をじっくり見てみたい。

しかし、美術的な興味もさることながら、再現していく過程、特に画材の分析&推理が下手なミステリーより面白い。

文化財研究所が電子顕微鏡や蛍光X線装置など科捜研ばりのハイテク機器を駆使して元素レベルまで分析する。

同じ白色でも鉛が検出されれば鉛白、カルシウムなら胡粉が使われたことがわかる。赤色で水銀が検出されれば辰砂(しんしゃ)、動物性有機物なら臙脂(えんじ:原料はカイガラムシ)、植物性有機物なら蘇芳(すおう)といった具合だ。

絵の具が蘇芳を使っていたことがわかっても、電子顕微鏡で調べると表面に乗っているだけで染み込んではいない。普通なら紙に染み込んでいるはずなので、今度は紙を調べる。

材料は(こうぞ)とわかり、最高級の楮で紙を漉くが、現物の紙ははるかに繊維が細かく目が詰んでいる。紙を一度溶かして再度漉く「漉き返し」を行うがまだ繊維が長い。今度は木槌で叩く。丸一日叩く。さらに大理石のような丸石で丹念に丸一日こすり磨く。こうして出来た、たった2枚の紙を渡された再現担当の日本画家の女性は緊張していた。それはそうだろう。

しかし、にじみはなくなったが、オリジナルに残っている赤の微妙な照りが蘇芳を塗っただけではまだ再現できない。画家は古文書に当たって膠を混ぜたり旧い技法を試してみる。最後は砂糖を混ぜて煮詰めることで適度の粘性とてかりを得ることができた。

こんな試行錯誤をじっくり見せてくれるのが実に面白い。

本日も23:30から。今日も寝不足になるのかな。

2008/11/03(月)赤ひげと赤ひげ診療譚、細雪と細雪

NHK-BS2『没後十年 黒澤明特集』。

土曜日は『赤ひげ

黒澤明は女優を撮るのが下手だ、という評を時に聞く。

おそらく、女優を光らせることに興味はないようだし、女優自身の代表作となるような映画を撮らないと思われているのだろう。

しかし、京マチコの代表作はなんといっても『羅生門』であることを思えば、どうもこの評は当たっていないようである。

本作においても主役の三船敏郎加山雄三をさしおいて光っているのは、根岸明美二木てるみ二人の女優の熱演だ。

根岸明美の独り芝居の長台詞も圧巻だが、二木てるみの表情と目の演技を際立たせる照明の妙ったらない。

ほとんど原作に忠実なエピソードの中で、二木てるみの演じたおとよという少女は本編中もっとも重要な人物でありながら、原作では、ほんの数行しかでてこない。ほとんど映画オリジナルのキャラクターである。それでいて山本周五郎の『赤ひげ診療譚』の世界と違和感ないのは、彼女を取り巻くエピソードを原作の細かなエピソードから組み上げているからだろう。名作を映画化する際の最も正しい改変の方法だろうと思う。


対照的だと思ったのが市川崑の『細雪』だ。映像はなかなか美しく悪くはなかったのだが、あとから谷崎潤一郎の原作を読んでみて、映画がとんだ改悪作品だということがわかった。

大きな山場の一つでヒロインの心理への影響からして外せないはずの大水害のエピソードがまるっきりない(黒澤なら大喜びで撮ったろう)のも驚いたが、それよりも人物の類型化がひどい。

石坂浩二演ずる次女の婿さんが同居する義妹(演ずるのは吉永小百合)に惹かれていて彼女が嫁いでいったあと一人涙にくれる、などという陳腐きわまりない設定は原作には全くない。映画化としては最も忌むべき安易なメロドラマ化だ。

市川昆はきらいな監督ではないし、横溝正史ものや木枯紋次郎などの娯楽作品の映画化は達者なものだったが、谷崎はさすがに映像の美しさだけでは手に負えなかったということなのだろう。


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