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09/03/23(月) DVD『メトロポリス』を見る
09/03/15(日) ユリイカ諸星大二郎特集
09/03/14(土) 星新一と松本清張
09/03/09(月) キチガイを流行らそう
09/03/07(土) 夢百景:股間大豊作
09/03/01(日) 半七捕物帳に正蔵あらわる
09/02/18(水) 五七五なつぶやき
09/02/16(月) テレビ桟敷の一日〜志乃輔&賢太郎
09/02/11(水) 女達磨図@栃木市
09/02/08(日) 浅草飯田屋の泥鰌鍋
09/02/07(土) 時代劇の美女を見て
09/02/05(木) つぶやき

2009/03/23(月)DVD『メトロポリス』を見る

産総研、女性型ヒューマノイドロボット「HRP-4C」を発表。

リンク先は画像が豊富なので、美少女ロボットの仕上がり具合はそちらで確かめていただくこととして、2ちゃんねるでは「俺の嫁キター」とか「この方向で開発していくなら消費税15%までは耐えられる」とか、おおむけ好評のようである。まあ、←の画像のヒップラインはなかなかだとは思います。

とはいえ、私の好みとしては、リアルドール系の顔ではなく、もっとロボットらしいのが望ましい。「コブラ」のレディや空山基のセクシーロボットの系列です。

この系列の元祖といえばなんといっても「メトロポリス」のマリア。

巨匠フリッツ・ラング監督の1927年の無声映画にして、史上初の本格的 SF 超大作。フィルムの4分の1は失われ残った部分も傷みが激しかったのを徹底的に修復したものが2002年にDVDとして発売され、さらに日本語版が2006年に出たのが上記DVDだ。その修復版ははじめてユネスコに世界遺産として認められた映画作品でもあるらしい。

時代のせいもあってSFとしてのストーリーは甘甘だけど、いわゆる表現主義の色濃い未来世界の美術が素晴らしい。主演の女優ブリギッテ・ヘルムの美貌だけではない体をはっての大熱演もあり、クライマックスにかけての盛り上がりはかなりのものだ。

しかしなんと言ってもこの映画の最高の見所は美女ロボット(映画中では機械人間と呼ばれている)の登場シーンだろう。左の画像をじっくりごらんいただきたい。

特にソースを見つけたわけではないが、この造型は東洋の仏像の影響を受けているのではないだろうか。観音菩薩のような姿の機械人間が化ける少女の名がマリアというのも、偶然とはいえ面白い。

機械人間が化けたあとの姿は左の画像。マリア観音ならぬ男たちを惑わす歓楽街の踊り子なのだが、その歓楽街の名が「YOSHIWARA」というのにはちとまいりました。

*

昨年にはさらに「メトロポリス」ファンには嬉しいニュースがありました。


2009/03/15(日)ユリイカ諸星大二郎特集

ユリイカ2009年3月号『特集=諸星大二郎』読了。

1970年のデビュー作『ジュン子・恐喝』はもちろん、COMの佳作入選『硬貨を入れてからボタンを押して下さい』からリアルタイムで読んできた愛読者としては、いまさら教えてもらうことなど何もない(偉そうですみません)と思っていたのだが、やはり読めば面白い。

なにより漫画評論の方法論がだいぶ変わってきているのが面白い。80年代あたりには全くなかった「絵」(特に描線)についての考察が増えているのだ。所収の評論15本の半分以上がなんらかの形で作者の「絵」から作品構造をとらえようとしている。「絵」に言及していない評論はどんなに難しい理論を展開しても薄っぺらに感じられるほどだ。

漫画に絵が大事なのはあたりまえのことのようだが、90年代くらいまでの、いわゆる漫画評論なるものは文芸評論家・映画評論家・マスコミ系学者の手すさびのようなもので、漫画のストーリーのみを対象に従来の文芸批評映画批評の手法で「分析」したものばかりだったのだ。当然のことながら「絵」に関する考察は皆無だったし、彼ら評論家に「絵」を論ずる能力などありはしなかったのだ。文章の良し悪しがわからずに小説を批評しているようなもんですな。

これが変わってきたのは、やはり夏目房之介の功績だろう。本書で竹熊健太郎の書いているとおり漫画評論は夏目以前以後で大きく区分されるもだと思う。

大二郎の「絵」の不定形な魅力は誰もが認めるところだし、本書の夏目房之介と若手漫画家の対談でもじっくり考察されている。が、その画風には山川惣治などの絵物語の影響があることを最初に指摘したのは手塚治虫らしい。

その手塚治虫が諸星大二郎星野之宣と鼎談を行ったときのエピソードが面白いので紹介しておく。

鼎談の席に大遅刻してきた手塚は連載中の雑誌の編集者を引き連れて現われ、ホテルの壁にゲラを押し当てて校正をしてからやっと席につくという多忙ぶりだった。

さて鼎談がはじまると手塚が星野に質問をした

手塚「あなたは大友克洋の影響は受けてないの」
星野「受けるのが怖くて作品を読まなくなるほど一時は受けました」
手塚「そういえばあなたの○○という作品のその他大勢のキャラクターに大友タッチが入っているね」

星野はそれは聞いて真っ青になるほど驚き、圧倒されたらしい。

これには後日談があり、鼎談の企画者であった竹熊健太郎がそのとき手塚と一緒に来た編集者からその日の裏話を聞いた。

「手塚さんはマネージャーが集めた諸星さんと星野さんの本を会場に向かう車の中でダーッと見ていたんです。おそらく鼎談のときにつっこむポイントを探していたんでしょう」

手塚さんはそういう人なんです、と竹熊は書いている。

これを手塚治虫がせこいとみるか、すごいとみるかだが、まあ、あの多忙の中で、当時は自分よりずっと格下だった若手漫画家に対してこの執着。やっぱり「すごい」に軍配を挙げるしかないでしょう。


2009/03/14(土)星新一と松本清張

最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)読了(したのはだいぶ前だけど清張を最近読み返しているので)。

ショートショート作品は名高いが、あまり評伝評論の対象となっていない星新一の実像に迫った労作であることは間違いない。

その中に星新一は松本清張を「清張だけは許せん」と言って憎んでいたという話が出てきた。

清張の短編「石の骨」には星の祖父、小金井良精がモデルの人物が出てくる。在野の人類学者の発見を圧力かけてつぶす学会の重鎮だから、あきらかに悪役だ。

星新一は祖父の日記から、在野の学者(「石の骨」の主人公になった人物)の発見を大いに認めていた記述を発見して、清張の小説の記述は事実無根であるといきまいてる。

星新一から見れば、「石の骨で」祖父を悪役にしたのは清張の安易なご都合主義と見えたことだろう。

だが、実際に良精が圧力をかけたという噂はあったらしい。

事実がどちらであったとしても、在野の学者を学会が認めなかったのは史実だし、その学会という組織を一人の人物を象徴させるのは 小説の手法にすぎない。

しかも、小説自体はフィクションであり、登場人物の名前も違えているし、星の憎悪は(気持ちはわかるが)筋違いなような気がする。

しかしまあ当事者(またはその家族)となるとそうは割り切れんのでしょうなあ。


2009/03/09(月)キチガイを流行らそう

「生放送の「笑っていいとも!」でゲストの女優が「キチガイ」と話したことに、番組アナウンサーが謝罪する事態があった。一般的に「放送禁止用語」とみられており、テレビ局でも不適切だと判断した。

イタリアでは「仕事をしないで趣味に没頭する人」のことを「サンペー」というらしい。

語源はなんと日本アニメ「釣りキチ三平」だという。

どうせなら、「趣味に没頭する人」は「サンペー」ではなく「キチ」の方で、正しくは「キチガイ」だとイタリア人に教えてやって、正しい日本語を使ってもらいたい。

イタリア人俳優が来日して社交辞令のつもりで「ワタシハニホンノエイガダイスキデス。クロサワキチガイデス(にっこり)」とか言ったりしたら楽しいではないか。

2009/03/07(土)夢百景:股間大豊作

こんな夢を見た。

陰毛が異常に伸びている。

長さは足先にとどくほど、一本一本も菜箸ぐらいの太さで海底の昆布のごとく繁茂している。

これは切らねばなるまいと園芸用鋏を持っていざ切ろうとするが、なぜか躊躇してしまい、なかなか切れない。

周りを見渡すと、男も女も私と同じように股間に大量に生やして平気でいるではないか。

ズボンの裾からまるで長袴のようにひきずって颯爽?と闊歩している。

で、殿中でござるぞ。

2009/03/01(日)半七捕物帳に正蔵あらわる

岡本綺堂を読み直しているが、「半七捕物帳」に次のような一節があった。

娘の執念だとか祟りだとか、飛んだ林屋正蔵の怪談で巧く世間を誤魔化そうとしたんだろう。それで世の中が無事息災で通って行かれりゃあ闇夜にぶら提灯は要らねえ理屈だ。

――光文社時代小説文庫「半七捕物帳(1)」所収「お化け師匠」

今、林屋正蔵と言えばこぶ平のことらしいが、私が物心ついて落語に親しんだ頃、正蔵と言えば、林屋木久蔵(現:木久扇)の持ちネタ「彦六伝」で有名な稲荷町の師匠=林屋彦六のことだった。

彦六=当時の正蔵は芝居噺と並んで怪談噺が得意だったが(私も末広だったか鈴本だったかで聞いたことがある)半七にも言及されているところを見れば、江戸時代から正蔵と言えば怪談噺がお家芸だったのだろう。

それにしては、こぶ平はもとより先々代(こぶ平や泰葉の祖父)の正蔵も怪談噺など一辺もやったことはないようだ。まあ、こぶ平も先々代も下手っぱちだから別に聞きたいわけではないが。

2009/02/18(水)五七五なつぶやき

曇天の 堤を走る 二人連れ 足元ピューマ 口からチャイナ

平成の 笑いはドリフを 超えられず 旧作コントに 子等はのたうつ

如月の 真夏日に歩む 土手の路 金髪ジョガーの 汗がまぶしき (いやらしい意味で)

臘梅の 香りを知りし 蔵の街

2009/02/16(月)テレビ桟敷の一日〜志乃輔&賢太郎

BS−6『落語研究会』立川志乃輔特集。

いまや柳屋さん喬と並んで独演会のチケットが取れない噺家である志乃輔の落語二本をじっくり二時間。

余計なゲストも出ず、民放でもBSだとこういうちゃんとした番組が少しはある。志乃輔落語、女性に色気が足りないのをのぞけば非のうちどころのない面白さ。

*

NHK-BSハイビジョン『小林賢太郎TV

アイデア・ストーリー・大道具・小道具・ファッション・演技、全てにおいてスタイリッシュな笑い。こういう笑いもあっていい、いやあるべきだと思う。笑いの絶対値はラーメンズの相方片桐仁がいればより大きくなったと思うネタもないではなかったが、その分純度は高かった。

2009/02/11(水)女達磨図@栃木市

喜多川歌麿の『女達磨図』を「とちぎ蔵の街美術館」に見に行く。

本図が栃木市の民家で発見され、辻惟雄先生が歌麿の真筆と鑑定したときのドキュメンタリーをNHKで見たが、そのときの状態はかなり痛々しいものだった。(上の図参照)。

作品を500万円で買上げた市が150万円かけて修復したとのことだが、見事に皺や汚れは見えなくなっていた。

他には地元出身の田中一村などなかなか良いものが展示されていた。

*

栃木市は「蔵の町」として宣伝しているが、江戸と川で結ばれた水運で栄えた町らしく、旧く立派な家屋が多く路も広々して気持ちがいい。市街を流れる巴波川には見事な鯉と丸々と太った鴨が群生して、なんとものんびりとした風情である。

中でも旧家岡田家の記念館の別邸「翁島」が素晴らしい。日本建築の粋というか、使用されている木材の美しさと建具職人の技は間違いなく芸術品だと思う。

*

映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケ地にもなった「ALWAYSかまや」というフレンチレストランで昼食。私は栃木牛のフィレステーキ。相方は海老と桜鯛のポワレ。料理も悪くないが、なんといっても店そのものが一見の価値あり。(2番めの画像参照)旧栃木市教育委員会の建物だったらしい。


2009/02/08(日)浅草飯田屋の泥鰌鍋

私ら夫婦と父と妹で浅草の飯田屋で食事。

一応母の何回忌か。(何回なのか全員覚えていないのがなんだが、とりあえず)

料理のうまいとこではどうしても玉子焼きをたのみたくなる。ここのは甘め。母の作る玉子焼きは甘めだったので、私も妹も母の作ってくれた弁当の玉子焼きの味を思い出す。

2009/02/07(土)TV時代劇の美女を見て

時代劇を二日続けて見て思う。似顔絵に描きやすいような特徴を持つことは美女としてはマイナスでも女優としてはプラスではないか。

松たか子(隠し剣鬼の爪)のほお骨と栗山千明(浪花の華)の唇。

栗山千明好きな人は今「浪花の華」を見逃してはいけない。男装の美剣士は栗山千明でありすぎる。

2009/02/05(木)つぶやき

5キロのウォーキングから帰って汗をふいている。血圧124。良好。

体重は三ヶ月で10キロ減。これ以上は減らさない方がいいな。

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で、前回照合文字が読めずに断念したTWITTER入会に再挑戦。なんとか入れたよう。あの文字変形はもう少しなんとかならんのか?というか、変形する必要はないだろうと思う。

*

能面:増阿弥陀作増女の画像をPCの壁紙にする。

優しげな孫次郎オモカゲも悪くないが、私は増女に惹かれる。家族は壁紙を見てびびっている。

*

地球が忘れられた遠い未来。伝説にいわく、人類の始源の星の特徴は例外的なほど巨大な衛星を持つ惑星だそうな。

そうか、お盆のような月を仰げるのは人類の特権なのか。

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