結局、簡素化して

 時々思い出したように料理らしきことをやっていた私も、大学の4年5年に至っては、時間の方を大切にするようになってきた。大学生活の残り時間が見えてきて、それと同時に出来ることも限られてきたからだ。メシに時間をかけることがもったいなく思えてきた。

 だからと言って、ここでコンビニ弁当やカップラーメンに走ったりはしない。特にカップ麺なんぞは、自宅で喰ったことは何度もない。簡単でも、それなりに安く栄養めいたものを採ることはできるのである。
 要するに、米を炊き、納豆に漬け物、みそ汁(これは面倒な上、量が要らないのでインスタント)、それに野菜を軽く採る。これがスタンダードな食事として大学の後半2年間、定着している。

 ここでいう野菜というのは、もやしやほうれん草のような、湯に通して醤油と酢でもぶっかければ食えるものや、トマトのようなそのまま食えるモノだったり(注:別に、トマトだけを食って一食としているわけではない)。
 一方、炒め物はほとんどしなくなった。油を使うと片づけるのに時間がかかるからだ。また、この食事には脂っ気がない。油脂も人間には必要不可欠なものなのだが、学食であれどこであれ、外で喰えば過度の油脂を摂取することになるので、家では軽い食事にしたかった。年を食ってきたのか、米と納豆、漬け物のような炭水化物と植物性タンパクの精進料理のような簡素な食事もうまいと思うようになってきたのだ。

 やはり基本は米である。日本人の食生活は米を基準とし、質素な副食で身体を維持できる体系を作り上げている。だからこそ日本の老人は長寿で、健康的なのだ。実は私がこのような簡素な食事にしようと思ったのは、母の幼少期の話を聞いたからだ。
 母の子供時代については2001年8月19日の手記に書いてあるが、なんとも質素だった。日本はなんだかんだ言って豊かになったが、食事までカギカッコ付きの「グローバリゼーション」に従う必要はない。特に、学生としては質素な食事の方が精神が引き締まる。

 まあ、米中心の粗食では、アミノ酸の摂取に大量の米を食わねばならず、昔の農民ほどエネルギーを消費しない現代人がその量の米を食うと肥満になる。ま、アミノ酸云々は外でメシを喰っていれば必然的に取れるので問題はないだろう。 


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