差別とネグレクトと疲労と

 朝っぱらに目覚めた。0740時。昨夜は2100時に寝たのだが、こんなものか。目覚ましが鳴る前に起きた。両国予備校時代のようだ。とりあえず、顔を洗って上に行った(注:私の部屋は地下にあり、Mrs.■■の部屋やリビング、ダイニングなどは1階にある)。もう上では、人が起きている音が聞こえるから。


 簡単な挨拶の後、腹は減っているか聞かれた。もちろん肯定して、食事に。まだMrs.■■はパジャマであった。
 喰うモノを聞かれて、シリアルを選ぶ。Mrs.■■は電話をしたりなんぞしていて、ほとんど会話らしいこともしなかった。ただ、使った食器をどうするか、空になったシリアルの箱をどこに捨てるかだけ聞いた。私が食事を終えると彼女も自分の部屋に引っ込んでしまったので、私も自分の部屋に戻る。それにしても・・・私の部屋にゴミ箱がないのが気になった。とりあえず、部屋で出たゴミは、ビニール袋に入れておく。


 土産を渡しそびれたままだ。だが、Mrs.■■は自分の部屋にすぐ引っ込んでしまう。自分の部屋、それも寝室にいるのを呼ぶのは失礼か。大した用もないのに呼び出すのは失礼というものか・・・。家族がいないから、リビングにとにかく出てこない。
 あと、韓国人の留学生というのは、どうしているんだ?まだ帰っていない。ちょっと彼の部屋を見せてもらったが、荷物が多かった。長期留学か。そして、何故彼は今いないのか?どこかに泊まっているのか?一時帰国?生活感が彼の部屋にはなかった。「何曜日に彼は戻る」と聞いた気がするが、それはこの部屋にもどるという意味か、米国に戻るという意味か・・・?


 ついでに水はどう飲むんだ?コップは?勝手に、食事のときに使ったものを使って、浄水器から飲む。別にこんなことに一々許しは要るまい。
 あとドア。閉じるのがプライベート・エリアの確保だというのはわかる。個室は城だ。日本と違って、アメリカの家は、壁が厚い(物理的な話ではなく、意識の話)。閉じたドアというのはコミュニケーションの拒絶の意思表示であるそうな。あと、便所のドアが閉まっていたら、それは「使用中」を意味し、それ以外は開けておく必要があるようだ。
 それでは、自分の部屋のドアはどうしておく必要があるんだ?よく見たら、隣の留学生の部屋など、「留守の部屋」はドアが開いている。さて、居るときの部屋はどうするのか?さてはて。
 Mrs.■■はどこかに出かけたようだ。私に無言で。私がドアを閉めていたからか?一言ぐらい言って欲しいが、これがメリケンなのか?


 人がいないので勝手にテレビをつけてみたが、砂嵐。リモコンで1〜12のチャンネルを押したが、砂嵐。ケーブルをつないでいないのか?それとも、もっと複雑な操作が要るのか?あるいは別の機械、例えばチューナーが独立していて、それを使うのか?1〜12ではなく、もっとケタの多い番号を入力する必要があるのか?結局わからなかった。


 今気づいたが、私の腕時計が家の全ての時計と比較して1時間遅れていた。マッカラン空港で時間を合わせたのだが、ネヴァダ州とここユタ州の間に、時間帯の変更線があるのだろうか?サマータイムとの関係は?とにかく、今、ここは1148時らしかった。
 そういえば、昨夜Mrs.■■は翌1100時に教会に行くと言っていたっけか。なるほど、彼女は教会か。私は仏教徒だから行かないと無難な答えをしておいたが、1度言ったから、出かけるときにもう言う必要がないということか。
 ちなみに、私は「宗教は?」と聞かれても答えなどない人間だが、長期留学経験者の友人・総統(仮名)曰く、キリスト教圏で「信じている宗教はない」と言うとマルクス主義者と見なされ、「神道」と言っても通じないので、「仏教」というのが無難だと言っていたのを参考にしてのことである。一緒にモルモン教の教会に行っても、信者でもない私が行くのは失礼というもの。何をしていいのかもわからない。だから、教会行きは断ったのだが、なんか快く思われなかったような・・・。


 腹が減ってきた。家には私しかいない。勝手に食い物を喰うのは失礼な気がするが、家を案内されるときに食糧の在処も教えられた。これは勝手に食えということか。渡米前に読んだ本によれば、勝手に食い物を喰うのを失礼だと思っていた日本人留学生が飢えていた反面、ホストファミリーのメリケン人は食い物が減っていないことを心配していた・・・というエピソードがあったとか。勝手に喰っていいだろう。あとで話せばそれでよい。ドーナッツらしい物体を喰らう。


 Mrs.■■は1400時過ぎに帰ってきたが、部屋に籠もって電話ばかり。話の一つも出来ん。旦那は出張中でヒマだし、地域の繋がりも深い。電話でヒマ潰すのも当然か。メリケン人のホストファミリーは留学生を預かっても決して自分の生活を変えたりはしないらしいが、なんか意図的に接触避けられているような・・・。それとも、これがフツーなのか?それとも、私から積極的に斬り込んでいかないと、話も出来ないということか?しかし、電話ばっかしているから、話しかけられぬ。


 ところがMrs.■■は、上の文を私が書き終えたころ、つまり1845時頃、「友人の家に行って、一緒にメシを喰わないか」と誘ってくれた。教会はナンだが、メシを断る理由はない。友人とやらとテーブルを囲んで話も出来るだろうとも思った。
 Mrs.■■の車でその家へ。Mrs.■■が車を止めると、家からは女が出てきた。私は挨拶したが、シカトされた。それどころか一瞥もされない。私の発音がわるかろうと、Helloとかそのぐらいわかるだろうが!そして、一言ぐらい何か言ってもよかろうが!入国審査官も同じ態度だった。東洋人は、変わった動物ぐらいにしか見られていないのか。この女にとっても、Mrs.■■が連れてきた犬かなんかが吠えた程度にしか私を認識していないのか。所詮は東洋人はイエローモンキーということか。
 そういえば、ここの地域では白人しか見ないような。差別意識が根強く残っているのかねえ。


  それでもMrs.■■と共に家に入り、やっと私にも声をかけられる。一応、一家の人間に挨拶。出来るだけ大きな声で存在をアピール。ある程度はなんとか通じた。どこに座ればいい?メシの支度は手伝った方がいいのか?メシはどうやって取るんだ?ぬああああッ・・・!!でも、なんとかしたけど。
 メシの時間ということで、一家が集まる。その中に、この家のホストファミリーと思しきメガネの東洋人の若者が。彼の方から私に挨拶をしてくれて、そして強く握手をしてくれた。彼は台湾人だった。挨拶は英語でやったが、メシ喰っているとき、彼に日本語で話しかけられた。挨拶でI can speak Japanese language a little.と言っていたが、日本人とほとんど変わらない非の打ち所のない日本語だった。しかも、やや関西訛り。日本に住んでいた?それとも、日本の大学に留学でもしてからアメリカへ?それとも、台湾の学生は、外国語の2つ3つ当たり前に出来るような優秀なのばかりなのか?まあ、1人の台湾人から台湾の学生なるものを導き出すことは出来ないが。
 彼は「何言ってんだかわかんねーし、英語通じねーし、アメリカ人ムカツクんだよ」と、ホストファミリーの白人連中の目の前で言う。もちろん、ホストに日本語などわからないが。マッカラン空港からディキシー大に行って、日本人グループがそれぞれのホスト宅に行って以来、久しぶりに聞く日本語だった。
 彼には、同胞、という感覚を覚えた。日本語を話せて、十分な意志疎通ができて嬉しい、ということもあるが、それだけではあるまい。彼は白人連中と違って、私を空気のようには見ず、積極的に話をしてくれてきたことが、何よりも嬉しかった。そして彼は、メシを食い終えたら、ホストファミリーには一言も告げずに自分の部屋に戻った。彼はホストファミリーが嫌いなのか、それともこういうものなのか。


[この家の滞在中に書いたメモより]
 私はいったい何をしているのか?
 メシに来るというからこの家に来たのだが、いつまでここにいるんだ?
 私はテレビをあてがわれて、そのまま放置された。台湾人も自分の部屋に戻ったきり姿を見せない。いつまで私はこのままテレビを観て過ごすのだ?Mrs.■■も家人も、どこかで談笑をし続けている。なぜ彼らは私にテレビをあてがって、わざわざどこかに移動して談笑するのだ?コトバが通じない苦痛以上のものを感じる。
 ABCニュースを観る。ニュースは大体何を言っているのか予想がつく。おもしろい。
 しかし、マズいメシだった。昨日今日の空腹で、メシの確保のありがたみを知っているからこれだけ喰ったが、マズい。私は日本に於いてはメシの味について不平不満など言ったことのない人間だが、ここのメシはただ甘いか、ただしょっぱいだけ。脂ぎっているし、しかも雑!!舌に不快なだけでなく、胃に応える。


 結局、私は2時間放置されて、それからMrs.■■宅に戻った。訪問していた家の家人が2人、車に同席した。話に介入する余地なし。気のせいか、彼らの会話の中にI hate Jap.という一節を聞いた気がする。気のせいであって欲しい。


 家に帰ってから、私は部屋に戻ってこれを書く。上では、Mrs.■■と友人が話て盛り上がっていた。だが、私がその場にいても、話に加わることは出来なさそうだ。


 便所兼風呂は、私の部屋がある地下にもあって、韓国人留学生がいない今は、ここは私しか使う者はいない。ホストファミリーの便所風呂は上にある。座って用を足していたら、足下をサソリが歩く。わずか1センチちょっとの小さなもの故焦りはしなかったが・・・この4対の脚、形、どう見てもサソリである。スリッパで踏みつけるが、潰れながらも奴は生きていた。踏みつけ、スリッパで念入りに床に擦りつけたのだが、引きちぎれた脚に至るまで動いていた。なんという生命力!もう一度踏みつけ、今度は完全にすり潰す。
 便所で見たサソリに恐怖は覚えなかったが、もし奴がベッドに居たら、それも今のは幼生であって、デカいのが部屋にいたら・・・と思うと恐ろしい。他にも毒グモとかもいそうな気がした。それを考える恐ろしかったが、考えても事態は好転しないので、気にしないこととする。


 私の努力と度胸と英語力と順応性が足りないことこそが問題なのだろうか?しかし、私は米国からとっとと退去したい。まだ受け入れ先の大学の講義さえ始まっていないのに、早いすぎるだろう。だが、もういいかげん落ち着かなくなってきた。
 日本に帰りたいということか。日本がすばらしいということでなく、日本の外に居るのが、なんとも疲れる。我ながら非国際人・非グローバル人じゃな。こんな留学にカネ使ってたまるか!メシと飲み物を最低限確保したら、あとは土産の酒とタバコを少し買って、大部分のカネは日本で使いたい。レートいくらか、手数料いくらか知らないが、銀山温泉や加賀屋などの旅行に行けなくはないだろう。日本で課長(仮名)らアホどもと騒ぎたい。そしてメリケン人を罵倒したい。


 あと気づいたことを書き綴る。メリケンの、というかここセント・ジョージで見たテレビ(機械そのもの)は、どれも三菱かSONYと日本製であった。それもデカい!50インチはあるだろうか。デカいからよい品に見えたが、デカいだけの安物かも。今日行った家の三菱は、ボロだった。ボタン類がはずれたり、接触不良だったり・・・。アメリカ人は古いものも大切に使うということか?
 車もそうだ。見た日本車は、トヨタがカローラ、カムリ、ランクル、それにピックアップのようなトラック。ホンダはシビック、レジェンド(アキュラ)、アコード。マツダはロードスターと、216なる番号の車。三菱はFTO、エクリプス、パジェロ。日産はマキシマ。日本ではすでに見なくなって久しい古いバージョンのものも少なくなかった。
 日本に於けるアメ車よりも、遥かにアメリカに於ける日本車が多い。半分は、いっていない。40%ぐらいだろうか、日本車は。あとは、フォード、GMとかまんべんなく。あと日本以外の外国車はフォルクスワーゲンを少し見た。
 電機はかなりの率で日本製で、70%が日本製の気がする。ここの家では、テレビがSONY、DVDが東芝、電子レンジがSHARP、SANYO。日本づくし。


 クソ、使ったらダメだが、それでもタブーワードが頭に出てくる。使ってはいけない。だから日本語で。クソくらえ、アメ公!と書きつつも、ダメだ、罵声も頭の中に米語が出てくる。 なんだかんだ言って、頭の中のスイッチが切り替わりつつあるのかも。
 艱難辛苦に堪えてもっと時間をかければ、英語も上達するということか。


 モルモン教徒のこの土地では、酒は飲めないようだ。だが、飲まない方がいいだろう。とんでもないこと言いそうだから。


 さて、日本の友人に手紙でも書いて出そうか。と思ったが、ハガキも切手も手元にないし、手にはいるのかもわからない。ポストも見つけられる保証はない。やめた。
 とりあえず書く相手として思いついたのは、課長と黒天使氏(いずれも仮名)。あと、友人と言えそうな人間の名を頭の中でピックアップ。この作業をしていて思ったが、私にはホームシックとかいう感情はやはりないと思った。別に、日本のメシを喰いたい、日本語使えるパソコンでネットしたい、日本の友人に会いたい、「eX-D」のDVD観たい、などとは思わない。ただ、ここの人間や風習となじめずに疲れているだけなのだ。積極的に日本の何かが懐かしいというわけではないのである。
 両国予備校にいたときもそうだったが、私は「ないものはない」ことを受け入れるという意味に於いては、順応性は高い。だが、それにしても・・・脳が疲れている。今日もよく眠れそうだ。


 持ってきた$は860。使ったのはカジノの10$とドクターペッパーの1$。まだ850はある。だいたい1$110円だから、円高になっていなければ、いくら日本円として帰国後使えるだろうか。手数料はいくらだ?これから大学に通ってかかる費用−つまりメシと飲み物を計算すると・・・?まあ700$近く残るだろう。あとなんだかんだで100とみて、600。土産で100使って500。手数料やもしもの円高を考慮して5万ぐらいかな。すばらしい金額だ。銀行には、今月分の仕送りが通常通り振り込まれているから、アメリカにいる今月分は、公共料金とごくわずかな生活費しかかからない。そして、8月分の電話代も極めて少なくなるだろうから、来月も余裕が出る。ふふふ、なかなか使い道がありそうだ。


 私は日本では、曲がりなりにも名門大学の学生で、友人もそれなりにおり、そこそこ社交的にやってこられた。
 だが、ここでは異国人・・・いや、生物学上人間らしいが、人間未満だ。
 一瞬、タバコが吸いたくなってきた。
 私は別に常習者というほどではないし、渡米中吸わないという前提のもとで、しばらく吸っていないのだが。
 まあ、すぐに忘れる。


 それにしても、どうせならば、ホストファミリーは子供が巣立ってヒマもてあましている老人がよかったな。ヒマだし若者が好きだから、もっともっと長時間、話していれただろう。I'd like to study English conversation more.


 今日行った家には白人の女の子がいた。年はわからんが、私よりかなり年下かも。
 まあ、美しいとは思った。これが映画かなんかならば、ほほう、と思っただろうけど、実際に会ったときには何とも思わなかった。それは、彼女が私を食卓に上がってきた野良犬かなんかのような目でしか見ず、そしてそのようにしか話さなかったからだ。ここまで不当な扱いを受けたことは、私の人生に於いて22年間なかった。


 ここでは死にたくはないな。
 もし死ぬのならば、日本の畳の上で。


 さて、明日から大学がはじまるが、何時におきればいいのか?
 メシの方は問題なし。
 車での送り迎えが要るが、Mrs.■■は送り先は知っているのか?
 そして帰り。私が渡されたカリキュラム表には終わる時間は書いていないが、Mrs.■■はわかっているのか?どこに迎えに来る?
 どうにかなるだろう。
 とりあえず起きる時間だけ聞いて寝る。 


■後年記■
 台湾人が関西訛りっぽいイントネーションの日本語を話したのは、大日本帝国時代に西日本の人間が台湾に移住した影響かもしれない。日本領台湾で話される日本語は必然的に西日本訛りのものになり、日本統治終了後も西の訛りの日本語を話す台湾人が、より若い世代に日本語を教え、関西訛りが台湾における日本語に定着した……ということは十分に考えられることである。


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