北陸旅行
2000年09月04〜6日(月〜水)

北陸旅行−日本アルプス、死の行軍
2000年09月05日(火)夜


 午後6時半には件のダムを出発し、それからどうしたことか。日も完全に暮れた日本アルプス山中で、我々は完全に道に迷ってしまった。時折止まっては、手持ちの1:20万縮尺の地図を眺めたりもしたものだが、自分たちがどの道路にして、どちらの方向を向いているのか、まったく見当が付かなかった。
 街灯ひとつなく、対向車さえも思い出したようにしかやってこない道路。「何号線」「どこそこまであと何q」という標識さえもまったく見あたらなかった。日が完全に暮れたために、太陽の位置から大雑把な方位を割り出すことも出来ず、方向を確認する手段はなかった。さらに、街灯一つもない山の中、周囲の景色もほとんど暗闇であった。しかも、私のC302Hも、課長のiモードも、圏外。手持ちのペットボトルには何分の1か飲み物が残っており、後部座席には食いかけのパンがあった。何とも心細い生命線か。それでも、ここはどこだ、どっちに向かっている、さっきもここ通ったっけ?ということしか頭にないうちは、まだ気が楽であった。


 燃料計にふと目を落としてみると、針はemptyの数o上まできていた。富山を出るときに満タンに入れたのだが、さすがに一日中山道を走っていれば、それはなくなるというものだ。だが、こんな山の中で、しかも夜にガス欠か?携帯さえもつかえず、もちろん公衆電話も民家もない。ガス欠になっても死にはしないだろうけど、どうなるんだろうか・・・。歩いて麓へ?いや、車ですらなかなかたどり着けないでいるというのに自殺行為だ。通りがかりの車に乗せてもらうか、せめて事情を話して街に連絡をしてもらうかして、助けてもらうしかない。それまでに、わずかなペット飲料を飲み干し、パンの欠片を食い尽くしたらどうなるのだろうか?腹が減っても当分は堪えられるが、飲料水がなくなるのは相当に痛い。
 そんなことが頭をよぎりつつも、日本アルプスをさまよい続けること2時間強。ようやく、街らしき明かりを見つけ、それが建設中の東海北陸自動車道だとわかったときには、少し安堵した。だが、この時間、すでに荘川のガソリンスタンドは閉まっていた。これはもう、東海北陸自動車道の完成分の北端・荘川ICから一気に南下するしかない。高速に乗ればPAなんかで開いているガソリンスタンドもあるだろう。


 と思ったのだが、建設中で片側一車線しか走れない高速道路。PAなんかまだ存在もしていなかった。それでも久々に高速道路。××km/hぐらいで順調に飛ばし、とっとと岐阜あたりまで出て補給できるだろう、という気楽な雰囲気になってきた。少なくとも課長はもう何も心配事はないかのように、久々の高速走行に沸き上がっていた。だが、数qも走っていると、ついにガス欠の警告灯が点灯をはじめた。
 この警告灯は、一度点いたからと言って、すぐにガス欠になるわけではない。それは知識として知っていたが、これからどれだけ保つのか正確なところはわからなかった。この片側一車線しかなく、待避スペースすら満足にないこの道路。意外と交通量はある。ここでガス欠で立ち往生なんかしたら、100km/hで突っ込んでくる後続車に追突されて、大事故にもなりかねなかった。課長はまだまだ行けますよ、と楽観していたが、私は燃費を考え90km/h程度にスピードを抑えて、いつどこで下りるか、どこまで保つか考えていたのであった。


 結局私は、関ICで下りることとした。どこで警告灯が点いたのかは忘れたが、荘川ICから関ICまでは50kmほどある。関ICを下りてからも、いつガス欠になるかと、気が気でなかった。前方が赤信号だとNに入れて転がし、アイドリングストップとしてエンジンまで切ったものであった。どれほどの効果があったのか、それとも逆効果だったのかはわからないが、それほどまでに私は焦っていた。
 だが、この時間、見つかるガソリンスタンドはことごとく閉まっていた。どうしたらいいのか。そんなときに目に飛び込んできたのが、「関警察署」。夜の0時近くとは言え、警察署にはもちろん当直の警官がいるはずだし、ガソリンスタンドぐらい教えてくれるだろう。
 ここに車を止めて、課長が警察署に乗り込んだ。親切な警察官は、訛りでちょっとわかりにくかったが詳しくガソリンスタンドの場所を教えてくれた。関警察署の方々に感謝を。


 24時間営業のガソリンスタンドで燃料を補給した我々だが、そのまま再び関ICから高速に乗り、名古屋から東名に乗り換えて東京の帰ろうとした。だが、私は疲労がそろそろヤバイと判断して、関にて泊まることを主張した。朝起きて、夜の12時。まだ行ける気はするが、これから名古屋、東京と道を行くのは先が長すぎる。これから一番疲れてくる時間だ。
 確かに1日目は相当無理をした。それでいて無事であった。だが、私としては、無事だったのが不思議なくらいだ。前回大丈夫だったから、次も大丈夫という保証はまったくない。私としては、一番怖いのは事故である。ハンドルを握るということは、身体・生命・社会的地位そしてカネをも賭けるということだ。
 だが、課長はなかなか理解してくれなかった。「慎重を期して止まる」「楽観して進む」の2つの選択肢があったら、課長は進む以外の選択肢を取らない人間である。私は「さっき親に電話したら、泊まっておけ、カネは出すって言うし」と、親をもわざと引き合いにも出して話した。だが、課長の返事はこうである。
「電話しなければよかったですね」
 電話したのは本当だし、言われたこともだいたいその通りだ。だが、泊まった方がいい、という判断を下したのも、泊まろうと主張しているのも、私以外の何者でもない。原付免許しか持っていない課長は、どうも長距離運転の疲労と恐ろしさというものがわかっていないのではないのだろうか。
 慎重論を唱える者はいつでも臆病者と見なされる。だが、私は宿泊を強行した。関警察署の隣にあるビジネスホテルに乗り込み、シングル2つの部屋にチェックイン。カネは私が出した。これで文句あるまい。

 日本アルプス山中で、道に迷ったときの一枚。ISO1600で撮ったのだが、ストロボの反射以外は1つも光がない。

 ビジネスホテルから関警察署を写す。

 足だけではなく、今夜手を見たら、ハンドルを握り続けていた手のひらの皮は大きく剥けていた。通りで痛むはずだ。


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■後年記■
 ニュートラルはエンジンと車輪との連絡が絶たれた状態である。ニュートラルに入れるとエンジンはアイドリング状態となり、エンジンが自力で回り続けるにはある程度の燃料が必要である。こうしたアイドリング状態よりも、適切なギアにいれてアクセルを踏まず車を惰性で転がした方が、車の運動エネルギーがエンジンを回すので、却って燃料の消耗が抑えられる。したがってニュートラルに入れるのは、燃料節約としては逆効果である。


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