外国滞在者にとってのこの事件


 NYで飛行機が世界貿易センタービルに突っ込んだとき、大学は夏休み中であった。そのため、大学の教員/研究者の中には、外国に渡っていたときにこの事件を知った、という方も少なくなかったようだ。ここでは、私が日頃お世話になっている先生方が、外国で出会したこの事件の話を記述したい。
 本来は、雑談といえども知的所有権があるのだが、本人に不利益をもたらす可能性があるのでどれが誰のコトバかは書かないこととする。


 ある先生は、在外研究でフランスに滞在していた。そのため、NYの事件もパリで知ることとなった。
 その日以来、フランス各所でアサルトライフルを持った兵隊が警備に配備された。警察力では警備が足りないのか、最初から軍隊が動員されることになっているのか、街のここそこにぞ武装した兵士が見られた。ド・ゴール空港は当然として、ルーブル美術館などの観光地も警備厳重で、何をするのにもチェックに時間がかかり、とにかく待たされた。
 ライフルを持った兵士がここそこにいるため、パリは前代未聞の治安の状況となっている。物乞い、スリ、かっぱらいが姿を消し、観光客やビジネスマンが来ないような場所に引っ込んでしまっているのである。チェック厳重で時間はかかるが、今のフランスは治安がよく、実は観光にはいい時期なのかも知れない。


 さて、フランスはやや保守的なシラクがアメリカへとすぐに飛び、アメリカとフランスとの連帯を発表した。事件直後には即座に演説を行うなど、対応の早さも際だった。この決断の早さがシラクの特徴である。国内にイスラム教徒が多数暮らしているフランス。警備に軍隊を動員しているフランス。アメリカとの連帯を発表するシラク。この状況をどう判断するか。
 この事件以来注目されるようになったタリバンだが、フランスでもその報道で持ちきりであった。テロリストグループの犯行に対して、アメリカは戦争を開始しようとしている。ここで国と国の戦いにしていいのか、フランス国内では疑問が沸き上がっていた。


 また、別の先生は、イギリスのメシ屋で電話をしていた。
 電話しているのに「何だお前、電話している場合ではないぞ。ビルが倒れてしまった」などと叫ぶ男がやってきた。頭のおかしい人だと思って追い払おうとしたら、ボーイが来て本当だ、と。気が触れていると思ったが、叫んでいた男の方が正しかった。映画やフィクションの世界のように。
 この事件に対しては、びっくりするのと同時に、来るべきものがきたという感じがする。この事件に対してはデジャブさえ覚える。
 我々の論理、いわゆる「国際社会」の論理、欧米の論理を離れ、テロリズムの論理を考えてみると、イギリスもやられるなと思った。どこか?やられるとしたら、金融街・CITYだろう。日本だったら、皇居を含めた丸の内。それに世界最大の原発もある。イギリスも日本も、テロリストがやろうと思えば出来たかもしれない。

 
 アメリカのブッシュ演説は、いじめられたガキのような演説であった。要約すれば、「アメリカはわるくないのにやられた」と主張しているだけである。
 次にイギリス、ブレアの演説。これは立派な演説であった。「自由と民主主義、そして文明に対する戦いである。イギリスはアメリカと共闘する」と。政治家の演説は1つの世界観を持つのである。だが、ここに至っては、中心と周辺との意識の差がかいま見える。つまり、自由・民主主義を掲げた文明・「国際社会」に対して、野蛮な周辺が攻撃をしかけているという発想である。


 政治家が熱い演説を行う判明、イギリスでは市民は冷静であった。BBCの「QuestionTime」という番組。政治家と専門家が並んで市民と討論すると言う番組だが、日本で似たような番組をやったならば、御説拝聴かめちゃくちゃなケンカになるか、どちらかで終わるだろう。とにかく、この番組で見られた市民の声は、「アメリカのリベンジに違和感を覚える」というものであった。
 こう答えたのは、街角で違憲を求められた学生や労働者だ。そして彼らは続ける。
「これでアメリカは大人になれるんじゃないかな」
 熱いニュースに対して、冷静な市民。この違いはどこから来るのか?
 1つは歴史的思考にある。つまり、テロは今に始まったことではない、という常識。欧州では、70年代からテロが日常的だとの感覚が、ごく一般の人にあった。
 2つ目は、アメリカがしてきたことに対する知識があるということ。イスラエルやパレスチナの問題など、中東に於いてアメリカがどのような政策をとってきたか。それを彼らは知っているのだ。
 この2つの認識があるからこそ、イギリスの人々は舞い上がっていないし、興奮もしていない。一般国民が多元的なものの見方と分析の枠組みを持っている国である。


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