あんた、ここで追い込まれているからこそ、漫画を描けているんじゃないのか?外へ出て自由になっても、売れる漫画を描けるかは疑問だな。
by スネイク矢田
「YOUNG KING OURS」2002年2月号「コミックマスターJ」より
脚本・田畑由秋
作画・余湖裕輝
<文脈>
洋上のタンカー改装船。ここでは、かつて一線で活躍していた漫画家達が集められ、監禁されて強制的にマンガを描かされ続けていた。売れっ子だった時期が終わり、浪費癖と多額の借金だけが残ったかつてのトップの漫画家。彼らは、債務を帳消しにしてくれるという怪しい契約とともに、この船に集められたのである。
集められた漫画家達が描くマンガは別の作者名で連載され、読者の人気投票で5回最下位になった漫画家は、誰も見たことのない奈落に落とされる。その奈落の底に落とされた漫画家達は、生きているのか死んでいるのか、何をされているのかもわからない。だからこそ、誰もが必死でマンガを描く。かつて人気作家だった漫画家達が、文字通り命をかけて描いた鬼気迫るマンガは、シャバでは驚異的な売り上げを記録していた。
だが、食事以外は便所完備の狭い個室に監禁され、暴力と脅威によって強制労働されられている自分たちの現状を、当の漫画家達が納得して受け入れているわけではなかった。80年代に人気漫画家だった沢村浩もまた、わずかな隙をついて脱出を試みようとする。
「監禁、強制労働、こんな理不尽な契約。脱出して絶対訴えてやる。だいたいこれだけ働けば、金も返せていたんだっ!!」
そこに新入りの漫画家、スネイク矢田が立ちふさがり、こう述べる。
「そいつはどうかな。あんた、ここで追い込まれているからこそ、漫画を描けているんじゃないのか?外へ出て自由になっても、売れる漫画を描けるかは疑問だな」
<コメント>
この話を読んで真っ先に思い浮かべたのは、私の予備校での体験である。もちろん予備校は、自分の意志でカネ払って入ったのだし、教員・職員による学生への暴力は禁止されている。成果が上がらないからと言って、制裁など一切ない。予備校とこの強制労働船とはまったく違うのだが、シャバとは隔絶された世界で、仕事や勉強に専心する、というのは私には共通するものを覚えた。
沢村など、強制労働させられている漫画家は、理不尽な強制労働を憎み、外に出ることを夢見ていた。彼らは口々に言う。シャバに出ればうまくいく、これだけ働けば借金も叩き返せた。だが、彼らはシャバで、思うようにマンガも描けず、浪費も止められず、借金にまみれていた負け犬だった。おそらく彼らは脱走に成功しても、再び堕落し、仕事もうまくいかず、また強制労働船に叩き込まれるのが関の山ではなかろうか。
このことに気づいた沢村は、自分が今描いているマンガが売れており、第一線で勝てる自身も実力もある、負け犬から目を血走らせた闘犬になれたと意気込む。彼はこの船の中でも、上位の実績を収めていた。だが、同じ船の漫画家達は、脱走のことばかりを夢見ていた。
私が予備校の寮にいたときもまた、必死だった。もちろん、成績が振るわなくても誰から何をされるわけでもないのだが、300万円という高額の学費寮費を親に出してもらい、ここで成果を上げられなければ翌年の浪人など出来る余力はなく、私大志望の私が入学金すら工面できるか疑問であった。とにかく、私は望みの大学に入りたかったし、大学進学の道を選び、敢えてスパルタ式の予備校を選んだ以上、この道で成果を上げたかった。ここでケツまくって逃げるようなことがあれば、親戚や知人友人、高校の教師になんと見なされるか。そうした想像もまた、私の闘志に火を付けた。
私にとって、スパルタ式の予備校という過酷な環境に我が身を於いたことは、私自身の意気込みを高める効果があったと言える。
そして思う。別に私が行った予備校である必要はないのだが、大手のぬるい予備校に入っていたら、自分自身がここまでいきり立って、目を血走らせて努力しただろうか、と。私は高校時代、偏差値40程度。友人と遊びまくり、趣味を際限なく享受し続け、高校時代1秒も勉強などしなかった。もちろんこの高校時代について一切の後悔などないが、高校時代の延長のように一般の予備校に入ったとして、私が一気に精神を転換させて勉強のみに邁進することが出来ただろうか。
浪人ともなれば、それなりに勉強はしただろうけれども、訪ねてくる友人とゲーセンに出かけ、酒を飲み、マンガやアニメに時間をつぎ込み、おそらく、中央大学には入られなかったであろう。スパルタ式の予備校に入ったことは、遊ぶか勉強するか、という選択肢の片方を選ぶ労力の節約となり、とにかく勉強してやろう、という意気込みを促進したと考えている。
もちろん、中央大学に入学してから出会った学友の中には、私と同じように高校時代偏差値40程度で、一般の予備校に通い、酒飲んでカラオケ行って、テレビもゲーム機もある部屋で過ごし、それで中大に入った、という者が何人もいた。別に、スパルタ式な環境に身を置かなくとも、適度に遊び、適度に勉強して自分の望む結果を出せる人間というのはいくらでもいる。だが、私にそのような器用なマネを出来たか、と言えばかなり疑問である。
「コミックマスターJ」の世界でも、漫画家の誰もが強制労働船に入るわけではない。それなりにマンガが売れて利益を享受する者、結果が振るわないならそれなりの生活に抑える者、才能がないと痛感したら、仕事を変えてそこで生きる者。そうした者が大多数であろう。そうした当たり前のことが出来ず、マンガで稼ぐことも出来ないのに浪費ばかり続け、自堕落に生きる者。そうした者だけが強制労働船に入るのである。
大学進学を志す浪人も、大多数の者は一般的な予備校や宅浪で学び、それなりに遊びつつも結果を出す者は出すのだ。私はその自信がなかったので、敢えて自らを厳しいと言われる環境に置いてみた。その結果については、自分では満足している。もちろんスパルタ式の予備校に入ってみても、自分の望む結果を出せなかった者は出せなかったのだが、私は目から血を流す勢いで自分の望む道に向かっ全力で努力することが出来た。そういう意味に於いては、私は地獄が天国になる人間なのかも知れない。
予備校はともかくとして、現実世界には「コミックマスターJ」の強制労働船や、「カイジ」の地下王国のようなダメ人間強制労働施設があるわけではない。社会のセフティネットもさほど期待できない。大学卒業後私は、自分自身の実力を磨き、持てる気力体力精神力で持って、社会に当たってゆくことになろう。大学受験は失敗しても死にはしないが、社会に出てからの食い扶持と社会的地位を確保するための戦いでは、敗北すれば(将来持つであろう)家族も含めて過酷な道をたどることとなる。
自分自身の節度と根性とあらゆる実力でもって、生きていくための戦線に立つ覚悟をせねば。