アウローラ。こんな事になって混乱しているだろうけど・・・悪いが事情は話せない。もっとも説明した所で理解できない話だろうけど。この世の中は君が思うより、ずっと厳しいんだ。誰かが得することなんてない。誰にでも厳しい世の中なんだよ。

by ピノッキオ
「Gunslinger Girl」3巻より
作・相田裕


<文脈>
 イタリアを暗躍するテロ集団・五共和国派の幹部に拾われて育てられた少年、ピノッキオ。殺し屋として訓練を受けた彼は、銃やナイフに年齢に見合わぬ才能を見せ、命令のままに司法や行政に携わる人間を暗殺していた。家族もろともに。
 そんなピノッキオが暮らすアジトは、平凡な下町の一軒家。彼は仕事を偽って下町に溶け込んで、よくいる芸術家肌の若者を装っていた。そんな彼に近所に暮らす少女アウローラは興味を持ち、彼に思いを寄せていた。彼はアウローラに関わりすぎず、一定の距離を取って暮らしていた。
 そしてある日、ピノッキオのアジトへ組織に雇われた2人の爆弾屋がやって来る。彼の仕事は、爆弾屋の監視と護衛。次の作戦の為に武器を用意し、公安機関への警戒を強める3人。そこに偶然アウローラがやってきて銃を見てしまう。アウローラを拘束するピノッキオ。アウローラは、いきなり銃を突きつけられて床に押しつけられ、手錠をかけられてイスに縛り付けられてしまうが、何が起きたか彼女自身は理解できない。そんな彼女にピノッキオは囁く。


アウローラ。こんな事になって混乱しているだろうけど・・・悪いが事情は話せない。もっとも説明した所で理解できない話だろうけど。この世の中は君が思うより、ずっと厳しいんだ。誰かが得することなんてない。誰にでも厳しい世の中なんだよ」 


<コメント>
 人間は自分に何か不都合が起きたとき、自分以外の誰かが得をしたと思いがちである。仕事が不調なときは、誰かが悪辣な企みでもって自分を妨害しているのではないかと疑心暗鬼になることもある。人間関係が不調の時は、今まで親しくしていた人間は実は自分を利用していただけで、用済みになったから捨てられたのではないかと、疑ったりもするものだ。


 不都合の原因は、大抵は情勢の変化に気づかなかっただけだったり、自分自身の怠慢や傲慢のせいだったりするものだが、自らを省みることは難しい。特に、今までよくしてくれた人や親しく付き合っていた人が離れていった場合は、単純にそうした他者にすべての原因を帰結させて、自分が持っていた利益を奪われたとか、自分が陥れられた、棄てられたと考える方が楽である。年齢を重ねた大人でさえ、こうした被害妄想的な発想に陥って抜け出せなくなる人間はめずらしくない。


 だけれどもこのピノッキオの年齢がいくつかはしらないが、彼が青年というよりも少年とも言うべき年齢にして、「誰かが利益を得るわけではない」という世界観を得ていることに、私は驚愕を禁じ得なかった。捨て子か孤児だったところを人殺しのテロリストの気まぐれで拾われて育てられ、幼いうちから殺人技術を教わり何の恨みもない他人を惨殺してきた少年。その境遇は過酷としか言い様がない。このような境遇にあれば、世間を恨み、世の中の幸せな人々を憎み、怨嗟を胸に生きていてもおかしくないはずだ。だけれども彼は、自分の不幸や不遇は誰か他者に幸福を奪われているからではなく、自分以外の人間が幸福なわけでもないと達観している。


 この境地の哲学を獲得できる人間は、何か目的を見出したら、他者が幸福で自分が不幸だというくだらない二元論に逃げ込むことなく、目的のために最も合理的な道を邁進することが出来るだろう。自分は不幸で他人は幸福だという発想は、判断を誤らせる。例えば、こんな発想が脳裏に張り付いてしまうから。自分は不幸な境遇にあるから、他者の幸福を剥奪する権利がある。自分は不幸な中生き抜いてきたから、幸福に安住している奴よりも優れている。幸福に安住している人間は世の中を知ず、不幸に生きる自分が真実を知っている。等々。


 不幸な自分が優れていて、幸福な他人が劣っているという優劣関係を見出してしまうと、合理的に物事を行うことが難しくなってしまう。だけれどもピノッキオは謙虚だ。自分の出来ることと出来ないことをわきまえ、敵にの能力を量り、その上で的確に行動をして目的を達成している。自分を育ててくれた養父の恩に報いる、つまり養父の組織が勝利するため命じられた人殺しをこなすという目的を。この点に於いてピノッキオは、単純な技術技能以上に、暗殺者として余計な思い上がりや雑念を排除できるという意味に於いて、一流と言うことが出来るだろう。


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