「小心者ほど心理操作が巧みになる。結果を出していないのに苦悩や苦労の素振りに騙される奴はバカだ」

 ■■は、そこそこの数の後輩に、偉大な先輩であったと思われている。それは、部のために苦悩し、苦心して仕事をしてきたからだそうな。だが、実際■■がどれほどのことを為したであろうか?
 実際苦労・苦心はしていたように見えなくもないが、結局怠惰でタイムリミット直前か、あるいはリミットが過ぎてからようやく仕事をはじめ、無理矢理お茶を濁したにすぎない。一応部の行事や必要な事務をこなしたように見えて、実は凄まじくいい加減で、特定の後輩の献身的な犠牲によってなんとか形だけ整えたにすぎない。
 そうした自分の怠惰を補った後輩の犠牲や、仕事量・責任の不均衡を改善しようとせず、部に溢れる諸問題にも何ら対応策をとらなかった。やったことと言えば、物事を先送りにする極限的限界になってからやっと動き始めたことと、自分の無計画で怠惰な仕事を支えた後輩への「慰労」と称して頻繁に酒を飲ませたことだけである。


 ■■は実際、特別有能なわけでも、勤勉なわけでもない。後輩のために部の何かを改善したわけでもなく、効率的に部の運営を行ったわけでもない。ただ後輩の犠牲の上に鎮座し、臆病なまでに現状を変えずにいただけである。問題点も、破綻している制度も、古く形骸化している事柄も、何もかも少しも変えようとせず、そのために後輩は仕事や稽古の理不尽な制約に泣いた。
 それなのに部で■■が「凄い人だ」と言われるゆえんは、苦労・苦心の姿を見せたことにある。物事を先送りにし続け、何かが始まる寸前、行われている最中に陣頭指揮で忙しく働いて見せた。大衆はその姿に偉大な先輩だと感じたことであろう。そして■■は大規模にカネを投資し、広く声をかけて大宴会を開き、あるいは後輩と1対1で酒を飲んで「■■さんは俺のことを期待している」「■■さんは後輩の不満を聞いてくださる」との情緒を後輩に持たせた。こうした姿にも、温情や情緒の交流らしきものを感じ取り、数多くの後輩が■■を信頼し、カリスマと崇めた。
 愚かな人間は、■■のこうした陣頭指揮や苦悩の姿、温情ある公共投資(飲み会)に惑わされた。まあ、どんな意図があろうと、■■がどんな問題を起こしていようと、■■が仕事をし、飲み会を開いたことは確かだ。だが、恩義に惑わされ疑うことをせず、■■の罪状に目をつぶってはならない。人を、仕事を情だけで判断するのは愚かだ。


 もし■■がいい先輩、いい棒術部指導者だったのならば、もっと早く、事前に計画を立てて仕事を進めて然るべきであった。もちろん綿密な準備をして仕事を進めることは簡単ではないが、極限状態になってから混沌の中で右往左往するよりはマシであろう。本人の労力が惜しいのならば準備段階からいくらでも後輩に責任・仕事は割り振ることも出来たはずだ。
 だが、後輩から「早く仕事を進めた方がいい」「〜については私に任せてください」との意見具申や申し出があろうと、■■は、一切聞かなかった。すべて先送りにし計画構想さえ持たなかった。自分の手から権力を手放さず、後輩のおこがましい声など聞きたくもないとでも言わんばかり。本人が後に言っている。「自分のやるようにやれば、すべて行くと思っていた。オレにもプライドがある。後輩の言うことを聞くことは、上級生として出来なかった」と。
 結局、■■は「帳簿をこまめに付けましょう」という声さえも無視したあげく、提出期限になってから1年分の白紙の会計帳簿を1日で付けさせた。とんでもないことである。また、事前の計画がおろそかで穴だらけだったため、合宿中に物品の強制徴用を行い、合宿中にその場で行動計画を行った。どこの蛮族の遠征か。


 また、■■は重要な会議を幾度もすっぽかし、ペナルティとしてこの当時の棒術部の予算は10万円以上カットされてしまった。このカネの損失は、結局部員一人一人の財布から補うしかなかった。この当時の合宿費用が、例年に比べて1人当たり1〜2万円も高かったのはそのためである。新入生勧誘の飲み会費用が1ヶ月で1人当たり2万をも超えたのもそのためである。
 いや、部の予算は■■が握り、あたかも自分がおごっているかのようにして、飲み会に誰の許しもなく部費を投入していたことさえもあった。飲み会は部の公共事業としての側面もあるが、1人の人間が勝手に用途を決めていいものではない。だから、予算は欠乏した。
 予算は欠乏したため、合宿の下見など、部の仕事でカネを建て替えた部員に対し、その支払いをしなかったことさえも1度や2度ではない。部の仕事でレンタカーを使ったとき、パンクしてしまったタイヤの代金(6万円)を運転者から取ろうとするなど言語道断。免許証がある(当時は少なかった)というだけで運転というリスクを背負わされたドライバーが、自動車のトラブルの全責任を負うなどという理不尽があろうか。


 そして何よりも、■■のいい加減さを補って誠実に仕事をした幾人かの後輩に対して、■■は何ら誠実な対応をとらなかった。会計帳簿と合宿準備の、2つの例を挙げたい。


 ■■が帳簿を1年間付けず、誰にも付けるように命じず、結局最終日に1日で1年分の帳簿を付けるように命じられた後輩は、どれだけの苦労をし、提出先にどれほど頭を下げたことか。たまたまその場にいて、商学部というだけの理由で、いかなり電卓と帳簿を渡された彼は、1日のすべての予定をサボり、複雑怪奇な会計システムに1人挑むことを余儀なくされ、整理さえされていない領収証類に埋もれ、電卓を叩き続けた。会計職でもなく、中大の会計の仕組みも帳簿の書き方も知らない1年生が、だ。
 こんなことを強いておきながらも、■■はまったく反省がなかった。翌年会計職に任命された後輩と、提出日に電卓を叩いた後輩は、翌年度初めから会計をもっとしっかりとやろうと■■に具申し続けた。だが、■■は返事だけ「わかった」と言ったが、会計帳簿は自分のマンションの片隅に放置し、領収証はほとんど集めず、集めてもゴミ同然にサイフにぶち込んで整理もせず、状態は昨年度と何一つ変わらなかった。会計職の後輩は、「オレに任せてくれれば、先輩の手は患わせません。帳簿を任せてください」と何度も具申したが、■■は何一つ任せなかった。会計職の後輩は飲み会の席で気持ちよく酔っぱらっているときに、「お前会計だろう!」と勘定をやらされただけであった。会計職と飲み会の幹事とは全くの別物だというのに。結局、この年度もまた同じ事が行われ、ノウハウを知っているとの理由で、去年帳簿を整理した後輩は提出日に1日で1年分の帳簿を付けさせられた。
 無論、■■から実務の指導者が交代したその翌年は、帳簿は遅延もなく提出されるようになった。


 ■■が何も指示を出さずに責任を放棄して実家に帰ったとき、合宿の準備をノウハウもなくゼロからすべて一人で進めざるを得なかった後輩は、監督と後輩の板挟みの中で、どれほどの辛苦を味わったか。
 彼は、下の後輩に合宿の目的を説明し、役職を設定して割り振り、必要な物品を全て洗い直して調達・運搬を考え、合宿中のすべての事象が行われるプロセスと手段を計画した。しかも、彼の同期・後輩は■■から命じられただけで肩書きもなく権威がない彼に従わず、簡単に彼の計画に反対し続け、彼は意見調整と説明と説得に苦心し続けた。
 だが、■■が実家から帰ったときにやったことは、彼のやったことをことごとく否定した。代替案も提示せずに。彼の仕事に落ち度がある、という理由ではなく、■■の思想や合宿イメージと合わないからダメだとのこと。自分自身が何ら方向性も打ち出さずに放任し、携帯電話の電源さえ切って実家に隠遁していたのにも関わらず、発想の違いで他者の仕事を完全否定するとは、あたかも気分次第で生殺与奪できる奴隷を使うかのようである。
 結局、ここまで構築されてきた合宿計画は、■■の手によっていくつか変更が加えられるに止まり、■■の承認を得ることになる。だが■■は、合宿が行われているその最中に、思想の違いを理由にして合宿のミーティング内容の大幅な変更を後輩に強要した。棒術部の合宿は、やることが極めて多く複雑であり、重層的で極限的なスケジュールと、微妙なコンセンサス・バランスの上に成り立っている。合宿最中に大胆な変更を強行することは、合宿全体が崩壊する可能性すらあった。また、責任を任せた後輩が今まで構築してきたものを一瞬で否定することなどなんたる暴力。そんなに重要な齟齬があったのならば、事前に変更を指示すべきであった。すべての予定に、■■は承認したはずである。


 上記のような大きなことだけでなく、日常の雑多なことでも、■■の寝坊による会議欠席によって、どれほど緊急の議題が遅滞し、会議そのものの権威も失墜したことか。人の仕事の最中に、幾度調子のいいノリで仕事の邪魔をし、妨害をしたことか。■■がふざけることによって、真摯に話し合うはずのことが、どれだけ冗談になって終わったか。■■は大衆に絶大な人望を持つので、些細な冗談や気のゆるみが、そのまま仕事への士気を落とし、仕事の権威や重要性を貶める。
 ■■のこうした姿勢や仕事計画のずさんさに対し、心ある後輩は幾度もなく改善を求め、提案を具申し、権限の移譲を求め、時には悲鳴のような声さえも聞いたはずだ。だが、■■がそうした声に応えたことは一度もない。ただ、「慰労」と称して酒を飲ませてごまかすか、よくわからない理論を振りかざして後輩の声を突っぱね、何ら事態を改善しなかった。


 ■■自身が棒術部で責任ある立場にあるのが嫌になったのならば、とっとと辞めればいい話だ。部を辞めなくても、役職を放棄すればそれで済んだ話だ。それなのに、■■は権力のイスに座り続け、それでいて大した仕事もせず、後輩の献身的な犠牲の上に、あぐらをかいていた。そんなに部でデカい顔をしたかったというのか。それとも、自分の非を認めることがそんなに恐ろしかったのか。それとも、今までなるようになったから、これからも同じようにいい加減でいいと思っていたのか。
 誰にでも事情はある。やりたいこともある。棒術部のために大学に来ているのではない。それは誰でも同じだ。■■を強く責めると、最後には「俺にはいろいろあったんだよ」「俺にも都合があったんだよ」との言葉が出てくる。
 ならば、その影で講義をサボり、レポートを書かず、テストまでサボって仕事の従事するハメになった後輩の都合は事情はどうなるというのだ。1日に3時間程度しか睡眠も取れず、浅い眠りで夢でまで仕事のことで苛まされ、週30分程度の好きな番組さえも観られず、洗濯も掃除も出来ずにただ深夜帰ってきて敷きっぱなしの布団に倒れ込み、早朝起きて前日の仕事の経過をまとめ、今日の仕事の計画を立ててから大学に行って、ただ権威付けもないまま会議で闘い陣頭指揮で作業にあたり叱咤と激励と計画の修正だけを繰り返して日々を消費し、1ヶ月もこの生活を続けて高熱を発しつつも仕事に従事せざるを得なかった後輩は、どうなるというのだ。


 結局、■■は後輩の献身的な犠牲を固定化し、その上にあぐらをかいて部でデカい顔をしたかっただけである。子供銀行券・・・つまり、部内での権威や尊敬といった、屁の役にもたたないものを手放したくなく、それでいて苦労を忌避し、組織を変えることによる反発を恐れていたから、破綻している組織を改善しようとせずに破綻の狭間で犠牲を強いられた後輩を、放置したのだ。酒やタバコ、高価な食い物、意味のない期待や激励の言葉でもって、後輩を励ましながら、この構造を固定化したのだ。あたかも明治期に前近代のまま固定化された農村のようだ。
 この当時働いていた後輩は、自分よりも学年が下の後輩を慮り、自分の愛する棒術部のためにこそ働いていたのだ。だが、■■はそうした生真面目な後輩に対して極めて不誠実な対応しかしなかったと言える。


 こんな男のどこが立派な先輩なものか。
 ■■のような愚かな先輩が立派な先輩として存在していられた背景には、物事を表層的にしか見ず、極めて単純な情に惑わされる大衆の存在があったと言える。■■はこれをわかっていて、あえて自分に心地よい玉座を作り上げたのであろう。
 ■■は、飲み会を連発して冗談や雑多なネタで後輩を楽しませ、多くの後輩は■■に対して一緒にいるだけで楽しい、この人ならばなにか面白いことをしてくれる、自分の日常を楽しいものにしてくれると期待した。それ自体は大変結構なことだ。だが、それだけで思考停止してはならない。■■の影でどれだけの人々がいかような犠牲を強いられてきたのか、■■がどんな態度をとったのか。それを見ることなしに、■■が棒術部のため後輩のため尽くしたなどと謳い上げるなど笑止千万である。
 苦労・苦心を見せ、忙しく働いている様をわざと見せ、犠牲となっている人間には「なんとかしたい」「なんとかしてやる」などと言いつつ結局酒と激励の言葉でガス抜きをするだけで、何ら現状を変えなかった男。飲み会の連発で人心を掌握し、自分が味方だと大衆に思わせ続けるようし向けてきた男。■■は、大衆社会に登場した、破滅的な指導者であった。 


戻る