「俺はフツーの人の2倍は部に貢献したつもりだ」
「フツーの人」というのは誰のことか。たかが50〜60人しかいないのだから、名前をあげて誰々を「フツーの人」と呼び、自分が具体的にどんな仕事をして彼ら彼女らの2倍の仕事をしたと言えるのか、示して欲しいものだ。
私はこの発言主の仕事の実績を認識している。飲み会の際の注文取りとか、部で移動する際の誘導など、アホでも出来るごく些細な単純労働しかしていない。もちろんそうした些細な仕事もそれはそれで大切なことだが、正直大した功績でも何でもない。部員ならば、1年だろうと誰でもやるような、ごくごく当たり前の労働である。
全体を見て、部の行事をどうするかゼロから企画し、実現を計画。部内に内紛を起こしかねない人間関係の調整。何かをおこなうときに、同意をとりつけ、カネを集め、人員を配置し指揮。部外の学生団体の委員と部内上層部の意向とを鑑みつつも、予算帳簿をやりくりし、大学設備するを確保する仕事。限定された条件の中で、非常に要求するものの多い棒術部の合宿をどこで開くか健闘する仕事。こうした交渉や駆け引きを要し、先を見て、構造を見る仕事に比べれば、単純労働など簡単極まりない。制度やシステムという目に見えない部の礎を作り出す主体者としての仕事に比べれば、末端の単純労働など、誰にでもできる仕事である。
それにも関わらず、ごくごく些細な苦労や辛苦を体験しただけで、人よりも自分が優れた仕事をしたなどと自惚れるとは笑止千万である。自分が為したことが「大した仕事」である、という根拠は自分自身の苦労という個人的経験以外に存在すまい。こうした思い上がりを捨てて、もっと冷静に他者の仕事や部がどうして動いているか、ということまで鑑みなければ、部の運営維持はできない。しかし、こうした思い上がりが、「俺はもう十分にやったから、他にやらせろ」「私は立派に働いたんだから、誰にもものは言わせません」などと称して部の運営の遅滞をもたらすのは不快である。
もっともこうした人間は、自分の苦労しか見えず、部がどうやって動いているのかなど、説明しても想像もつかないのだが。