「そういう理論は通用しない」


 我が棒術部の人間にとって、棒−樫の木を機械的に圧縮した六尺棒−は、4年間あるいはそれ以上に渡って稽古の相棒となり、棒術使いの魂とされている。またぐこと、肩に担ぐことなどは厳重に禁じられ、棒の先端の切っ先が痛むので、携行しているときに杖のごとく地面に押し付けることさえも慎まれている(棒を持って立つときは、靴ないし足の甲の上に棒の切っ先を乗せる)。そしてできるだけ棒を手に体になじませ愛着を持つようにと、通学の際は180センチもの棒を携行することが推奨され、部室などに置きっぱなしにすることは禁忌とされてる。
 そして私もまた、稽古のある日は自転車であれ電車であれ徒歩であれ、通学の際に棒を携えていたものであった。そして稽古後は、再び棒を家に持ち帰っていた。大学1年次に於いては、私は講義の関係でどうしても出られない一日を除き、一週間に六日ある稽古のうち五日参加していた。目安として、週に三日出れば上達すると言われている我が部の稽古に於いて、長期にわたって週に五日の稽古の参加はかなり熱心な姿といえた(出ることがとにかく尊くて出ない人が熱心ではない、というつもりは毛頭ないが)。それは誰もが認めていた。ここ数年間に於いて、週5日の稽古参加というのは、私を含めて片手で数えられる数しか存在していない。

私の棒袋の先端。これは末期的。フタをしめるのがほぼ不可能


 だが、私が入部した1997年当時に流通していた棒袋(文字通り棒を収納するための袋)は材質がわるく、毎日のように棒を携行していたら、棒を入れて折り返して縛っていたてっぺんが擦り切れて穴が開いた。同時期に同じ銘柄の棒袋を買った者は、皆棒袋の折り返しに穴が開いて、反対側に袋を折り返してフタをするなどしていた。しかし今度は、反対側に折り返したところに穴が開く。


 さらにしばらくすると棒袋が真ん中から、タテに裂けてきた。別に縫い目があるわけではない。ただの布地が、疲労に堪えかねて裂けたのだ。これは徐々に上下に広がってきて、棒を棒袋の先端から差し込んで収納するとき、横に棒が飛び出してしまったりもした。だが、袋の中間地点が裂けても、とりあえず底が抜けず、先端で縛って固定していれば棒袋としての役割は果たした。私の棒袋は、タテに裂けたと思ったら、今度は平行にもう一本切れ目がはいった。棒袋なのだか、二枚の布を重ねて両端でしばっているだけだか、わからなくなってきた。しかしそれでも両端で固定されている限りは、袋として役立っていた。
 だが、これはひとえに私が棒を毎日持ち運び、熱心に稽古に参加している証左である。私はこの、わずか1年でボロ雑巾になった棒袋に愛着を持っていた。


 そして、私が入部して1年が経とうとしているとき。翌年度に入るまだ見ぬ新入生を、私を含めた一年生にとってははじめての後輩を迎えるに当たって、我が棒術部は新入生の勧誘に向けてのポスター・ビラ・パンフレットの考案・印刷、勧誘場所の確保、入学式スケジュールの入手と対策など、さまざまな話し合いと活動が持たれていた。そんな中、我々の日常の稽古は続いていた。
 そして稽古が終わって、先輩と二人で棒を持ち、大学を歩いていたとき。先輩は言った。
「新勧はじまる前に、お前は水道橋(武道用品店がある)までいって棒袋買ってこい」
 なぜわざわざ新勧前に、私が棒袋を買いなおさないといけないのか。私は聞き返した。
「そんな棒袋では、新入生に示しがつかない」
 何を言っているのだろうか。この棒袋がボロなのは、遊んでいて痛めたわけでも、粗雑に扱ったためでもない。ひとえに稽古に励行し、体の一部であるかのように毎日持ち歩いていたためだ。他の先輩方とて、棒袋は穴や継ぎはぎだらけ、なかには道着でさえも服とも言えないくらいに穴と裂け目と継ぎばかりになっている方もいる。私はそういう姿を目指して稽古し、その結果としてボロになった棒袋に誇りと愛着を持っている。だから私は言った。
「この棒袋は、大切に使っているという証です」
 そうすると、先輩は私の顔も見ずに言い放った。
「そういう理論は通用しない」
 理論といえるほどのことを私が言ったかどうかは疑問だが、この人はいったい何を言っているのだか。私が上に書いたようなことを、別の先輩や監督のことを例にあげて言っても、先輩は以後口を開かず前だけを見ていた。


 もちろん私は現役部員として在籍中、一度も棒袋を買い替えてなどいない。この棒袋は、後輩達にとって悪影響など与えようもなく、こんなにもなるまで稽古に出た証としてのみ話題になった。さらに言えば、稽古指導者であった監督や他の先輩・OBの中で、棒袋がボロなことをとがめた方は一人もいなかった。むしろ、そこまで稽古に出たとして讃えられた。さらには古の先輩方も、自分たちも棒袋や道着が雑巾みたいになるまで使い、苦労して使っていたなどという。
 「批判をする側が清廉でなければならない」とか、「罪のある人間が他者の罪を弾劾してはならない」とか言うつもりはないけれども、件の先輩はなかなかひどい棒の扱いをしていた。なにしろ、遊んでいて棒を天高く放り投げて落ちてきた棒を受け損ない、棒はレンガの床に当たって立てに亀裂が走った。こうなれば危なくて稽古には使えない。稽古中に棒が折れることはままあることなので、稽古中に折れたとして先輩は棒を買い換えたのだが、後に真相が監督の耳に入り、叱責をされたという。私の棒袋に対して彼が批判をした、わずか数週間後のことであった。



 まあ、些細な出来事である。思いつきで何かを正しいと思って後輩に言い、後輩が素直に従わなかったから侮辱されたような気分になった。ただそれだけのことであろう。だが、この些細な出来事には、この人物が今後に渡って見せる負の側面がよく現れていたと言える。もちろん一つや二つの傾向で、この人物のあらゆる行為や全人格を否定する意図はないが、問題となる思考回路については考察してみたい。
 まず、この人物には強い自己有能感がある。彼自身の口から聞いたこともあるが、彼は世の中人間が自分のやる通りにやればうまくいく、そうしない奴はバカだ、という思いが根底にあるらしい。今回の件では、彼は先輩がボロな棒袋を持っては、後輩が道具を粗略に扱うのではないか、というようなことを思ったのだろう。まあよかれと考えるのは勝手だし、自分の意見は口にするものだ。だがここに於いて、彼は「棒袋がボロだと示しがつかない」というのを揺ぎ無いことであるかのように捉え、「買い換えること」こそが唯一の選択肢でありそうして当然であるかのように言い放った。
 我が棒術部には学年序列が存在するが、道具の買い替えの強要は一介の部員が言えることではない。棒術の道具はそう高いものではないが、慢性的に金欠な学生にとっては小さな買い物ではない。そして愛着を持って使っている道具を捨てて新品にしろなどというのは、稽古で今に誰かがケガをするとか、よほど正当な理由なくしては主将だろうと監督だろうと言えないことである。だが、この先輩は「示しがつかない」というよくわからない文言しか理由として掲げなかった。


 そしてこの人物は、自己優越意識を希求する性向が強い。「棒袋を買い換えろ」という程度の他愛もない文言でも、「ボロな棒袋を持っていると後輩に悪影響を及ぼす」という自分が見出した「真実」を提示し、「棒袋を買い換える」という至上の選択肢を勧告するというこの行為は、優越の行使に他ならない。自分が優れた見識を持って、優れた考えをしたから、それを劣った人間に申し伝え、自分の言うようにやるよう指導する。
 まあ先輩後輩でも、親子でも、教師と生徒でも、タテの関係で上の立場の人間は多かれ少なかれそうした優劣意識を持つ。だがここに於いて問題なのは、自己の優越(逆を言えば相手の劣等)を疑えるか絶対視するか、ということ。利害が一致していなければ、あるいは組織全体の意志と一致していなければ、上から下への一方的な物言いはただの暴力になる。
 ここに於いて私は、先輩の言うことに全面肯定などしなかった。納得がいかないことだったし、(OBや監督も含めて)部の誰を見ても多かれ少なかれボロな棒袋や道着を使っていた。それに対して、示しがどうだという文言は聞いたことがない。年に一度の晴れの舞台である演武会や偉大なるOBや流派の高位指導者の前でも、棒袋がボロだとか、道着が稽古で破け、どうしても落ちない泥汚れなんかがみっともないから買って来い、などという話は聞いたこともない。


 自分の文言に対して、全面肯定して従う以外の選択肢を取った私に対して、先輩は気分を害したことであろう。なにしろ、自分が見出した「真実」を拒絶することであり、自分が提示したすばらしい選択肢を愚かにも受け入れないということだ。彼の優越に対して、疑問が提示されたのだ。何も知らない、自分よりも人生も稽古歴も短いガキによって。
 彼にとっては、私が「道具を大切に使っていることです」という程度の反論でさえも、自分への挑戦・侮辱だと感じたのかもしれない。私が何でも知っていて、自分のやるようにすればすべからくうまくいき、それに反するコトバには耳も貸さない思い上がった奴に見えたのかもしれない。あるいは「正当な勧告」に対して、くだらん屁理屈でごまかす不誠実な人間に見えたのかも知れない。傲慢な人間ほど、自分の言動を受け入れられないと、相手を傲慢な人間と見なす。


 「そんな理論は通用しない」・・・私の文言が、誰に、何で通用しないというのか。まったくもって謎である。例えば「許されないぞ」とか「そんなことが通ると思っているのか」とか、主語不明な文言はよく聞かれるが、こうしたセリフは相手の言動を完全否定しているのだが、その根拠も理由もまったくもって不明である。相手の言に対して、正面から反論や自分の正当性を主張できないときに、とにかく何か見えない「律」にそむく相手の劣等と、そうした「律」を見出し指導している自分の優等をもって、相手を否定する。非常に思い上がった、自己を顧みる意志を放棄した言いようである。「そんな理論は通用しない」とのセリフもそうした類のものであろう。


 私が他の先輩方もまた似たようなボロ道具を使い、過去のOB方もそのような道具を使っていたということ。誰もそれを非難はせず、讃えていたりもしていたことも私は伝えて抗議した。だが、先輩は私の方を振り向くことさえもしないで黙っていた。これは、自分の優越を守る最後の手段である。相手が間違ったことを言い、正当な自分の言説を受け入れない。そんな劣った人間には何を言ってもムダだから黙る。自分が正しいことを知っていて、相手は間違っている、という優劣意識を保つために、コミュニケーションを断絶して自らが正しく、相手は不当なことを言っているとの念を保持する。これは、コトバによって正面から戦う術を放棄した人間が最後にとる、最も不誠実で非生産的な態度といえる。
 多分彼は、自分が思いつきで言った「棒袋を買い換えろ」との言説がたいしたものではないこと、よく考えれば部には大昔からボロな道具を使う人間が跳梁しており、そんな有様を讃え自慢し合っていたことぐらいは分かっていたのであろう。だが、後輩に勧告なんぞをした手前、さっきの自分の言は間違っていた、さっきのは忘れろなどとは言えない。優劣関係を、自分の優越を目に見える形で崩したくはない。いや、最低限の自分の立つ瀬は確保したい・・・そんな思いが、こんな態度をとらせたのであろう。「そうだな、まあそんな袋でもいいや」と一言言えばそれで済んだことなのだが。


 彼は部員として在学中も、OBとなってからも、こうした優越意識の行使を希求し、自分の優越が崩れることを極端に恐れ、ごまかしや不誠実な態度をとり続けていた。金銭的に大損をし、部員の誰もがわるい思いしかしなかったという部の運営上の失敗に際しても、彼は非難に対して反論も謝罪もせず、ただ抗議する相手のひとつひとつの人間性ばかりを叩いて、抗議を取り合おうとしなかった。後輩のあまりにも個人的なことに口を出しすぎた彼に対して、そういう言いようがどれだけ自分を苦しめているのか、と後輩から彼に涙ながらの抗議もあった。そのとき彼は、ぜんぜん関係ない話を無理やり始めて、ごまかそうとした。一言すまなかった、そんなつもりではなかったと言えば済む話なのに。さらには、OBとなってからも大学に頻繁にやってきて、学生諸氏の人生観や見識をただただ叩いて悦に入ることが多くなった。こうしたアンフェアな言動への批判には、経験至上主義的にも「〜もしていない奴にものを語る資格はない」など最後の優越のよりどころとして、経験と年齢だけをタテに相手を黙らせようとした。
 人間は年をとればとるほど、人生経験や年齢で劣る人間に対して優越意識を持つ。相手がなんとも劣った人間で、自分のやるうにやればうまくいく、相手がアホだから一言言ってやりたい・・・そんな思いを抱く。だが、ここに於いて自分の優越を疑うことをしないと、自分の言説は何の生産性もない暴力的なものとなり、あるいただ経験至上主義に基づいて相手を貶め、自分の優越性を喧伝するだけになる。そして、学生達の貴重な刹那刹那の時間や場を支配し、よからぬものとしてしまいうる。こうしたタテ社会では常に自分自身を疑い続ける必要がある。


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