「殴り合いのケンカするぐらいのつもりだった」


 棒術部に於いては行政機構が整うまで、個人が献身的自己犠牲でもって部のあらゆる実務を行い、そして部を支えていた。人数が多かろうと少なかろうと、合議の上で誰もが協力しあって組織の維持管理を行うなどということは極めて難しい。結局、誰かが仕事をすれば、意識的であれ無意識であれ、誰かがその上にフリーライド(ただ乗り)する。それが個人による恣意的独裁であっても、部のため人々のために自己犠牲を辞さずに孤独な闘争をしていたのであっても、他のどんな形であろうとも、「なんとかなっている」うちは人々は危機感を抱くことも、自分が本気で与党精神を持って意思決定や政策の実現・実行を為していこうという気にもならない。それどころか、些細な仕事をしただけで「自分は為すべきことをしている」「だからこそ、部はうまくいっている」などという妄想を抱くことにもなる。


 ある時代に於いても、多くの人間がそんな妄想と思い上がりと自己満足に安穏としている中、1人の若年部員が自分のすべての時間と労力、体力、そしてカネさえも投資して、部の屋台骨を支えるために闘っていた。
 彼は別に主将でも、幹部でもなく、ただ当時の上級生/幹部に言われて全ての実務を支えていた。当時の幹部は、「時期幹部の試金石にする」などという体の良い文言を掲げて、この後輩にすべてを放任。たまにやってきて稽古の指導だけはしても、実務に関しては一切の指導もアドバイスも、方向性の指示もしなかった。それどころか、携帯電話の電源さえ切って隠遁してしまう有様。すべてを放任されて1人の若年部員は、何もわからない中、手探りで何が必要か、何を為すべきか、いつどこで誰が何をするべきかすべてゼロから考え、計画し、ノウハウも権威さえもない中、現在ならば数人、十数人の人間の合議と分担によって行う合宿や新勧活動のすべてを取り仕切り、そしてほとんどひとりで実行した。非協力的な同期の暴走、後輩からの突き上げや反乱の予兆。それらすべてに向き合い、前も後ろも、右も左も味方の1人もいない中、睡眠時間さえも半分以下に削り、試験もレポートもすべてサボり、個人のカネまで投資し、発熱し薬を投与しながらも彼は戦い続けた。すべては、部を愛するが故、そして後輩たちによりよい大学生活の場を提供するためにこそ、闘ってきた。


 だが、当時の上級生/幹部は、すべてを放任しておいて隠遁しておきながらも、彼の仕事の一つ一つを徹底的に叩いた。無論、1人の人間の、しかもノウハウも何も知らない若年部員のやることだ、欠陥もあっただろう。しかし方向性さえも示されず、指導もせず、それでいて根底からすべてを否定するとはどういうことか。計画がほぼ完成し、もう実行まで数日というときになって完全否定するなどどういうつもりか。もはや、再計画をやり直すことは不可能。結局、微修正をやるのに止まったが。
 そして彼ら上級生/幹部は、1人の後輩が作り上げた合宿や新勧活動に於いて指導者として振る舞った。彼が作った制度がかろうじて支えていた、クーデターや財政難で崩壊寸前だった部の上で、指導者として「いい先輩」として、再び日常を謳歌しはじめた。
 彼らは、この後輩が提言したあらゆる問題の指摘、改善要請、制度上の不備の是正などのついてはまともに向き合いもしなかった。ただ、たまに慰労と称して高価な酒を飲ませ、メシを食わせ、ただ「不平不満」を吐かせ、いい気分にさせようとしただけだった。ごくごく些細な改善要請も問題の指摘も、とりあわなかった。面倒ならば、自分がすべてやる、先輩の手を煩わせないとまで言ってきた後輩に極めて不誠実な対応しかしなかったのだ。
 ただ垂れ流す「不平不満」として聞き流すのではなく、あくまで「ここに問題があるから、変えることを許せ」という具申を聞き入れればそれでよかったはずだ。実際、そうした問題は後年すべて是正されている。しかし当時の上級生/幹部は、生意気にも後輩が述べ立ててくる具申などに取り合う気はなかった。ただ、変えることが怖かった。(例えどんなに不自然で理不尽な構造が支えていても)現在の部社会がそれなりに存在していられたからこそ、問題の改善という変化を好まなかった。そして、あたかも明治期の農村が都市の近代化を歪に支えたように、その後輩の自己犠牲と献身によって部を支える構造を固定化し、それでいて肝心の問題は見なかったふりをして自分に心地よい玉座を作り上げて安穏とていたわけである。


 誰にでもやりたいことはある。都合もある。経済的にも、家庭や人間関係にも、様々な事情はある。棒術や棒術部だけのために大学へ来ている人間なんて、1人もいやしない。そんなことは、当たり前だ。しかし後に、当時の上級生に件の後輩がこの不誠実について詰め寄ると、判で押したようにいつでも決まった返事しか帰ってこなかった。「俺にもいろいろあったんだよ」「そのときは事情があったんだよ」・・・おもしろい。自分の事情の前には、後輩の事情なんかはクズゴミ同然と言いたいのか。それとも自分以外の人間には事情なんかないとでも言うのか。自分の事情は、他の人間が抱える事情よりも深刻だというのか。
 もちろん、自分の事情がいかなる他人の事情よりも優先するのは、当たり前のことだ。なれば、くだらない大学サークルの仕事や権威なんか捨ててしまえばよかったのではないか。退部や幹部職の放棄をしたくないというのならば、完全に委せるなり、認めるなりやり方はいくらでもあったことであろう。0からやらせて、99まで完成しつつあるときに、「これはダメだから俺の設定する1からやりなおせ」、などというのは冗談にもならない。時間があるのならばまだしも、数週間もかけてことを数日前、下手すれば前日、前夜になって突然思い出したようにやって来て、権力者ぶる。実際を無視して、生意気にも後輩が作ったものをぶっ壊して「指導」すれば、自分の尊厳やメンツが保てる、先輩として権力者としての為すべきことをした気になる。


 現在進行形のときに不誠実な対応しかしなかった上級生は、後にも不誠実な対応しかしなかった。後にちょっと嫌みを言われただけでも、上級生は「事情があった」としか言わない。一言、「あのときはわるかった」「迷惑かけた」と言えばそれで済むものを、自分が悪かった、苦労をかけた、こいつがいなければ部は崩壊していた、と知っていながら、なおも不誠実な態度しか取らない。
 そしてある日、その後輩はこう言った。
『当時は、先輩にどれだけ意見具申しても、問題の指摘を具申しても、まともに取り合ってくれなかった。聞き流して、「わかった」「やっておく」としか言わない。結局何もしないし、何もさせてくれない。それでちょっと強く詰め寄ったら、次の日メールが来た。「このような言い方は、ボクにケンカを売っていると解釈されても仕方がないことです。発言には責任というものがあります。20才を過ぎたら自分の発言には責任を持つようにしましょう」・・・。
 責任云々なんてこと、私が考えもしないとでも思っていたんですか。私は先輩と培ってきたすべての関係を捨てて、大切な人間関係が破滅するかもしれないことも覚悟していました。返答次第によっては、本当にぶん殴るつもりだった。それを、こんなくだらないまママゴトみたいな体裁でごまかして。私を殴ってこない奴だと、それどころか私を「今日の関係は、明日もそのままでいられる」と思い込んだ上で挑発や批判をするクズだとでも思っていたんですか。』
 それに対するこの先輩の返答は、こうである。
「殴り合いのケンカするぐらいのつもりだった」


 今とってつけたんではなかろうか。後輩が「当時は殴ることも辞さなかった」というから、自分も「ケンカも辞さないつもりだった」と言わないと格好がつかない。だから、こう言っているだけなのではないか。当時後輩に強く責め立てられて、このガキ、ぶっ殺してやる、とこの上級生が思ったか思わなかったかは本人にしかわからない。しかしこの先輩は、最後通牒とも取れる、今まで親しくしてきた人間との関係を破棄する悲愴な覚悟をもって問題を訴えてきた後輩に対して、自分が冷静であり、相手が自分の発言にさえ責任が持てないガキであるとして、優劣関係で捉えようとした。
 結局、具申の内容にも、後輩の決意にも向き合わず、ただただ自分の尊厳が傷つかないようにする方策をとっただけではないか。それで今になって、「当時は、自分も殴り合いも辞さなかった」などと人間関係破棄の覚悟があったなどと言って何になる。結局この先輩は、ただ相手が何か言ってきたら、決して認めず受け入れず、ただ自分のメンツが傷つかないような文言を考え出して口にすることしかできないのであろう。  


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