私はアニメを観ないガキであった。
幼少の頃には人並みに観ていたが、姉が観るものを一緒に観たり、「キン肉マン」のような流行となったモノを観ていただけであった。我が心の名作「北斗の拳」でさえ、小学校での会話に置いていかれないようにと見始めたのである。
別に、世間的配慮や家族の影響でアニメを観るのがわるいと言う気は毛頭ない。当時にしても、それはそれで面白く観ていた。しかし、小学校の後半に入る頃から、私はアニメを観なくなった。
当時はファミコン全盛であり、アニメを観なくとも話題には乗れたこと、子供の塾通いなどの社会現象のために、アニメがテレビから減りつつあったことも、私がアニメを観なくなった一因となってはいたであろう。
しかし、直接的な理由は「アニメがガキっぽく見えてきたから」であった。
こう思うようになった原因は二つある。
一つは私がマンガを買うようになったことである。
幼少の頃、マンガと言えば家にある「ドラえもん」であった。私の親は、ガキにコミックが買えるような大金を与えるようなことはせず、マンガと言えば親とデパートに行ったついでに買ってもらうものであった。買うモノは必然的に「ドラえもん」的なものとなる。
しかし小学校高学年にもなると、金銭的にマンガを買う余裕が出てきた。そうしてはじめて自分の意志で買ったモノは、「シティーハンター」「ハイスクール!奇面組」「ドラゴンボール」などなど。「週間少年ジャンプ」も定期購読するようになった。
こうして買ったマンガと比べてみると、アニメはひどく稚拙でガキ向けのモノのように感じた。
今になって思うと、「シティーハンター」はまだしも、「奇面組」や「ドラゴンボール」のマンガが稚拙でガキ向けではないのか、と思わなくもない。しかし、それらの作品のアニメ化されたものは原作のマンガよりも対象年齢が低く、表現や演出もそれに合わせて単純化・幼稚化されていた。原作とアニメとの違いも気になり、それが「異端」と「正統」のようにさえも思えたのであった。
故に、当時の私はアニメを「マンガよりも程度の低いモノ」と見なすようになったのだ。
二つ目の理由として、私が洋画を観るようになったということがある。
私が幼少の頃にはレンタルビデオなどなく、「金曜ロードショー」のような映画番組も寝る時間にやっていたため、映画を観る機会などほとんどなかった。さらに、私はガキの頃は臆病で、「プロジェクトA」さえも怖くて観られなかったのである。自発的に洋画を観だすまでに私が観た洋画と言えば、「E.T」と「グーニーズ」ぐらいしか記憶にない。
しかし、小学校も高学年になると「金曜ロードショー」がやっている時間まで起きていることが許されるようになった。そうして「大人への道」として初めて自発的に観た洋画が「ランボー3」であった。正直、戦争映画を観るのは少々怖かったのだが、未知への一歩を踏み入れる好奇心の方が強かった。
派手な戦闘シーン、魅力ある銃器や兵器(私は生来のガンマニアなのだ)には心奪われる心地であった。対象をガキに限定したアニメとは、段違いの刺激!
また、言葉にも興奮した。「国境」だの「民族」だの「西側」だの「東側」だのという言葉には、やはり真摯な、大人の世界を感じた。今、大学で政治学を学んでいるのはここにルーツがあるのかも知れない(マジかよ)。それに比べて、アニメの何て稚拙で不真面目なことだ!
私が洋画を見始めたということは、家族の観るものや流行から離れ、「自らの精神の快感」のみに忠実に作品を選び始めたということである。洋画とマンガこそが心地よい娯楽であり、アニメは私にとって楽しみな娯楽ではなくなっていた。それどころか、観ていることに抵抗を感じさえする代物となっていた。
だから私はアニメを観なくなった。
それが小学校高学年の私である。 作成日1999/11/17
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