アニメ禁欲の時期(予備校)

  3年遊んで1年で大学に入るという計画通り、私は大学に落ちて予備校に行くこととなった。予備校は天下に名高いスパルタ式の両国予備校であり、私は北海道から上京して寮に住むことにした。
 両国の寮は、最低限の生活必需品と勉強道具以外は一切の私物の持ち込み禁止。もちろんテレビもマンガもない生活であった。


 アニメがない生活は別につらいモノではなかった。
 アニメは単なるエンターテイメントであって、なければないでどうということはない。私は熱狂的なファンであったが、私の人生に占めるアニメのウェイトはそんなものである。


 しかし、短い昼休みに秒単位で時間を計ってアニメイト錦糸町店に行ったり、帰寮時間までのわずかな時間に本屋によって新刊の表紙を見るだけでも、随分と心が和やかになった。アニメイトで邂逅した「檄!帝国歌劇団」の流れる「サクラ大戦」のプロモーションビデオには、精神が浄化される気がしたものだった。
 見つかることを恐れながら買ってきた「魔法騎士レイアース」のバインダーや、まだ観ぬ「新世紀エヴァンゲリオン」のラミカードを自室で眺めただけでも、幸せな気分になったりもした。


 しかし、だからと言って「釈放」が待ち遠しかったり、満たされぬ毎日を送っていたわけではない。息抜きは「アニメイト視察」と「本屋巡回」だけで充分だ。寮だったので人間関係は豊富だったし(トラブルも豊富だったが)、成績は順調に伸びていた(高校の時1秒も勉強していなかったのだから当たり前だ)。
 だから、精神的にまいることはなかった。もっとも、「大学と名の付くところに入れればいい」と思っていた私のことだから、成績が伸びなくともストレスなんぞとは無縁だったであろうが。


 ないものは、いくら頑張ってもないのである。
 寮に極秘裏に御禁制の品を持ち込むことは不可能ではなかったが、危険は犯したくなかった(まったくやっていないとは言わないが)。そこまでして娯楽にふけるくらいならば、高いカネを出してもらってまで東京の予備校に来る必要はない。上述のアニメイト・本屋見物以外の娯楽としては、寝る前(つまり消灯時間後)に日記を書くことで充分だった。


 その日記というのは単なる日記ではなく、家にあるビデオテープの一覧を思い出したり、以前に観た作品のあらすじを思い出して書くといったこともした。私にとっては、それだけで充分だった。


 たしかに、まだ観ぬ「新世紀エヴァンゲリオン」のLDは観たかったし、買いたいモノ、やりたいことはリストアップして書き付けていたほどあった。しかし、私はすべて「出所」してから、と観念していた。「手の届かない状態」はアニメを「至高の存在」に格上げしたが、別に渇望はしていなかった。


 そうして現役時偏差値50もなかった私は、中央大学に入学することが出来た。

作成日1999/11/17


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