ステレオタイプとしての「右翼」・「左翼」

「お前は、校歌とか軍歌とか好きだから『右翼』だろ」
「お前みたいな『右翼』が戦争を起こすんだよ」
「××さんは、『右翼』ですか?『左翼』ですか?わかんないんですよ」
「それって『左翼』?ヤバクない?」


 私はよく「右翼」と呼ばれ、ごく稀に「左翼」などと呼ばれる。
 しかし、私をそう呼ぶ奴は例外なくバカである。


 私は政治問題については、安易な発言を控えるようにしている。
 それにも関わらず私を「右翼」「左翼」などと抜かすアホは、何をもってひとを「右翼」または「左翼」と認定・呼称しているのか。
 何にも考えていないんだろうな。


 ただ、自分たちアホが日常使うコトバよりも難解なことを聞くと、「政治的発言」としてしか認識できず、「『政治的発言』をする→あいつは『右翼』か『左翼』に違いない」という単純な思考の下に、他者を「右翼」「左翼」呼ばわりするようなのである。
 私は普段、アホ相手に「政治的発言」なんてしたことないぜ。ゼミに於いては別だが。


 あるいは、「戦争映画を観る」、「兵器マニアである(実際の所、私はガンマニアに過ぎないが)」、「校歌や軍歌のCDを持っている」、「『君が代』を歌える」といった、他愛もない趣味や知識の一端を見つけると、相手が「右翼」にしか見えなくなるらしい。


 ひとを安易に「右翼」だの「左翼」だのと呼ぶ連中は、恐らくは「右翼」「左翼」という言葉の意味内容を考えたこともあるまい。
 ただ、イメージで「右翼」「左翼」との言葉を捉え、他人が少しでも「政治めいた発言」をしたり、「ナショナリズム」を感じさせることを言ったら、すぐさま感性のみに従って「右翼」だの「左翼」だのと言い立てているように思えてならない。
 しかも、「」か「」かの判断さえもとち狂っているあり様だ。


 私は、ニュートラルとは言わないまでも、自分を「大した思想性のない人間」だと思っている。
 私は、主義主張を持てるほどの知識や認識を備えていないし、ひとつの「主義」に傾くほど私はヒマでも情熱的でもないからね。


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