2001年度 某所での対談


・今年の一年生は権力欲が強い。「袴履きたい」「主将やりたい」という声が上がっている。
 しかしこういう人は、けっこうダメになる。主将というのは権力がない。そして発言力さえない。「一生懸命稽古して、発言権を得る」という発想は間違い。将来的に自分に発言力がないと気づいたとき、「上に立ちたい」というあいまいな欲が反転する。本来自分が得るはずのものを「奪われた」と思い、「政治だ!」とか叫ぶ。


・幹部が袴というのは、決まっているわけではない。昔は女性は全員袴だった。それは「かっこいいから」という程度の理由に過ぎない。今の袴の権威も、気がついたら発生していたもの。だから、それをわかっていて4月から1年生に対して、他と差別化するために袴で決めるのも幹部の技。シンボル操作。
 あと、袴というのは、体型で似合う似合わないがある。ここで、損している人もいる。


・棒術部は弱者救済するが、本人の努力を求める。
 今の■■や●●なんかまで面倒みきれないし、そこまでやる義務はない。
 ある日、■■の後ろ姿をトーマス(仮名)が見つけて、呼んだ。
「おう、■■」
 よくある挨拶である。会釈ぐらいしてもバチは当たらない。
 しかし■■は、振り返ってトーマスを見て、そして首を前に戻して終わり。
 誰に対してもそんな感じ。誰とも話しているように見えないし、同期とも先輩とも、挨拶をしたのを見たこともない。
 ■■は棒術部に「友人」がいると某所で書いていたが、本当にここの部のことを指して言っているのか?


・変な人がいると学年がキシむ。
 奇人変人ということではなくて、本当に社会に適応できない人間のこと。
 差別問題の発生。公平・平等を押し付けるか否か、という問題の発生。
 1年間どんな形であれ残れば、下に後輩が出来て「変な先輩といわれる」。学年全体がおかしく見られる。連絡網も回さない、会話も出来ないような人間がいること自体が問題。


・OBの**と▲▲が飲んだときの話は、「××が狙っている女の話」だったそうな。
 OBになってまで、現役部員の女性の話。異常というか病気。
 ★★に至っては、1年生の女性部員に深夜電話をかけて、「お前が好きなのは誰だ!」と詮索。また、別の女性部員には「あいつが好きなのは誰だ!」と。本人は軽い冗談のつもりかもしれんが、暴力・セクハラそのもの。2X歳の社会人が、1度か2度全体行事で会った程度の後輩に、それはないでしょう。うちの部の評判と言うか品性を、絶望的に下げている。


・◇◇とは、一緒に仕事をすれば、その絶望的なセンスのなさ、無能、怠惰、横暴、キチ@イぶりがわかる。
 何も言わない、何も考えない。
 春合宿のときも、ミーティングの記録をするテープレコーダの準備がないことに、恐る恐る後輩が聞いた。
「レコーダーはどうします?」
「ああ忘れていた」
 前日まで忘れていた。
 夏合宿のときは付き人だったが、補佐の◆◆の記憶に残らなかったほど。つまり何もしていない。補佐がすべてやってしまった。
 OBの★★も怒り狂った。「つかえねー!バカ!何も出来ねー!」と。 


・学祭の会計報告は、OBのわけわからん寝言に先手を打って演説を行い牽制。そして盛り上げた。
 やるからには利益をだし、利益をだしたらアピールする。


・OBは相変わらず主将中心主義
 しかし、時の主将◎◎よりも副将★★の方が人望が起きる。
 翌年は、主将◇◇よりも▽▽の方が、圧倒的に慕われた。
 そして今年は、どうか。
 主将は、直属の部下がいない。慕われているが、情報も決定権もない。
 「主将はすべてを、何でも知っていなければならない」ではなくなってきた。
 主将は主務に任せている。
 今、OBから主将に電話があっても、「任せています」と。
 OBからの圧力にも屈せず。


・開発独裁
 ★★の独裁期には、貧富の格差が極大化した。日本の利益誘導みたいに意味のないバラ撒きをして、問題そのものは常に先送り。★★は政治家ではあるが、文官ではなかった。
 それが××の時代になると、(◇◇や▼▼以外)野党が存在しない。開発を行いインフラ整備。政治家と文官の両方をこなした。


・発言力とは、力のある者が得る。
 古代に於いては、稽古に比例するとの考えがはびこる。
 しかし交渉力・人脈というものが、発言力となってくる。これを悪魔的営みという人もいる。
「自分は稽古しているのに、知らないところでものが決まる」
 正当な手段を用いないから、なにもわからない。
 60人いるのならば60のエゴと利権がある。
 しかし決まるのは1つの方針(一人の考えそのままということではない)。
 これこそが政治。


・1998年度生は、対立があっても話せるというのはすごい。
 △△などは、*年生と真剣に、あるいはマジメに話したくないと公言。
 *年は女性週刊誌の世界。
 4年生は芸能人。
 ステレオタイプでしか見ない。
 また、4年に近づくことがステータス。
 争いが起きる。


・4年生は総がかりで物事にあたる。
 もちろん対立はある。皆意見が違うが「1つ」として動く。
 スタンドプレーが起きると、すべていい加減になるから。
 しかしそれをやったのが、97年度生の◇◇。
 1999年に、稽古にあまりにも出ず、それでいてイベントや溜まり場にいりびたる者に注意が行われた。この決定そのものの可否はともかくとして、これは2〜3年生合同会議で決まった方針。そして98年度生が稽古に出るよう指導していると、◇◇が「それは違うぞ。稽古に出なくてもいいんだ」とか。いつでもいいかげん。バラバラ。言いっぱなし。
 かばうのならば、稽古でるよう得意の率先垂範して見せろ。
 しかし◇◇はなにもしないで、飴だけ与えていい気分。泥をかぶったのは98年度生。98年度生だって、自分で勧誘した部員を、自分で切るようなこと言いたくない。勇気を振り絞って言っている。今でもこのことは原罪である。しかもこの決定は、◇◇も同意したはず。自分だけがいつでもその場限りの気分でものを言う。

 97年度生の◇◇や▼▼は、いつでも言いっぱなし。責任がない。
 そもそもの1999年の新勧のとき、98年度生は入部目標をあまり高く設定することに反対した。
 しかし◇◇や▼▼は反対。部員を制限すると、部が閉鎖的になる、とか。別に定員枠を作るわけではなくて、声をかけて引っ張って説明する、とかそういう突撃営業の度合いの問題なのだが、とにかく最大限の努力でもって入れれるだけ入れるという方針に決定。
 稽古についての説明をおざなりにし、新入生をとにかく引っ張り、カネと時間を血反吐を吐いて投資し、遊ばせ、飲ませて大人数連れてきた。しかし、◇◇や▼▼は一切ケアしなかった。溜まり場や飲み会に来ても、新入生の相手をしない。新入生と上級生が話していたら、割り込んで上級生に話す。
 部員としての心構え、稽古への姿勢、稽古への意欲・・・それらを掻き立てていかねばならない。特に、無理やりつれてきた部員に対してはそうしないと、ただの「よくわからんが酒飲ませてくれて、すんげー親切にしてくれて、遊べる場所」に終始してしまう。「稽古する場所である」「一緒に棒を振るおう」と引っ張らなければダメなのだ。だが、◇◇や▼▼は一切そうした努力・指導をしなかった。それでいて、「今年の一年は稽古に出ないで、溜まり場にくるだけで、部の活動を愚弄している。奴らを切れ」と。
 結局泥をかぶったのは98年度生。◇◇・▼▼は言いたいこと言って、理想や感情を語り、何もしない。その場その場で自己の感情を満足させるだけ。心も痛まないし、気分もいい。泥をかぶることもない。
 しかし、そんな人間に誰も信用を抱かず、慕われることもなかった。


・1997年には、納会に「来る」と言ってこないOBがかならずいた。
 来るかもしれない、というか来たためしがないOBを待って、連絡員が30分40分と駅前で一人立たされた。連絡ぐらいいれろ。学生だと思ってなめているのか。
 しかも連絡員というのは、携帯電話を持っているとか(当時はほとんど持っていなかった)そんなことで決められ、同じ人間ばかりが立たされた。飲み会は2時間程度なのに、移動時間を含めると半分程度しか楽しめない。取られるカネも同額だし、銭金はともかくとしても同じときを、一期一会のときを共有したいのにその機会を奪われた。私もそうした連絡員として97年度はよく立ち番をしたものであった。

 後期納会の店の場所など私は知らず、私は電話連絡で迎えに来てもらった。そこで来た男は、とんでもないバカで、新宿蔦やのアニメコーナーに行きやがった。「晴天ならばきっとそこにいるだろう」とか。結局、私は別の迎えと合流し、わざわざ蔦やを探してそのバカを回収して納会の飲みに行った。尊敬する先輩の最後の別れという意味もある飲み会。私は損をするのをわかっていて敢えて立ち番を買って出た。そこまではいいとして、なんで冗談めかして蔦やなんぞに行くんだ。そのせいで、20分は時間をさらに損した。しかもそのバカ、居酒屋についたらついたで私の椅子を占拠しようとするなど(怒り狂っている私を和ませようとしているのだろうけど)ちょっかいを出し、私はさらに怒り狂った。

 冗談と真摯との境目がわからない男。いつでも冗談だけで人と接し、真摯に人と当たることを避ける男。ちょっと感情を発露したり、マジメに向き合おうという場になったら、すぐにくだらない冗談に逃げようとする男。真摯な場や感情の対立を避けようとするあまりに、他者の利益を、時間を、労力を損ない、小さな問題の解決をうやむやにして問題をより大きくしてしまった男。彼の「やさしさ」が私に及ぼす不利益に苛立った、小さなエピソードのひとつである。彼は、何人かの後輩に「やさしい」「気遣いがある」と言われているが、私にとっては殺意の対象以外の何者でもなかった。


・*年のある人物は、バカである。
 人命に関する話になると、「人を殺しちゃいけないんです」しか言わない。
 それだけ言えば、すべて言い尽くしたとでも。
 Whyはない。
 人殺しの事件なんかは、「変な人」が人を殺すんだ、としか思わない。
 世の中に溢れる種種の事件や問題は何だというのだ。「それはいけない」といえば、殺す者が全否定され、悔い改めるとでも。そういえば、銃を持つ者が銃口を下げるとでも。
 真剣になることも、難しい話することも、避ける。避けることしかしないと明言。
 *年生のオールラウンド的思考様式の象徴である。
 そして彼女は、キャンパスで部員とすれ違っても挨拶もしない。一瞥もしない。会釈さえしない。
 バカか。
 嫌いならばそれはそれでよし。
 しかし、そんなことしても自分の立場と風評を落とすだけでしょう。
 慇懃無礼を貫くほどのしたたかさもないらしい。


・2000年の学祭打ち上げでは、OBが私にデジタルビデオカメラを貸すよう要求した。
 このカメラはべーやん氏(仮名)の私物で、フルセットで15万円はくだらない。それを学祭の演武を撮影するために、部が借り受けた。撮影したのは私晴天である。この高価な品を携行し続けることは危険な上に、べーやん氏は打ち上げの様子の撮影にも使いたいとのことなので、私は早々にカメラを返却した。
 そして打ち上げの飲み会。OBが大衆の間に擬似的な一体感を醸し出させるために怒号・シュプレヒコールを(独断で)繰り返し、飲み屋の店員に注意されなどしていたのだが、OBが私に「カメラを貸せ」と言ってきた。今日の演武を上映したいというのだ。

 私は拒絶。
 まず第一に、べーやん氏の私物、それも高価なものを徒に徴発など出来ない。先輩が貸せと言えば、べーやん氏は断れないだろう。この狂乱の飲み会に於いて、カメラに酒がかかったり、落とされるなど、どんなことが起きるか。責任が持てない。
 次に、この達成感あふるる飲み会の場において、何十人もの人間が2インチ程度の液晶ディスプレイを凝視するなどという異常なことをさせたくない。誰もが酒を飲み、今だけの時間を語りたい。このメンバーが集まることでさえも二度とない飲み会だ。飲み会を楽しみたい。それなのに、OBがビデオを見ろと言ったら、後輩連中は従わざるを得ない(OBは自分の一挙手一投足が暴力性を伴うことに、とても鈍感である)。上映はあとでダビングして配ることになっている。
  それに、べーやん氏は、自分の意思でカメラを使いたい。カメラは撮影するためのものである。


 と私は説明した。
 それから少したって、べーやん氏が飲み会の様子を得意のナレーション入りで撮影しはじめた。
 するとOBは、「おい、あいつ勝手に撮影しているぞ。どうなっているんだ」と私に詰め寄った。
 だから、あのカメラはべーやん氏の私物であって私のものではない。
 べーやん氏が自分の意思で使いたいというのを私が妨げるわけにはいかない。
 もしこの飲み会でカメラが壊れようと、持ち主が自分の責任で取り出して使っているので私がとやかく言うことではない、と再度説明。まったく何を聞いているんだ。というよりも、OBが現役部員の私物を徴発したり、場の在り方を支配するなどサークルとしては不健全である。だからこそ、私は闘ってきた。


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