2002年度 創部25周年記念文集への寄稿「寛容と、非寛容と」
「寛容と、非寛容と」
世間の人々は思索よりも判定を好み、疑うことなく答えのみを求める。一定の状況に対して、ただ「自動的」に言葉を発する。そして、自分が持つ狭いステレオタイプから外れる在り方の人間を「異常」としてしか認識しない。非寛容。これで何の発展性があろうか。
その点、棒術部は寛容な社会であった。人々は好んで会話の様式を打破し、言葉の意味づけを、言葉に伴うイメージとステレオタイプを疑い続けた。簡単な結論に終始することなく、忌憚なきやりとりを日常的に出来る場。棒術部は学生の知的活動の場として、人間同士が正面から向き合う場として、優れた場所であった。
だから私はこの部のために、大学生活の少なからぬ部分を捧げてきた。そして私は部と部員に仇為す者を憎んだ。部に唾棄する者、他者の努力を嘲笑する者、他者を愚弄し恫喝して優越意識を満たそうとする者。私は部社会を守り、部員−特に後輩−の日常と安寧を守るために、こうした人間に非寛容であった。
だが、棒術部は非寛容な私に対しては、非寛容であった。私が誰かを非難すれば、その対象の素行は問題とされず、ただただ私の「改心」を強要された。殴られ、刺されもした。今でも理不尽な扱いをされたと思っている。
しかし、組織のため成員のために血を流せる場所に、人はなかなか邂逅すまい。寛容な棒術部、寛容たらんとして非寛容になる棒術部。これらは私が最も強烈に帰属意識を持つ場所であり続けることであろう。Semper
Fi!
大学卒業とともに作成終了したこのサイトだが、卒業後に記述したこの文だけは例外的に掲載することとした。20周年文集の4分の1たる600文字という制限下で、599文字でどうにか押さえ込んだ短文である。相当無理して、圧縮に圧縮を重ね、枝葉を切り落とした代物だが、私と棒術部との関係を最も端的に表していると自負している。
この文は棒術部監督に衝撃を与え、2002年度後期納会に於いて監督は年度締め挨拶の中で、この文を引用したとのことである。監督を含めたOBとの軋轢に於いて、私は全身全霊で闘ってきた。だが在籍中は、私のこうした活動は1つ下の後輩・1998年度生の多くには評価され、次の世代へ道のないところに道を拓いた。たが、公的に認められることは決してなかった。それがここで、ようやく一定の評価を公的に得たわけである。