せかいのおわりがくるまえに(仮題)

伊佐坂 眠井

7月3日(木)
SCENE2:月島 碧


 そう、世界は一週間後に終末を迎える。
 それはどうやら、確からしいことなんだ。
 いつからその噂が囁かれ始めたのか、どうもそこら辺の記憶が、ボクは曖昧だ。いや、きっと曖昧なのはボクだけじゃないんだと思う。
 その証拠に、終末が一週間後に迫っているというのに、果たしてどんな形で世界が終わるのかを理解している人は、どうやらいないらしいんだ。


 そりゃあ、確かに怪しげな宗教団体やなんかは、独自の終末理論を、暇さえあれば街頭で宣伝している。でも、大抵の人々はそんな言葉には耳を貸さずに、いつも通りの生活を続けている。
 ボクもその一人な訳なんだけど、でもこれって、一寸おかしいんじゃないかって時々思うんだ。だって、世界が一週間後に滅びるって言うのに、一ヶ月先の仕事や、一年以上先の受験について考えているんだよ。


 そりゃあ、世界が終わる、と言うことがどう考えても滑稽なことは解っている。でも、ボクらの頭の中にこっそりといつの間にか常識として定着したそれは、もっと不気味に現実世界に影を落としてもおかしくないんじゃないだろうか?


 ボクがそう言うと、仲谷クンは成程ね、と言いながら笑った。
 あ、言い忘れていたけど、ボクの名前は月島碧。公立高校に通っていて、部活はバレー部に所属している。バレーをやっている理由の一つとして、ボクは女の子にしては少し背が高い。それでも165センチくらいだけどね。髪型はスッキリとしたショートにしていて、その所為か、妙に後輩の女子に人気があったりする。


 で、ここはボクのクラスの二年E組。ボクは幼なじみの水瀬トモキと、その友達の仲谷良樹クンと一緒に朝のホームルーム前の世間話に興じていた。
 トモキはだるそうに机の上で頬杖をつきながら、トモキの前の席のボクは、机に腰掛けてトモキの方を向きながら、仲谷クンはトモキの机に寄り掛かりながら、といういつも通りのスタイルだ。


 仲谷クンは、いいかい、と少し気取ったように言いながら銀縁の眼鏡をずり上げた。

「みんな慣れっこになっちゃったんだよ。終末、世界の終わり、人類の滅亡・・・次々と唱えられる末法思想のインフレーションに僕達は麻痺しちゃったのさ」

「要は終末が来るなんて、みんな嘘だと思ってるって言う事か?」

 頬杖をついたまま、トモキは半目で仲谷クンを見上げると、そう言った。仲谷クンは、相変わらず省略したがる男だね、と言って笑った。

「でもその通り、トモキの言うとおり、みんな嘘だと思っているのさ。過去にもハレー彗星の尾が地球を通り抜けるとき空気が無くなって人類が滅亡するだの、人類を一世紀以上も不安にさせた上で見事に外れたノストラダムスの大予言といい、滅亡をうたっておいて、その実何もない、と言うのに僕達は慣れちゃったんだよ」

「だからみんな落ち着いているわけ?」

 ボクはそう尋ねた。仲谷クンは、我が意を得たり、とばかりに頷いた。

「うん、そう。流石は月島さん、飲み込みが早い。確かにさっき例を挙げたハレー彗星の時なんかは、世界が終わると思って有り金を全部ばらまいたり、息をするためにタイヤのチューブが馬鹿みたいに売れたりしたらしいけど、今回は全然そんな動きはないよね」

 まあな、とトモキは言った。仲谷クンはそれにね、と言いながら両手を軽く打ち合わせた。

「君たちは、唯我論って言う言葉を知っているかな?」

「さあな、由井正雪の乱なら知っているけど」

 二人のとぼけたやりとりに、ボクはクスクスと声を上げて笑う。

「じゃあ、デカルトの言った『我思う故に我あり』っていう言葉は知っているよね」

「あ、それなら知ってる」

 ボクはそう言った。

「確かここに自分という物を考えている自分がいるから、この意識がある以上自分は存在している・・・とかそんな意味だろ」

「へえ、意外に博学だね」

「そうよね、トモキ顔に似合わず読書家だったりするからねえ」

 仲谷クンに追随していったボクに向けて、トモキはうるせえ、と鬱陶しそうに言った。・・・多分、トモキは照れている。
 ボクにはそれが解った。

「まあとにかく、唯我論という奴はそれの発展型みたいなものさ。デカルトの考えは、自己という物がこの世界に確かに存在しているかどうかの確信を得るために生まれたものだけど、唯我論はそればかりではなく、世界のなかで自分が確かに『ある』と認識できるのは、自分自身の存在だけだ、と見なすんだよ」

「え〜と、それってつまりはどう言うコト?」

 ボクがそう言うと、仲谷クンはそうだね、と言いながら、不意にボクらに背を向けた。

「何してんの?」

「いいかい、今こうして背を向けている僕には、君たちの姿が捉えられない。僕にとって世界は、今見えている部分だけであって、そして僕が確かにあると実感できるのは僕自身だけだ。だからこうして背を向けている間に、君たちが不定形のスライムみたいな代物になっていたとしても、僕には気づく術はないんだ」

「でも俺達はこうして普通にしているぜ。聞こえるだろ?俺達の声が」

 トモキはそう言いながら、頬杖を止めて半身を仲谷クンの方に向けた。仲谷クンは後ろを向いたまま答える。

「うん、確かに聞こえる。でも、僕は仲谷良樹であって水瀬智樹じゃあない。だから君の意思を感じることは出来ない、僕が頼りに出来る感覚は僕自身の物だけなんだ。だから、僕は君の意思や存在が本当にあるのか確かめることは出来ない」

 するってえとなんだあ、とトモキは呆れたような声を出した。

「つまりは自分自身でリアルに認知できるのが自分自身でしかない以上、その他の人や物は、皆まやかしであるかもしれないって言う事か?詭弁だぜ、それって」

 あははは、と笑いながら仲谷クンは振り返った。

「その通り、詭弁さ。こうして振り向いてみても、確かに智樹も月島さんも存在している。でもね、僕が言いたかったのは、人間って結構自分だけが正しい、自分だけは何があっても助かるって思っているもんだって言うこと。だから終末が来ると聞いた所で大してパニックを起こしていないんじゃないかと僕は思うわけ。ほら見てよ、この出席率」

 そう言って仲谷クンは教室中を指し示す。そこここで生徒達が楽しそうにお喋りに興じている。全くだな、と言ってトモキは笑った。


 確かにそうだ。ボクがボク自身でボクの存在を認知している以上、仲谷クンの言うようにボクは幻なんかじゃあない。だから、仲谷クンの言った唯我論は間違っている・・・いや、間違っていないのか。
 仲谷クンがボクらが確かに意識を持っていることを確かめようがないのと同じように、ボクも仲谷クンが本当に意識を持っているかどうか確かめる術はないんだ。そしてトモキも・・・


 でも、とボクは思う。
 それでもやっぱり唯我論は間違っていると思う。ボクにはどうしてもトモキが幻だなんて信じられないもの。

「おい、何ボーっとしてるんだよ、碧。先公が来たぞ」

 そのトモキに肩を揺すられて、ボクは慌てて前に向き直った。


 無精髭にいつもと同じ背広姿、ボクらの担任のハマっちこと浜坂裕先生は、教壇に手をつくと、いつものように独特のイントネーションで静かにせい、と言った。
 でも、その後に続く言葉は、いつもとは少し違っていた。

「ええー、今日は転校生を紹介する。おい、早瀬、入れ」

 静かにドアが開く。おおっ、と男子が溜息に似た声を漏らした。ボクの後ろのトモキも、へえー、と興味深げな声を出した。


 美人だった。女のボクが見てもそう思う。
 つやつやと輝く長い黒髪、アクセントにヘアバンドをして、前髪を丁度目の上の辺りで切り揃えている。均整の取れた、それでいて服の下にはち切れんばかりのボリュームを感じさせる体。少し吊り加減の目の所為で、冷たい印象を与える顔に、縁なしの眼鏡が拍車をかけている。


 転校生は、ゆっくりとした足取りで教壇の横まで来ると、一回小さくお辞儀をして、

「早瀬美咲です、宜しくお願いします」

 短くそう言った。
 そしてその後で、多分トモキの顔を見て・・・
 笑った。
 その笑顔はやがてボクの方に向けられて・・・憎しみを込めた眼差しに変化した。


・・・To Be Continued To SCENE3


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