せかいのおわりがくるまえに(仮題)
伊佐坂 眠井
第二回 |
僕が確かに『ある』と実感できるのは僕自身だけ・・・全く大した詭弁を吐いたものだと自分でも思う。何しろ、僕自身で僕が信じられなくなりつつあるというのに。
初めは、時たま時間が早く過ぎるような気がしていた。自分でも、大方ぼけーっとしていた所為だろうと思っていたのだが、そのうちに、自分自身で何かを行っても、それが自分でしていることだと思えなくなり、時には自分の行為をぼけーっ、と空中から見下ろしているように感じることさえあった。
どうやら、離人症と言う症状らしい。
解離性同一性障害、解りやすく言えば二重人格の発露にともなって起こったり、青年期のアパシー(無気力)患者などにも時たま見られる症状らしい。
しかし、僕自身解離性同一性障害になっていると言う実感はないし、幼い頃に性的虐待なんかをうけた覚えもない。何より、僕は離人症が起きているときの行為にしてみても、全て僕自身の意思で行っているのだ。・・・本当に僕自身の意思というものがあるのならば。
では、アパシーかと言われてみても僕には今一つぴんとこない。趣味にせよ、学校生活にせよ、僕はそれなりに精力的にこなしていると思うし、勉強嫌いにしてもせいぜい人並みと言った所だと思う。
じゃあなんでそんな事が起きるのかと聞かれたら、僕にはもう答えようがない。それこそ最近流行の一週間後に迫っているという世界の終末の所為にでもしてお茶を濁すことしか出来はしない。
するってえとなんだあ、と言う大きな声が聞こえて、僕は漸く我に返った。いつもの教室、智樹が恐らく呆れたような表情で僕を見ているのだろう。僕は、今彼に背中を向けている。そうだ、僕らは今丁度世界の終末について話していたところだった。
遅ればせながら紹介させて貰うと、僕の名前は仲谷良樹。ごくごく普通の高校生だ。日本のごくごく平凡な中流家庭に生まれ、十人並みの背の高さに、格好良いわけでも醜いわけでもない平凡な顔立ち。しいて特徴を上げるとすれば、鼻の上の銀縁の眼鏡ぐらいだろうか。恐らく、僕の顔の特徴はそこに集約しており、この眼鏡の印象と僕の印象は殆ど重なっているのだろう。それに蘊蓄好きな僕の性格が拍車をかけるのだ。
一方、僕が話していた相手は友人の水瀬智樹とその幼なじみの月島碧。
智樹は、友人の贔屓目が多少入るとしても標準以上に格好良い奴だ。それでいて、多少ぶっきらぼうながら性格も良い。本人が気づいているかどうかは知らないが、僕は智樹のことが好きだという女子のことを何人も知っている。
そんな彼のことを僕は、多少の揶揄を込めて『ギャルゲーの主人公のような奴』と呼んだりもするわけだが、僕のその説の一番の補強材料となるのが、自分の机に腰掛けながら後ろの席の智樹と、その机に寄り掛かっている僕の背中を見ている月島さんの存在である。
月島さんは、バレー部のエースアタッカーをつとめるスポーツ少女で、ショートカットに明るい笑顔がまぶしい可愛い娘だ。両親ともに海外出張に行って一人暮らしの智樹は、羨ましいことに毎朝のように月島さんに起こして貰い、更には朝御飯を作って貰った挙げ句、一緒に登校してくる。これなら僕に『ギャルゲーの主人公のような奴』と言われるのも詮無きことだと皆さんにもご理解いただけたと思う。
僕も一応は健康な男子高校生だから月島さんのような魅力的な異性が側にいると、好意の一つも抱きたくはなるのだが、智樹と月島さんが並んでいるのを見ると、その思いも一気に萎えてしまう。
あまりにもお似合いなのだ。まるで二人セットでいるのが当たり前のような。お互いに相手を空気のような存在(いつでも当然のようにそこにあって、失って初めてその大切さが解る)だと思っているのだろう。・・・あ、今僕上手いこと言ったな。
そして、智樹はどう思っているのかは知らないが、端から見ていると、月島さんは本当に智樹のことが好きだと言うことが分かる。妬けるほどに。
「つまりは自分自身でリアルに認知できるのが自分自身でしかない以上、その他の人や物は、皆まやかしであるかもしれないって言う事か?詭弁だぜ、それって」
おっと、今は終末についての話だった。僕はあははは、と笑いながら振り返った。
「その通り、詭弁さ。こうして振り向いてみても、確かに智樹も月島さんも存在している。でもね、僕が言いたかったのは、人間って結構自分だけが正しい、自分だけは何があっても助かるって思っているもんだって言うこと。だから終末が来ると聞いた所で大してパニックを起こしていないんじゃないかと僕は思うわけ。ほら見てよ、この出席率」
そして僕は言いながら教室中を指し示す。そこここで生徒達が楽しそうにお喋りに興じている。まったくだな、と言って納得したように智樹は笑った。
僕もつられるように笑いながら、頭の中では別のことを考えていた。
僕はどうなのだろう。自分だけが正しいとさえ思えない僕はどうなのだろう。・・・僕自身も、確かに終末を恐れてはいない、それは確かだ。でも、それでいて僕は自分だけは助かるだろうと思えるほどの自信は到底持てない。では、何故だろう?
もしかしたら。
自分自身が信じられなくなると言うことは、自分と世界との間の繋がりを信じられなくなることなのかも知れない。だから――自分自身と繋がりのない世界ならば滅んでも別に構わない?
そう考えた後で僕ははっ、と気がついた。
・・・果たしてこれは僕だけが感じていることなのだろうか、と。
「おい、何ボーっとしているんだよ、碧。先公が来たぞ」
智樹がそう言って月島さんの肩を揺すった。それとほぼ同時に僕も我に返った。智樹が少しだけ心配そうに僕の方を見ていたのが解った、どうやら、今の言葉は半分は僕に向けられたものだったらしい。
慌てて席に戻ると、相変わらず何時もと同じ背広姿で無精髭を伸ばしっぱなしの我らが担任、ハマっちこと浜坂裕が教壇に手をついて、いつものように妙なイントネーションで、静かにせい、と言った。
その後で紹介された転校生と、僕達の間にその日は一悶着あったわけだけどその説明は別の機会に譲ろう。
話は急に飛ぶ。
その日、家に帰ると兄貴が先に帰っていた。
「あれ、珍しいじゃん、兄貴。こんなに早いなんて」
居間のソファーにぐったりと横になっていた兄貴に僕はそう呼びかけてみた。兄貴はこの市内の大学に通っている。普段はサークルだのバイトだので家に帰ってくる時間は決まって日付が変わる頃だから、こんなに早い時間に家に帰っているのは本当に珍しい。
「良樹か・・・」
兄貴は一瞬びくっと弾かれたように振り返った後で、僕の姿を確認すると安心したように振り返った。
「どーしたのさ、兄貴。幽霊でも見たような顔して」
兄貴はああ、と頷いた後、
「なあ、良樹。お前、ドッペルゲンガーって知っているか?」
唐突にそう尋ねてきた。
「ドッペルゲンガー?」
一瞬聞き間違いかと思って素っ頓狂な声を僕は上げたが、兄貴はそうだ、と重々しく頷いた。
「で、知っているのか?どうなんだ?」
そればかりか、急かすようにそう尋ねてくる。そうだね、と僕は記憶の糸を辿った。
「ええと、ドッペルゲンガーって言うのは、確かドイツ語で『二重の歩行者』を意味する言葉で、まあ、つまり自分に生き写しの分身のことだね」
「ああ、それは知っている」
兄貴は言った。
「それから他には?」
「う〜ん、そうだね、その正体については、アストラル体だとか、エーテリック・ダブル(エーテル二重体)・・・僕らの精神の底で抑圧されていたイドや何かが第二の無意識的な自我を形成して形を得たもの、まあ、生き霊みたいなもんだけどね・・・だとか、まあ、そんな風に言われているんだけど、ドッペルゲンガーと聞いて真っ先に思いつくのはやっぱりその不吉な言い伝えだろうね」
「それだよ、それ」
兄貴はゆっくりソファーから起き上がった。兄貴の目の下に隈ができているのにその時になって、僕は初めて気がついた。
「で、その言い伝えっていうのは?」
心なしか、兄貴は怯えているように見えた。
「うん、最初は自分以外の人に自分が居る筈のないところで、自分のことを見た、と言われるようになって、やがて自分自身でそのドッペルゲンガーの姿を見てしまった人間には遠からず死が訪れるって言う話だよ。ドッペルゲンガーの様な言い伝えは世界各地にあって、それらの多くが『死』に関係した言葉で呼ばれていることなどからも、それが伺い知れるね。ほら、日本でも芥川龍之介が自分のドッペルゲンガーに怯えていて、確かその事を記した小説があったような気がするんだけど・・・」
そこまで言って、僕ははたと気がついた。まさか、ひょっとして。
「兄貴・・・見たの?」
いいや、と兄貴は疲れたように首を横に振った。そして、ぽつりと一言。
「俺は見ていない」
・・・To Be Continued To SCENE6