せかいのおわりがくるまえに(仮題)

伊佐坂 眠井

7月3日(木)
SCENE6:柿崎 裕史


 最近世間が騒がしい、と言うか独特の気配を孕んでいることには、さすがに世間的に勘の鈍い方に分類されるであろう俺でさえ気づいてはいる。その一方で確かに、世間は何時も通りに、滞り無く動いているように見える。
 しかし、上手く言えないのだが、人々がそう信じ込もうとするために作為的に普段通りに過ごすことによって、それが成り立っているだけのように俺は思うのだ。つまり、今まで当たり前のようにやっていたことを意識しないと出来ないようになってしまった様な状況だ。
 恐らく、と言うよりもほぼ確実に、人々のそう言った行動は後一週間後に迫っているという終末、世界の終わりに起因しているのだろう。それに付随して、もしこのまま人々が、何かの欠落を埋めるようにして必死に普段通りの生活を送っていたところで、百足が急に歩き方を尋ねられたことにより無意識下に行っていた歩行運動を意識してしまった結果、歩き方を忘れてしまったという寓話宜しく、何時しか破滅が、終末が訪れるような気もしないではない。
 いや、俺自身は友人のムラサキこと吉川紫の終末を信じているどうかという質問に対して、きっぱりと信じていないと答えたように、終末否定論者ではあるのだが、心の中のどこかでは意外と終末はあるのかも知れないなどと考えてしまい、それを前提として世間を眺めてみたら前述した様な動向が少なくとも俺には感じられたと言うことだ。
 ・・・ああ、どうもまどろっこしくていけない。申し遅れたが、俺の名前は柿崎裕史と言う。何処にでもいるような高校二年生で、誰にでも気さくに話しかける性分の所為か、どちらかと言えば軽薄な奴だと思われているふしがある。さらに端から見ると、至極お気楽な奴に見えるらしい。少なくとも紫などはそう言った目で俺を見ているに違いない。しかし、本当のところは、このウダウダと長い文章を見てくれれば察しが付くと思うが、俺はどうも物事をごちゃごちゃと考えすぎる傾向にあって、その反作用として対外的には至極無難な言葉を投げかけているに過ぎないのだ。
 だから、結局のところ終末についても俺はあるかもしれないし無いかもしれないと言うどっちつかずな考えを持っているというのが正解なのだろう。ただ、誰かがもし、
「終末なんて信じてんの?」
 と訊いてきたら、俺は、いんにゃ、ぜんぜんと答えるだろうし、
「終末なんて来るわけ無いよな?」
 と訊いてきたなら、いいや、あるかもしれないぜと俺は答える。
 少しばかり敏感な奴はそこら辺を察して、主体性のない奴だなどと言って笑うが、つまりは俺があまのじゃくなだけかもしれない。
 そんなあまのじゃくの俺が、昔から世界に対して、常々感じていることがあって、それは結局のところ世界は主役と端役によって成り立っているという事実だ。
 それはどういう意味かというと、とどのつまり世界という奴は沢山の人々の人生という物語の寄せ集めではなくて、ある主役級の人々のただ一つの物語なのではないかという思いだ。そして俺自身は自分でも端役に過ぎないと思うのだ。主役を演じる人々は何かしら他の人とは違う『輝き』の様な物を持っているのだと俺は思う。生憎俺はどう贔屓目に見ても特徴らしい特徴もないし、自分から物語を引っ張って行くよりは他人の物語にこっそりと関わって行くようなタイプである。ホラー映画などでは三番目あたりに殺される役どころだろうか。その点では、先程から名前が挙がっている俺の友人の一人である吉川紫などは、その女と見間違いそうな線の細い顔と良いその名前といい、どことなく愁いを帯びたその表情といい、充分に主役を張れるだけの素養があると俺は思う。
 そして、面白いことにこの理論で言うと、世界がある特定の人物(達)の物語でしかない以上、その物語に終わりが来ると言う事は即ち世界に終わりが来ると言う事と同義になるのだ。案外、ここのところの終末騒動も結局はそう言うことなのかも知れない。
 さて、その日の授業が終わった後、俺は少しでも物語に関わりたかったからかどうかは別として、俺の中での主役候補であるところの紫に声をかけようとしたのだが、奴は授業が終わった途端にいそいそとどこかに出かけてしまった。俺は間の悪いことに教室の掃除当番だったもので、後を追いかけるわけにはいかなかったのだが、紫は鞄を教室に置きっぱなしにしていったので、そのうち帰ってくるだろうと思って俺は掃除に取りかかった。別に急ぎの用ではない、せいぜい一緒に帰って寄り道でもしようと思っただけの話だ。
 四角い教室を丸く掃除して、友人達と適当にだべっていた時、俺は一人のクラスメイトの姿を視界の片隅に捉え、そしてそれが妙に気になった。開け放した教室の窓の側で、ヒーターの上に腰掛けながら物憂げな顔で外を見ている。そう言えば、掃除をしている最中から、もうそいつはそこで外を見ていたような気がする。そいつは女で、名前は三国春菜と言った。クラスメイトのうちでもそんなに目立たない方だが、セミロングに切り揃えて、黒く真っ直ぐに伸びた髪の毛はつやつやと綺麗で、色白の顔の中で右目の下にある黒子がチャームポイントの隠れた美人ではある。普段は――
 !?
 そこまで考えたところで、俺は急に目眩に見舞われた。どうしたことだろう、一瞬だけ何も思いつかなくなった。彼女が普段、何をしていたのか。記憶は一瞬テレビの電波状態が悪いときのような歪んだノイズを映し出した後に、いつものように窓の側で物憂げに外を見る彼女の姿を映し出した。
 だが、一寸待て、俺は混乱した頭で考える。
 本当に彼女は普段から窓の側で物思いに耽っているような人だっただろうか?今、記憶を辿れば記憶の中の彼女は常に窓辺に座っている。だが、しかし。俺がそもそも彼女のことが妙に気になったのは、彼女が普段とは違う行動をとっていたからではないのか?今にしてはもう思い出すことは出来ないが、俺はそう確信めいた想いを抱いた。

「ところでさ、今日クラスを眺めてみて、何か気になること無い?」

 そして俺は唐突に、今朝紫が言っていたそんな言葉を思い出した。ああ、あるぜ、あるとも紫。あの時はないと思ったが今ははっきり言える。たしかに、俺は彼女のことが気になっている。
 紫は気づいていたのだろうか。朝のうちからこの事に。そして、他の連中は――
 俺は、ゆっくりと彼女の元まで歩み寄った。彼女は俺が目の前まで来た所で、漸くこっちに気づいて少し警戒したような視線を向けてきた。そんな彼女の緊張を和らげるべく、俺は出来る限り親しげな微笑みを浮かべた。
「よう、三国さん。何見てんだ?」
 出来る限り親しげに、と言うよりはなれなれしく話しかけてみたのだが、三国は、
「べつに・・・」
 小さくそう言ったまま、再び視線を窓の外に向けてしまった。
「ああ〜っ、いい天気だよな。」
 俺はなおも食い下がりながら、彼女の隣に並んだ。三国は何も答えない。意を決して、俺は言った。
「なあ、三国さん?あんた普段からこうして一人でぼんやり窓の外を眺めているような人だったっけ?何か、俺違うような気がするというか何というか・・・」
 唐突に彼女は俺に向き直った。少し垂れ加減のただでさえ大きな目が見開かれている。それどころか、その一拍後にはその目の中に見る見るうちに大きな水滴が生まれ、頬を伝った。
 げげっ。これって端から見たら俺が彼女を泣かしているように見えるじゃないか・・・いや、やっぱり俺の所為なのか?
 そんな事を考えていたら、またもや唐突に彼女は俺の手を両手で握った。そして、噛みつくように言った。
「貴方も・・・本当に、そう思う!?」
「あ、ああ。」
 彼女の剣幕に押されるようにして、俺はどうにか頷きを返す。
「何か、普段と違うような気がしてならないんだ。」
「良かった、私だけかと思っていた・・・」
 ほっと安心したように息を吐いて、三国は流れ落ちる涙を手で拭った。
「私、私ね・・・」
 そして、しゃくり上げながら上目遣いで俺を見上げる。こんな時に不謹慎だが、可愛い。
「とても大切なものを無くした筈なのに、それが何だったか思い出せないの、変でしょう?」
 確かにそれは変だった。しかし、俺自身が感じていた違和感と、それは合致するような気がしてならなかった。一瞬だけ頭の中をよぎる映像、夕日に染まる教室、窓際で楽しげに喋る三国と――
「三国さん。」
 次の瞬間、俺は口走っていた。まるで俺の意思とは無関係に、すらすらと言葉が口をついてでた。しかし、それは俺の本心に違いないことも確かだった。彼女がゆっくりと俺を見上げる。
「俺、君のこと好きだ。絶対、君のことを忘れたくない。」
 三国春菜はゆっくりと頷いた。俺は、俺達はもしかしたらその時、世界という名の物語の主役に抜擢されたのかも知れなかった。


・・・To Be Continued To SCENE7


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