大正時事異聞録 |
伊佐坂 眠井
連載第一回・強聴者
3
迷流はその日のうちに、父親である、迷流財閥会長、
石田は、不敵に笑いながらも、大人しくそれに付き従ったという。石田の新しい家、通称”箱屋敷”は、町中からかなりはずれた、工場跡の更地に建っている元は何かの研究施設だったらしい、立方体の建物だった。少々生活には不便が伴うが、迷流財閥から、自家用車が進呈されたため、交通面に関しては、その問題は解消された。
迷流の弟である、迷流財閥総裁、迷流華隠は、迷流の行った措置を聞いて、
「いつもながら、兄さんはやることがでかいね」
と、苦笑混じりに言った物だが、迷流は、
「いや・・・、今にもっとでかい事をすることになると思う。ま、親父には既に話は通してあるし、それに、財閥にとってもプラスになる事だから、心配はしなくて良いよ」
そんな謎めいた答えを返した。
そして、一応事件が片づいた様に見えたその週末、事件の依頼料と、最近新しくオープンした、西洋菓子店”ヴェルローゼス”のショートケーキを携えて、丹沢静音が迷流の探偵事務所を訪れた。
「あいや、静音ね。良く来たの事ね!」
美鈴が歓声を上げると、その声を聞きつけて、迷流が奥の部屋から出てきた。静音を見て、にっこりと探偵は微笑む。
「やあ、静音さん、あれからどうです?」
「ええ、おかげさまで安心して、日々暮らしてますわ。探偵さんのご機嫌はいかが?」
良いですよ、と言う迷流の答えを聞いて、静音もにっこりと微笑んだ。
「今日はこの前のお礼も兼ねて、ショートケーキを買ってきましたの。・・・探偵さん、甘い物は・・・」
「大好きです」
「私も甘い物、毛がないね」
目がない、だよ、美鈴、と言う迷流の言葉に笑いながら、静音は、良かった、と微笑んだ。迷流が静音をソファーへと導いて、美鈴はお茶を入れるために台所へと消えた。
「探偵さん、本当にありがとうございました。これは、少ないけどお礼です」
ソファーに座るとすぐに、静音は懐から封筒を出して、迷流に渡した。中身を確認して、迷流は驚く。
「こ、これは・・・少ないと言うより、相場に比べて多すぎますよ」
「父からです」
静音は即答した。
「最初は断ろうと思ったんですけど、良い経験が出来たろ?と父にウインクされて言われてしまって。結局受け取っちゃいました。それに・・・探偵さんも手元にお金を持っていた方が、お父様に頼らなくても良いでしょう?」
「・・・では、ありがたく受け取っておくことにします」
苦笑しながら迷流は、懐に封筒をしまった。
「あと・・・」
静音は、何故か顔を真っ赤にして口ごもった。
「何です?」
「おまえも、自力でいい人見つけられたみたいだしな、って」
「なっ・・・!」
迷流はそれを聞いて赤くなる。二人とも無言のまま、真っ赤な顔で向かい合ったまま固まってしまう。
そこに、折良くというか、折悪しくと言うべきか、ドタドタと足音高く、紅茶のセットをトレイに乗せた美鈴が戻ってくる。
「ああーっ!二人とも、何いい雰囲気になっているか!私忘れちゃ困るね!」
美鈴の叫び声に、緊張の糸が切れたのか、二人は突然、ブーッ、と吹き出した。
「何ね!何がおかしいね!」
美鈴の抗議の声も、二人の笑いに拍車をかけただけであった。
漸く笑いの衝動が収まった迷流は、ごめんよ、美鈴、と、すねてしまった助手の頭を撫でながら、紅茶を入れ始める。静音は、ショートケーキを皿の上に載せる。
ゆったりとした午後の時間を楽しみながら、不意に、静音が口を開いた。
「結局、石田さんの能力、と言うのは、肥大化した”聞きたい”、と言う願望からもたらされた物だったのでしょうか」
ティーカップを傾けながら、迷流はうーん、と唸った。
「それは、半分当たっていて、半分は間違っているでしょう。”聞きたい”という願望は、”聞かれたくない”という願望の裏返しなんです」
「それは、どういうことです?」
迷流は、もう一度唸った。
「そうですね。石田の持つ、何でも聞こえてしまう能力から逃れるためには、石田を、今回のように遠くへ隔離してしまう必要があった。そうすれば、彼もまた、誰にも何も聞かれずに済むのだから」
でも・・・、と、静音は納得行かない声を出す。
「探偵さんの”ノベリング”に依れば、石田さんは、子供の頃、何時も孤独に耐えていたんじゃなかったかしら」
迷流は大きく頷く。
「そうです、彼は何時も母親のそばにいたかった。しかし、そのために得た能力によって、結果として彼は14で母親から離れることになってしまった」
「あっ・・・」
「依存を求める欲求と、孤独を求める欲求、この二律背反する二つの欲求が、彼にあのような能力を与えてしまったんでしょう」
「誰かに甘えたいと同時に、相手が何を考えているかを、恐れていた・・・」
そうです、と、迷流はもう一度深く頷いた。そして、物憂げに目を伏せる。
「だから・・・おそらく、この事件は、まだ、終わっていない」
「えっ・・・?」
静音がその言葉の意味を尋ねようとした時、廊下で、荒々しい足音が響き、事務所のドアーが乱暴に叩かれた。
「来たな・・・」
呟いて迷流は、ドアーを開けに席を立った。開いたドアーから、不健康そうな石田の顔が覗く。石田は、待っていたとばかりに喋りだした。
「よ〜う、探偵さん、久しぶり・・・でもないか。おっやあ、静音さんまで居るじゃねえか、まあいい・・・探偵さんよう、せっかくアンタが用意してくれた家だけどよう、五月蠅くてしかたねえんだ。風の音やら遠くの自動車の音、地中の地虫が鳴く音っ、てな。こんなに五月蠅いんじゃ契約違反も良いってもんじゃねえか?」
しかし迷流は動じることなく、ああ、そうかもしれないね、と言った。その態度に、逆に石田が面食らう。
「貴方がそう言うと思って、もっと静かな家を用意してあるんだ。・・・ただ、ちょっとばかり遠くにあるのと、目的地に行くまでの間、ちょっと五月蠅いかもしれないけどね」
・
鼓膜が変になりそうなほどの激しいエンジン音が、漸く止んだ。俺はやれやれと頭を振りながら、シートベルトを外して、窓の下まで泳いだ。何処までも続く、暗黒。その中にぽっかりと、青く丸い固まりが浮かんでいる。
「あれが、地球か」
呟いた俺の声の他には、一切の音がしない。
俺の背中を、嘘寒い物が伝った。
何だろう。音がしないと言うことは、こんなにも寂しい物だったのだろうか?
静音。
母さん。
僕はいい子にしているよ、だから、声を聞かせて。
一人で寝るのが大丈夫なんて、嘘だよ。
寂しい。
声が・・・聞きたい。
聞きたい聞きたい聞きたい聞きたい。
俺は、耳に全神経を集中させた。
・・・・・・いるあるでるおこーる、でぃあぶるおこーる・・・・・・
ん、何だ?これは・・・静音の部屋から聞こえてきていた、シャンソン?・・・これは、こんなに聞いていて心地の良い物だっただろうか?
俺がそんなことを考えているうちにも、俺の耳、いや、頭の中には、様々な旋律、様々な言葉が流れ込んでくる。・・・これはすべて、あの青い星から聞こえてくる音?
滝のように流れ込んでくる旋律は、混ざり合い、やがて一つの不思議なハーモニーを奏でた。それは、まるで地球自体が歌っているようだ。そのハーモニーはやがて、懐かしい曲へと形を変えた。
・・・母さん。
それは子守歌だった。とんでもなく昔、まだ乳飲み子だった俺が、母さんの腕の中で聴いていた子守歌だ。
ああ・・・・。
俺は安心して目を閉じる。それは、俺が忘れかけていた懐かしい感覚だった。
俺を包み込むような、子守歌の旋律の中で、俺は、飽きることなく、何時までもまどろみ続けた。
強聴者・完
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