大正時事異聞録 |
伊佐坂 眠井
第三回・物臭男の犯罪
3
「美少女中華料理人、美鈴ただいま参上の事ね!」
ご丁寧にも、シナ服を着込んだ美鈴が、今日も元気に登場する。中山警部は、その後ろで、ニヤニヤしながら食材の入った紙袋を抱えている。呆気にとられている亀之譲をよそに、二人の後ろからさらに、鼻眼鏡状の黒眼鏡をかけた、欧州かぶれの服装をした男が入ってくる。男は、つい、と亀之譲の前に進み出ると言った。
「その猟奇、読み解きましょう」
「迷流さん!」
里中が嬉しそうに叫ぶ。その横で目を覚ましていた鏑木は、突然の闖入者に驚いて、目を丸くしている。
「これは・・・どういう事じゃな」
亀之譲が苦々しい口調でそう言った。中山警部は、とぼけた顔をして答える。
「いやねえ、中華の料理人のこの美鈴ちゃんを呼びに行ったら、そこに偶々この東都の名探偵、迷流藍花さんがいらっしゃいましてねえ。ついでにお呼びした次第であります」
「ふっはははははははははは!」
亀之譲は吹き出した。
「はははは、刑事さん、あんたあ、なかなかやるのう」
はて、何のことでしょう、と中山警部はすっとぼけた。亀之譲は満足そうに頷いた。
「探偵さん、儂でさえ、あんたの噂は聞いておるよ。見せてもらえんかのう、その、”ノベリング”とか言う奴を」
迷流は頷いた。
「よろしいですが、私の”ノベリング”は、その性質上、対象となる人物の心的外傷に触れてしまうことがあるので、通常対象となる人物は、他の場所にいてもらうことが多いんですが、貴方はここにいてもよろしいんですね」
かまわんよ、と亀之譲は言った。そうですか、と迷流は答える。
「美鈴、じゃあ、君は料理を頼む」
まかせるね!と言って美鈴は台所に消えた。あ、僕も手伝いますう〜、と言って里中もそれに続いた。迷流はその後でしまった、という顔をした。
「・・・誰も食べないかもしれないなあ・・・」
小さく呟いた後で、迷流は他の人々の方に向き直ると、ソファーに腰を下ろし、その身を深く沈めた。
・
家にいることが好きな子供じゃった。人と触れ合うわけでなく、延々と一人遊びをしているのが好きじゃった。厳格な父親は、そんな子供じゃった儂のことを時に強く叱りつけたもんじゃった。
「男はな、外に出ると七人の敵が居るんだ」
父親は良くそんなことを言った。そしてその後には決まって、だから強くなれ、男だったら強くなれ、と酒に酔って譫言のように言うのじゃった。
儂にはそれが理解しがたいことじゃった。
外に七人の敵が居るのだとしたら、最初から外に出なければ良いではないか。何が楽しくてわざわざ敵の待つ外へなど、行かなければいけないのか。一度そう言ったら、屁理屈を言うな、と酷く殴られた。それ以来表だって口にはしなくなったが、ますます儂は出不精になった。他人というのは何を考えているのか良くわからん。実の父親でさえそうじゃ。
自分の意見が通らないと見るや、暴力に訴える。
儂が確か七つになった頃じゃった。儂らは家族で旅行に出かけた。儂は内心非常に行きたくはなかったのじゃが、言ったらまた殴られるので黙っておった。
帰りの汽車は、事故にあった。
横転した汽車の中で沢山の人が死んだ。その中には、儂以外の、儂の家族みんなが含まれておった。あれだけ強かった儂の父親もあっけなく死んでおった。
儂は、親戚だという初老の夫婦に引き取られた。義父は会社の社長じゃった。子供心にも、義父が凄い金持ちだと言うことが分かった。義理の両親は優しかった。儂は、帝王学というものを、家庭教師から教わった。学問は、嫌いではなかったし、何より外へ出なくて良いことが、儂には嬉しかった。
義父が、車の事故で死んだ後、儂は会社の社長の跡を継いだ。
外に出るのが嫌いな儂は、思い切って会社に住み着くことにした。儂の意図とは裏腹に、勤勉な新社長というレッテルが儂に貼られた。儂は取引に置いても、自ら出向くことは、殆どなかった。その事には、確かにマイナス面もあったが、相手に余計な情を抱かなくて済むことが、それ以上にプラスに働いたようじゃった。
じゃから、儂は出不精の、物臭男と呼ばれるようになった。
(中略)
世の中で最も忌むべき事は、無駄なことであると儂は思っておる。この「無駄」、と言う奴は全くやっかいな代物で、これぞ、と言う明確な形が存在しておらん。だからと言って、その本質とは何か、などとうじうじ考え込むと、そのこと自体が既に、無駄である。
とどのつまり無駄とは何か、儂が独断と偏見で決めよう。無駄なことは、考えること、動くこと、一見無駄と思える物をあっさりと放棄してしまう事じゃろう。
なるべくその場所より動くことなく、そこにある物で事態を解決しようと試みる。これこそが美しい形と言えるじゃろう。事実、儂自身も、この長すぎる人生の中でその様にして成功を収めてきたのじゃからな。
そこにある物で事態をどうにかする時は必ず何か考えているじゃろうと?揚げ足を取るでない、儂の独断と偏見じゃと、言ったろうに。そうやって相手に文句を言うことはまさに、無駄の極地じゃ。反省せい。儂の中で理屈が完成しておればいいんじゃ、人に分からせようとするなど、そんな無駄な事をしていられるかい。
さて何を話そうとしていたのじゃったか?無駄話の所為で忘れてしもうた。・・・、まあ、何はともあれ、かように無駄を省いて生きる儂のことを、世間では、物臭男などと呼んでいるらしいではないか、全く腹立たしい。
・・・しかしその日、何事も素早く決断する筈の儂は、どうしたらいいものか決めかねて、そして降って湧いたこの事態に半ば腹を立てながら、呆然と立ち尽くしておった。
儂の足下には・・・二体の死体が転がっておった。
男の方は、儂のコレクションの一つである、大きな磁器の花瓶で、めちゃくちゃに頭を割られておった。一方の女は、猟銃によって、何発も胴体を撃ち抜かれておった。やれやれ、何故こんな事になってしまったのか。
男は、津島と言って、儂の忠実な秘書をしていた男じゃ。儂が引退して、この家に住み着く事にした時に、儂にくっついてきたのじゃ。おおかた、身寄りのない老人であるこの儂の、遺産をちょっとでも貰いたいという下心から出た行動であろうと推測は出来たが、新しい家政婦を雇うのも何か厭じゃったし、何より津島は秘書として優秀じゃったから、儂は、あっさりと認めた。実際、津島の働きぶりはこの儂を十分に満足させるものじゃったし、儂も、まあちょっとぐらいなら遺産を分けてやっても良いな、と思い始めておった。
一方の女の方は、榊原綾女とか言う名前で、数日前に、怪しげな家系図を持って儂のもとを訪れた女じゃ。今までも、儂の愛人志願でやってきた女は多かったが、まさか家系図などを持ってくる奴が居るなどとはおもえんかったわい。
全ては、この女が原因じゃった。
魔が差した、と言うべきなのじゃろうか。それとも我ながら無駄な事を考えたと思うのだが、家族、と言う言葉の響きに惹かれてしまったのじゃろうか。儂は思わず、滞在することを許してしまった。津島が複雑そうな顔をしておるのが見えた。
しかし何日か経つと、儂は自分の決断を後悔することになった。何しろこの榊原という女、料理をさせてみても、ろくな物が作れやせん、儂の家だというのに我が物顔で歩き回りよる。特に、儂が夜に誘いをかけないことに安心したらしく、態度はますます横柄になりよった。
堪忍袋の緒が切れた儂は、その日、女を書斎に呼びつけた。遂に誘いが来たと思ったのか、女は、偉く挑発的な、欧州の夜着を着ておった。儂は頭が痛くなった。
とっととこの屋敷から出て行って欲しいことを伝えると、女の態度は豹変した。
「何なのよ、そんなに血縁のあたしに遺産を譲りたくないわけ?」
全く何という無駄な事を考える女であろう。売り言葉に買い言葉。儂は言ってやった。「ふん、馬鹿もんが、儂はもとより誰にも遺産を譲る気などないわい」
「その言葉、本当ですか?」
不意に扉が開いて、津島が姿を現した。こ奴・・・立ち聞きしておったのか。儂の中の津島への評価が、音を立てて崩れていった。しかしこのままでは拙い、殺気立った二人を見て儂は焦った。このままでは、儂は殺されかねん。儂は、そうじゃ、と手を打った。
「二人で戦って勝った方に遺産をやろう」
儂は元々金には興味がない、こうすれば多分男の津島の方が勝つじゃろう。少々しゃくじゃが、儂に仕えてきた歴史を考えると、津島にくれてやっても良いような気がした。
「嘘ではありませんね」
「知っておろう、儂は嘘はいわん」
儂が答え終わるか終わらないかのうちじゃった。津島は素早く、壁に掛かっていた猟銃を手に取った。女は、あろう事か、大きな花瓶を持ち上げた。
「お、おい、何も相手を殺せなどとは儂も言っておらんぞ」
しかし儂の言葉は、二人の耳には届いていないようじゃった。
相手の武器に驚いた津島は、慌てて猟銃をぶっ放した。弾は女の土手っ腹に、穴を穿ち、女は、ひい、と短い悲鳴を上げた後で・・・物凄い形相で、笑った。そして津島の方へ歩み寄る。恐慌をきたした津島は、何度も猟銃をぶっ放す。しかしそれでも女の歩みは止まらない。遂に女の振り上げた花瓶が、津島の脳天をとらえた。べこっ、と、津島の頭蓋骨が陥没する音がした。二人はそのままもつれて、床に倒れ込みよった。津島は最早惰性で引き金を引いておる。女は、撃たれる度に、体をビクビクと震わせながらも、津島の頭をぶん殴ることを止めようとはしない。銃声とガンガンという音が、交互に響き続けた。
漸く音が止んで、儂が我に返ったときには、血の海の中で二人は動かなくなっていた。
「何故こんな事になったのじゃ」
儂は半ば怒りながらそう言った。そして、残りの半分では、ほっとしておった。あのままの状況だと、どちらか生き残った方に、儂が殺されておったじゃろう。
儂は、無駄に呟くことを止めた。呟いたところで、死体がなくなることもないのじゃ。
しかしまいったのう、と儂は思った。津島が死んでしまった今、夕飯は誰が作るのじゃろう。儂が作るのは、まあ良いとして、確か津島は、食材が無くなったと言ってはいなかったか?外には出たくはない、儂は考え込んだ。そこにある物でどうにかする。一見無駄と思える物を活用する・・・。
目の前の死体を見下ろして、儂は、ポン、と手を打った。急いで倉庫へ行って、鋸を取ってくる。儂は腕捲りをすると、死体を鋸で解体して、氷室へと運ぶ作業にいそしんだ。
これで、当分の間は、飯には困るまい。
・
「ちょ、一寸待て、迷流君」
”ノベリング”を終えて、ぐったりとした様子の迷流に向けて、青ざめた顔をした、中山警部が尋ねる。
「津島という男と、榊原綾女が、お互いに殺し合ったことは分かった。・・・だがな、か、亀之譲さんが、二人の死体を、解体して氷室に運んだのは、た、食べるためだと言うつもりかい?」
「ええ」
「いかにも」
迷流と亀之譲が、ほぼ同時に答える。ひいいいいっ!と、鏑木が声にならない悲鳴を上げた。
「あ、綾ちゃんを、僕の綾ちゃんを、た、食べたですってぇ!?」
亀之譲の胸ぐらを掴まんばかりに鏑木は叫んだ。
「だからそうじゃと言っておろう。毎度毎度くどい兄ちゃんじゃな」
亀之譲の返答を聞いて、鏑木は、壊れた。あははははははっ、と白目を剥いて笑い出し、何度も何度も綾女の名前を呼ぶ。
「あはははははっ、綾ちゃんが、僕の綾ちゃんが、食べられちゃったぁ!あはははうひひひひ一!!」
迷流はそれを見て、俯くと、悲しそうに首を振った。お、おい、と、中山警部は、もう一度確認を取ろうとする。
「な、何だってわざわざ二人を食べなきゃいけなかったんだい?」
しかしそう言いながらも、中山警部は、初めてここを訪れたときのことを思い出す。
「・・・肉ばっかりですね」
「何せ、儂の秘書だった津島まで死んでしもうたんじゃからな」
あれは、津島が死んだから、買い物に行く人が居ない、と言う意味ではなくて、二人も死んだから、肉だらけだ、と言う意味だったのではないだろうか。そう言えば先程、中山警部に、夕飯の材料を買いに行かせたときも、
「何なら氷室を見てくるが良い、あそこには、今や何も無いぞ」
そんなことを言っていた。この言葉の、今や、と言うのは、てっきり既に、食材を切らしてしまっていると言うことだと思っていたが、あの”今や”というのは、死体が運び出された今は、と言う意味だったのではないだろうか。
中山警部は、慄然とした。一斉に、体中の膚が粟立つのを感じた。
「外に出たくなかったんじゃよ。それだけじゃ、別に食べたくて食べた訳じゃない、ま、あの女、料理は不味かったが、本人はまあまあじゃったな」
亀之譲の声が遠くに聞こえる。と、その時、
「みんな御飯出来たね、食べるよろし」
場違いに明るい美鈴の声がした。中山警部は、その声によって現実へと、連れ戻される。
「みんなどうしたか?美味しいね、ヨッシーも食べるよろし」
当然中山警部をはじめとして、食べようとする者は誰もいない。理由を知らない美鈴がむくれかけた時、亀之譲がゆっくりと立ち上がった。
「探偵さん、噂には聞いておったがあんたの”ノベリング”は、素晴らしいのう。相手に何もきかずとも事件の謎を解き明かす・・・全く無駄がない。さてと、ではいただくとするか、食べ物を無駄にすることは、数ある無駄の中でも、特に良くないからの」
そう言って台所へと消える。
「警部・・・」
放心している警部に向かって、迷流が語りかける。
「絶対したくないことをしないためなら、人は、それ以外の方法は、意外と抵抗なく選んでしまうんです。・・・たとえそれが、他の人にとって信じられないこととして映るとしても」
「ああわかるよ」
中山警部は、力無く呟く。俺だってそうしてしまうかもしれない、もし、それが生きるためなら。
「物臭男は、外に出たくなかったんだなあ」
・
結局、物臭男、万屋亀之譲は、死体損壊の罪で、その日のうちに逮捕され、やがて、拘置所に送られた。万屋グループでは、弁護士を立てて、徹底抗戦の構えを取ろうとしたのだが、亀之譲自身が、それを拒否したという。
鏑木史彦は、東都病院の精神病棟に入院することになった。ちなみに、榊原綾女の所有していた家系図は、全くのでたらめであったことが警察の調査によって判明した。そしてそれに付随して、万屋亀之譲の遺産は、殆どが、医療施設や、慈善団体に寄付される事になっていたという、ある意味意外な事実が判明した。
この事件は、意外なところにも波紋を投げかけ、事件を担当していた警察官、特に中山警部や里中、それに迷流や美鈴は、暫くの間、肉料理が食べられないと言う症状に悩まされた。
かくして事件は一応の解決を見たようだった。ただ、警察で保管していた筈の、榊原綾女の死体が消えたことを除いては。
・
もしかすると、あの探偵には分かっていたのかもしれない。儂が本当は、心の奥底では、こうして拘置所に入れられたい、と望んでいたことが。もしかすると儂があの様な行為をした理由の一つに、こうして捕まることがあったと言うことを。儂自身も気づいていなかったそんな理由を。
ここは、ひどく落ち着く。ルーチン化された、変わり映えのない毎日、しかしそれこそが儂自身が求めていた物だったのじゃ。
黙っていても飯は出るし、顔を合わせる人間は何時も同じじゃ。儂は本当は気づいていたのじゃろう、外に出ないで居たとしても、七人の敵は、向こうからやってくると言う事を。
そういえば、と儂は思う、ついこないだ、例の女の死体が盗まれたという話じゃった。変わった奴もいるもんじゃ、いや、それ以上に警察の管理体制もなっていないのぅ。
さて、寝ることにするか、儂は布団に入ろうとして、独房の隅に、誰かが蹲っているのに気づいて、ぎょっとして目を剥いた。・・・まさか、ここには儂の他には、誰も居ないはずではなかったのか?
「こんばんわ」
驚いている儂の様子を意に介した様子もなく、その人物は挨拶をした。甲高く、平板な声、はて、儂はこの声を聞いたことがある。丁度その時、雲が晴れて、月の光が独房内に射し込んできた。生っ白い顔が見える。
「おまえさんは、確か・・・」
「こんばんわあ、亀之譲さん」
鏑木とか言う若い男は、もう一度そう言った。
「何で、お前さん、ここに」
「うふふふふふふ、綾ちゃん、すっごく美味しかったですう。うふふふふふ」
鏑木は、儂の問いには答えずに、そう言って笑った。
「な、と、言うことはお前さんが・・・?」
「うふふふふふ、今の僕は、行きたいと思った場所に行けるんですよお」
何を、何を言っておるのじゃ、この男は?
「うふふ、僕は、綾ちゃんを食べたかったんですよ、貴方のお陰で、それに気がつくことが出来ました、感謝します」
鏑木は、ずい、と儂の方に身を乗り出した。そして、気色の悪い笑みを浮かべた。
「でもね、まだ足りないんです。うふふふ、分かりますよね。貴方が、」
「食べちゃったから」
儂は言葉を失った、こ奴の、こ奴のやっていることは、理解できん。
「だから、貴方を食べれば、綾ちゃんを食べた、貴方を食べれば、僕は綾ちゃんを全て手に入れることが出来る!」
儂は喉笛に鏑木の歯が食い込むのを感じた。
何という無駄な事をしておるのじゃろう、こ奴は。
薄れゆく意識の中、最後に儂はそう思った。
物臭男の犯罪・完