大正時事異聞録 |
伊佐坂 眠井
連載第十三回・鳥目男の犯罪(前編)
1
列車は小高い丘の上にある、こじんまりとした小さな木造の駅に到着した。
咲耶の実家のある影葵までは、まだここからかなり距離があるらしく、駅の外に出ると、使用人らしい老人が、車で彼女の出迎えに来ていた。迷流達は一通りの挨拶を交わした後で車に乗り込んだ。
老人は作務衣を着込んでいて、白くなった髪の毛と同じ色をした長い髭を頬と顎に生やしている。どことなく使用人にしては気品のある顔立ちで、迷流は何となく父親の藍歳を思いだした。老人は、落ち着いた声で還山為助ですじゃ、と名を名乗った。
助手席には、洋装の女性が乗り込んでいて、為助の孫で霧華と言います、と迷流達に向けて挨拶をした。スッキリとしたショオトカットで、微笑みもあでやかな彼女は、縁澤家で住み込みの看護婦をしているのだという。
「しかし地蔵さんの首をもいでしまうなんて、随分と罰当たりな事をする奴がいるものですなあ・・・」
ハンドルを繰りながら、還山老人は迷流に向けてそう話題を振った。迷流はそうですね、とだけ相槌を打った。小さく微笑んで、霧華が後ろを振り返る。
「迷流さん、とおっしゃったわよねえ。貴方ならこの事件を解決できるのかしら?」
迷流は、さあ、と言った後で小さく首を横に振った。
「犯人が誰なのかは、私に突き止めることが出来るかどうかは分かりませんよ。そもそも咲耶さんの依頼は、ある人に掛かった嫌疑を晴らして欲しい、と言う物ですからね。何も地蔵の首を持っていった犯人を突き止める必要はないですから。」
「ある人って、鳥巣さんのことかい?」
還山老人は、咲耶に向かってそう尋ねた。咲耶は小さく、ええ、とだけ答えた。老人は、そうか、と言ったまま押し黙った。何となく車内に沈黙が訪れる。
どうやら、咲耶が言ったように因習根深い地と言う事は本当らしい、迷流はそう思って、ふうん、と小さく息をついた。何やら大人しいと思ったら美鈴は、はしゃぎ疲れたらしく、迷流の肩により掛かるようにして寝息を立てている。それを見て、咲耶は小さく微笑んだ。
車は小一時間ほど走って、一つの小集落に辿り着いた。村を囲むようにして、水田や耕地が延々と続いていて、その奥の方にこじんまりとした家々が見える。村の奥の方は、小高い丘のようになっていて、こんもりとした森が見える。その中に小さく見える赤い屋根は、恐らく神社か何かだろう。丘の下の方には、この小集落には不釣り合いにも見えなくもない、大きな屋敷が見て取れた。恐らく、あれが縁澤家の屋敷だろう。
迷流の予想通りに、車は、一路その屋敷に向けて走り始めた。近くまで寄ってみると、屋敷が予想以上に大きいことに迷流は気づかされる。大きな本館の他にも、幾つかの別宅が見える。また、屋敷のある丘の畔には、青々とした水を湛えた小さな池があった。
車は、静かに本館の前で止まり、車庫に車を置きに行くという還山老人を車に残して、迷流達は車外に出た。迷流はずっと乗り物に乗っていた所為で固くなってしまった体を、思い切り伸ばす。寝起きの美鈴は、しきりに瞼を擦っていた。
「お嬢様!咲耶お嬢様ですね!ああ、お帰りになられたのですね。」
不意に迷流達の後ろから若い男の声がした。声に驚いて振り返った迷流は、そこに立っていた男の姿を視界に捉えると、いっそう驚いてあッ、と小さく声を漏らした。
男は、一見書生風の大人しい格好をしている。しかし、その顔が一般人と大きく趣を異にしていた。
本来なら、目があるべき筈のところに、男は、黒い布をぐるぐると巻き付けていた。これでは・・・見えるはずがない。
「ただいま、唐花さん。」
「おや、お客様をお連れしたのですね。」
咲耶の挨拶を聞いた後で、唐花と呼ばれた男は迷流達のいる方を見て・・・いや、見ているはずはないのだがとにかくそう言った。
「どうも、咲耶さんに依頼されてやってきた探偵の迷流藍花です。」
「私は助手の美鈴ね!」
どうにか自己紹介をして、目の事を尋ねようとした迷流を押しのけるようにして美鈴が叫んだ。
「貴方どうして私達のこと分かるか?そんな布当てていちゃ、何も見えない筈ね!」
迷流は先を越された。唐花は、口元に少しだけ寂しそうな微笑みを浮かべた。
「たとえこの布を外したところで、私には貴方達の姿は見えませんよ。私は・・・目が見えないんです。貴方達がいることは、気配や匂いで分かったんです。」
「唐花さんのお父様は、家の主治医をなさっていた人なのです、その縁で、今では家のお手伝いさんとして働いてくれているのです。」
唐花の言葉に続いて、咲耶がそう言った。美鈴はくんくんと自分の手の匂いを嗅ぎながら首を捻っている。
「でも、目が見えないなんて嘘みたいに思えるほど、唐花さんはよく働いてくれるんですよ。初めて見た人に、盲目だと気取られないほどに。それによる勘違いを防ぐために、この黒い布を巻いているんですって。」
微笑みながら霧華が言った。唐花はその言葉に少し苦笑した後で、
「ささ、お嬢様、お父様や隆文様がお待ちです。」
そう言って迷流達を屋敷内に促した。屋敷に入った後で、霧華は保健室に行くと言い置いて姿を消した。
迷流達は玄関を抜けた先の、広いホールに通された。天井はとても高く、四方に大きな扉が一つずつあるほか、ホールの奥の方では、赤い絨毯が敷かれた階段が左右にそれぞれのびていた。
「やあ、お帰り、咲耶君!」
迷流達がホールに足を踏み入れたその刹那、階段の上から、明るい男の声が響いた。見上げると、紺色のスーツを着込んだ男が、階段を下りてくるところだった。
男はまだ若い。少し長めだが癖のない髪の毛を、ヘアクリームで纏めている。線の細い顔には、常に穏やかな微笑みが張り付いていた。
「隆文さん、只今帰りました。」
咲耶も微笑みながらそう言った。お帰り、咲耶君、ともう一度隆文と呼ばれた男は言うと、迷流の方に顔を向けた。
「こちらが探偵さんかい?」
「初めまして、東都で探偵をしている迷流藍花です。」
「私は助手の美鈴ね!」
迷流と美鈴はそう挨拶した。隆文は笑うと、
「初めまして、咲耶君の従兄に当たる鶉森隆文です。」
そう言って右手を差し出した。迷流はそれに応えて握手を交わす。恐らくは、この隆文が咲耶に手紙を出したという従兄なのだろう。
「尚芳さんの所に行くのかい?」
ええ、と唐花が頷いて見せた。隆文は、そうか、と小さく頷くと、
「咲耶君、じゃあまた後で。お茶でも飲みながら、学校の話でも聞かせてよ。」
そう言って、右手の扉の方に消えていった。
「こちらです。」
迷流達は再び唐花の先導で、咲耶の父親の部屋を目指す。隆文が口にした、尚芳、と言うのが多分咲耶の父親の名前なのだろう。
樫の木で出来た大きな扉を開けて、迷流達は尚芳の部屋へと通された。唐花は中には入らずに扉の前に控える。様々な調度品がバランス良く配置された部屋の中では、老眼鏡をかけて口髭を生やした一人の白髪の紳士が、何やら書き物をしており、迷流達が入ってきたのに気がつくと、ギロリ、と鋭い眼差しを彼らに向けた。
「ただいま、お父様。」
咲耶は抑揚のない声を父親に向けた。尚芳は、ゆっくりと老眼鏡を取ると、
「お帰り。」
娘の方を見ないままそう言った。そして目を細めながら迷流を見ると、貴方が探偵ですかな、と落ち着いた声で尋ねた。迷流は、はい、と慇懃に答える。
「お嬢さんの依頼を受けて参上しました、東都にて探偵業を営んでいる迷流藍花です。」
「ああ、奇妙な術を使って事件を解決すると評判の。」
尚芳は、たいして興味無さ気な口調でそう言うと、老眼鏡をかけて再び書き物の原稿に目を落とした。そして、咲耶に目を向けないまま、
「それでお前の気が済むのなら良いだろう。」
そう言った。
「失礼します。」
抑揚のない声のまま、咲耶はきびすを返して部屋を出ようとした。迷流も一礼してその後に続こうとする。その二人の背中に向かって、尚芳の声が飛んだ。
「咲耶・・・お前の望むとおりの結果が出るとは限らないのだぞ。」
「承知しています。」
咲耶は歩みを止めてそう言うと、そのまま振り向かずに部屋を出た。戸口の前でおろおろしていた美鈴が迷流に駆け寄ってくる。唐花の手で扉が閉じられると、迷流は肩で大きく息をついた。
「やれやれ、手強い御仁のようですねえ。」
「父は、自分の価値観が絶対だと信じている人ですから。それは良いんですけど、それを他の人にまで押しつけるのは・・・」
ああ、分かりますね、と迷流は言った。唐花がそこに怖ず怖ずと近づいてきて、迷流達を泊まる部屋に案内する旨を伝えた。咲耶は、落ち着いた頃に迎えに参ります、と言いおいて、荷物をおきに自分の部屋へと向かった。
屋敷の中は広い割には直線を基調とした廊下の作りのおかげで、それほど入り組んだ印象を受けない。和欧それぞれの要素がお互いの個性を殺すことなく共存しあっている、趣味の良い建築物だ。
先程のホールの、玄関から見て左手の階段を上がった先に、迷流達が泊まる客室があった。
「ご一緒でよろしかったんですよね?」
階段を登ってから三つ目の扉の前で、唐花は迷流達の方に向き直ると、確認を取るようにそう言った。向き直る、と言っても迷流達の姿を彼の目は捉えてはいないわけだが。
「もちろんね!」
迷流が感慨深げに唐花の目の上に巻いた黒布を見つめているうちに、美鈴が元気良くそう答えた。唐花の口元が微かに微笑みを浮かべたように迷流には見えた。唐花はそのまま、迷流達の荷物を軽々と担ぐと、部屋のドアを開けて、荷物を部屋の隅に置いた。
「うわー、素敵なお部屋ね!」
続けて部屋の中に踏み込んだ美鈴が、歓声を上げる。部屋は落ち着いた色調の欧州風で、奥の方に立派なベッドが二組設えてある。美鈴は早速ベッドの上に飛び乗ってはしゃいでいる。
「お飲物はそこの冷蔵庫の中に冷やしてあります、ご自由にお飲み下さい。」
唐花はそう言って、指を指し示す。その方向には、確かに冷蔵庫があった。迷流は小さく、ほう、と呟いた。
「助かります。喉が渇いていたもので。・・・ここまで至れり尽くせりだと申し訳なくなってきますね。」
唐花の口元が再び微笑みの形を浮かべた。そして、礼なら尚芳様に異って下さい、と言った。迷流はすっと目を細めると、咲耶さんに、でしょう?と言い返した。唐花の口元に微苦笑が浮かんだ。
「適いませんね。」
唐花はそう言って、部屋を出ていこうとした。その背中に向けて、迷流は尋ねる。
「唐花さん、貴方は、地蔵の首を奪った犯人は誰だと思いますか?」
唐花は背中を向けたまま、さあ、と言った。
「目明かきの世界の事は私には分かりかねます。そうですね・・・犯人は、この村の因習・・・と言ったところでしょうか?」
そしてそのままドアーを閉めて唐花は立ち去った。
迷流はベッドの縁に腰を降ろして、そっと顎に手を当てた。
「迷流様。」
ベッドにうつぶせに寝ころびながら、足をばたばたさせていた美鈴が尋ねてきた。
「ん、何?」
「迷流様、今回の事件についてどう考えてるね?」
迷流はうーん、と言って考え込んだ。
影葵までの列車の道中、咲耶は、自分と今回容疑がかけられている鳥巣と言う男との関係を語ってくれた。
咲耶が小学生の時のことだという。咲耶はその日、こっそりと家を抜け出して山へと遊びに出かけていた。
通常、村というのは集落である『ムラ』、その周りを囲む耕地であるところの『ノラ』から形成されており、村には村の守り神がいて、その村に他から災いが降りかかってくるのを防ぎ、人々を守護してくれる。そしてその神、つまり氏神をまつる一族こそが氏子であって、即ち影葵の場合は、縁澤家がそれに当たる。
『ノラ』、耕地の外側には『ヤマ』と呼ばれる文字通り人の手の入っていない山が広がっている。村の氏神ではなく、山の神が支配しているそこは、既に村人達にとっては異界である。『ヤマ』の更に奥には『オクヤマ』があり、やがて他村との境界線に接する。
人々はよほどのことがない限り、ヤマの奥には足を踏み入れない。そこの支配者である『山の神』を恐れているのだ。どうしてもヤマを通らなければならないときに、人々が頼っていたのが、件の五つ地蔵だったわけである。
さて、鳥巣という男は、ヤマの遙か奥、他村との境界線も近しい場所に一人で居を構えており、村人達は彼のことを「鳥目男」と呼び、ヨソモノ扱いすると同時に、彼のことを恐れていたのだという。
確かに、鳥巣はわざわざ集落からはずれた場所に住み、また、村人の中にだれ一人として、彼の出自を知る者はいなかった。怪しいことは怪しいが、何も恐れる必要はないと思うのは、至極当然の思考であると同時に、村の因習と言った物に縁がない物の思考である。
咲耶が足を踏み入れた山、とは村の人にとっては異界そのものだったのである。
幼い咲耶は、口うるさい父親に嫌気がさしていたのだという。その前の年に咲耶の母親が亡くなってからと言うもの、如実にその傾向は酷さを増した。また、事ある毎に家を訪れては、父親の部屋へと消えていく、会社の部下だという女の人も、咲耶の苛立ちに拍車をかけていた。
かくして咲耶は、足の赴くままに、山の奥深くへと足を踏み入れていったのだという。そしてそれは、ほんの一瞬の油断から起こった。
崖の脇の細い獣道のような道を進んでいるときだった。露に濡れた草に足を取られた咲耶は、そのまま崖の斜面を滑って、崖の中腹の立木のところまで転げ落ちた。
転げ落ちた際に、足首を捻ったらしい。咲耶は立ち上がろうとして、あまりの痛みに再びしゃがみ込んだ。どうやら自分一人では斜面を登れそうにないことに気づき、咲耶は急に心細い気分になった。
歩くのを止めた途端、辺りの音が、一層はっきりと聞こえてくるようになる。野鳥の鳴く音と、風に草木がざわめく音。咲耶の胸を心細さが支配した、その途端、咲耶の口から勝手に泣き声が漏れ出す。誰も来るはずがない山の中だと分かっていても。
そして、咲耶の喉も枯れようかという頃、来る筈のない人影が崖の上にひょっこりと姿を見せた。
いや、人ではない。幼い咲耶はそう思ったのだという。
あれは、鳥だ。
咲耶はそう思った。それほどその人間は奇妙な顔をしていた。男の両の目は、不自然なほど顔の外側についており、口の辺りは前に向かって飛び出し、まるで鳥の嘴のようになっていたのだそうだ。
恐怖のあまり声も出ないまま、崖の上を見つめ続ける咲耶に向かって、しかし、男は優しい声で今助けます、と言って器用に崖を滑り落ちてきた。男は、咲耶の側で多分にっこりと微笑むと、さあ、と言って手を出した。
咲耶が恐る恐るその手に捕まると、男は、咲耶を立たせて自分の背中に彼女を背負った。そしてそのまま、村外れの彼の家まで連れていくと、怪我をした足に薬を塗って、包帯を巻いてくれた。
「ありがとう・・・」
咲耶がどうにかそう言うと、男は再び微笑んだようだった。
「私、咲耶。縁澤咲耶。貴方、お名前は?」
「俺は鳥巣と言います。」
名字でも名前でもない『鳥巣』、咲耶の質問に対して、男はそう名乗った。恐ろしい顔とは裏腹に、鳥巣は穏やかな性格のようだった。
結局咲耶は、鳥巣の家で暫く休んだ後、再び鳥巣の背に揺られて縁澤家の屋敷に戻った。鳥巣は、咲耶を屋敷の前で背から降ろすと、恐らく少しだけ悲しそうな顔をして、ここでお別れだよ、と言った。
「どうして?せめてお礼に・・・」
咲耶が言いかけたときだった。
「咲耶!!!」
大声で彼女の名を呼ぶ声と共に、屋敷の扉が荒々しく開かれて、中から血相を変えた尚芳が走り寄ってきた。
「あ、お父様・・・」
言いかけた咲耶の隣を通り過ぎると、尚芳は、
「この鳥目男が!うちの娘を拐かしたか!!!」
叫ぶや否や、右の拳で、鳥巣を殴り倒した。
「お父様!何をするの!鳥巣さんは私を助けてくれたのに!」
あまりの事態に驚き、咲耶は泣きながら尚芳にしがみついた。しかし、鳥巣は出血した口元を拭いながらゆっくりと立ち上がると、良いんですよ、お嬢さん、と寂しそうに言った。
「俺が『ムラ』の中に侵入したのが悪いんです。お父さんの言っていることは正しいんですよ。」
そんな、と言った咲耶の後ろで、当然だ、と尚芳は言った。
「お前のようなヨソモノが来ると、村の秩序が乱れるのだ。金輪際うちの娘には近寄らないで貰おうか。」
そしてふん、と鼻をならすと、咲耶の肩を抱いて屋敷へと戻ろうとした。咲耶が怖ず怖ずと振り返ると、鳥巣は、すみませんでした、と言いながら肩を落として家路につくところだった。
咲耶は、複雑な表情でその背中を見送った。
その後、咲耶は村の人々から話を聞いて、鳥巣が鳥目男と呼ばれていることや彼のおかれている境遇について知ったのだそうだ。村八分という境遇について。
「普通に考えれば、鳥巣さんが犯人かどうかは、私が“ノベリング”を行いさえすれば、簡単に分かるはずだよね。」
迷流は美鈴の寝っ転がっているベッドまで移動して、その縁に腰掛け直すと、そう言いながら美鈴の顔を覗き込んだ。美鈴は少し照れたように頬を赤く染めると、被っていた白い麦わら帽子を少し深く被りなおした。
「咲耶さんや霧華さんの前ではあんな事を言ったけど、どうやらこの事件はそれだけじゃあ解決できない代物のようだね。」
美鈴はぴょこん、と顔を上に向けた。
「村の淫獣ね!」
迷流は吹き出して、因習だよ、美鈴、と言った。
「でもその通りなんだよね。私が鳥巣さんが犯人じゃないと証明したところで、村の人達にとっては、それはどうでも良い事どころか迷惑なことなのかも知れない。罪を押しつける格好の人物の疑いが晴れると、かえって村の人達は不安にさらされる・・・私のノベリングの答えを、恐らく村の人達は信じようとしないだろうね。」
「じゃあどうするね?やっぱり真犯人を見つけだすか?」
うーん、と迷流は腕を組んで唸った。
「果たしてそれが良いことなのかどうか、判断が難しいね。咲耶さんの依頼を果たすことが、一体何をすることなのか。その事によって村にどのような影響が与えられるのか。全ては未知数だよ。何しろ私達もここでは『ヨソモノ』にすぎないのだからね。」
厄介な話ね、と美鈴は言った。
「ま、その時になってから考えようか。美鈴、なんか飲もうよ。」
迷流は立ち上がって冷蔵庫を開けると、オレンジジュースを二本取り出して再び美鈴のベッドに腰掛けた。
暫く二人で談笑していると、小さなノックの音がして、少女の切り揃えた前髪が覗いた。
「やあ、咲耶さん。」
迷流が挨拶すると、咲耶は微笑みながら、ご不便な点はありませんか?と尋ねてきた。先程までと比べると、大分機嫌がいいようだ。頬が少しだけ桜色に染まっている。迷流は軽く笑って、快適ですよ、と答えた。
「良かった・・・。ところで探偵さん、今日は七夕ですから、これから雛流しが行われるんです。よろしかったら一緒に見に行きませんか?」
ああ、良いですねえ、と迷流は言った。
「暇な餓死って何ね?」
美鈴は小首を傾げながらそう言った。迷流は笑って、
「雛流しだよ、美鈴。百聞は一見に如かず、行ってみれば分かるさ。」
そう言いながら美鈴の手を取ってベッドから起こしてやった。
「それでは参りましょう。」
言った咲耶に付き従って部屋の外に出ると、そこには隆文が壁に寄り掛かるようにして待っていた。
「やあ、探偵さん。」
隆文は迷流達に気づくとそう言って、微笑みながら右手を挙げた。先程とはうって変わって、半袖のシャツに芥子色の膝下までのズボンといった、動きやすそうなラフな格好をしている。
「何だ、咲耶さん隆文さんと一緒だったね。」
美鈴がそう言うと、隆文は少しだけ照れたように頭を掻いて、ええ、咲耶君に学校の話をして貰っていたんですよ、と言った。
迷流が咲耶の方をちらりと横目で見ると、彼女は恥ずかしそうに少しだけ顔を伏せていた。
屋敷を出て、あぜ道を暫く歩いて行くと、小さな流れにでた。川の畔には、もう大分人が集まっておりざわざわとざわめく声が聞こえる。
傾いた日の光を受けて、きらきらとオレンジ色に輝く川の水面には、色とりどりの雛人形が小舟に乗って次々と流されて行く。
「うわー!」
美鈴が歓声を上げる。迷流は、微笑みながら彼女に説明してやった。
「雛流しって言うのはね、美鈴。あのお雛様に厄、つまり災いを村の外に持ち去って貰うために、こうやって一年に一回船に乗せて川に流すんだよ。」
美鈴は、何か昔こういうの見たことあるような気がするね、と言った。えっ、と迷流は少しだけ怪訝な顔をした。美鈴は眉根に皺を寄せながら、何事か考え込んでいたが、すぐに何時もの子供っぽい表情になると、あれえ、と声を上げた。
「ところで、流れていったヤクが隣の村に行ったらどうなるね?」
隆文はその言葉を聞くと、笑いながら鋭いね、お嬢ちゃんは、と言った。
「お嬢ちゃんの言ったとおり、確かに、隣村に厄を押しつける形になるのは間違いがないんですよ。隣村は、お雛様が流されてきたのを見たら、急いで、自分たちもお雛様を川に流す、更に下流に向かって流すんです。・・・それを繰り返すことによって災いはやがて海の沖へと消えていくことになるわけですね。」
美鈴はふーん、と言いながら唇の辺りを人差し指で何度か突っついた。
「と、言う事はこの村にも他の村から、災いが押しつけられてきたか?」
隆文はうーん、と考え込んだ。そして言葉を選ぶように、数年前まではね、と言った。
「それはどういうことです?」
不思議に思った迷流がそう尋ねる。隆文は再びうーんと唸って天を仰いだ。
「この村より更に上流に、数年前までは影白虎と言う名前の村があったんです。丁度この村と同じくらいの規模の村でした。」
「でした・・・と言うことは、今はもう無い?」
「ええ、数年前に氏子の家が大火事になって、沢山の人が死んだのだそうです。詳しい原因は分かってはいないのですが。それ以来、村人は一人減り二人減り、今ではすっかり廃村になっています。ですから今はここ、影葵が雛流しのスタアト地点というわけです。」
迷流は腕を組んでふーん、と唸った。少々気になる話ではある。が、迷流の思考は咲耶の言葉によって遮られた。
「あ、見て下さい、大きな船がでますよ。」
咲耶の指さした方を見ると、一メエトルくらいはあろうかという船に、ぎっしりと雛人形達が乗せられて、今まさに出航しようというところだった。
船は数人の立派な服装をした人々によって支えられている。その中には、縁澤尚芳の姿も見えた。彼の周りを取り囲むようにして、少し青白い顔をしたやせぎすの男と、派手な顔と格好をした女の姿が見える。
「尚芳さんの隣にいる痩せた男の人が、咲耶君のお兄さんの咲間さん、その隣の派手な女の人は咲間さんの奥さんで、僕の姉でもある乃舞華です。」
隆文は迷流にそっとそう耳打ちした。迷流はふうん、と言いながらそちらの方をもう一度しげしげと眺めやる。船を囲む人だかりの中には、還山老人や霧華、相変わらず黒い布を目の上に巻いた唐花などの姿も見て取れた。
そして、尚芳の少し後ろには、まだ幼い子供を抱いた若い女が微笑んで立っていた。
「流すぞう!!」
船を支えていた男達の間から掛け声が上がって、飾り雛を乗せた船は、ゆっくりと流れの中に分け入っていった。
途端、見物人の中からわあっ、と言う歓声が上がる。
夕日の光を受けて、きらきらと輝きながら、勇壮に雛人形を乗せた船は下流を目指していく。
誰かに災いを押しつけるために。
それは単純なように見えて、実は酷く恐ろしいシステムなのではないか。
真実を解き明かすのではなく、何かに、誰かに責任を転嫁する。探偵である迷流のすることとは、全く別種の事件の解決の仕方。
自分はひょっとして適う筈のない敵を相手取ろうとしているのではないだろうか?
金銀の羽織を着せられた飾り雛が、水面のきらめきを反射してきらきらと光を放っている。その所為では無しに、迷流はくらくらと目眩を覚えた。
鳥目男の犯罪(前編)・完 |
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