山梨・静岡旅行
2002年09月11〜13日(水〜金)

富士山5合目
2002年09月11日(水)午後


 日本ランドが休園日だったため、思いがけず時間が空いてしまった。我々は、すかさず日本ランドから富士山5合目への道を進んだ。日本ランドから富士山5合目までは、一本の道路で繋がっている。それに富士山は、「サイバーコップ」に於いて決戦が繰り広げられた大舞台。日本ランドの代わりにはならないが、富士山も我々が訪れるのに適した場所である。

 富士山は、5合目までは車で行ける。ここから山頂まで登れるらしいが、薄着で何の準備もないため、入り口で写真を撮るに止める。

 私とPGO氏は残ったが、あとの2人は競うように走って山頂への道を登っていった。これはしばらくして戻ってきた彼ら。どこまで行ったのやら・・・。

 銅板に富士山周囲の地図が彫られていた。天気がよいと、この地図のように下界を一望できるのであろう。

 地図には日本ランドの文字も。霧がない日には、日本ランドを見下ろすことも出来るのか。

 土産物店には、服型のよくわからんタオルが売られていた。しかもぬいぐるみ付き。富士山との関連性はおろか、土産物店で売る意図もよくわからん。

 しかし、それを買うアホはいるわけだ。観光地では、こうしたよくわからないものを買ってしまうことも、しばしばある。だから商売が成り立つ。

 有名観光地にはほぼ必ずある、記念メダルと刻印機。自分の名前など彫らず、サイバーコップの名を刻み込んだ。富士山にはこの名がふさわしい。

 富士山5合目の便所の標識には、アメリカ英語が書かれていた。それだけアメリカ人観光客が多いと言うことだろうけど、日本でこの表記はあまり目にしない。


 富士山にて土産物を購入し、写真などを撮った。滞在時間はそう長くはなかったが、我々は再びアコードに乗り込んだ。上りはPGO氏の運転だったが、今度は私が運転席に座ってハンドルを握る。
 PGO氏はシフトをD3に入れて慎重なライン取りで5合目まで上ってきた。私は、シフトを2に入れて2速に固定して、アクセルをほとんど踏まずに富士山を下った。別にD4に入れっぱなしで、フットブレーキを多用して降りても問題はなかろう。だが、曲がりくねった急な坂道を、4人も乗った重い車で降りるのにはエンジンブレーキを強力に利かせたかった。4速ATの2速は、カバー域が結構広い。それほどミッションやエンジンへの負担にはならないだろう。
 上りでPGO氏は「ここはブレーキが要らない。アクセル緩めるだけで止まる」と言っていたが、下りではアクセルが要らなかった。エンジンブレーキは確実に利いていたが、カーブ直前では、フットブレーキをそれでも多用した。アクセルはカーブからの脱出以外はほとんど踏まなかったが、私の山下りは速いと助手席のPGO氏に言わしめた。


 やがて勾配も緩やかになり、シフトをD3へと入れた。そして順調に飛ばして行こう、と思ったら、眼前には観光バスが。バスのスピードは、2速に固定していたときの我々よりも遅かった。窓からは砂利が騒いでいるのが窺える。5合目で整列しているのを見た、小学生の一団か。バスの後ろには我々のアコードが付け、その後ろにも徐々に車が詰まってきた。
 勾配は大分緩やかになってきたが、カーブが多くとても抜かせない。しかし森林を抜けると、我々の目の前には長いストレートが広がっていた。対向車はない。私はシフトをD4に叩き込み、右ウィンカーを上げてアクセルを踏み込んだ。猛スピードでバスの横を抜けるとき、後部座席の男が「小学生、バイバイ」などとバスに向かって手など振っていたような。このときの速度は、とても人には言えない。D3ではそこまで引っ張りきれないのでD4に入れたのだ。
 かくして我々は、再び下界へと当てもなく降りていった。 

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