山梨・静岡旅行
2002年09月11〜13日(水〜金)

悪路
2002年09月12日(木)午前


  富士山子供の国を後にした我々は、行く先も決まらぬままただ車を走らせていた。まあ、対向車とすれ違うことさえなかなかない平日の田舎道。こうした道路を流すのも悪くはない。雨もちらついた前日とは打って変わり、今日の天気は快晴であった。
 今日の宿は甲府近辺。取り敢えず、富士山南部を時計回りにうろつくこととした。道は違うが、昨日と似たような方向へ走っているような。まあこうした走っていれば、そのうち面白いものもあるかもしれない。なくても、テキトーに車を降りて写真でも撮れば、それはそれでもいいだろう。


 だが、快適に走っていた道は突然工事中で行き止まりになった。迂回路と称する道路に回る。これがまた、悪路である。最初のうちは、ただのアスファルトの道路であった。心なしか道幅が狭い気がしたが、センターラインはまだあった。しかし、やがてセンターラインは消え失せ、道幅は見る間に狭まってくる。さらにはアスファルトでさえなくなり、砂利さえ満足に敷いていない悪路になる。林の中にただ土を盛っただけのような道だ。対向車が来たら乗用車同士でも、すれ違うのは一苦労だ。カーブに設けられたミラーを見て、どうしても見通せない場所ではクラクションを鳴らして通り抜ける。
 大した道じゃあないな、と調子づいていたら・・・対向車が現れた。それも10トン積みのダンプカーが。「産業廃棄物運搬中」とか恐ろしげな紙を貼って、突進してくるではないか。最初は運良く開けた場所での遭遇であり、私が道の端に寄って停車してやり過ごした。また走り出すと、またまたダンプがやってくる。似たような紙をフロントガラスに貼っつけて。今度はガードレールに限界まで寄って、なんとかすり抜けられた。ここはダンプの通り道らしい。いい加減私は、またダンプがやってくるのではないかと、カーブの度に気をすり減らした。そして3台目がやってきた。今度はどこにも逃げ場がない狭い場所。私はシフトをバックに入れて、待避スペースがあるところまで逃げたものであった。4台目以降は数えていないが、次から次へとダンプが押し寄せる凄まじい道であった。


 やがて道はセンターラインのある立派な国道につながった。
「我々は勝った!」
 私は意味もなく勝利宣言なんぞしてみたり。再びアクセルを調子よく踏み込んで快適なドライブを再開。しかし、やがてこの道は細くなる。センターラインはなくなり、林の中をうねりだした。またかよ。いい加減うんざりしてきた。ミラーを確認し、ホーンを鳴らしつつとっとと突破してしまったが、今度のは短かった。こんな場所はこの先に何度もあった。北海道ではありえないが、内地ではたまにこういう道があるのだ。広い国道でも昔ながらの集落や古い森林を通るときは、突然狭くなるということが。この道もそういう道であった。しかし幸いなことに、再びダンプとすれ違うことはなかった。
 それにしても、この悪路を突破する際に、ペーパードライバーの2人がハンドルを握っていなくてよかった。いや、運転していたら運転していたで、何とかした(何とかせざるを得なかった)だろうし、それはそれで今後の糧となっただろうけど、取り敢えずはよかった。しかし私もそんなに運転がうまいわけではない。健康に悪い道であった。

次へ


戻る