山梨・静岡旅行
2002年09月11〜13日(水〜金)
鳴沢氷穴
2002年09月12日(木)午前〜昼
悪路に出くわすこともなく、順調に車を走らせていると、「鳴沢氷穴」の看板が見え始めた。目的地はさしあたってないし、取り敢えずは行ってみるか。看板の場所からはかなりの距離があったが、道に迷うこともなく氷穴に到着した。駐車場には古い大木がそびえ立っており、その根と根の間に車を止めた。面妖な駐車場だ。
入り口の自販機で入場券を買って、中に入る。氷穴というだけあって、中は冷える。現在の気温・摂氏0度との表示があった。水は摂氏4度から凍る。これならば中で氷も出来ることであろう。昔「大岡越前」で富士山麓から将軍に氷を献上する話があったが、その氷はこうしたところから採取したのであろう。冷凍庫のない時代は、こうした温度の低い洞窟で自然に凍った物を採取するか、冬に集めた雪を氷室や洞窟に保管していたのであろう。日本書紀にも当時の貴族がそうしてオンザロックを楽しんだとの記述がある。そう思うと、この鳴沢氷穴に眠る氷はえらく大変なものに思えてくる。
足場のわるい中、降りられるところまで降りる。洞窟はさらに続いているが、途中で柵が設けられて遮られていた。そこにあるのは「地獄穴」なる看板。落ちたら二度と帰ることのないとの記述が。まあ、溶岩流によって出来た空洞。おそらくは地下深く伸びており、分岐もしていることであろう。これがどこまで続いているのか、どんな急勾配になるのかは想像もつかない。よほどの重装備とザイルによる命綱がなければ、一旦降りても這い上がる手段などなかろう。それでも途中で狭くなってつかえるたりしたものならば、救出の術がない。落盤の際もしかり。要するに危険な穴だということだ。美津濃氏はえらくこの穴に関心を示していたが、降りたいのならば止めはせぬよ・・・。
地獄穴の看板。伝説はともかくとして、実際にここに落ちて死んだ人もいることであろう。ファイバースコープでも垂らしたら、多量の人骨が見つかりそう(どれだけの長さが要るかは不明だが)。 |
地上にある土産物屋にて、なかなかの逸品を。これは是非に使用したい。 |
地上に出るとメガネが瞬間的に曇り、まったく見えなくなった。摂氏0度からいきなり9月の昼間へ。それまでさほど暑いとは思わなかったが、地上はなんとも蒸し暑く思えた。メガネを外して、外気に馴染むのを待っていたら、PGO氏もП氏も似たようなことをやっている。これも鳴沢氷穴名物なのであろう。