これぞ戦争博物館!
2003年08月21日(木)午後




 今日の目的地は、この戦争博物館。土地とはまったく関係のない博物館や資料館が立ち並ぶ那須だが、ここだけは異彩を放つこと甚だしい。もちろんカーナビになどこの項目は存在せず、大まかな住所だけでどうしてものかと彷徨っていたが、一目で発見できた。





 博物館横手には、街宣車もとい宣伝車両や、廃車が何台も置かれていた。中には、日野コンテッサなどという古い車までもが。コンテッサなんていつの時代の車ですかい。今は大型車しか作っていない日野自動車も、昔は乗用車を生産していたである。



 早速記念撮影。堂々と掲げられた垂れ幕には、なかなか尖鋭的なスローガンが。やっぱりこういうところか!と感慨などを覚えていたら、他にも観光客の車が1台、また1台と入ってきて、家族連れやアベックなんかが見に入るではないか。一般人もここに来るのか!引かないのか!いや、彼ら彼女らもまた、憂国の士であるのか!!




 受付には、日章旗や日露戦争ビールの他、皇室カレンダーなども置かれていた。




 博物館を順路に沿って進む。
 B29のエンジンや軍艦の碇などがここそこに置かれている。
 よこぞ集めたものだ。




 私は戒厳司令部看板の前で一枚撮影。
 手にはもちろん陸軍十四年式後期型を。
 胸には言うまでもなく芝村が。




 美津濃氏は陸軍機カレンダーがお気に召したようだ。




 館内の具体的な展示物については、各々がこの地を訪れて見てほしいので、あまり写真は載せないが。
 これだけは載せる。展示されていた南部式。私が持参したものとまったく同一。ショーケースに肉薄して凝視したら、展示されている南部式にも東京マルイと書いてあった。他にも、モデルガンらしきものは何丁もあった。まあそれは個人博物館。日本では、腐食し錆びて、部品が一体化してしまったものや、無可動処置を受けた輸入品以外、実銃の展示は難しいのだ。モデルガンやエアガンせねばならぬというのが、実に残念な現状ではある。




 博物館を出てから、併設されている古道具屋へ。
 はたしてこの恐ろしげなノコギリは、何を切ったのだろうか。




 博物館に到着した直後に、PGO氏の靴がぶっ壊れた。金具が壊れたらしい。そこで靴なども見る。
 結局買いはしなかったが。


 我々は、日章旗や陸軍機カレンダーなどを購入し、日露戦争ビールも4本購入。そして車へと乗り込んだ。
 そして我々は、鳩子様とともに戦争博物館を後にした。

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